シリアをめぐる分裂

レバノン政局の鍵を握るヒズボッラー


マリー・コストル(Marie Kostrz)

ジャーナリスト


訳:増田 啓


 シリアでは2月末に停戦が成立したが、シリア軍はそれまでに、ロシアの爆撃機とイランの軍事顧問、レバノンのシーア派戦闘員を味方につけ、失った領地の一部を取り戻すことに成功した。バッシャール・アル=アサド大統領を第一線で援護するヒズボッラーは、周辺地域での正当性と高いポジションを獲得している。アラブ連盟からは「テロ組織」と名指しで非難されているが、マグレブ諸国での人気は高い。[フランス語版編集部]



 レバノンの首都ベイルートの南郊・ダーヒヤの街角や、同国東部のベカー高原を走る道沿いでは、シリアで死んだ戦闘員の肖像が飾られた姿が風景の一部となっている。シリアでの争いに踏み込んだヒズボッラーは、高い代償を支払わされている。ベイルート南のルワイスの売店で働くファラー・C(1)は、婚約者だった男性の写真をまだ大事に身に付けている。婚約者は2014年、シリアのダマスカス近くのグーダで死んだ。「シリアに行って半月戦い、帰って一週間休んでまた出かけることの繰り返しだった」。まだ若いこの女性は、黒く長いヴェールに身を包んでそう語る。「煙と爆撃で目と耳がおかしいとこぼしていた。いつも血の匂いがすると言っていた。苦しい日々だったけれど、彼が死ぬと思ってはいなかった」。「婚約者」でしかなかった彼女には、戦死した戦闘員の「未亡人」に与えられる党からの援助金はない。彼女のヒズボッラーへの支持はそれでも変わらないという。「死んでしまう戦闘員はたくさんいる。私の周りだけでも7人。でも誰かが私たちの聖地を守らなければならない。もし彼らが戦わなければ、レバノンのシーア派はタクフィーリー(2)に襲われてしまう」

 黒焦げになった車、粉々に飛び散ったガラス、煙の立ち込める道に横たわる人間の死体。昨年11月12日、ダーヒヤのブルジュ・アル=バラージュナ地区で立て続けに起こった2件の自爆テロは、レバノン内戦終結の1990年以来で最も凄惨な被害をもたらした。だが住民たちにとっては、レバノンのヒズボッラーの勢力範囲がイスラーム国の優先的ターゲットであることを思い起こさせる事件にすぎなかった。イスラーム教シーア派のこの党がベイルートやベカー地方で支配する地域は2013年以降、十数件にのぼる攻撃の標的となってきた。アル=カーイダ関連組織が犯行声明を出した攻撃もある。ヒズボッラーが公的には2013年4月に開始したシリア軍支援は、これほどの報復を呼んでいるのだ。

 「シリアの周りには、米国やイスラエル、タクフィーリーがシリアを自分のものにすることを絶対に許さない本当の友人がいる」。ヒズボッラー書記長のハサン・ナスルッラーのこの宣言は、バッシャール・アル=アサド大統領の軍隊に対し蜂起したスンニ派武装組織に矛先を向けたものだった。イスラエルに対する抵抗をシリアがイランとともに中心となって率いているとみなすナスルッラーは、シリア政権支援の立場をこうしてはっきりと示した。

介入は「真のイスラーム」を守るため

 ヒズボッラーは数日後、シリア西部のレバノン国境に近いクサイル地方での戦闘への大がかりな介入を始めた。同地方は当時、反体制派の手にあった。この介入は、アサド政権に忠実な軍隊が明らかに勢力範囲を狭めつつあった中、力関係の行方を大きく変化させるものとなった。ヒズボッラーの介入で、クサイル地方は1カ月足らずで政権側に奪還された。渇きにあえぎ、生のジャガイモをかじりながら壊走する戦闘員らの映像は、反体制派が手ひどい敗北を喫したことを裏付けている。

 「アサドへの抗議が始まったばかりの頃は、ヒズボッラー活動家らはこれが自分と直接かかわりのあることとは感じていなかった」と、アラブ・イスラーム世界研究所(Iremam)のヒズボッラー研究者、キアラ・カラブレゼは語る。だが2012年のレバノン人シーア派巡礼者のアレッポでの拉致や、シリア反体制派のメンバーのヒズボッラーを敵視する声明、さらにダーヒヤでの攻撃を経て、党を中心とした強固なコンセンサスが形成されていった。「ヒズボッラーはまず、一部の反体制組織の脅威と破壊にさらされたシーア派の聖地を守る必要性を訴えた」。ダマスカス南のサイイダ・ザイナブ廟への攻撃はその一つだ。カリフ・アリーの娘でムハンマドの孫娘でもあるサイイダ・ザイナブをまつるこの霊廟は、シーア派の重要な聖地である。「ヒズボッラーのシリアへの介入はこうして、ダーイシュのような反体制組織に立ち向かい、『真のイスラーム』を守るための聖なる作戦となった」

 ヒズボッラーの活動家の間では、その広がりを見通すのは難しいものの、ひそかな不満の声もくすぶり始めた。2013年、シリアに行った息子を持つ元戦闘員のアリー・Mは、介入をこう批判している。「私はイスラエルに対する抵抗をいつも支持してきた。だがシリアでの戦闘がそれにどう結びつくのかまったく理解できない」。しかし2014年、イラクのモースルを占領したイスラーム国がカリフ制を宣言すると、こうした控え目な抗議の声は立ちどころにやんだ。ヒズボッラーの下級党員も、シリアの政権を権力にとどまり続けさせることに党の生き残りがかかっていることを確信するようになった。

大義に惹かれるシーア派の若者

 シリアでの戦闘に2013年から加わったアハマド・Bは、国境での陣地争いに嫌気がさして、一度は戦いから退くつもりだった。だがイスラーム国の暴力を前に、その考えを捨てた。「イスラーム国がレバノンを攻撃しないようにするには、シリアでのテロと戦う必要がある」。イランやロシアを支持する気持ちも高まった。アハマドの目には、テロを焚き付けているのはトルコや湾岸諸国、米国、イスラエルで、テロと戦っているのはイランやロシアだけだと映る。「ヒズボッラーはイスラーム国とイスラエルを結びつけることに成功した」とカラブレゼ氏は指摘する。「2015年1月のゴラン高原の襲撃は、そのロジックにお墨付きを与えた(3)。イスラエルは、イスラーム国と戦うヒズボッラーの戦闘員を殺したことで、イスラーム国と同じ側に立つ敵とみなされることになった」

 ヒズボッラーのシリア介入はシーア派の人々の間で広範に支持されている。ヒズボッラーに対する批判的立場で知られるロクマーン・スリーム氏の創設した市民組織「ハイヤー・ビナー」が2015年に行った調査でも、シーア派の人々の78.7%がシリア介入を評価しているという結果が出ている。戦闘による「殉教者」は1500人にのぼると言われているが、志願者が絶える様子はない。シリア介入の大義は、若者の間で熱意をもって受け入れられている。レバノン南部の文化事業従事者によると、ヒズボッラーの支配地域が貧しく、将来の見通しが立っていないことは、その大義の魅力をなおさら高めている。「ヒズボッラーはイデオロギー面での戦いにも力を入れていることを忘れてはならない」と、ダーヒヤ近くのマル・ミカエル地区に住むフセイン・Mは語る。「ヒズボッラーは子どもたちには少年団のキャンプを用意している。16歳頃になると、戦闘の味を覚えさせる」。人々にとって党は、日々の生活を改善する道でもある。「ヒズボッラーは、武力闘争を率いると同時に、頭脳となる人材も募っている。党は、ジャーナリストやエンジニアなど高い能力を持った人材を必要としている」と、シリアで二人の友人を失ったこの若者は語る。「党は学費を負担し、雇用の口も与えてくれる」。戦闘の長期化によってヒズボッラーは、党員に対する給金と援助の減額を余儀なくされている。だが最低賃金が月給410ユーロにすぎず、非公式経済が総生産の30%を占めるとされるこの国で、ヒズボッラーは魅力的な就職口の一つとなっている。

深まる宗教間対立

 ヒズボッラーの正当性は、イスラエルとその同盟に対する抵抗という政治路線を源泉としている。この路線は、特に2006年夏の「33日間戦争」を経て、シーア派の枠を超えた動員を実現してきた。イスラーム国の出現はヒズボッラーのこの傾向を強め、ヒズボッラーは自らを地域において不可欠な存在とすることに成功した。ジハーディストからレバノン国境を守る役割をヒズボッラーは自任している。2014年10月、バールベック遺跡(ベカー高原中央)南のブリタル・ジュール(Jurd)のヒズボッラーの軍事拠点が、アル=カーイダとつながりのあるヌスラ戦線の攻撃を受けた。この攻撃は、国境の一部を守っているのが国軍ではなく、ヒズボッラーにほかならないことを明らかにした。レバノン国軍がナビ・スバット近くの管制ポイントを突破されると、アンチレバノン山脈の曲がりくねった山がちの道を巡回しているのは、遠く離れた陣地の間を行き来するシーア派の戦闘員だけだ。

 ヒズボッラーと国軍との協力は、サイダー(南レバノンの沿岸都市)の国軍がサラフィストのシャイフ、アハマド・アル=アスィールの攻撃を受けた2013年夏にもすでに指摘されていた。攻撃の最中にいくつもの戦車と通信システムが故障したところに登場したのがヒズボッラーだった。「ヒズボッラーの精鋭スナイパーが我々を掩護した」と、この戦闘に参加したレバノン軍特別部隊の兵士のイマード・Kは明かす。引退した元将官の一人は、「ほかにどうしようもない。国軍には人員と物資が不足している」と苦渋の表情を浮かべる。ヒズボッラーの政治的・宗教的な路線を支持するか否かを問わず、シーア派以外のレバノン人の一部も、イスラーム国を止める力があるのはヒズボラだけだと考え始めている。

 レバノン国軍への支援計画を停止し、総額300万ドル(270万ユーロ)相当の軍事機器を撤収するというサウジアラビアの2月19日の決定は、こうした状況だけに特別の意味を持っている。ベイルートから20kmのサアディヤートではこの日、スンニ派武装勢力と、ヒズボッラーとつながりのある「サラーヤー・アル=ムカーワマ」(抵抗旅団)との間で衝突が起こった。「スンニ派勢力が南部への道を分断した。これは明らかにヒズボッラーに向けられたメッセージだ。ナスルッラーはこれまで、ベイルートと南部の拠点とをつなぐ軸となる道路を確保しておく重要性を繰り返してきた」。スリーム氏によると、このような衝突はこれからも増える可能性がある。ロシアとイランの介入によってアサドがシリアで優勢を取り戻す中、サウジアラビア政府は「ヒズボッラーが国家(レバノン)に影響を及ぼしている」との批判を強めている。

 サウジアラビアのこの決定の理由の一つは、レバノンが1月初め、イランの周辺政策の非難とヒズボッラーの「テロ組織」認定を拒んだことにある。ワッハーブ主義君主制国家のサウジアラビアとその他の湾岸君主国5カ国は、レバノン人のビジネスマンに退去を命じ、自国民のレバノン行きも禁じた後、3月2日には、レバノンの政権に参加し政治の行方を左右するこのシーア派政党に圧力をかける決議を採択した。ヒズボッラーは、2014年5月から続いているレバノンの共和国大統領の選挙の議会による阻止に大きな役割を演じている(コラム「支配下に置かれた未来の大統領」参照)。シリア紛争は、ヒズボッラーのレバノン国内での地位を高める一方で、宗派間の緊張も招いている。スンニ派の大半はシリアの反体制派にシンパシーを抱いており、その一部は主張を過激化している。スンニ派の間に強いリーダーシップが欠け、一部の政治家が過激化を利用しようとしていることで、状況は悪化の傾向を見せている。「こうした中、シリアにおけるヒズボッラーのポジションは様々な問題を抱えている」とスリーム氏は警告する。「関係の悪化は、レバノン国内に150万人のシリア難民がいるだけになおさら危険なものとなる。これらの難民の大半はヒズボッラーに敵対感情を抱いている」。これに加わったのが、米議会が昨年12月に決定した新たな制裁措置である。ヒズボッラーはこの措置で、テロ組織というだけでなく犯罪組織でもあるとみなされることとなった。レバノンの銀行はこれで、党関係者との取引の拒否を迫られることとなる。この措置はスリーム氏の目には、状況を悪化させる新たな要素と見える。「この圧力が長期的にヒズボッラーを弱体化させることになるのかは何とも言えない。だが短期的に憎しみをさらに強めることだけは間違いない」




コラム「支配下に置かれた未来の大統領」


 レバノンの政界では、アラブ世界のソープオペラ「ムサルサル」(アラビア語で「連続ドラマ」のこと)のエピソードかと思うほどに劇的な事態が起こっている。前大統領ミシェル・スレイマーンの任期の切れた2014年5月25日から、レバノンには大統領がいない。議会は30回以上召集されたが、議決に必要な数(3分の2)の同意は達成されていない。ヒズボッラーは全128議席のうちの12議席しか占めていないが、この妨害の中心にいるとみなされている。ヒズボッラーは、ミシェル・アウン党首率いるキリスト教系「自由国民潮流」の27議員と、シリアに近い複数の党の議員らの票を当てにすることができる。

 ハサン・ナスルッラー書記長率いるビズボッラーが当初目論んでいたのは、キリスト教系政党「レバノン軍団」のサミール・ジャアジャアの大統領選出の阻止だった。「レバノン軍団」は連立与党「3月14日連合」の一員で、この連合をまとめているのは、シリアのアサド政権と「神の党」(=ヒズボッラー)への対決姿勢をあらわにするサード・ハリーリー前首相である。だが2015年夏、状況は一変した。ハリーリー氏が、ヒズボッラーの古くからの盟友でアサド大統領の個人的な友人でもあるキリスト教系議員のスレイマーン・フランジーヤ・ジュニア(元大統領の孫)を大統領候補として支持することを、条件付きで決定したのである。この方針転換に憤慨したジャアジャア氏は今年1月、ライバルだったアウン氏を支持することを明らかにした。

 その結果、レバノンの大統領候補は二人ともキリスト教マロン派であるだけでなく(レバノンの特徴をなす多宗派による政治体制においては大統領はキリスト教マロン派からの選出が慣習となっている)、両候補ともヒズボッラーとつながりを持つことになった。大統領の不在が自らに好都合となると判断したヒズボッラーは、まだ出方を明らかにしていない。ヒズボッラーは今後、政治的な競争相手、まずはハリーリー氏に、さらなる譲歩を迫っていくこととなる。中でも焦点と考えられるのが、選挙区の再編と議会選挙制度の改革だ。議会の力関係の再均衡化をはかるヒズボッラーは、この二つを政治目標として掲げている。。



アクラム・ベルカイード(Akram Belkaïd)



  • (1) 本文に登場する何人かの名前は仮名とした。
  • (2) 「タクフィーリー」は、思想や信仰の違うムスリムをスンニ派であってもシーア派であっても追放する「タクフィール」を実践するスンニ派過激派を指す。
  • (3) ヒズボッラーの元主要幹部イマード・ムグニヤ(2008年の襲撃で死亡)の息子もこの戦闘で命を落とした。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2016年4月号)