ポデモス党首が語る「われわれの戦略」


パブロ・イグレシアス(Pablo Iglesias)

欧州議会議員、ポデモス党首


訳:川端聡子、土田 修



 財政支援交渉におけるドイツ政府のギリシャ政府への態度は、予想できるものだった。たとえギリシャが弱小国であろうと、ツィプラス内閣はドイツが主導するEUのシステムに一石を投じたのだから。国の規模の大小にかかわらず、声を上げようという動きが広がっているということだ。もっとも、スペインはユーロ圏第4の経済国であり、スペイン国内の選挙戦においては、ポデモス[Podemos=「私たちはできる」の意味。]はいまや重要な政治のアクターとなっている。ところで、世論調査でわれわれの支持率が上昇したことが自分たちにとって必ずしも朗報ではないということを、ギリシャの同志たち[急進左派連合SYRIZAのメンバー]が語ってくれた。実際、ギリシャ選挙におけるSYRIZAの圧勝をきっかけにわれわれの固定票が増え、成長エネルギーとなることを敵は恐れている。敵の目的はギリシャ政府を窮状に留め置くだけではない。彼らにとって脅威となるであろう、今回われわれが突きつけたような抵抗運動を遮断することが目的なのだ。SYRIZAに圧力をかければ、それはポデモスにとっても圧力となり、緊縮策の代替案などないと示すことができる。「ポデモスに投票するんですか? ギリシャで起きていることをご覧なさい!」というわけだ。そう、要するに現時点ではとりあえずスペインの人々の役に立っています、という繰り言にすぎない。

 ツィプラスは極めて巧妙にギリシャの立場をアピールしたと思う。他のEU諸国とは必ずしも利益が一致していないドイツの、孤立したイメージを裏付けることに対外的にも成功している。具体的にはフランスおよびイタリア周辺、さらに東欧周辺の意見を利用しようと試みたことが、ゆるやかな成功をもたらした。交渉に際しドイツが態度を硬化させたのは、それゆえさして驚くことではなかった。

 SYRIZAとポデモスは似たような戦略を展開してきたが、お互いの背景は大きく異なる。まず、ギリシャの同胞たちには、構造的に腐敗し崩壊状態にある国の制度を正当なものに立て直そうという共通認識があった。それは、国に税制改革への介入権を与えようとする彼らの方針、特に緊縮策によって壊されてしまった社会的繋がりを取り戻そうとする公共政策方針を通してうかがえる。もう一つは、ユーロ圏財務相会合という支配的な団体の内部から反対意見を作り出すという対外的戦略である。特に最初のころの「ドイツがユーロ危機をコントロールしている」といった遠慮がちな批判にそれは現れている。彼らの目標がEU諸国に浸透している共通認識にひびを入れることであったのは間違いない。

 ポデモスの戦略は、こうしたSYRIZAの戦略とは異なると思われる。それは、2013年のユーロ圏においてギリシャの国内総生産が1,9パーセントであるのに対し、スペインは10.6パーセントだからだ(1)。そのため、政策方針においてより広い選択の幅を持てることを確信して力くらべに参戦できたということだろう。もちろん、力を入れている国庫支出予算の増加や、社会政策の向上のため、EUの予算システムの改革にも同時に取り組んでいかねばならない。特に年金問題や、個人消費を落ち込ませている賃金低下に歯止めをかけることは重要だ。一度これらの改革が受け入れられれば、また、受け入られて初めて全ヨーロッパ・レベルで負債問題に疑問を呈することができるだろう。たとえば、支援金を経済成長につなげることを目的としたシステム見直しの一環として可能だ。全ヨーロッパを射程に入れた戦略のみが(それはいまのところ存在しないが)、緊縮策とは別なパラダイムへのシフトを可能にするだろう。

 こうした運動によって、他勢力、それも特に社会民主主義勢力のなかからさまざまな反対の声が上がるようになったようだ。われわれはユーロ圏財務相会合という組織において同様、スペイン国内の諸機関においても抵抗運動が大きな潮流となって広がっていくことを意識している。今回、ギリシャのような経済的に弱い立場にある国がユーロ圏を揺るがす要因となったことで、社会民主主義勢力のなかからざまざまな反対意思を示せる能力がより高まった。ヨーロッパの未来構想と緊縮策とは矛盾することが明確になり、経済政策について討論する開かれた場ができるだろう。

総選挙まで続く長い春

 2015年5月24日に行われた地方選[ポデモスが躍進し、マドリードとバルセロナでもポデモスを含む左派連合が勝利した]は、スペインが民主主義に転換して以来の分岐点である[1975年、フランコ将軍の死によりスペイン民主化が始まった]。変化の速度はわれわれの期待よりものろかったが、とはいえ、二大政党制では国民が政治に納得できない状況にまで達した。二大政党である国民党(PP・右派)とスペイン社会労働党(PSOE・左派)にとっては、スペインに民主主義が戻って以降、最悪の選挙結果となった。

 こうして、総選の主要争点として「現状維持か、改革か」の議論が繰り広げられるという、前代未聞の状況が始まった(2)。PSOEは間違いなく「変革勢力」を打ち出すだろうが、そう簡単ではないだろう(3)。だが、ポデモスにとっての選挙は「5月15日デモ」(4)を機に始まった政治講義の最終過程であり、支持は約束されている。敵は、冬の時期を過ごす間にわれわれが挫折すると考えていた。だが、厳しい冬から抜け出したわれわれは多くの打撃に耐え、アンダルシア州議会選挙(5)でも、地方選でも結果を出すことができた。とはいえ今回の選挙運動と投票結果から、なんらかの教訓を得なければならない。

 数週間、われわれは受身の態勢にあった。だが、「社会運動に価値をおきながら、庶民階級を代表し、社会的権利を守る」という本来のポデモスの言明に自分たち自身がふさわしくなる努力をすることは、新しい政治や組織の再生を具現化する最良の方法であるとわかった。この分野では、シウダダーノス(市民党)(6)はわれわれに対抗できる態勢にない。

 もう一つの教訓は、政治的・経済的規範を示す者としての不正の告発だ。この問題に効果的に切り込めるかどうかについては、PPが要石だろう。この領域ついていえば、PSOEはポデモスへの対抗力を持していない。

 庶民階級の擁護と政治不正の告発は、コインの裏表である。この二つの軸によってポデモスは多くの地方自治体で二大政党制に対抗しうる唯一の政治勢力となった。

 冬は去り、春が到来した。春がわれわれを11月の選挙まで導いてくれるだろう。われわれにとって有利なフィールドではないが、国政参入後のポデモスは、選挙を戦った政党としての経験に支えられている。これまでは塹壕に籠らざるをえなかったが、抜け出すべきときなのだ。われわれに残されているのは、あと数カ月のみである。

 それまではPSOEと協定を結ぶ可能性はとりわけ戦略的な問題であった。というのもわれわれの主要な目的はこの秋に行われる総選挙だ。総選挙の結果、それぞれの決断や状況は、選挙の投票に向けてわれわれが置かれている立場をよく読み取って分析されなければならない。同時に、国民の間に広がっている変化への願望を無視してはならない。しかもそれは理想へと自らを高めるものでなければならない。

 もちろん選挙結果は問題だが、それだけでは不十分だ。他の政治勢力に圧力をかけるにはわれわれの力量の問題がある。ポデモスは「社会党との協定を結ぶのですか?」と問われた場合、「社会党はまず180度方向転換すべきだ」と答えてきた。PSOEの中には二つの動きがある。一つ目は、政党のシステムや体制のロジックによって特徴付けられる。すなわち優先課題はポデモスの勢いを阻み、ポデモスの運動を止めることであり、国民党(PP)やシウダダーノスと大連立を組むことだ。二つ目は、党の論理に従って議論することだ。こちらを選択した場合、PSOEは自爆してしまい、ポデモスの空間を広げる結果となる。協定問題はそれゆえ選挙結果によって解決することになるが、同時に、異なった政治状況の分析によっても解決される。それはわれわれの力量次第で引き起こされる与党の分裂をうまく利用することによってだ。特に世論調査が示しているように、スペインでは四大政党制に対する支持が15~25%に上っている。

 アンダルシア州で問題になったのは連立を組むことではなかった。ポデモスは、地方政府を組織するためPSOEを支持するための3つの条件を設定した。まず、ポデモスは、現在、国民議会議員と上院議員になっているアンダルシア州政府前大統領二人の汚職を理由にした辞職の要求だ。次に、アンダルシア州政府が住民の立ち退きを、住宅提供をしないまま可能にする財政措置協定に署名しないという要求だ。最後に、経済危機を受けて休業している学校や病院の員を復職させるため、地位の高い政治顧問の数を減らすという要求だ。それには州政府の政策綱領は必要ないが、ポデモスがPSOEの進路を妨害しないための3条件でもある。州議選でのポデモスの選挙結果はPSOEよりも芳しくなかった。われわれの行動の余地は限られていた。ポデモス党を制度的に支持することが具体的な社会的対策の実現につながるように努力している。そのため政治的なポストを与えられることに単純に反対する必要が無い場合もある。こうした要求には1サンチームも必要としなかった。公的支出を増やす必要もなかった。PSOEはシウダダーノスを支持することを選んだのだ。

 シウダダーノスの創設は抜け目のない一打となった。ポデモスに向いていた有権者を直接的に持って行かれたからではない。再生の選択肢として登場することでポデモスの言説を弱めてしまったからだ。再生という点でメディアがわれわれに提供してくれていた空間の一部が奪い取られ、両者の違いが分からなくなってしまったからだ。それ以降、異なる相貌を持った、もう一つの《変化の党》が存在することになった。シウダダーノスはリベラルな支配階層の中でも頭角を現してきている。この結果、われわれはポデモスという仮説を作り直さなければならなくなった。

 われわれの主要な目的は、常に、危機をテコに政治の分野で中道に位置することだ。それは小市民的言説における政治的《中道》のことではない。グラムシの言葉(7)によれば、われわれの目的は新しい《常識論》をつくりだすことだ。それは、近年再形成された政治的スペクトルの中でわれわれが横断的な立場をとることを可能にしている。現時点において、シウダダーノスの台頭を手始めに、エリート層の反撃によってわれわれが使える政治的空間は狭められている。それゆえ、われわれの役割がより困難になっているのは明らかであり、新しい戦略的知性を必要としている。

 その上、他党のイニシアティヴは、われわれの陣営のまっただ中で新たな障害を生み出した。第一にシウダダーノスの台頭は、伝統的な左翼・右翼軸というロジックの中にわれわれを位置づけることになった。こうした単純な二分法ではわれわれは敗北してしまうし、スペインに変化の可能性は存在しない。今日、危険なのはこうした左翼・右翼軸に投げ戻されてしまうことだ。これでは新しい中道を定義するのに失敗する。こうした情勢下で《下流の人々》と《上流の人々》(寡頭支配の)の対立をめぐるポデモスの庶民的な言説は、極左のありきたりな言説同様に解釈され直すことになる。というのもその言説はポデモスの言説から横断的な性格を奪い去り、新しい政治的中心を占める可能性を奪うからだ。結局、われわれは規格化されてしまうという危機―それは潜在的な原動力になるにだが―に瀕している。ポデモスは最早、アウトサイダーとしては存在しない。奇をてらった効果は弱まっている。それ以降、ポデモスは力量と経験によって党勢を拡大してきた。ポデモスは強力な表現力を身につけ、それを意のままに操れるようになった。われわれは反撃を打ち破り、これまで閉ざされていたスペースを切り開くため、何が何でもわれわれの言説を練り直す必要がある。それは容易なことではない。

開かれた政治的駆け引きを維持する

 スペイン国王がEU議会を公式訪問した際、われわれは神学論争に直面した。この出来事がポデモスを難しい局面に立たせた。それは君主制の問題だ。なぜ難しいのか? ポデモスが政治的中道に立つことを妨げるからだ。おおざっぱに言って二つの意見がある。一つは左翼のイズキエルダ・ウニダ(統一左翼)の意見だ。「われわれは共和主義者だ。君主制を認めない。それゆえ国王に敬意を表するレセプションに出向くことはない。われわれは国家元首の正当性は認めない」。その意見が倫理的・道徳的に維持できる意見であるとしても、ポデモスをただちに急進左翼の領域へと追いやることになる。新しい国王(8)に好感を抱いている幅広い国民階層の支持を失ってしまうからだ。前の国王が旧体制の汚職と関係していると思われていることとは無関係に、広範な国民階層は王制をめぐるさまざまな問題について考えるに違いない。君主制はスペインで最も評価された諸制度の中にある。それゆえ、二つの選択肢がある。一つは、われわれがレセプションには出向かずに、ほんのわずかしか行動の可能性を持っていない極左の伝統的分析の牢獄に閉じ込もることだ。もう一つは、われわれがレセプションに足を運び、ポデモスが制度の枠組みを有効にしている政治階層に加わることだ。要するに裏切り者、君主制主義者とみなされることだ。

 こうしたジレンマはどのように解消されたのか? われわれはレセプションに出かけたが、いつも着ている服のまま出席することで、われわれのやり方を何一つ変えなかった。つまり儀礼を無視したのだ。ほんのささいなことではあるが、それはポデモスの象徴といえる。その上、私は国王に『ゲーム・オブ・スローンズ(鉄の玉座)』[2011年に始まった米テレビドラマシリーズ。スペインなどで撮影されている]シリーズのDVDを国王に献上した。スペインで起きていることを解釈するのに役立つからだ。もちろんのこと、それは守らなければならない難しい立場だ。だが、われわれにとって、開かれた政治的駆け引きを維持し、こうした混沌の中で行動し、現状を打破することを可能にする唯一の方法だ。ゴリゴリだが何の力も持たない政治的立場に押し込められている場合ではない。



(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2015年7月号)