米仏移民報道40年


ロドニー・ベンソン(Rodney Benson)

[*ニューヨーク大学社会学教授。著書は
Shopping Immigration news: A French-American Comparison
(ケンブリッジ大学出版、ニューヨーク、2013年)]



訳:土田 修




 「われわれは、移民を犯罪とか人間的悲惨さの観点でしか語ろうとせず、移民を侵入者とか犠牲者としてしか見てこなかった(1)」。1988年、ル・モンド紙の記者ロベール・ソレはこう書いた。その指摘の正しさは27年たった今も変わっていないだけでなく、フランスだけの問題ではなくなっている。

 移民はますます政治の中心課題になりつつある。しかも主要な社会問題といえる。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2014年、地中海を越えて欧州大陸に向かった移民労働者3400人が命を落とした。フランスでは、外国人の割合は全人口の6パーセントを占めているにすぎないが、右翼政党の国民戦線(FN)は国民議会選挙と地方選挙で勝利するため、移民の“襲来”が引き起こす社会不安につけ込んだ。米国では2014年に、ギャングの暴力から逃れるため、または北米でチャンスをつかむため、中央アメリカ諸国からメキシコ国境を一人でめざした子どもたち6万人以上が身柄拘束されている。それに対するオバマ大統領の対応策は国境警備を強化しただけだった。ということは今や移民政策をめぐるオバマ大統領と共和党との対立はそれほど深くなってはいないということだ。

 オバマ大統領の政策を報道したメディアは、移民流入の理由を深く吟味することなく、人間としての苦難や警察の抑圧にばかり焦点を当ててきた。だが、必要な政策を導き出すためにはメディアなど公共の場で幅広い議論をすることが必要だ。だから移民問題に取り組む方法の中に存在する盲点を突き止めることが重要となる。われわれはフランスと米国の主要メディア22の報道をさまざまな角度から体系的に分析してみた。

 フランスと米国の移民をめぐる議論は、過去40年間で明らかに変化していた。70年代初頭の米国では労働組合と共和党政権が不法移民政策で協力していた。ニクソン大統領が移住帰化局(現在は司法省に統合)のトップに任命した、元海兵隊員のレオナルド・チャップマンは“移民の襲来”を当時、既に警告していた。

 米国最大の労働組合連合体である米国労働総同盟産別会議(AFL-CIO)は、メキシコ人労働者が米国人労働者の賃金と労働条件を脅かしていると考えた。カリフォルニアの有名な組合活動家セザール・チャベスは、国境を超えてきた農業労働者たちがスト破りをしないようにピケを張った。1973年7月3日のロサンゼルス・タイムズ紙は一面でこう伝えている。「米国政府高官によると雇用主は低賃金で雇える労働者の方を好む」。

 それに続く数十年間で米国の労働者が受ける経済的プレッシャーはますます大きくなったが、移民が労働者の仕事を奪っているとか、移民が労働者の賃金低下を招いているといった意見は後退した。こうした意見は1974、75年には様々なメディアを含めた移民報道の中で47パーセントを占めていたが、2002年~06年には8パーセントにまで減少した(2)。経済学者でニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストのポール・クルーグマンはこうした見方を示した数少ないアナリストの一人だ(3)

 この変化は1970年代から80年代半ばにかけて登場した米国の政界再編を反映している。新規参入者を求めていた労働組合の多くは、不法移民排斥を再考せざるを得なくなった。労働組合は1960年代の終わりに設立された諸団体によってこの方向へと勢いをつけた。例えば米国最大のラテン系米国人擁護団体のNCLRやメキシコ系米国人の教育ファンドMALDEFなどがそれだ。これらの団体は米国在住のラテン系やアジア系の人たちに対する数々の人種差別を告発している。こうした活動は確かに必要ではあったが、メディア報道では移民にならざるをえない経済的理由や外国人労働者の低賃金、外国人嫌いといった議論を過小評価する結果となった。

 フランスでは、こうしたテーマは70年代に現れ、続く10年間で勢力を拡大していった。すなわち外国人労働者に対する人種差別の問題は1973年には新聞テレビ報道の46パーセントを占めた(2002年~2006年には25パーセントだった)。同時に文化的多様性の問題も幅広く報道されている。1983年、リベラシオン紙に掲載された記事の半数はこのテーマだった。同紙の論説記事にはこう書かれている。「フランスでは多文化社会でどう生きるのかを学ぶことが必要になる」(4)。1983年、ドルー[フランスのサントル=ヴァルド・ロワール地域圏、ウール=エ=ロワール県のコミューン]の地方選挙で国民戦線(FN)が躍進したことで右派系新聞が移民排斥キャンペーンを開始した。これを受けて社会党に近い新聞は文化的多様性の問題の代わりに“フランス社会”への新参者の“統合”問題を報道するようになった。当時、リベラシオン紙の編集長だったローラン・ジョフランはこう書いている。「私たちは国民戦線に対抗する確実な根拠を打ち立て、移民保護がフランス共和国の伝統に則っていることを示さなければならない。私たちは“権利の平等”の問題が“相違への権利”の議論より説得力があるという結論に達した(5)

 その方向転換の効果はてきめんだった。さらに25年たった今もなお影響を与え続けている。2002年から2006年にかけてフランスのあらゆるメディアの報道テーマが“文化的多様性”から “統合”に取って代わった(前者が8パーセントで後者が20パーセント)。新聞記事の42パーセントで“国民としての結合”という言葉が使われた。その数字は米国の3倍に上った。市場経済が細分化されている米国では“国民としての結合”を口にする政治家や有権者は少数だ。左派民主党は地域社会の要求に敏感に反応した。一方、右派共和党は支援者(多くの企業は移民が自由に入ってくることに好意的だった)と、時として移民を敵視する有権者との間で股裂き状態になった。共和党の政治家たちはこの問題を他の言葉で言い換えることにした。

 反対に、フランスでは相対的に福祉国家が根強く存在しているので、国民の共同体がいまだに意味を持ち続けている。社会保障が弱くなるにつれてメディアは空白を埋めるように文化的結合を振りかざすようになった。80年代初頭、FNとフィガロ紙、フィガロ・マガジン誌が文化的結合のテーマを擁護する記事を書いた。だがそれは数々の移民のテーマの中でマイナーだった。ついで政府与党がこのテーマを採用し、人種的偏見や差別の議論に優先させた。FNの躍進はとどまることなく、メディアが30年前のようには差別を助長するような報道をしなくなったとしても、黒人やアラブ出身の移民とその末裔は差別を受け続けた。

 米国とフランスのメディアは、経済や人種差別の問題を掘り下げることなく、移民をめぐる治安や安全の問題(2000年代に米国報道の62パーセント、フランス報道の45パーセント)、それに移民の“人道的”側面(同時期で米国報道の64パーセント、フランス報道の73パーセント)へと傾斜していった。この二種類の報道はドラマチックで、しかも単純で視覚的だったので移民に敵対的であるか好意的であるかは別として、民間団体や国家機関の表現の仕方と一致した。そうした報道は商業的要求と政治的要求の二つを満足させた。

 不法移民を誹謗する報道は、新聞社やテレビ局にとって金儲けのための常套手段になった。社会学者のトッド・ギトリンが書いているように、「ニュースの原型は犯罪ストーリー(6)」だからだ。治安のテーマは説明を必要とせず、ショッキングな映像を伴って報道される。暴動、警察、国境警備隊、武器、追跡逮捕劇などだ。だがもうひとつ別の理由がある。フランス人ジャーナリスト、それに米国人ジャーナリストも、内閣、役所、行政、警察など公的なニュースソースに頼っている。それゆえジャーナリストたちは、国家の代表者や政治的指導者たちの意見に同調しようとしてしまう。政府はしばしば移民を治安に対する脅威とみなし、メディアも追随することがある。報道は政治の現況に応じて変化する。9・11テロ後の2002年、民主党と共和党の議員は“安全”のことしか口にしなかった。この時、治安のテーマはニュース全体の64パーセント占めたが、2004年には53パーセントに下がっている(1994年と同じ数字)。だが不法移民を法的に規制するHR4437法案が採決された2005年には62パーセントに上昇した。

 フランスで治安のテーマは1980年初めに姿を見せるようになった。それは1990年代に頂点に達した“郊外の危機”をめぐる言説と関連しており、二つの主要政党がこの問題を取り上げた。1991年、社会党のエディット・クレソン首相は飛行機をチャーターして不法移民を国外へ追放するとまで公言した。2000年代には政府が移民統合へと政策を修正するにつれて、治安に関するメディア報道は減少した。

 数々のアソシエーション(NGO)のおかげで、人道的アプローチは米国とフランスにおいて徐々に広まっていった。フランスのFrance terre d’asile、la Cimade、la Ligue des droits de l’homme、アムネスティ・インターナショナル、米国のララサ全国協議会、Maldef、アメリカ自由人権協会(ACLU)、National Immigration Forumなどだ。フランスのアソシエーションは主として公的補助金や会員の負担金で活動を続けており、米国のアソシエーションは人権に関心のある少額寄付者の連合などで運営されている。カトリック教会、フォード財団、カーネギー財団、マッカーサー財団といった大規模な財団、それに銀行、建設会社、低賃金労働者の供給に関心のある多国籍企業などがそれだ。

 治安のテーマ同様、人道的内容の報道は支持を得やすい。米国では治安のテーマは当事者に焦点を当てたインタビューの語りにぴったりでマスコミ受けしやすい。こうした手法はメディアに頻繁に登場し、移民の体験を効果的に再現したり、読者や聴衆に知られざる階層の存在を気づかせたりしている。

 このアプローチの最も有名な例は恐らく、『エンリケの旅』だ。2002年にロサンゼルス・タイムズ紙で発表された、6エピソードからなるルポルタージュで、ジャーナリストのソニア・ナザリオはピュリツァー賞を受賞している。彼女は母を探すため旅に出た中米出身の若者の物語を書いた。彼の母は仕送りをするため飢えた子どもたちを置いて職探しに出かけなければならなかった。ナザリオはホンジュラスからノースカロライナまでエンリケの旅程を、貨物列車の屋根に乗ってのメキシコ縦断を含めてみずから体験した。このルポルタージュの結末は悲劇で終わる。母の死という痛手を受けたエンリケは自分の娘に自分と同じ体験をさせなければならなかった。「米国に到着した後しばらくしてエンリケは、ホンジュラスにいるガールフレンドのマリア・イザベルに電話をしている。出発前にうすうす感づいていたことだが、マリアは妊娠していた。2000年11月2日、マリアは女の子を生んだ。この赤ちゃんは口も目も鼻もエンリケにそっくりだった。叔母が赤ちゃんの面倒は見るからと言ってマリアに米国行きを勧めた。『チャンスがあればアメリカに行くわ、子どもを置いてね』とマリアは言った。エンリケは『子どもを置いて行くしかないね』と答えた」

 このルポルタージュを元にして出版された本(7)は、書評で多くの称賛を受けた。Entertainement Weekly誌は「人々に感銘を与えたナザリオのルポルタージュは移民についての論争を、政治的なストーリーではなく当事者の個人的体験として描いた」(2006年2月22日)と書いた。とは言ってもこうしたアプローチでは移民の生じる背景は何も説明されてはいない。確かに読者はエンリケが経験した試練だらけの冒険を細部まで生き生きと追体験することができるが、そうした冒険がどうして始まったのか、その冒険は避けることができなかったのかについては何も知ることができない。

 移民問題が直面する困難な状況を超えて、ジャーナリストは世界の経済機関と西洋諸国の外交・通商・社会政策が、「南」の国々からの移民を助長しているという事実をもっと報道すべきだ。フランス系アルジェリア人の社会学者アブデルマレク・サヤドは他国からの移民が他国への移民によって始まったと強調している。

 米国はどうかといえば、ガテマラ、エルサルバドル、ニカラグアで紛争が起きた時に25万人の犠牲者が出たが、米国が訓練し資金援助し武器を与えた部隊がそのほとんどを殺害している。1980年代、エルサルバドルから米国への移民は10万人弱だったが、戦争や混乱が収束した10年後には50万人に達した。現在は100万人を超えている。

 米国政府の通商政策もこうした大量の移民の一因となっている。1993年に(クリントン大統領が)署名した北米自由貿易協定によって、メキシコ人労働者の生活や雇用はよくなるどころか貧困と労働の不安定さは悪化の一途をたどり、農村地域を含む住民の多くは国境を越えて移民になった。米国企業はこうした移民労働者を受け入れるベースをつくった。工業やサービス業は労働条件を、低賃金でしかもわずかな手当しか受けられない“フレキシブル”雇用へとシフトした。精肉業や繊維業、建設業、飲食業、ホテル業は、米国人労働者を解雇し、低賃金で雇える不法移民に切り替えた。

 労働法が厳しくなるにつれ労働に対する魅力は低下しているが、同様の問題はフランスでも議論されている。フランスは旧植民地に対して不公平な関係を維持しているが、マグレブやアフリカ・サハラ以南からの多くの移民は不公平が生み出した経済的・政治的問題によって故国を捨てなければならなかった。「アフリカの深刻な沈滞が移民の大量脱出を促進している。空に届くほど高い壁を張り巡らせようとも止めることはできない」とアムネスティ・インターナショナルの研究者であるアルセーヌ・ボルヴィは語る。「多国籍企業の陰謀、武器売買、資源の支配、フランスに支えられた独裁的な政府…これらすべてが飢餓と戦争に駆り立てられるように人々を命がけの脱出へと向かわせている(8)

 国境を越えて移民になるには複雑な背景があるので、やすやすとメロドラマ仕立てでストーリーを展開するには無理がある。そういう描き方はイデオロギーにまみれデリケートな議論を引き起こす。なぜならこれらのモチーフは、大概の政治家やジャーナリストが当たり前のこととして受け止めている現行の経済社会システムにおいて不正義あるいは欠陥が存在していることを示唆することになるからだ。1970年代初頭から2000年代にかけて新自由主義的グローバリゼーションが強化され、米国の中米における裏工作で起きている紛争が中米を戦火と流血の場と化した。この結果、移民となる国際的な背景についての報道は、30パーセントから12パーセントに減少した。2000年代のフランスの新聞は1970年代同様、移民報道に関する記事の3分の1を国際経済に充てた。この違いはどこから来るのかというと、フランスの知的で政治的な文化の中で醸成されてきた反グローバリゼーションの流れが最大限に姿を見せることでとりわけ説明される。

 それにしてもフランスのメディアも米国のメディアも移民問題についてステレオタイプでワンフレーズな報道を繰り返し、不完全な全体像しか示してこなかった。感情に訴えしかも個人的な当事者性を強調したメディア報道には本質的かつ政治的な考察が欠けている。こうした問題の取り上げ方は極右が主張している短絡的な“解決策”の土壌をつくってしまうことになる。




  • (1) Robert Solé (entretien avec Jacqueline Costa- Lascoux), « Le journaliste et l’immigration », Revue européenne des migrations internationales, vol. 4, nos 1-2, Paris, 1er semestre 1988.
  • (2) ここでの数字は、ル・モンド、フィガロ、TF1、フランス2、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイムズ、ABC、CBS、NBCの分析に基づいている。
  • (3) Cf. par exemple Paul Krugman, «North of the Border », The New York Times, 27 mars 2006.
  • (4) «Une implosion statistique, une bombe dans l’imaginaire », Libération , Paris, 9 septembre 1983.
  • (5) 筆者との対談
  • (6) Todd Gitlin, The Whole World Is Watching : Mass Media in the Making and Unmaking of the New Left , University of California Press, Berkeley, 1980.
  • (7) Sonia Nazario, Enrique’s Journey : The Story of a Boy’s Dangerous Odyssey to Reunite with His Mother, Random House, New York, 2006.
  • (8) Cité dans Nicolas de La Casinière, « A Nantes, les carences de la France décriées », Libération, 12 juillet 2006.


    (ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2015年5月号)