銀幕のアフリカン・ヒーロー


フィリップ・ペルソン(Philippe Person)

作家


訳:正清健介



 映画と植民地政策。より正確に言えば、植民地政策とこの大衆娯楽の発展との間にいかなる関係があったのか。これはこれまで未開拓のテーマであったように思われる。現代アフリカ史の教授オディール・グールはその著書『熱帯のファントマ(1)』(未邦訳)において、本テーマに鮮やかに取り組んでいる。夜間に屋外で初めて上映されてから暗室で常時上映されるに至るまで、グールは、どのようにして映画が両大戦間にアフリカで都市の主要な娯楽となったかについて語っている。英仏支配下にあったサハラ以南のアフリカ地域を主な研究対象と定め、映画が、上映のつかの間、圧制の重荷を忘却するためのものとしてアフリカ人達に享受されていたことを明らかにしている。ところで、そんな映画が上映される映画館は、黒人と白人が集い、人種的・社会的区別が再生産される場だった。グールは植民地当局の動向に着目している。当局は、当初、治安や商業の観点から映画に興味を示したにすぎないが、ついには、映画が伝える物事を恐れるようになる。たとえ検閲があったとしても、取るに足りない映画でさえ、スクリーン上に「文明人」の生活慣習を晒してしまい、多くの植民地被支配民に対し、「白人の優位性」が欺瞞であることを語ってしまうのである。

 「植民地主義は、考える機械でも、理性を授けられた機構でもない。それは、自然状態に対する暴力であり、より大きな暴力によってしか屈服させることができない」。『地に呪われたる者』(1961)から引かれたフランツ・ファノンのこの言葉は、ヨーラン・ヒューゴ・オルソンのドキュメンタリー映画『Concerning Violence (2)』の冒頭で読まれている。1960年代から80年代にかけてスウェーデンの映画人たちによって撮られた映像を引用して、オルソンはそれらを「反帝国主義者の自衛の9シーン」に構成する。それらのシーンでファノンの著書からの多くの抜粋が、元フージーズの歌手ローリン・ヒルによってリズムをつけて読まれる。ここでテキストの暴力がイメージの暴力にこだますることになる。こうした事態は、アンゴラでポルトガルの兵士が興奮した牛の群れをヘリコプターの上から機銃掃射するシークェンスに代表されるだろう。ファノンの言うこととオルソンの見せるものの並列は、植民地主義の現実をラディカルに想起させる。この映画に現れるタンザニアの宣教師夫婦も同様である。彼らは、教会の建設は病院の建設よりも国において必要だと言い張る。

   独立アフリカの真旗手であり立役者であったトーマス・サンカラ(1949-1987)は、映画『Concerning Violence』のあるシークェンスで、国際通貨基金にブルキナファソの借金を払わないことの権利を主張する。記録映像を駆使することでクリストフ・キュプランは、映画『Capitaine Thomas Sankara (3)』において、サンカラが「高潔な人々の祖国(ブルキナファソ)」の指導者として過ごした4年間の軌跡をたどっている。サンカラは「狂気がほんのわずかでもなければ、根本的な変化は行われない」と述べるような人物だった。このカリスマ的演説家はアディスアベバにおける1987年のアフリカ統一機構(OUA)の演壇で、並外れて格調高いスピーチをすることになる。あるいはまた、元植民地支配者に対して気後れすることのないこの扇動家は、少なくともいらだったフランソワ・ミッテランのような人物を迎え入れもするのである。サンカラはもうひとつのアフリカを夢見た。文盲と森林伐採と闘い、女性の処遇を改善し、腐敗と闘うことを実際に試みた。彼の暗殺、シェイスクピア悲劇に値する暗殺は、大使館事務局各所に平安をもたらしたのだった……。



(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2015年12月号)