アルジェリアの悲しき若者たち

セックスと嘘とインシャッラー

ピエール・ドーム特派員(Pierre Daum)

ジャーナリスト

訳:川端聡子


 習慣や宗教を重んじる伝統社会では、婚前交渉はタブー視されることが多い。タブーを破る者は少なくないが、表向きは守っているふりをせざるを得ない。移民の流入やインターネットの普及により、アルジェリアにも多様な性の価値観が広まった。だが、若者たちの抱える葛藤はかえって激しくなり、時には悲壮感すら漂っている。[フランス語版編集部]


 オーレス山地中心部にあるティフェルフェル出身のラバハ(23歳)は、シャウィーア人(オーレス山地のベルベル系民族)だ。バトナ大学で数学修士2年目を終えたばかりである。今回、私たちはアルジェリアの若者にセックスについてのインタビューを敢行した。ラバハに話を聞くと、たいていの同世代の若者たち同様、宗教について語り始めた。ラバハが特に気にするのは、ハッサナート(現世で実践した善行に与えられる点数)とサイアット(悪行に与えられる点数)の差だ。どちらの点数が多いかで天国に行けるかどうかが決まるからだ。「1日5回モスクでお祈りしているんだ。モスクのほうが家で祈る27倍、ハッサナートをもらえるからね」。

 ラバハは既に3人の女の子と交際経験がある。最後に付き合ったのは、ディクラという娘だ。「1年半付き合ったんだ。すごくきれいな子で父親は金持ちだった。でも手や頬だけで唇には一度もキスしたことはなかったよ。別れて1年だけど、彼女に新しい恋人ができたのも、相手とキスを交わしてるのも知っている。僕からすれば売女さ!」。彼にとっては結婚前に女の子と寝るような行為は「考えられない」冒瀆だ。けれどもマスターベーションは「毎日」しているという。「ハラーム(禁忌)なのは分かってるけど、ストレスがたまるんだ。それに、少なくとも女の子とするより自分でするほうが、まだサイアットは少なくて済むからね」。

越えられないタブー

 もちろん、ラバハの話がすべて真実という確証はない。だが、外国人ジャーナリストになら、同国人に裁かれるリスクなしに真実が打ち明けられると考えてもおかしくはない(記事中の人物名はすべて偽名)。彼の話は、アルジェリア各地で取材した約50件の証言ともあらゆる点で一致している。もちろん、いくらかのヴァリエーションはあるが。たとえば、ワルグラ大学5年生のヌルディーン(26歳)の話。「サラとは交際6年で、父親同士も知り合いだ。神の思し召し(インシャッラー)があれば僕らは結婚するだろう」。ほとんどの友人は車を使えないが、彼は自由に車に乗れる。おかげでサラとふたりだけのドライブが可能だ。「キスを交わしてサラの体に触れるし、彼女も僕に触れる。だけど、越えてはならない一線があるんだ。彼女とセックスはしないよ。イスラームに反するし、彼女のことを大切にしているからね。実際に僕らはほとんどの時間を歩いたり会話したりして過ごしているよ。公園で遊んだり動物園に行ったりして、夕方6時には彼女を寮のある学園都市まで送っていくんだ。帰った後は携帯電話でまた話せるし」。

 ヌルディーンは友人たち同様、携帯電話を数台持っている。両親専用と、午前零時から6時まで無制限で通話できるサラ専用。そしてもう一つが別の女友達専用だ。彼は笑顔で告白する。「確かに僕は『ドリブラージュ』しているよ。でもただの遊びで本気じゃない」。「ドリブラージュ」とはフェイスブックやスカイプなどネットで知り合った女の子たちをひっかけることだ。友達から入手した女の子の電話番号にかけたり、さらには街角で声をかけて口説いたりもする。「はっきりしてるのは、この女の子たちはセックス・フレンドだということさ」。ここで彼がいう「セックス」は、静かな場所を見つけてキスし、ペッティングすることだ。「もし相手が嫌がらなければ、後ろからお尻に入れることもあるよ」。だが、アソコには決して挿入しない。「だってハラーム(禁忌)だよ。それに、サラとの結婚初夜のためにとっておきたいんだ」。

 アミーラはヒジャーブを着用する敬虔なアルジェリア女性だ。親元から離れ、都心の小さなアパートで一人暮らしをしている。30歳で考古学専攻博士課程の学生。「当然」処女で、多くの同年代女性と同様に独身だ。「もちろん私にも性欲があります。だからポルノビデオを見てオナニーするんです」。心底愛せる相手にはまだ出会っていないアミラだが、彼女には心を許せる男友達が一人いる。その男友達は、イスラーム社会のようにアミーラを裁いたりせず、すぐに駆けつけてくれる。「これまで彼を二度呼びました。私たちは互いを愛撫し、癒されます。でも当然、それ以上のことはありません」。これは誰にも言えない秘密だ。「この国で生きていくためには世間に嘘をつかなくてはならないし、家族や友達、男友達にも本当のことは言えません。自分自身にさえ嘘をつかなくてはならないこともあるんです」

40歳でもまだ「若者」

 アルジェリアでは、未婚の若者のセックスや恋愛に関する調査は皆無だ。2006年に、ある三面記事がアルジェリアの新聞に掲載された。記事を読んだ人類学者のアブデルラフマーン・ムサウィー氏は、イスラームのセックス禁忌から早く解放されたくて、事実婚(ウルフィー婚やミスヤール婚)に走る若者が増えるのでは、との見解を述べている(1)。だが、実際にそうした現象が広がっているという具体例は示されていない。しかしながら、今回約50の都市(アルジェ、オラン、アンナバ、ベジャイア、ティジー・ウーズー、ワルグラ、シュレフ等)で収集された証言には、特に目立つ地域差もなく、同じ傾向がみられる。加えて、同テーマで話を聞いた研究者・専門家らの見解とも符合する。「大部分の若いアルジェリア人男性にとって女性のヴァージンは、今でも犯しがたい聖域なのです。彼らはセックス以外なら、あらゆるかたちの性行為を行なっています」と、オラン在住のジェルール・ハムーダ医師は認める。アルジェリアでは、ここ20年で結婚平均年齢が著しく上がった。仕事と住宅の不足が基本的な理由だ。現在、女性で30歳、男性で34歳。大学生であればより高い。そしてアルジェリアにおける大学生の数は約150万人に達する。

 アルジェリアでは、30代でもまだ「若者」だ。国民の66%が35歳未満だからだ。40歳の女性が貞操を守り続けていることも珍しくない。特にしっかり教養を身に付けた女性だと、自分で物を考える能力があり、経済的にも自立しているので、彼女たちを受け入れてくれる相手に出会うのは簡単ではない。アルジェリア北東部のアンナバ出身で、温かい家庭で育ったジャーナリストのハディージャ(43歳)は語る。「自分のアパートがあっても、そこには住めません。独身なので世間は当然のように私が男性を好き放題連れ込んでいると思うし、家族が恥ずかしめを受けるでしょう」。

 性に目覚めてから結婚するまでの長い年月、若者は性欲をどうコントロールするのだろうか。この質問は絶対的なタブーだ。親や兄弟姉妹、親友ともセックスについて語ることはありえない。アルジェ東方約150キロのティジー・ウーズーで会ったイディールは「初めて女の子と経験するとき、知っているのはぜんぶポルノビデオから得た知識さ」と笑う。性欲のコントロールは、閉鎖的かつ強迫観念的なイスラームの繋がりの中にある若者たちの大きな悩みでもある。コティディアン・ドラン紙の人気編集者であるカーメル・ダウード氏は言う。「セックスを別にすれば、若い人たちは何不自由ありません。親元にいて日に三度の食事があり、石油のおかげで国からお金も支給される。にもかかわらず、彼らは退屈しています。アルジェリアには遊ぶ場所がありません。各町にプールや図書館、スポーツグラウンド、映画館や劇場等をつくるべきです。設備がまったくないのですから」

「宗教」「慣習」「刑法典」

 ケルトゥーマ・アギは、オランにある社会文化人類学研究センター(CRASC)の博士課程の学生だ。彼女の研究テーマは「売春」。当然、それと関連のある若者のセックスライフにも関心がある。ケルトゥーマは女性指導教官の名前を伏せた。彼女が偏見をもたれかねないからだ。「アルジェリアの若者がセックスライフを謳歌しようとすれば、生活に溶け込んだ三つのタブーに直面します。一つは『イスラーム教』、もう一つは『慣習』、そして最後に『刑法典』です」。事実アルジェリアの刑法典第333条では「公然猥褻罪は2カ月ないし2年の懲役、および500~2000ディナール(5~20ユーロ)の罰金」としている。未婚の若者がキスや性行為の現場を目撃された場合、裁判官が第333条項を適用することがよくある。

 外国人がアルジェリアに来てすぐに気づくことがある。公共の場にさりげなく存在しているイスラームの教えが会話にも行き渡っており、セックスの話題になればそれが特に顕著に表れることだ。結婚前のあらゆる性行為を厳しく禁じるイスラームの教えはそれほど社会生活に浸透している。ハレド・アイト・シドゥム氏はアルジェの精神分析学者で、国内唯一の国際精神分析協会メンバーでもある。彼は次のように解説する。「アルジェリアの若い男女は、大きなジレンマの中にあります。本当の性的満足を得られないこと、ある種の性行為にふけると罪悪感に苛まれること――のジレンマです。イスラームの教えは、若者が禁忌を守ることを常識と考える社会的根拠になっています。同時に、集団活動の枠で欲望を律することができるという考えの社会的根拠でもあります。ボーイスカウトやサッカー・クラブのサポーター団体にやや近いですね」

「愛の南京錠」事件

 若者たちのジレンマを示す、一つの印象的なエピソードがある。2013年9月、アルジェリア人活動家らの小さなグループがある提案をした。アルジェ中心のテレムニ橋を渡るカップルたちに「愛の南京錠」を取り付けてもらおうというのだ。この橋は自殺者が多く「身投げ橋」とまでいわれる。パリの恋人たちがポン・デザールのフェンスに取り付ける「愛の南京錠」を「身投げ橋」の柵でまねしてみようとの提案だった。その夜、イスラーム教徒のシャツを着た若者たちによって南京錠は引きちぎられた。イスラーム原理主義者にとって「愛の南京錠」は「イスラームを冒瀆する、退廃的な西洋のシンボル」なのだ。すると、若者の誰もがインターネット、あるいはSNSの公開スペースで不満を爆発させ、ストレスを発散させた。「私たちの暮らすカビリー地方には『腹中に干し草を持つ者は火を恐れる』という諺があります。性欲がまったくコントロールできずにいる人を刺激すれば、すぐに反応がかえってきますよ」とアイト・シドゥム氏は面白がる。「愛の南京錠をめぐる騒動が示しているのは、イスラーム原理主義者も一般のイスラーム教徒の若者も同様に、激しい性衝動に突き動かされているということです。ただ違うのは、原理主義者側にはたくさん金があるということです。だから、最後に勝つのはいつも彼らなんです」

なきに等しいプライバシー

 次に、アルジェリアの若者の肩に重くのしかかるのが「慣習」だ。それは相変わらず厳しい社会的制裁を伴う。ベジャイアのカフェで出会ったサイード(24歳)は言う。「女の子と最後まで行ったり、親の意見に対抗したりするのは禁じられていて、アルジェリアでは誰もそんなことはできない。仕方がないよ。すぐに家を追い出される。通りに一人で放り出され、家族もなくして何ができる? 無力だよ」。村や地区、集合住宅では隣人同士が監視し合う。そんな環境では、カップルが逢い引きする場などなきに等しい。

 田舎で少しでもプライバシーを守れる場所を見つけるのは不可能だし、都会でもなかなか難しい。以前から、喫茶店は男女が出会い、長く見つめ合うことのできる特別な場所だ。場合によっては手も繋げる。もう少し進んで、やさしく肩を抱き合ったりキスを交わしたりしたければ、どの町にも人気のスポットがある。例えばアルジェ中心にあるギャラン公園やジャルダン・デセイ、ベジャイアの「海風サイト」、オランの海岸通りなどだ。アルジェ在住の恋人たちにとって最高にロマンティックなのは、ティパザにあるローマ遺跡散歩だ。だが用心が必要だ。親子連れが多いこの場所ではキスしただけでも公然猥褻罪に当たるので、たくさんの警備員が愛し合うカップルを捕まえようと待ち構えている。

 ペッティングできる場所を探そうとすれば、さらに難しいようだ。彼女を自宅へ呼ぶことは考えられない(必ず家に誰かいるか、隣近所の目が光っている)。自分が住んでいるアパートの部屋を何時間か貸してくれるような友達はまれだ。学生寮の自室であっても「行為におよぶ」のはやはり不可能といえる。学生寮は男女別で周囲を壁にとり囲まれているからだ。唯一の例外はベジャイアの「男女共同」シテで、女子専用棟は男子専用棟と同じ敷地内に、壁に囲まれてある。しかし、それでも男子棟は女子禁制、女子棟は男子禁制だ。夜になり、暗くなると恋人たちは「ラヴ・ストリート」で逢い引きする。「ラヴ・ストリート」とは小さなスポーツ施設の背後の陰気な小径のことだ。ゴミだらけのこの場所で立ったまま熱いキスを交わし、手で互いの肌を激しく求め合う。だが衣服は絶対に脱がさない。2013年12月、アルジェリアのテレビ局「エンナハルTV」は1本のドキュメンタリーを放送した。女子大生数人が寮でこっそりビールを飲み、消灯後に男子学生たちと落ち合うため寮を抜け出す姿を隠し撮りしたものだ(アルジェリアの寮はどこも厳しい消灯時間を設けている)。ドキュメンタリーは女性たちへの非難に火をつけた。多くの国民は隠し撮りされた女子大生たちを糾弾した。

 結局、ヌルディーンの言うとおり、「セックス」するには車があった方がいい。行きたい場所に行けるし、車内にいることもできる。貧しい人々にとってはバスが公園に行くための足だ。公園内では茂みが人の目から隠してくれることはよく知られている。アルジェ郊外のベン・アクヌーン公園では、森の茂みの中であらゆる夢想が育まれ、そこから多くのカップルが出てくるのとばったり出くわすことがある。そんな時、女性は常にきちんとした身なりをしている。ヒジャーブを着てロング・コートかジュッラーバというアルジェリアで一般的なスタイルをしている。こうした服装は、1990年代のイスラム過激派によるテロ以降、特に目にするようになった。ベン・アクヌーン公園の小径で会ったムラードは言う。「ふたりでいられる公園や車内でも、ふたつの敵に常に怯えなくてはならない。警官とチンピラたちだよ。警官に見つかったら投獄されるかもしれない。若い女性にとってさらに悪いのは、自分を探しに来た父親が警察に出頭を求められることだ。あちこちにいるチンピラたちは、のど元にナイフをつきつけて身ぐるみ剥がし女に触るんだ。彼らは女性が絶対に訴えないと分かっているから」。

ホテルでは家族証明が必要

 お金があればホテルに部屋をとることもできる。その際、部屋は1室でなく2室とらなくてはならない。1室ダブルでとろうとすれば、フロント係が義務的に「家族手帳」の提示を求めるからだ。相手が売春婦では若者に高くつきすぎるし、社会的に大罪を犯すことになる。売春を利用するのはたいてい既婚男性だ。少ないケースだが田舎から出てきた若者の場合もある。若者が売春婦からセックスの手ほどきを受けることはあまりないようだ。もっとも国内で公式の売春宿があるのは、オラン、スキクダ、ティンドゥーフだけだ。でなければ、基本的には 「メルケズ」(地元実力者の取り計らいで黙認された、別荘を売春宿に転用したもの)か、オランの海岸や、アルジェやベジャイアにあるキャバレー、あとは数軒のホテルくらいだ。

 「アルジェリア男性の若者は、大きな性的フラストレーションを抱えています。たとえ彼らが『本番』以外の性生活を営んでいたとしても、不自由さは変わりません。それに、フラストレーションのレベルは明らかにヨーロッパの若者の比ではありません」。ハムーダ医師はこう言い切る。革命的なインターネットや携帯電話の登場で、一時的にはフラストレーションが鎮まったという人もいる。たとえばベジャイア在住で、ヒジャーブ着用の魅力的な娘ディフヤは、「インターネットの出会いは最高」と情熱をもって語ってくれた。だが、魔法のツールであるネットは諸刃の剣でもある。精神分析学者のアイト・シドゥム氏は力説する。「ここ数年間の大量のネット・アクセスによって、若者のフラストレーションが軽減されると思われました。でも、私たちが思っていたのとは逆に、彼らはフラストレーションを大きく募らせています。ネットは彼らに今まで想像もしなかった可能性の扉を開きました。ところが、ネットが教えてくれた欲望を満足させる手段を、ネットはまったく提供してくれていません」

 2014年現在、アルジェリアの若者の気晴らしの場は「ネット・カフェ」だ。どの村や町にも、簡素な設備のスペースに、20台ほどのパソコンと壁際にモニターが並んでいる。殺風景な店内だ。誰も人に話しかけない。皆、フェイスブックかスカイプ、あるいはその他のチャット・ルームのあちこちで偶然知り合った見知らぬ「友達」と「会話」して何時間も過ごしたり、密かにポルノビデオをダウンロードしたりする。並行して、家で回線を設置する家庭が増えつつあり、若者は四六時中ネットをして過ごし、現実から逃避できるようになった。

自立望む女性は「売女」?

 フラストレーション増大が一目でわかる若者の行動がある。その一つが、若い男性がじろじろ女の子たちを見たり、大きな街の目抜き通りで女の子たちに攻撃的といえるほど声をかけたりすることだ。22歳のノルディーンと23歳のバシールは、現在、無職の見習い配管工だ。彼らがオランにあるラルビー・ベン・ムヒーディーという大きな商店街のアーケードを闊歩していたところで、女の子の二人組が通った。「標準」と規定されている服装で、ヒジャーブを被り、体の線は幾重にも重ねたセーターやワンピースの上に着たジュッラーバで隠されている。彼らの露骨な物言いに彼女たちはすぐに閉口した。誘いを断られた二人が、すぐさま女の子たちを「売女」呼ばわりしたからだ。もっとも、アルジェリアで再びよく使われるようになったこの言葉は、本来の「売春婦」という意味よりも「尻軽女」という意味で使われている。ケルトゥーマ・アギによれば、「『売女』[アラブ語でqahabaカハバ]という言葉は、自立した生活を望むすべての女性を指します。とはいえ、彼女たちは課せられた社会規範に関しては極めて慎み深いのです。自立した生活を望む女性たちが「売女」呼ばわりされる理由は取るに足らないことばかりです。家庭内で家事や料理を拒否することや、公共の場での服装、喫煙、歩き方、いくつかの禁じられている場所への出入り、禁じられている時間帯に出歩くことなどです。性的ではない数々の規範を破る女性は、ある環境の下では、性的な規範も破るものとみなされるのです。取材に応じてくれた若い男性たちがフランスにいるアルジェリア移民労働者の娘たちを「売女」と認識しているのも、そうした論理からだ。モフタールはいう。彼はオラン人で、アルジェリア社会の「反啓蒙主義」を告発する気満々だ。「一目瞭然さ。彼女たちは出かけたいときに出かけてスカーフはしない、煙草は喫うし、通りで男友達にキスだ。売女じゃないか」

 「こうした性的フラストレーションは、隠れた強い攻撃性と結びついています」。アルジェにあるバブ・エル=ウエド病院の臨床心理士、ナリア・ハミシュ氏は言う。「植民地支配、独立戦争、そして1990年代の内戦。アルジェリアの歴史は血なまぐさい暴力の記憶といっていいでしょう。いまだに人々の精神的傷痕は癒えていません。こうしたトラウマと性的フラストレーションが組み合わさることは、アルジェリア人が自分の衝動に支配されていることを意味します。事実、街角では男性がいつでも女性に『攻撃』できるように待ち構えています。どの街にも暗黙のルールとして、ある時間帯は女性禁制の場所があり、特に日没後は出入りが禁じられています。ルールを守らない女性たちは性的暴行を受ける危険があります」。取材で会った女性たちの多くには体を触られる被害に遭った者や、強姦された者も何人かいる。「私が病院で受けた相談には、近親相姦や児童への性的虐待もたくさんあります。家庭内や学校、モスクなどさまざまな場所で被害に遭った女性がいるんです。彼女たちは口をつぐんでいます。誰も彼女たちの話を聞こうとはしませんから」とハミシュ氏は言う。

国への依存が若者を無気力に

 こうした若者たちのセックス事情がアルジェリアのいくつかの社会的・政治的現象を理解する鍵となる。「性的未成熟と金銭面での依存は完全にリンクしています」と心理学者のハミシュ氏は語る。「オイル・マネーは若者たちを、国へ依存しきった状態にしています。自分で働かなくても政府が最低限の生活費を与えてくれ、努力も能力も不要です。こうした依存の根が家庭の中にあるのも見てとれます。子供たちは30歳から35歳、いや40歳になるまで、性的にも政治的にも一人前の権利を認められません」。

 出会った若者の多くは一度も選挙で投票したことがなかった。彼らの言葉を借りれば、政治活動や社会活動、地元振興の運動に関わる可能性がないことに「うんざり」している。では、彼らはいったい何をしているかといえば、サッカー観戦に興じたり、散発的に都市暴動を起こしたりしている。金曜日を除く毎日、男たちは街頭で叫んだり、近隣者を煽動したり、タイヤやゴミ箱を燃やしたりする。至る所にその理由は転がっている。断水やガス供給の遅延、購入した家屋の手入れが悪い、ゴミ箱が散乱している等々だ。後は家に帰ってお仕舞いだ。アイト・シドゥム氏はこう語る。「近所同士の暴動は気を鎮めるためのうっぷん晴らしです。しかしたまっているレベルは恐ろしく高まっていて、こんなことでは解消できません。政府は、鬱積が膨らんで時限爆弾のように爆発する危険があるということを理解していないのです」。サッカーにおいて群衆が歓喜する場についても同様だ。ワールド・カップでは、アルジェリア代表が勝つたびに死者や負傷者が出ている。ハミシュ氏によれば、「スタジアムや、勝ち試合の夜の街頭は憂鬱な毎日への不満解消を煽る場と化します。〝まだ生きているんだ〟という幻想を自分自身で作り出しているのです」。だが、「煽動」の機会はそうあるものではない。ゆえに、今でもフランスへの移民を夢見る者が後を絶たない。フランス当局によれば、2013年には、3800万人のアルジェリア国民のなかから50万件のフランスのビザ申請があったという。小さなボートに乗って命がけで海を渡ったり、シリアのジハードに加わろうとする者もいる。自殺率は上がっているはずだが、政府は相変わらず数字を発表しない。

 女性に対する締め出しは、まったく思いもよらない場所でも見られる。ジャーナリストのモハンド(34歳)は社会運動組織「バラカ」のメンバーだ。最近結成されたこの組織には、アルジェリアの社会変革を最も強く訴える活動家が集まっている。モハンドは悪びれもせずこう語る。「仲間の活動家たちが家に来るときは、妻をカビリーの実家に帰します」。どうしてかと質問してみた。「彼らが来れば酒を飲むし、煙草も喫います。妻にとっては居心地が悪いわけです」。ベルリンの大学でアルジェリアの社会運動を研究する政治学者、ナワール・ベルアフダル氏はこう結論する。「男性たちが恋人や妻、姉妹とともにデモに参加できてこそ、アルジェリアで真の政治変革が起こるサインが見られるでしょう」。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2014年8月号)