シリコンバレーのユートピア

見かけ倒しの「ベーシックインカム」論


エフゲニー・モロゾフ(Evgeny Morozov)

ジャーナリスト
著書は The Net Delusion: The Dark Side of Internet Freedom
(『ネット妄想:インターネットの自由の暗い側面』、未邦訳)他。


訳:大竹秀子


 「ベーシックインカム」(最低限所得保障)すなわち仕事していようがいまいが、[最低限度の生活を保障するため]国民に現金を支給するという急進的な考え方は、ヨーロッパでは根付いているが、最近になって、アメリカのIT業界のエリートたちが、この思想を支援し始めた。——いったいどうした風の吹き回しなのか?



 シリコンバレーは滅多に政治を語らない。例外があるとしたら、一刻も早く政治談議を終わらせるにはどうすればよいかを問う論議くらいだろう。シリコンバレーの大物たちが珍しく口を開くときには、ホームレスを見下し、植民地主義を褒め称え、「ウーバー」にマイ・カーを、「エアビーアンドビー」に自宅を提供する経済的に不安定な人たちの息の根を止めようと目を光らせる物わかりの悪い取締官に不平を浴びせるのを常とする。

 そんなわけだから、アメリカのIT業界のエリートたちがベーシックインカム(最低限所得保障)の最も声高な擁護者になりおおせたとは、摩訶不思議だ。歴史は古いが急進的なこの思想は、きわめて異なる理由ときわめて異なる形態により左派と右派の双方から支持されてきた。マーク・アンドリーセンからティム・オライリーまで、シリコンバレーの頂点に立つ人々が、働いているか否かを問わず庶民に現金を支給するというこのヴィジョンに魅入られてしまったようなのだ。

 スタートアップ企業に投資するトップ企業「Yコンビネーター」社は、ボランティア集団に資金を提供し、このシステムを最低でも5年間かけて研究するリサーチャーを1名採用したいと発表した。

 優良ベンチャー・キャピタル「ユナイテッド・スクエア・ベンチャーズ」のパートナーのひとり、アルバート・ウェンジャーは、この思想にすっかり入れ込んで、現在、これに関する著作を執筆中だ。この大騒ぎは、一体、なんだ——しかも、よりにもよってシリコンバレーで?

 騒ぎの第一のよりどころは、福祉国家の個人の領域への侵入と効率の悪さを嫌う昔ながらのリバタリアンの議論だ。公的機関を一切合財廃棄してしまえば、問題が消滅する可能性がある。次に、もうひとつの背景は、今後到来する自動化の時代には、これまで以上に多数の人々が職を失うことになりかねないことだ。無条件のベーシックインカムを保証できれば、ラッダイト蜂起再現の確率を減らせるかもしれない。誰も彼もがコード化のやり方を学んでベーシックインカムを受け取り、正直なベンチャーキャピタリストとの出会いを望むようになれば、もっといい。

 3番目に、ベーシックインカムを受け取れるとなれば、非正規雇用が大勢を占める労働市場での雇用の不安定も、そんなに恐ろしくはなさそうにみえてくる。結局、ウーバーの運転なんて、時折、若干の小遣い銭を稼げる単なる趣味にしてしまえる。釣りに行くみたいなものだ。釣りよりは、少々、社会的かもしれないが。釣りが嫌いな人なんていない。

 ベーシックインカムがトロイの木馬とみなされることが多いのは、このためだ。拡張への行く手をはばむ障害を排除しつつ、IT企業を進歩的で思いやりのある存在、ウォール街の悪徳警官に対する善玉警官の地位に着かせてくれるのだ。

 福祉国家の厄介な機関、労働者の権利を保証する雇用規制、データの所有権やデータを産むインフラの現状について疑問を差し挟む破壊的な試み——そんなもの一切からおさらばできる。

 だが、シリコンバレーによる後押しには、これだけではないおさまらない何かがある。シリコンバレーは、突如、悟ったのだ。ベーシックインカム論の定義を誤れば、この急進的なアイディアの行方を阻む主要な障害はまさにシリコンバレーそのものだということに、いずれ市民が気づいてしまうかもしれないと。

 このことを理解するのに最適な方法は、ベーシックインカム議論の中でも理論的に最先端で技術的にも最も洗練された論を検討することだ。

 イタリアの急進的エコノミストである、カルロ・ヴェルチェッローネ、アンドレア・フマガッリ、ステファノ・ルカレッリは、何十年間にもわたり「認知資本主義」、すなわち、認知労働の重要性が増大し物質的生産の重要性が衰退することを特徴とする現段階の資本主義に対し辛らつな批判を展開してきた。

 ほかの擁護者たちは、ベーシックインカムは、道徳的あるいは社会的な理由で必要だと説く。だがこれら急進的経済学者はそうではなく、現在の認知資本主義への移行期においては、ベーシックインカムこそ経済的道理にかなっているとするのだ。高まる雇用の不安定と増大する収入格差が引き起こす構造的不安定を回避し、経済内部でのさまざまなアイディア(ならびにその革新の可能性)の流通を活発にする手段になるからだ。

 だが、どうやって? まず第一に、ベーシックインカムは、労働者が厳密にいえば働いているとはいえない時間に行っている労働に対価を与える方法だ。認知資本主義に突入している現在、この種の労働が賃金労働を超える価値を生むことが多々ある。たとえば、ウーバーのドライバーの場合。彼らが産み出すデータには利用価値があり、ウーバー側が空車状態の車のデータをリソースとして使い配車を決定するのに役立つ。

 次に、今日、多くの労働はデータ集合的に行われている。あなたが個人的に行っている検索がGoogleの検索エンジン改良にどれほど貢献していることか。あなたが無料ソフトウェアプロジェクトに打ち込むコードが製品全体の向上にどれだけ寄与していることか。個人による最終製品への貢献度がどれだけの割合を占めるか、計り知れない場合も多いのだ。ベーシックインカムとは、現代の認知労働の多くが社会的な性質をもつことを認めることなのだ。

 最後に、作業プロセスを合理化する新テクノロジーの導入を伴う生産性向上は、これまで賃金指数化などのメカニズムを通して労働者に還元されてきた。以前よりも団体交渉はじめ被雇用者の権利が弱体化したとはいえ、いまでも、還元は可能であり、ベーシックインカムはそれを保証する方法でもある。これにより好ましい循環が生まれ、より大きな投資とより大きな利益への呼び水になり得るのだ。

 ベーシックインカムに関する認知資本主義論議は、ここに書いてきたような雑な要約ではおさまりきらない複雑なものだが、必要な条件がさらにふたつある。

 ひとつ目の条件は、福祉国家が、なんらかの改善された状態で生き残り、繁栄していることだ。ベーシックインカムにとってはこれが主要な社会制度であり、健康や教育への惜しみない投資により、国民は創造的でいられる自由を与えられるのだ。

 ふたつ目の必要条件は、資金源を確保するための租税制度の抜本的改革だ。金融取引ばかりでなく、特許や商標、さらには知識の最適な利用を妨げるデータにまつわるさまざまな権利請求にも課税するのだ。

 このようにベーシックインカムの課題をより急進的に解釈すると、シリコンバレーがベーシックインカムの熱心な推進者どころか最大の敵だということがわかってくる。シリコンバレーはなんとか税金を払わずにすむよう躍起になっているし、データをそれを産出するユーザーから遠ざける新手の方法を探し続けている。福祉国家など、廃絶するか、シリコンバレー独自の高度に民営化され高度に個人化された別物とさっさと取り替えて、つぶしてしまいたいと望んでいる(保証された無料の医療保険制度に対抗するのは、フィットネスアプリ「FitBit」を使った健康トラッキングによる予防だ)。

 おまけにシェアリング・エコノミー(共有経済)が厳しい中傷にさらされたように、シリコンバレーはコミュニケーションの最新の進歩により真正な社会協力の新たな冒険が切り開かれると、必ずやそれを植民地化し、簒奪し、商品化してしまう。

 つまりは、こういうことだ。ベーシックインカムの急進的な課題を採用する。それができれば、人々はもう仕事せずにすみ、望み通りに自由に協力しあうことができるようになる。でなければ、誰も彼もが不安定な起業家になりかねない資本主義のプラットフォームを採用したベーシックインカムを採用する。そのいずれかなのだ。両立はありえない。

 実をいうと、シリコンバレーはベーシックインカム導入への第一歩をいとも簡単に踏み出すことができる。我々ユーザーを自分が産むデータの所有者にしてはどうだろう? そうすれば、最低でもこのデータを利用する、営利がからまないほかのユーザーを自分でみつけることができる。さらに大風呂敷を最大に広げれるならば、現在IT大企業がほとんど独占的に我が物にしているこうしたデータを、データに飢えている、市町村などの自治体、ひいては国に提供し、キャッシュによる直接払いから無料交通機関などによる間接的な支払いまで、なんらかの形のベーシックインカムで対価を得られるメカニズムを構想することだってできる。

 だが、こんなことは実現するはずがない。なぜなら、データはシリコンバレーが手をつけられないなけなしの資産であり、シリコンバレーにはそのことを知り抜いているからだ。我々が代わりに手に入れることになるのは、実は強力に押しつぶそうとしているお題目を大声で唱えるシリコンバレーの空疎なアドボカシーの呼び声ばかりだ。

 どうやらIT業界のお歴々は、これの実現のために政府が十分なキャッシュをかき集めてくると我々に信じ込ませたいらしい。だが、いったい誰が金を出すのか? シリコンバレーの急進的な大物たちでないことは、間違いない。自分の金はオフショアに置いておきたい、それが彼らの本音なのだから。



(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2016年2月号)