ソフト・パワーと武力誇示の狭間で揺れる

西側の敵愾心に対抗してアジアに顔を向けるロシア


ジャン・ラドヴァニ*

*フランス国立東洋言語文化研究所(INALCO)教授

ヨーロッパ・ユーラシア研究センター(CREE)共同所長
著書『新たなロシアの復帰』(未邦訳)
Jean Radvanyi, Retour d’une autre Russie,
Le Bord de l’eau, Lormont, 2013.

訳:石木隆治


 ロシアの国際舞台復帰には様々な問題が伴っている。西欧の傘下へ入ろうとするウクライナの急変に押され、ロシアは急遽クリミア半島の奪還に走った。正当な権利を守るのだとする不器用な主張は、ロシアの影響力の限界を明かすものである。こうした影響力はソビエト連邦の崩壊以来、地政学的な協力関係を念入りに培ってきた賜物であるのに。[フランス語版編集部]


 2014年初頭はロシアの外交政策に関し二つの重要事項が目立った。まずはソチ冬季オリンピックだが、これは西欧メディアの中でウラジミール・プーチン政権に対する大きな批判を引き起こす機会をもたらした。次に、オリンピックが終わったところでウクライナ危機である。ある意味で、この二つの強烈な出来事がロシアの新外交政策の二つの面を表現していると言えるだろう。一つはソフト・パワーを身につけようとする試みと、もう一つは従来通りで乱暴な強力の使用である。

 ソチ・オリンピックの目的はロシアが世界的大行事を組織することができることを示すことだった。とりわけ不安定な地域――コーカサス地方――において、試合の運営面でも参加者の安全面でも、最先端の手法を施したのである。国際世論の対ロシア・イメージを改善できるはずだった。このことは多極化した世界(原注1)の主役級としてのロシアの再興に必須な要素である。西欧社会へはゆがんだ反響が伝わったにも拘わらず、オリンピックは完璧な成功に終わった。しかし、期待されたほどの効果には至らなかった。世界のメディアはためらうことなく敵対的な発言を行い、オリンピック開催準備の不備を強調し、特にプーチンの政権復帰以来公布された抑圧的な法律を克明に説明した。例えば、NGO組織監視法やインターネット監視法、あるいは「同性愛宣伝禁止法」・・・。いくつかの手遅れの策、プッシー・ライオットのメンバーと実業家ミハイル・ホドルコフスキーの釈放、オリンピックの間は同性愛者をいじめはしないという約束などの措置がとられたが、しかしメディアに何の変化も起こさなかった

 しかし何と言ってもソチ・オリンピックは、同時に起こったキエフのマイダン(独立)広場で起こった血なまぐさい事件と一緒に記録されることになるだろう。この事件に続いてクリミア半島の軍事力による掌握、そしてクリミアのロシア連邦編入が起きたのである。ウクライナ大統領ヴィクトル・ヤヌコヴィチの全く不適切な対応、これに次いでモスクワ、キエフ、ブリュッセルでなされた決定のせいで、世界は重大な試練に立たされ、ここ数10年来、前例のないロシア嫌いを引き起こしている(原注2)。クリミア編入に対する懲罰措置適用の前でさえ、ロシアのイメージは悪化しており、国内でどれほど愛国的動員をかけても埋め合わせはできないであろう。

時期遅れのソフト・パワー

 オリンピックの実施は外交政策の用具として使われるいわゆるソフト・パワーの、ロシアによる時期遅れの使用である。つまり、イデオロギー的、文化的、科学的だが、強制力を伴わない影響力のことである。2012年にはある雑誌でプーチン自らが「ソフト・パワー」の技術について表明し、西欧列強が優越しているこの分野においてロシアが遅れていることを嘆いた。例えばある事件をめぐって発せられる言説の管理、解釈は、実際、国際舞台においてその事件そのものと同じくらい重要である。ついでにプーチン大統領は多くの国、殊にアメリカが、ソフト・パワーを用いて他国に圧力をかけたり、自国の選択を他国に押し付けるやり方を厳しく批判した。「偽NGO活動やその他の組織が外部の力を借りて国を不安定にさせることは受け入れがたい」としている(原注3 )。

 2003年と2004年のクルジアとウクライナの「色の革命」[訳注a] はロシア政治における内外政策の転換期となった。結社の権利と表現の自由をいっそう強く制限する法律が採択された。同時期に、ロシアはイメージの改善に取り組んだ。《ルスキ・ミール(ロシアンワールド)》センター[訳注b]の発展を通じ、文化的、言語的なネットワークを再始動させ、在外同胞の支持を得ようとした(原注4)。しかし、これらのことを実行するためのロシアの能力はまったく不完全に止まっていた。国の指導者たちは引き続き昔からの方法に頼り、経済・軍事圧力においてそれが顕著だった。コミュニケーションに関する未熟さだけでないと、フィオドール・ルキアノフ(雑誌『世界の中のロシア』編集長)はこの国の根本的な脆弱ぶりを次のように指摘する。「今のところ、《ソフト・パワー》といっても、モスクワ推薦の発展モデルを魅力あるものにする実体に欠けています」。旧ソ連は、イデオロギー的誘引力と、立派な戦略的オールタナティヴの上に立っていたが[訳注 c]、「ロシアは伝統的で保守的な言説以外のものを生み出すことができません。明らかに進歩と逆を行っているのです(原注5)」。それに、とルキアノフ氏は続ける。「ロシアはソビエト連邦ではないのです。世界の支配者を気どることはもはやできません。モスクワが唯一かかわるのはモスクワにとって死活的とみなされる地域だけです。ここにウクライナが含まれます。そしてこの場所で行動する時は妥協しないつもりなのです(原注6)」。

 EUとNATOに近づこうと試みる旧ソ連共和国に対して、ロシアは経済及び貿易制裁をためらわない。たとえば、ウクライナに対する「天然ガス戦争」の諸事件がある。2013年にウクライナのウェブサイト«ニュースポット» が公表した地図には、2005年から2013年までに西側近隣諸国に対抗してモスクワが取った「食物戦争」の15の措置を地図入りで詳細に記している(原注7)。輸入禁止はたとえば、クルジアとモルドバのワイン、ベラルーシ乳製品、ポーランド肉食品、ウクライナ産チョコレート等々である。

 そしてここ数年来、ロシアは武器による紛争の解決に躊躇しなくなっている。2008年の夏には、クルジア大統領自らがその口実を提供し、南オセチアの首都ツヒンヴァリと、そこに駐屯していたロシア軍兵営に爆弾を投下した。反撃は速かった。ロシア勢は一時的にクルジア西部全域を制圧し、モスクワはアブハジアと南オセチアの二つの分離独立を認めた。このようにして、旧ソ連構成国で結成された独立国家共同体(CIS)の領地保全を約束する1991年の協定を破った。2014年3月には、キエフ暴動後、ロシアは率先してクリミア半島を軍統制下に置き、急遽実施された住民投票で併合を進める。

侮蔑する西側諸国

 ロシアは新たな武力行使に走る理由を少しも隠さない。そしてこの国が世界に投げかける挑戦はウクライナ問題を遙かに超えている。実際、ロシアは国際的安全保証を司る包括的なルールの改変を要求しているのである。2007年2月10日、第43回ミュンヘン安全保障会議でプーチン大統領はロシアの取るべき姿勢の幾つかの要点を述べた。ロシアはいくつかの西欧諸国が使う二枚舌をもう認めない。そうした国は国際間で決めた規則を動かしがたいものと表明しながら、違反する方が都合がよい時には違反するのである、と。

 ソ連崩壊とワルシャワ条約機構解体後のロシア弱体化につけいって、アメリカの一部の政治家は唯一の超大国アメリカの構築が可能だと信じた。しかし、世界はその後変化した。安全保障を基礎から再吟味することが望ましい。新しい国々、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国)などの国と十分に協力してのことである。結局認めなければならないのは、ロシアもまた自国にとって正当な戦略的利益を持っていること、そしてロシアがそれを守る権利があることである。それはいつもアメリカと西欧主要諸国が自分らの勢力圏内でしていることだ。

 アメリカやEUの指導者たちは、2008年にウクライナとグルジアにNATO加盟を提案し、2013年末にはキエフとEU加盟の交渉を行い、ロシアの利益をその国境内に押し込めることに貢献した。彼らはこのことを完全に意識的に行ったのである。一部のアメリカ指導者は、ポーランドやスウェーデンなどのヨーロッパの指導者と共に、ズビグネフ・ブレジンスキー(原注8)が昔言明した政策を決して捨てたことがない。

 プーチン大統領の外交顧問の一人、セルゲイ・カラガノフにとっては、ウクライナがNATOに加盟する危険があるので、またNATOがセヴァストポリ港を奪回するという見通しがあるために、「ロシアは実力を用いても自国の利益を守らねばならなかったのです(原注9)」。クリミア半島を編入し、ウクライナの東部国境近くに軍隊を集め、ロシアは西欧の指導者に向けて、ロシアが衰弱の時代を終えたこと、これからはロシアの戦略的利益を守ることを表明しているのである。たとえ外交・貿易関係においてこうした措置が高くつくとしてもだ。しかし、ロシアは実際にその手段を持っているのだろうか?

極東進出をはかるロシア

 これまでのところ、ロシアは主にヨーロッパの方へ顔を向けていた。ヨーロッパは文化的・人的交流においても、また経済関係でも昔からの主要なパートナーである。2013年にはEUはまだ輸出入の最大の取引相手だった。だが、ヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがる国であるという特権をトルコと同じように分け持っているので、ロシアはかなり以前から二正面のあいだにある補完的な位置関係に対する関心を示している。西側に位置する一方は大陸で、もう一つは海洋をなす太平洋域である。

 このような見取り図は新しいものではない。ソ連崩壊以前の1986年に、ウラジオストクでのミハイル・ゴルバチョフの演説のなかに貫かれていた思想である。それをボリス・エルツィン、次にプーチンが熱心に追求し続け、アジアとの交際を活発にしている。そして今日多くの要素が協力し合って、このバランス戦略を推進しようとしているのである。

 最も明らかなことは、太平洋岸地域における驚くほど活発な経済発展である。ロシアは協力と投資を得てこの経済発展がロシア経済躍進の助けとなることを期待している。このために、プーチン大統領は2012年、ロシアが1988年からメンバーとなったアジア太平洋経済協力(APEC)の首脳会議をウラジオストックで開催した。このような太平洋への関心が回復していることは、ロシア極東地域を襲う緊迫した危機を自覚していることの表れでもある。この地域の人口は1980年代から減り続け(この広大な全地域で人口の20%以上を失った)、非常な活力にあふれる中国領に対し、この戦略的境界地域が寂れてしまう危険があるのだ。

 ロシアの二正面バランス回復策に決定的な役割を演ずるもうひとつの要素がある。それはEUとの関係の悪化である。EUは東方面へ勢力を拡大しつつ、自分たちのルールを対ロシア関係の基本的枠組みとして押し付けており、それは特にキー分野である資源エネルギーにおいて甚だしい。EUは2004年には欧州近隣政策の一環として、次いで2009年には東方パートナーシップの枠組みに沿って、CIS(独立国家共同体)のメンバー数国に相次いで計画を提案したが、一方ロシアへの石油・天然ガス依存を減らすように努め、供給源の多様化を図っている。ロシアはこのような事態の展開に対応し、西側への輸出ルートを再構築している(ガスパイプラインのノース・ストリームとブルー・ストリームの建設、黒海のサウス・ストリーム計画)。また、貿易相手国の一部をアジアに移した。2011年には中国がロシアの主要貿易国となった。

 現存する危機の根本的要素はここにある。大きな隣国ロシアに対し、どう振る舞ってよいかに関してEUで深く意見が分かれているのだ。EUはこれまで、ロシアとの根本的な関係について本当に議論することを考えてこなかった。ロシアを含む「大ヨーロッパ」のための発展と安全保障についての世界的戦略を検討したことがないのだ。EUはロシアが提案した幾つかの方法を批判し、距離を置く政策を選んだ。同時に、NATOへの新しい役割付与――ますますアメリカの政策に組み込まれている――が、ロシアの警戒心を強めた。EU組織・経済が深刻な危機に落ち入っているこの時期のヨーロッパに現れているこのような姿勢のために、次のように考えるロシア人の立場が強まった。つまり、新興アジア勢力との接近を加速する一方、衰弱してアメリカとは異なる方針を取る能力がないEUとの関係は休止状態に置くことを推奨するのである。

相矛盾するナショナリズム

 このような方針転換は、しばしばこけおどしのようにして使われたり、ヨーロッパ人に圧力をかける手段のように見なされたりしているが、技術的にも組織的にも、幾つか難点がある。まずは、ロシア東部のエネルギー開発、輸送機関、住居といったインフラストラクチャーの重い欠損状態を克服しなければならないことだ。ロシアはその対策をやっと取りはじめたようだ。《極東開発省》が発足したからである。しかし専門家の多くはこの対策の効果を疑問視している。必要とされる資金は莫大であるし、2012年ウラジヴォストク首脳会議に要した膨大な支出を見ると、投資の効果的な使用が行い得るとは見込めないのである。確かに、太平洋側へのエネルギー輸送網に着手する兆しは現れているが(東シベリア太平洋石油パイプライン計画、ESPO)、ロシアは液化天然ガス技術の一定の遅れを示している。ヨーロッパに送っているのと同じ量をアジアに送るのは当分無理だろう。

 仮に中国がこの遅れを短縮するために資金を供給する用意があると言ってきたとしても、[見返りとしての]中国によるシベリア産一次産品の購買は、ロシアを第一次産品の単なる供給者としての役割にいっそう追い込み、ロシアの現代化をいっそう遅らせることにしかならないだろう。その上、連邦規模の活動の中央集権化が過ぎれば地方の主導権を妨げることになる。多くの地方が次第に公然と決定自主権を要求するようになっている。彼らによれば、このような自主権は地域の本当の再スタートを確保する唯一の保証でさえある。ところでプーチン政権は明らかにこの道を取っていない(原注10)。

 もう一つの困難、それは、ロシアが旧ソ連の国々とのよい関係を推進する力を持っていないということだ。CISは1991年にエリツィン大統領が夢見たのとは異なり、ロシア支配下の東側諸国共通市場には決してならなかった。ロシアの試みは、ロシアに忠実な国々の中核部分を強固にしようとすることであったが、その試みのあいまいな性格によって、人々を驚かすのみである。

 用語上、組織上の大混乱を伴いながら、これまで作られた経済連合組織は4つ以下ではない。《関税同盟》、《統一経済圏》、《ユーラシア経済共同体(EurAsEC)》、そして《CIS諸国間自由貿易圏》、ここに数えていないが、《ユーラシア経済連合》という組織が、1994年カザフスタン大統領ヌルスルタン・ナザルバエフにより提案され、2015年に樹立されるはずだった。これらの組織全てがロシア、ベルラーシ、カザフスタンという共通中核部の周囲に構成されている。場合によっては、中央アジアの3つないし4つの国が加わり(ウズベキスタンはせいぜいオブザーバーにしかなれない)、時には、例えば経済共同体、あるいは自由貿易圏においては、モルドバとウクライナが入ることもある。

矛盾する要求

 しかしこれらのどの一つの組織も現実に機能していない。それは大部分ロシアの矛盾した要求のせいである。すなわち、自国の行動の自由を手放そうとしないのだが、同時に、影響下にあるとみなす国については支配力を保持したいのである。このような態度の主たる結果として、関係各国がロシアの締め付けをゆるめるために、アメリカ、ヨーロッパ、中国、イランといった、影響力のある第3者国との関係を増やすのである。中央アジア諸国は、貿易を多様化する方法として中国に頼ることが次第に多くなったように思われる。それも、ロシアと中国が共にメンバーである上海協力機構より以上に高度な協力を求めているのだ。一つのことが明らかである。この無数の機構は、ロシアが、今や独立した隣国との関係において新たな均衡を作りだすことに苦労していることの現れであるということだ。ウクライナ危機が尚更にロシアの困難を複雑にするかもしれない。

 プーチン大統領はクリミア半島編入にあたってソ連崩壊で母なる祖国を離れている在外ロシア人同胞擁護のために、今までにない動員を行った。そしてこれを結構なことと考えた。何人かの反対者に対し、旧ソ連時代の最悪の時のように「外国のスパイ」と呼んで攻撃したので、国中で行われたメディアによるキャンペーンは全く悪い思い出を想起させた。今のところ、キャンペーンのおかげでロシア国民の大多数を大統領の回りに結集しており、大統領は2011年‐2112年冬(原注11)の動きのうさばらしをしているように見える。しかし長い射程でみた場合、こうしたやり方は国の内外で恐ろしい結果を生むかも知れない。

 ロシアの多くの地域(コーカサス、ヴォルガ、それにシベリアも)には活動的なマイノリティで、相反目する運動を展開する人々で満ちあふれている。その中には急進イスラム主義者から始まり、ロシア体制の中央集権主義への傾斜に非常に批判的な地域自立主義者までいる。民族主義の高まりがどのような形で現れるか誰も予想できない。現在の権威主義的権力はこうした分散傾向からの影響を受けていないように思われる。だが、単なる政治的変化が原因になったり、新たな経済危機が起きたりした後にこの権力が弱まったら、一体どうなることだろう。

同盟国も不安を抱く

 しかしクリミア編入が最高度に不安定な結果をもたらすのはおそらく国の外に対してだろう。エストニアとラトビアはまだ人口の20%がロシア人(大抵が無国籍者)である。クリミアで行われた住民投票は、これらの国にとっては脅威として捉えられた。モルドバ――トランスニストリア戦争[訳注d] が猛威を振るった――においても、また全北部が大抵はまだロシア語使用であるカザフスタンにおいても同様だ。1991年からずっと、カザフスタン大統領ナザルバエフはロシアの永遠の友人として振る舞っている。しかし彼の後任者も彼と同じほど従順であろうか。2008年にクルジアがCISを脱退、次いでウクライナが2014年3月19日に脱退宣言、カザフスタンの一定の距離を置く姿勢でさえも、ロシアが、1990年代初頭以来には「親しい外国」と呼んでいた国々を思いのままに再編成しようとした20年以上にわたる企ての失敗を意味するだろう。確かに、集団安全保障条約機構(OTSC)(原注12)はまだ続いている。だが、この軍事組織は、今日は縮小し、限られた目的を追うに過ぎない。

 今年(2014年)3月27日、クリミア編入に対する国連の非難決議採択の際に、ロシアが外交上孤立する最初の兆候を見ることができた。「友好国」のうち、反対票を入れたのはアルメニアとベラルーシだけである。中国は棄権し、カザフスタンも同じだった。キルギス、タジキスタンは採決に参加さえしなかった(原注13)。

 クリミアの母なる祖国への帰還を喝采で迎えるロシアのデモ行進の勝利の声にも拘わらず、また東部ウクライナの暴走を待たずとも、クリミア編入がピュロスの勝利[訳注e]であることは実に明らかだろう。


原注

(1) Lire Guillaume Pitron, « Géopolitique du saut à skis », Le Monde diplomatique, février 2014.

(2) Lire Olivier Zajec, « L’obsession antirusse », Le Monde diplomatique, avril 2014.

(3) Vladimir Poutine, « La Russie dans un monde changeant », Moskovskie Novosti, Moscou, 27 février 2012 (en russe).

(4) Tatiana Kastoueva-Jean, « “Soft power” russe : discours, outils, impact », Russie. Nei. Reports, n° 5, Institut français des relations internationales (IFRI), octobre 2010.

(5) Fiodor Loukianov, « Les paradoxes du soft power russe », La Revue internationale et stratégique, Institut français des relations internationales et stratégiques (IRIS), n° 92, Paris, 2013.

(6) Fiodor Loukianov, « A quoi bon l’Amérique ? », Rossiiskaїa Gazeta, Moscow, 28 mars 2014 (en russe).

(7) www.newsplot.org (en ukrainien). (8) Zbigniew Brzezinski, Le Grand Echiquier. L’Amérique et le reste du monde, Bayard, Paris, 1997.

(9) Financial Times, Londres, 5 mars 2014.

(10) Cf. « La S ibérie, eldorado russe du XXIe siècle ? », La Revue internationale et stratégique, op. cit.Lire « Continuité de façade en Russie », Le Monde diplomatique, avril 2012.

(11) Lire « Continuité de façade en Russie », Le Monde diplomatique, avril 2012.

(12) 加入国はロシア、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタンである。アゼルバイジャン、グルジア、ウズベキスタンは抜けた。

(13) クリミア編入決議採決には、賛成100票、反対11票、58ヶ国が棄権した。



訳注

[a] 「色の革命」、別名「花の革命」。2000年代初頭に旧社会主義圏で起こった一連の反政府運動によって引き起こされた政権交代を指す。

[b] 正しくはFondation « Russkiy Mir »、2007年プーチン提唱の国立の組織。西洋文化に対しロシア文化を広め、ロシア語の普及を目標とする。ロシア正教会と協力。

[c] ソビエト社会主義は一時期世界の進歩勢力に希望をあたえ、進歩勢力は社会主義の社会をつくるという展望を抱いた。

[d] 「トランスニストリア戦争」、独立を求める沿ドニエストル共和国と、分離反対のモルドバ共和国との間で起こった武力衝突。ロシアとウクライナは沿ドニエストルを支援。ロシアの圧倒的な戦力により結果的に沿ドニエストルの勝利。市街戦だったため民間人が多く被害を受けた。

[e] 「ピュロスの勝利」、ピュロスは古代ギリシャのエピロスとマケドニアの王。戦術の天才と謳われたが、ローマ軍との度々の戦さごとに兵を減らしてしまう。このことから、損害が大きい勝利を言う。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2014年5月号)