民族の壁を超えた市民が首都トゥズラでデモに集結


ようやくひとつになったボスニア=ヘルツェゴビナ

……民営化に反対する人々


ジャン=アルノー・デラン

「バルカン通信」編集長。近著にローラン・ジェスランとの共著
『ゴラーニの国への旅(21世紀初頭のバルカン)』(未邦訳)がある。
Jean-Arnoult Dérens, Laurent Geslin,Voyage au pays des Gorani
(Balkans, début du XXIe siècle
),Cartouche,Paris, 2010.。


訳:川端聡子


 貧困・失業・政治腐敗・縁者贔屓・無力な政治家……。内戦終結から約20年を経て、これら共通の問題の解決を求める声が、各民族の違いを乗り越えつつある。えこひいき的な体制によって、長い間ボスニア=ヘルツェゴビナの国民は黙らせられてきたが、今年2月初頭、民衆の怒りが爆発した。今や、彼らは直接民主主義を模索している。[フランス語版編集部]





民営化失敗への怒りのデモ

 「眠りについて20年、今こそ目覚める時だ!」。デモ参加者たちが、我勝ちにとスローガンを繰り返す。彼らはボスニア=ヘルツェゴビナのいたる街で連日集まっており、先のスローガンが、このデモが前代未聞のものであることをよく示している。

 こうした社会の不満が爆発するであろうことは、ずいぶん以前から想定されていた。なぜなら、公式発表による失業率はこの国の労働人口の40%に達し、民営化は公的資産の盗み取りという結果となり、さらには腐ったエリート政治家たちが罷免を逃れ、未だ国を支配しているからだ。しかしながら今回の動きは、政治リーダーたちにとっても西欧諸国の外交団にとっても寝耳に水だった。西側諸国は1995年の「デイトン合意」[訳注a]以降、半保護国状態にあるボスニア=ヘルツェゴビナを援助してきたのだが。

 2月5日、600人の失業者がトゥズラにあるカントン[県のこと——訳注]庁舎前に集結した。彼らに合流したのはここ10年ほどで民間化され、二束三文で売り払われた企業の従業員たちと、若者多数を含む一般市民である。ふたつの要求が、即座に表明された。ひとつは欺瞞に満ちた企業民営化の根本的再検討で、もうひとつはこの現状に対し責任を負うべき政治家らの更迭である。

 クロアチア社会民主党(SDP)の牙城となっているトゥズラは、かつては産業の一大中心地だった。人口15万人のこの街では、内戦の最中にも、それぞれの民族社会が協力しあう「ユーゴスラヴィア式」伝統が息づいていた。ところが、住民の大半が勤める公営企業が、民営化のためカントン(県)行政機関の管理下に置かれた。ディタ、 ポリヘム、ガミング、 コンジュ、アイーダといった企業の新所有者となった機関は、この数ヵ月のあいだに資産を売り払った。給料の支払いはストップし、会社は破産を申告し、あらゆる権利を失った何千もの人々が打ち捨てられたのだ。

 公共メディアは口をつぐんだが、アゼニカ、モスタル、サラエヴォ、プリイェドル、ビイェリナだけでなく、ゴルニ、ヴァクフ=ウスコプリェやスレブレニツァといった小さな街でもデモが浸透していった。2月7日、トゥズラやゼニツァの県庁舎に火が放たれ、サラエヴォにある政府庁舎にも火がつけられた。その日、抗議の震源地となっていたトゥズラでは、県自治体当局者たちが辞職した。以降、トゥズラでは直接民主主義モデルを模索し、全市民が参加できる市民総会が毎晩開かれている。この市民総会は、自治体当局からも正当な交渉相手として認められ、民営化の見直しと暫定政府の組閣について審議している。他にもゼニツァ(ここでも県政当局が解任に追い込まれた)やサラエヴォで、こうした市民議会が作られつつある。

 クロアチア社会民主党、そして民主行動党(SDA)に属するボシュニャク民族主義者たち[訳注b]は、前倒し選挙を提案することでボールをタッチライン外へ蹴り出し、危機を免れようとしている。しかし皮肉なことに、この前倒し選挙は現在のエリートたちの力を強化することにしかならないだろう。実際のところ、内戦終結以降ボスニア=ヘルツェゴビナの国家制度は世界でも類をみないほど複雑である。理論上は統一国家であっても、ボスニア=ヘルツェゴビナ連邦(クロアチア人=ボシュニャク人による連邦国家)と、スルプスカ共和国[訳注c]というふたつの独立した自治体に分かれている。ボスニア=ヘルツェゴビナ連邦そのものは10の「カントン」(県)に分割されていて、中央国家が教育・経済・保健・警察・法務に関して下す決定よりも、それぞれの地方自治体による決定のほうが重要性をもつ。要するに、行政制度がおよそありえないような継ぎはぎ状態になっていて、そのことがありとあらゆる決定や変革の妨げになっているのだ。さらには、このような制度が、政治家たちが楽に儲かると同時に無責任が放置されることを保障してしまっている。

 スルプスカ共和国のミロラド・ドディク首相は、この間に起こったデモを現政権に対する「恫喝」だと表現した。公共メディアはデモ参加者たちを「裏切り者」と呼ぶか、あるいは起こっているデモに対して無視を決めこみ、かろうじてスルプスカ共和国の公営テレビ局、RTRSが伝える程度だ。しかしながら、デモは国内の多くの街で開かれ、いくつかの有力な元兵士協会までもがドディク氏を「犯罪的かつ腐敗しており、縁者びいきだ」と告発、解任を要求している。


「くたばれ、ナショナリズム!」

 連邦国のカントン廃止要求の声は、クロアチア民族主義の指導者たちを大いに不安にさせている。自分たちの勢力範囲が打撃を受けるからだ。だが、これまで常にクロアチア人地区とボシュニャック人地区とに分裂してきたヘルツェゴビナの都市、モスタルでは、両市民がともに手をとりデモに参加した。これは、内戦終結以来初めてのことである。研究者のヴェドラン・ドジッチによれば、「この国の民族同士が憎しみあっているという話は、デイトン合意後のボスニアの神話のひとつです。既得権益を守りたい体制寄りメディアが作り上げた神話なんです」という。こうして新たなスローガン——「くたばれ、ナショナリズム!」——が国内の壁に見られるようにさえなった。

 西欧諸国の外交官たちはというと、驚くばかりの沈黙を守っている。確かに、欧州連合は、ボスニア=ヘルツェゴビナ上級代表であるヴァレンティン・インツコ氏を通してデイトン合意が履行されるよう監視を行なっているが、そのことがまさにデモ参加者たちの非難を受けている。インツコ氏は、ボスニア=ヘルツェゴビナが「内戦終結以降最悪の状況」にあるといい、欧州連合部隊(EUFOR)の軍事ミッションの増強さえも示唆している。それに対し、デモ参加者たちはインツコ氏の解任要求で応えた。その一方で、バルカン諸国およびヨーロッパ中の革新派の要人たちは「国際社会」に呼びかけ、ボスニア=ヘルツェゴビナの民族主義政治家との決別を働きかけている。

 その後、特にセルビアやクロアチア、そしてモンテネグロといった近隣諸国はボスニアの暴動を注視している。これらの国々でもデモが起こっているからだ。経済変革と、それに付き物である民営化によって、いたる所でボスニア=ヘルツェゴビナと同じ結果が生じている。だがボスニア=ヘルツェゴビナで先頭を切って旧ユーゴ分裂以来初めて、はっきりと市民が反乱を起こし、反民族主義的の動きが現れたのである。「バルカンの春」はまだ始まっていないかもしれない。だが、2014年2月初めのデモはそのかすかな兆候なのである。




原注

(1)«An open letter to the International Community in Bosnia and Herzegovina», Criticatac, 14 février 2014, www.criticatac.ro


[訳注]

[a]1995年11月アメリカ合衆国オハイオ州デイトン市で協議され、同年12月フランスのパリで署名された和平合意。これにより3年半にわたるボスニア=ヘルツェゴビナ紛争は終結した。現在の同国の区分、および政治体制は本合意文書で作成された憲法に記載されている。
[b]ボシュニャク人はもともと「ムスリム人」と呼ばれていたが、内戦を経て独立後、「ボシュニャク人」と呼ばれるようになった。
[c]セルビア人主体の共和国で、ボスニア=ヘルツェゴビナの構成体のひとつ。通称・セルビア人共和国だが、セルビア共和国と混同されやすいため「スルプスカ共和国」と表記した。





(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2014年3月号)