欧州の言語


ブノワ・デュトゥルトル(Benoît Duteurtre)

作家、
『駅のビュッフェのノスタルジーLa Nostalgie des buffets de gare
(未邦訳)Payot, Paris, 2015 著者


訳:村松恭平



 私が甥に、フランス語にも同様の言葉があるのに何故いつも英語を使っているのか尋ねた時、彼はこう答えた。「英語の方が“style”だからね」。そして、期待通りにいった時には「ウィ(Oui)!」や「ジュ・スィ・コントン(Je suis content=嬉しい)!」と言うのではなく、両手の拳を握って「イエス!(Yes)」と叫ぶ。

 先日、車の中でそのことについて思い返していた際、ファン・ラジオである番組が流れていた。番組進行役は陽気な話し振りで、若者の聴衆に対して彼らの“life”を語るよう促していた。“life”は「ヴィ(vie)」というフランス語よりも、どうやら“style”な概念らしい。歌が流れる度に一つの宣伝が新しい“dance floor”の発見を促していた。聖なる言語のように皆が英語を使っていたものの、奇妙なことに、英米人たちはその隠れた意味を理解することができない。何故なら彼らにとって“life”は「ヴィ(生活)」、“dance floor”は「ピスト・ドゥ・ダンス(piste de danse=ダンスフロア)」しか意味しないからだ。こうして、自分の考えを理解してもらおうと英語を話す人々と、何か他のことを表そうとしてその言語を話す人々の間に、ある区別が生じていた。

 私の甥はフランスの考えを嫌っているわけではない。彼は、いくつかの分野における自分の国の奇抜さを認めている。彼は『ハジキを持ったおじさんたち』“Les Tontons flingueurs”(1962)に登場するミシェル・オディアールの低俗な嘲りさえ大好きだ……。それでも、彼が英語の多く混ざったフランス語を話し、フランスではほとんど知られていないようなハリウッドの有名人たちを知っていることには変わりない。そうした有名人たちの名前はインターネット上で何度も繰り返される。甥の言うことを私が理解した限りでは、より正確に言って、“style”という言葉は「流行の(branché)」、「世の中の事情に通じた(dans le coup)」、「今日の(d’aujourd’hui)」を表現している。英語は単なる言語ではなく、世の中の変化や未来を示す印であり、どんな概念にも現代的な特徴を加える。したがって、“life”は平凡な「ヴィ」よりも新鮮で、ワクワク感を感じさせる言葉に見えるのだ。

 2014年3月26日、いくつかの忠告を与えるため、バラク・オバマ氏がブリュッセルに赴いた。彼は北大西洋条約機構(NATO)の会議に出席する前に欧州連合(EU)のリーダーたちに会い、シリアにおける警戒を強化するよう説いた。また同時に、ウラジーミル・プーチン氏のロシアに対し、断固とした態度を取るよう彼らに呼び掛けた。同様に、米国政府にも欧州委員会のリーダーたちにも重要である大西洋を横断する自由貿易協定の議論にも立ち返った。このサミットの写真を見ると、欧州のリーダーたちはワイシャツ姿でこの魅力的な米国大統領の周りに密接しており、それはまるで社長を取り囲んだ部長たちに似ている。彼らはオバマ氏から対等に話し掛けられるのに満足した様子だった。そして明らかに、あらゆる目的と方法について意見が共有されていた。会談は自然と英語で展開した。ジョン・F・ケネディのような昔の米国大統領たちとは違い、遠く離れた地方のお役人たちに対し、オバマ氏はドイツ語で演説をしたり、フランス語で会話するといった状況を考えることさえもはや必要ない。

 いずれにせよ、この政治交流においては主権国家間のサミットにふさわしいものは何もなかった。それはむしろ、世界の同じ見方と共通目的によって集まったパートナー同士の幹部会議だった。どんな軍事同盟もEUを米国と結び付けることはないにもかかわらず、この欧州大陸の首脳たちは、彼らの利益をNATOの利益と混同しようとしているかに見えた。この見方の一致は同意によって重んじられていた。欧州のリーダーたちは経済概念や衛生・安全に関する諸ルール、規制緩和と民営化の目標、2本の線が引かれた通貨マーク、そして今やその言語までも米国から輸入した後、躊躇うことなく同じ外交・軍事路線に賛同していた。そしてあやふやだった欧州の防衛計画は、こうした路線へと置き換えられた。

 この数年間、偽りの実用主義によってその使用が義務とされた英語のために、EUの多言語主義は一掃された。20世紀中頃に社会全体で始まったこの変動は、インターネットの影響のもとで驚くべき加速を見せている。グーグル、フェイスブック、ヤフー、ツイッター、そして米国で生まれた他の沢山のコミュニケーション・ツールは、それらの原産国のスキーマによってモデリングされたままだ。我々は日々、インターネットを通じて少しは飛び込んでくる英語に直面するだけではなく、米国的な思考をするようにも促されている。グーグル・ニュースのフランス語版ページをちょっと見ればそれは明らかだ。夏の間、私は毎日「文化」欄のトップ画面に現れる、こうした主要な情報を暇潰しにメモしていた。8月16日「ミシェル・オバマ——健康になるためのヒップホップ音楽リスト」、8月17日「女優リサ・ロビン・ケリーの逝去」、8月18日「ジャスティン・ビーバーと亡くなったマイケル・ジャクソンによる[MV上の]デュオ……」。この夏の時期にフランスで多く開催される、演劇や音楽フェスティバルに関するちょっとしたニュースを見つけるためには、テレビシリーズの若手女優たちとスティーブ・ジョブズの最新の伝記映画の間をくぐり抜け、項目分類の奥の方まで[クリックを重ねて]探さなければならなかった。グーグル・ニュースの責任者たちは、彼らのニュースはフランスのメディア全体で取り上げられていると、当然の様子で反論するだろう。更に、[フランスのメディアである]スター・アクチュあるいはガラの影響によって、我々の視線が何故ビヴァリー・ヒルズへ絶えず向けられるかを知らなくてはならない。世界の見方はこうして二層になって普及していく。主に米国から輸入された国際文化と、各国を地方のランクに追いやってしまうローカル・ニュースだ。

 前回の欧州議会選挙の数週間前、ユーロ・ニュース(フランスの会社だが、社名からはそれがわからない)はEUの主要政治グループのリーダーたちの討論会を企画していた(2014年4月28日)。4名の候補者の国籍はそれぞれ、ベルギー人(ヒー・フェルホフスタット氏)、ルクセンブルク人(ジャン=クロード・ユンカー氏)、ドイツ人(マルティン・シュルツ氏とスカ・ケラー氏)だった。全員がドイツ語を完璧に話し、3人はフランス語も話すことができる。これらの言語は欧州で最も話される二つの母語であるだけでなく(ドイツ語話者は9,000万人、フランス語話者は7,000万人)欧州共通市場の創設国の言語でもあり、初めから[欧州共同体の]作業言語として選ばれたのだ。ところが、米国人ジャーナリストのクリス・バーンズ、英国人ジャーナリストのイザベル・クマールのリードのもと、この欧州の討論は全てが英語で展開されていた。

 報道でも政界においても、抗議や驚きは少しも示されなかった。その言語とニュアンスをコントロールする小学校の先生の役割を二人のインタビュアーがやや担っていたことは、かろうじてテレビ視聴者が気付くことができた。逆に、この「EUディベート」の4人の参加者たちは優秀でやる気の満ちた生徒には見えたものの、彼らのアクセントの欠陥を完全に隠すことはできなかった。更に、彼らのうち誰もこの状況の奇妙さを強調することもなければ、それを嘲笑することもなかった。4人のドイツ語とフランス語話者は自らの言語を方言のランクに格下げし、世界統治に関わる志願者としての誇りと確信を持って、長々としたフレーズを好んで英語で並び立てた。

 この討論会の演出は、全てがCNNの選挙ショーを真似て構想されたようだった。書見台の後ろに立った4人の候補者たちは、ジャーナリストのペアに向き合いながら、欧州は「米国をイメージした」偉大な民主主義的共同体であることを示していた。発言者たちは同様に、政治的相違があるにもかかわらず、「プーチンのロシア」という主たる危険性を一緒になって暴いた。次に、緑の党の代表であるスカ・ケラー氏が「米国がそうしているように」欧州はロシアに対し毅然と立ち向かってはいないと悔やんだ時には、他の3名も深刻な様子で彼女に同意した。他の事について言えば、欧州の偉大さ、欧州の特異性、欧州の力強さ、欧州の影響力、欧州の発言力を全員が主張した。しかしながら、EUが「地球規模で発言するのに十分巨大な」唯一無二の総体であるだろうとたどたどしく話した時も含めて、その言葉は形式・内容どちらにおいても外国の言葉でしかなかった。

 欧州が対抗しようとしている中国、米国、ロシアといった存在が、他国の言語で意見表明するのを想像できるだろうか? こうした国々の特性は、まさに共有財産としての言語の中にある。それ故、中国は北京官話で自国を治めるし、ロシアはロシア語で統治される。米国は英語で……。大国クラブの中でその役割を担うことに迫られたEUは、この意味において、そうした国々と対比されることは不可能だろう。何故なら、EUは自分たちのものではない言語、あるいはその一部でしか使われない言語で意見を表明する、世界で唯一の存在だからだ。EUは創設国の言語(フランス語やドイツ語、イタリア語……)を見捨て、その機構を長い間特徴付けていた多言語主義の原則を諦めながら、加盟国の中でも最も遠く離れた国の言語に頼っている。それはすなわち英国だ。つま先立ちの状態であるこのEU加盟国は、間もなくそこから離脱するかも知れないが、そうなれば英語というこの素晴らしい特権に訴える理由はなくなるのだ。




(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2016年6月号)