辺野古新基地は安倍首相の躓きの石か


ガヴァン・マコーマック(Gavan McCormack)

オーストラリア国立大学名誉教授、オンライン英文誌『アジア太平洋ジャーナル:
ジャパン・フォーカス』編集コーディネーター。
著書は『沖縄の〈怒〉 日米の抵抗』(法律文化社、乗松聡子氏と共著)。


訳:土田 修、川端聡子


 日本の安倍晋三首相は米国支配からの脱却を口実に日本の平和憲法をねじ曲げようとしている。安倍首相は盛り上がりを見せる大衆の反対運動を無視し、「日本軍」を強化する意図を隠そうとしている。沖縄には既に日本中に展開している米軍部隊の3分の2が集中しているが、安倍政権はさらに米国が求めている軍事基地の拡張を受け入れた。[フランス語版編集部]



 日本と中国、中国と近隣国との緊張について盛んに論じられているが、沖縄と日本政府および米国政府との対立についてメディアはあまり報道していない。18年も前から沖縄の住民は、日米両政府によって決められた、辺野古での米海兵隊の新基地建設計画に抗議を続けてきた。2012年12月、二期目に入った安倍晋三首相は辺野古での新基地建設計画を優先課題にしているが、その結果、かつてないほど強固な反対運動に向き合っている。

 2015年4月、安倍首相は米議会で熱烈な歓迎を受け、民主主義および法と人権の尊重という「共有された価値」に言及し、辺野古新基地建設を貫き通すと宣言した。米国訪問から1カ月後、沖縄県の翁長雄志知事は異議を唱えるためにワシントンを訪問し、辺野古新基地建設は問題外だと訴えた。

 台湾と九州南の諸島との間に、沖縄を含む列島が約千キロにわたって弧を描いている。この列島は中国にとって太平洋への出口に「海上の大きな壁」として立ちふさがっている。東アジアの軍事バランスにとって沖縄は重要な役割を果たしているといえる。

 日本に併合される以前、沖縄列島は琉球王朝が支配していた。日本と中国の前近代的な国家に従属していたが、500年間は中国の冊封体制(1)の中で平和な善隣外交を維持してきた。1850年代に琉球王朝は独立国家として米国やフランス、オランダと修好条約を結んでいる。

 だが、こうした相対的な独立関係は1870年代に崩れ去った。1868年に近代国家となった日本は、中国との関係を維持しようとする琉球王朝を廃止した[琉球処分]。日本はこの列島を併合し沖縄県とし、琉球王朝の首都だった首里城を那覇と改名し、最初の軍事基地を置いた。それ以降、島民は琉球語の使用を禁じられ、日本の名前の使用と日本帝国が奉ずる神道を強制させられた。

 日本にとって琉球併合が中国や米国に対する敵対関係を生み出し、1945年の沖縄戦(2)という大災害を招くことになった。太平洋戦争末期の沖縄戦では沖縄島民の4人に1人が米軍の鉄とナパームの嵐の犠牲になった。また島民の多くが日本軍によってスパイ容疑をかけられて処刑された。家族ぐるみで「集団自決」に追い込まれた島民も多かった。沖縄戦は沖縄の島民にとって消すことのできないトラウマとして刻み込まれている。

 日本の敗戦から70年、米軍はこの島の土地の20%を占有してきた。日本全体の米軍施設の4分の3が沖縄に集中し、米軍が絶大な支配権を行使してきた。米軍の支配権は1972年まで続いた米国の直接統治の時代と比べてもほとんど変わっていない。

 辺野古で計画されている新基地建設は、宜野湾の美しい環境に広がる普天間基地の代替施設だとされる。普天間基地では格納庫や滑走路が学校や病院、居住区域に隣接しており、住民にとって「世界で一番危険な基地」と言われている。米国のラムズフェルド前防衛大臣でさえそう言明している。島民は2004年に沖縄国際大学で起きた米軍ヘリ墜落事故を忘れることはない。幸い、この事故で犠牲者が出なかったのは8月の夏休み中だったからだ。

 普天間基地の代替施設といわれる辺野古新基地は、辺野古湾南部と大浦湾北部に面した海面を埋め立てた160ヘクタールの用地上に造られ、面積が広いだけでなく、多くの機能を兼ね備えている。水深の深い港を建設し、陸海空軍の数々の基盤施設の整備も含まれる。新基地には、水面下10メートルにまで及ぶ大量のコンクリートが用いられ、長さ1800メートルの滑走路2本と幅272メートルの桟橋が造られる。

 辺野古は日本でも最も美しい海岸地帯として保護されてきた。環境省はユネスコの世界文化遺産の登録を期待してきた。豊かな生物多様性を有し、珊瑚、甲殻類、なまこや藻類、数百種に及ぶ小エビ類、カタツムリ、魚、海亀、蛇、ほ乳類など様々な形態の生命が存在する。その多くは希少になるか絶滅の危機に瀕している。

 辺野古新基地が完成した場合、21世紀の東アジアで最大規模に軍事力が集中した基地となり、米国にとって軍事的《軸》の重要要素になる(3)。沖縄島民にとって厳しい状況であるのは、普天間基地の移転が1996年に約束されてしまっていることだ。安倍政権は米海兵隊が日本の防衛にとって不可欠な役割を果たしており、それゆえ辺野古に駐留する必要があると言明している。だが、中谷防衛大臣は2014年以来、九州など他の場所に移転しても軍事的、戦略的には問題ないと認めていた。そうしなかったのは日本政府の意思だ(4)

 米海兵隊による普天間占領は当初から違法だった。普天間基地は「銃剣とブルドーザー」によって奪い取られた土地に設置された。島民はそのことを忘れてはいない。この行為は占領軍による個人財産の没収を禁止したハーグ条約46条に違反している。つまり基地の持つ危険性や騒音、公害などを持ち出すまでもなく、普天間基地は閉鎖されなくてはいけない存在なのだ。

 辺野古新基地建設に対する地方の反対運動は、国民の大多数や沖縄県知事、県議会と市町村議会、主要政党の県支部、琉球新報と沖縄タイムスの二大紙を巻き込んだ。最初の数年間、反対運動は計画を止めることに成功した。だが、2013年からは第二次安倍政権は反対運動を押し潰すことをやめようとしなかった。首相はまず、5人の沖縄選出の自民党国会議員を自分の政策に従うように押さえ込んだ。ついで自民党県支部、最後には仲井間知事をねじ伏せた。

 反対運動からの相次ぐ離反に憤った反対派は、2014年の一連の選挙で勝利することで反撃に転じた。1月の名護市長選と9月の同市議選、11月の県知事選で反対派候補が勝利を果たした。12月の衆議院選挙では反対派が4議席を獲得している。県知事選では保守派の翁長氏が、共産党から保守派まで全政党を「沖縄を守る」ことで団結させ「沖縄ぐるみ」運動を推し進めた。翁長氏は基地建設計画を止めるため「知事の権限でできることはすべてやる」と公約した。翁長氏は64パーセント以上の投票率で、対抗候補に36万800票対26万1000票と10万票以上の差をつけて大勝した。

 だが、菅義偉官房長官は選挙結果にも動じることなく、[辺野古基地建設は]すでに決定したことであり、政府は基地建設について(菅氏が好んで使う表現によれば)「真摯かつ適切」に対応していく、と言い放った。2014年7月、ボーリング調査が始まり、同年11月の衆議院選挙前の期間は中断されたが、2015年1月に再開された。そして安倍氏がデモ参加者に対してとったのは、警察機動隊や海上保安巡視船を動員するというショッキングかつ恐るべき方針だった。たとえば、3月4日の「さんしんの日」、基地建設に激しく反対する29組のミュージシャンが沖縄伝統音楽のコンサートのため普天間代替施設前に集まったが、機動隊によって強制的に中断され、仮設の雨よけも取り壊された。

 2015年1月、翁長沖縄県知事は、前知事が普天間基地の辺野古移設を承認するに至ったプロセスを検証するための有識者による「第三者委員会」を招集した。正しい手続きがなされていたのか、また、この決定を取り消す方法があるのかを探ろうとしたのである。また、政府の出資で行われていたボーリング調査についても、サンゴ礁に被害を与えるとして政府に中止を求めた。

 衆議院選挙後の4カ月間、政府は翁長知事との会談にすら応じなかった。中谷防衛大臣においては「会っても意味がない」と発言している(5)。この4月と5月にようやく菅官房長官、安倍首相、中谷防衛大臣との会談が実現したが、その際も双方の溝はますます深まるばかりだった。翁長知事は「上から目線の言葉を使えば使うほど沖縄県民の心は離れ、怒りは増幅していく」と語り、現地で大きな反響を呼んだ。「普天間基地建設のために自ら土地を奪っておきながら、県民に大変な苦しみを今日まで与え、普天間が今や世界一危険になったから、老朽化したから、沖縄が負担しろ、嫌なら代替案を出せ、というのは日本の政治の堕落ではないか」。翁長氏は安倍氏との会談冒頭、こう前置きした。すると、公開予定っだった翁長氏の発言はたった3分、5つの合意項目についてのみで打ち切られ、報道陣は退室を命じられたのである。

 安倍首相は議会にこれまでにない管理体制を敷いている。野党はまとまらず弱体化し、ほとんどの国内メディアは安倍政権に同調している。安倍氏は報道機関の重鎮らをゴルフ接待やレセプション・パーティに招くなどしているが、こうした気配りには理由があるということだ。だが、議会や報道現場の体たらくをよそに沖縄への共感は高まり、現地の抵抗運動も激しさを増している。

 2013年の訪米の際に安倍氏は大した歓待を受けず、オバマ大統領との会食も記者会見も準備されなかった。「日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」あるいは「日本を誇れる歴史教育」。こうした安倍氏の一連の発言は、米国占領によりつくられた日本の戦後体制に対する反感の表れであると同時に、かつての軍国独裁主義的な価値観の復権への執着であったため、米国に不快感を与えるものでしかなかった。

 ところがその2年後、安倍首相は突如としてレッド・カーペットで迎えられ、米国連邦議会の上院下院合同会議で演説を行なった。米政府が態度を一転した理由は単純で、安倍氏が“日本のスペシャリスト”と呼ばれる複数の米議員からの要請について国会で承認することを予め約束していたからだ。60年以上にわたって護られてきた日本の平和路線を覆した安倍政権は、自衛隊の活動範囲を広げ、米国の要請に応じて世界中どこでも「有志連合」に合流できるよう、憲法解釈を変更した。彼は22万5000人の自衛隊員を米軍の指揮下におく準備を整え、駐日米軍の維持費を支払い続けると約束した。その費用は伏せられているが、年間86億ドル(78億ユーロ)に上ると推察される(6)。おまけに、すでに米政府に約束している辺野古新基地建設に加え、グアムと北マリアナ諸島における米軍基地建設費用の大部分を負担することも約束した。つまり米政府に28億ドル(25億ユーロ)を支払うということだ。さらに、米海兵隊員8000人とその家族(少なくとも9000人)の移転費用を加算すれば、日本の負担総額は60億9000万ドルになる。

 これが安倍氏のいう「積極的平和主義」であり、この「積極的平和主義」が憲法に明記され1947年以降なによりも尊重されてきた平和の理念に取って代わるとされるのだ。この理念は充分な明確さを欠いているが、少なくともジャパンタイムズ紙における米国上院軍事委員会委員長のジョン・マケイン氏の発言によれば、「日本の自衛隊を韓国へ、中東へ、南シナ海へ派遣」(7)するものと理解できる。

 日本は歴代でもっとも親米家の国家元首の統治下にあるのかもしれない。安倍氏の対米姿勢には、隷属的服従と強い敵愾心との奇妙な混ざりあいという特徴がある。彼は近代日本が根本的に抱える矛盾、つまり米国に対する隷属的おもてなし主義とナショナリスト的自己主張を両立せねばならないという矛盾に絡めとられてしまっている(8)

 目下の緊急課題である基地問題について、沖縄に対し政府はまったくの無回答を貫いている。全体的に支持率が低下するなか、安倍政権は様子見の時間かせぎをしているのだ。辺野古基地建設について最初の契約(総工費4億6000万ドル)は成立していた。それでも政府が工事作業にゴーサインを出すのをためらうのは、この7月16日に有識者による「第三者委員会」の調査報告が提出され、前沖縄県知事の承認についていくつかの法的瑕疵が認められたからである。「第三者委員会」の検証結果報告と同時に、翁長知事はこの9月にジュネーヴで行われる国連人権理事会でこの問題を訴える意向を表明した。

 そして8月4日、予想外にも、安倍内閣は次の4項目について沖縄県知事と合意したと発表した。沖縄県との集中協議の再開、8月10日から9月9日まで1カ月間のあらゆる移設工事作業の中断、沖縄県側からの法的手段の保留、そして大浦湾の岩礁の破砕状況調査の許可だ。

 確かに、折悪しく台風シーズンになったことを差し引けば、政府の基地建設計画がそれほど遅れているとはいえない。だが沖縄との対立は、沖縄の意見をまったく無視して政策を進めることなどできないと安倍政権に突きつけたのである。

 1カ月の停戦後、安倍氏は沖縄に要求を押しつけることができるかもしれない。だが、沖縄の人々の要求はもはや新基地建設の中止にとどまらないだろう。彼らは全基地の撤廃をも要求するだろう。



(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2015年9月号)