旧来の党派の挫折を機に脱皮する右翼諸派


激変するヨーロッパの極右


ジャン=イヴ・カミュ

フランス国際関係戦略研究所(IRIS)客員研究者
過激政党監視機構(ジャン=ジョレス基金)ディレクター
著書『ヨーロッパの極右』(近刊、未邦訳)がある
Jean-Yves Camus, Les Droites Extrêmes en Europe, Seuil, Paris.

訳:仙石愛子


 この30年、ヨーロッパ各地の極右政党は追い風に乗ってきた。中にはネオ・ナチに依拠して攻撃活動を行なったグループもあったが、大部分は尊厳を追い求め、社会的に影響力を広げていった。彼らはヨーロッパをイスラム化から守る最後の手段、防塞として自己をアピールし、右翼政党の再構築を押し進めている。[フランス語版編集部]





《極右》の定義

 1980年代初頭に《極右ポピュリズム》の台頭が指摘されたが、政治的領域での正確で実践的な定義がなされることもなく30年余が過ぎ去った。一般に「極右」、「ポピュリズム」(原注1)と一般に呼ばれる全てのグループをここでより明確に把握しておく必要があるのではないだろうか。

 1945年以来、ヨーロッパにおいて「極右」という言葉は様々な現象、例えば、《外国人嫌いのポピュリズム》や《反システム運動》[訳注a]、《ナショナリズム的ポピュリズム》、さらには《宗教原理主義》などを表わしてきた。こういった概念に一貫性があることには注意を要する。というのは、客観的というより論争的観点から、こういった看板を掲げた活動は、時代の必要に合わせて呼称を少し変えてはいるが、《国家社会主義》、《ファシズム》、《権威主義的ナショナリズム》とその亜流として理解されているからだ。こうした理解は実情を反映していない。

 たしかに、ドイツのネオ・ナチズム――ある意味では《国家社会民主党》はそうである――とイタリアのネオ・ファシズム(生き残ったのは《パウンドの家》、《三色の炎》、《新しき力》だけで、合計得票が0.53%となる)は、彼らのモデルのイデオロギー継承者と言えよう。1930年代に中欧および東欧に出現した政党の時期遅れのエピゴーネン政党にも同じことが言える――例えば、ポーランドの《家族同盟》、スロヴァキアの《国民党》、ルーマニアの《大ルーマニア党》である。にもかかわらず、選挙という観点から見ると、こうした政党で西欧の周縁部以外で生き残ったのは、かつての《イタリア社会運動》(MSI)だけだった。が、そのMSIも、党首ジャンフランコ・フィーニによって保守主義へ転向させられ、1995年に寿命を終えた(原注2)。東欧では、活動は一定の進歩を遂げている。たとえギリシャの《黄金の夜明け》やハンガリーの《ヨッビク》(原注3)の活動により、完全に埋もれてしまったわけではないことを証明してはいるが、2014年現在、極右政党の非常な少数派に転落している。

 結局、新しい人間や新しい社会の出現を求めるような大イデオロギーをもてはやす時代ではないので、、旧来型極右の価値観は不向きなのだ。独裁者崇拝や一党独裁志向は、ばらばらの個人主義的社会が求めるものとはかけ離れている。世論がテレビ討論やソーシャル・ネットワークを通して形成される時代だからだ。とはいえ、「伝統的」極右のイデオロギー的遺産はまだ根本的なところに残っている。それはまず、人種主義的な民衆概念であり、愛国的な的アイデンティティである。二つの憎悪、つまり外部の敵(外国あるいは外国人)と内部の敵(民族的宗教的マイノリティおよび政敵)に対する二つの憎悪はこれから生じる。これは有機論的で、多くの場合、結社的な社会モデルでもあり、個人の自由や社会対立を否定する政治経済的《反自由主義》に基づくが、「大衆」と「エリート」を対立させるモデルでもある。

 1980年から1990年の間には別のタイプのグループが選挙で勝利した。メディアや評論家の多くは彼らを「極右」と呼び続けたが、一部の人たちが感じていたのは、1930年代のファシズムと比較するのはもはや妥当ではないこと、そしてそういう考え方こそが敵に対して左翼が決まりきった反応をするのではなく、あらたな対応をすることを妨げている、ということだった。スカンジナビアの《外国人嫌悪ポピュリズム》、フランスの《国民戦線》(FN)、ベルギーの《フラームス・ベランフ》、オーストリアの《自由党》(FPÖ)などの政党群を何と形容したらよいだろう? 用語をめぐる大論争が始まり、未だに終結していない。「ナショナル・ポピュリズム」(ピエール=アンドレ・タギエフ氏が使用(原注4))、「ラディカル右翼」、「極右」等々、政治学者たちの語義の論争には本が1冊必要だろう。ここでは単に、今話題に上っている政党が《極右》から《ポピュリスト右翼》あるいは《ラディカル右翼》というカテゴリーに変わったことをお示ししたい。


《極右》と《ラディカル右翼》の違い

 両者の違いの根拠は、こういった《ラディカル右翼》ははっきりと、かつたいていの場合真摯に、議会制民主主義やもっぱら選挙という手段による政権獲得を認めている点である。彼らの党形成の理念はいまだ漠然としているが、代議制民主主義を顧みず、国民投票を通しての直接民主制を評価していることは明らかだ。腐敗しているとされたり、大衆から遊離しているエリートを「一掃」しようというスローガンは、彼らにとって共通するものである。彼らは、《社会民主主義》、《自由主義》そして《保守的右派》を一緒くたに標的にしている。

 こういったグループにとって《国民》とは、死者、現在の人々、未来の人間を包括した超歴史的な存在であり、彼らを結束させている文化的背景は不変で同質なものである。このことが「元からの」国民と移民――特にヨーロッパ外からの――との区別を引き起こす。移民については、居住権ばかりでなく、経済的、社会的権利を制限すべきである。旧来の極右がいまだに反ユダヤ主義や人種主義を掲げている一方で、ラディカル右翼は国内外に新しい敵をみつけた。それはイスラム教であり、イスラム文化圏出身の全個人がそれと結びつけられるようになった。

 ラディカル右翼は、個人が起業精神を実行する限りにおいては市場経済を擁護する。が、彼らが推進する資本主義は専ら国内でのことであり、これはグローバル化への敵意につながっていく。要するにラディカル右翼はリベラルな国家主義政党であり、国家の干渉を認めている。それは、もはや国家の持つ本来的権利分野に属するものだけではなく、グローバル化した金融経済から取り残された人々を守るためでもある。《国民戦線》のマリーヌ・ルペン代表の演説が示すように…(原注5)。

 結局、《ラディカル右翼》は《極右》とどう違うのだろう? まず、民主主義との対立が厳しくない点だろう。だろう。政治学者、ウーヴェ・バッケス氏(原注6)の指摘によると、ドイツの基本法では、現存する社会・経済的秩序に対するラディカルな批判を正当で合法と認めているが、その一方で《極端主義》を国家にとっての危険要素と定義している。というのは、《極端主義》は基本法の価値を全面的に否定しているからだ。こういった根拠により、議会制民主主義や人権に関わるイデオロギーを全面的に拒絶する運動を「極右」と呼び、それらを受け入れる運動を「ラディカル右翼」と名づけるのが妥当だと思われる。

 政治システムの中でこの2つのグループが占める位置は異なる。《極右》の方は、イタリアの研究者ピエロ・イグナツィの言う「排中律」(原注7)[この場合、政権に参加するか倒すかの二者択一であること――訳注]の中にいるだけではなく、その立場を誇りとし、そこから可能性を引き出してもいる。一方、《ラディカル右翼》は、政権に参加すること、すなわち連立内閣の一部となることを受け入れる。イタリアの《北部同盟》、スイスの《国民党》(UDC)、ノルウェーの《進歩党》などがその例である。あるいは、オランダのヘルト・ウィルダース氏率いる《自由党》(PVV)やデンマークの《人民党》のように、連立政権は担わないが閣外協力を行っている例もある。今後、こういった政党は生き残ることができるのだろうか? 彼らは《反体制》と《体制派》の間で危うい綱渡りをしている。《反体制》状態が長く続けば、選挙で「ガラスの天井」[マイノリティの進出を拒む目に見えない障害――訳注]に突き当たり、《体制化》が目立ちすぎれば党は衰退しかねない。

 次に、ギリシャの例はよい教訓になる。ネオナチ・グループ《黄金の夜明け》は、小党派として30年近く活動した後、2012年に2度行なわれたギリシャ議会選挙で約7%の票を獲得した(原注8)。突然42万6000もの票を獲得したのは、この党の神秘主義的ナチズムの人種主義によるものなのだろうか? いや、全くそうではない。最初、有権者は2007年に初議席を獲得した《国民正統派運動》(LAOS)という伝統的な極右を選んだのだ。しかし2012年の2回の議会選挙の間に、カギとなる出来事が起きた。LAOSがルーカス・パパデモス氏率いる連立政権へ合流したのだ。パパデモス氏の目的は、政権を握って新しい財政一括「救済」法案を可決させることだった。この救済計画は《EUトロイカ体制》(原注9)による仮借なき緊縮財政の犠牲の上に認められたものだ。《ラディカル右翼》政党となったLAOSは自らの特色を失くし、いかなる譲歩も拒否する《黄金の夜明け》を利する形となった(原注10)。これとは逆に、ヨーロッパのほとんどの国では、《ラディカル右翼》はライバル《極右》グループの地位を奪うか(スェーデン、ノルウェー、スイス、オランダの例)、もしくは《真のフィンランド人》のように《極右》が挫折した国に出現している。


《ラディカル右翼》対《主権主義》

 最近、頻繁に起きる例であるが、《ラディカル右翼》が対「主権主義」政党の選挙戦に巻き込まれている。主権主義政党はEUからの脱退要求を綱領の中核とし、国民的アインデンティティ、移民、文化の衰退という諸問題をも利用しているが、《極右系》とか《人種主義》という烙印を押されているわけではない。この範疇には他に、《ドイツのための選択肢》、《イギリス独立党》(UKIP)、《オーストリアのためのストロナッハ・チーム》、そしてフランスのニコラ・デュポン=エニャン氏率いる《立ち上がれ!共和国》などの政党が含まれるだろう。

 「ポピュリズム」という言葉にありがちな欠点は、何らかの目的のために間違ったり、逆方向の利用法をされてしまうところだ。特に、自由主義に対する国民的なコンセンサスに対する批判を貶めるためであったり、全ヨーロッパ的な政治論争における自由主義的保守派と社会民主主義の二極化の見直しを否定するためであったり、さらには代議制民主主義の機能不全に対して投票に込められた民衆の不信感であったりする。例えば、政治学者のポール・タガート氏は、自身が《右翼ポピュリズム》に関して高質で、比較的精緻な定義をされているにもかかわらず、右翼ポピュリスムと《反資本主義的左翼》とのあいだに対称性があると論証しないではいられないのだ。それでいて、《極右》と《ラディカル右翼》との間にある潜在的エスニシズム[民族重視主義]と顕在的エスニシズムの根本的なな違いについては、同氏は関心を示さない(原注11)。他の研究者同様、タガート氏の考えでは、《ラディカル右翼的ポピュリズム》はイデオロギーの単一性を以て定義されるのではなく、その政治的立場をもって定義されるのだ。この政治的立場とは、リベラルや中道左派のみが正統だとされる政治体制に対してに異を唱える立場のことである。

 同様に、ジョヴァンニ・サルトーリ氏が主張する理論によると、政治は《コンセンサス(合意)》の党と《プロテスト(抗議)》の党のあいだで行なわれる、という。前者は政権を担う能力があり、連立政権の相手にもなり得るが、た体制内での権力継承型の民主主義の問題点、つまり閉ざされた体制の問題点を浮き彫りにする。たとえば、政権の源が国民であり、、その少なからぬ部分(多くの国では15~25%)が「ポピュリズム」的および「反体制」的なラディカル右翼に投票するとしたら、こういった政党を権力の座から引き離し、時間をかけてその影響力を弱め、民主主義を守っていくにはどのような原則があるだろうか。


今後の右翼モデル

 この政治哲学上の問題点は、それが《オルタナティブ》な左翼、および《ラディカル》な左翼を重要視するオピニオン・リーダーたちの姿勢に関わっている分、いっそう重要である。そういった左翼は、社会を《改善》ではなく《変容》させようとして自ら権威を失墜させているからだ。「左右両極の政治集団には相通じるものがある」という陳腐で誤った考えによると、左翼にとって価値があるのは右翼の過激性を逆にひっくり返したものということになる。政治学者マインデルト・フェンネマ氏は、政治体制全体に反対する広大な概念「プロテスト政党」をつくりあげた。このプロテスト政党によると、政治体制全体が悪でありこうした悪が引き起こす問題に対しいかなる「具体的な解答」も提供していない、という。しかしながら、《社会民主主義》や《リベラル保守主義的右翼》でも解決できなかった問題への「具体的な解答」とは、一体何だろうか??

 そもそも、ヨーロッパで問題となっているのは極右とラディカル右翼の台頭だろうか、それとも右翼のイデオロギー的パラダイムの変容なのだろうか? 2010年代の大きな現象の一つは、旧来の右派政党が連立政権の相手として過激な政党を受け入れることにさほどためらいを感じなくなっている、ということだ。イタリアの《北部同盟》、スイスの《国民党》、オーストリアの《自由党》(FPÖ)、ポーランドの《家族同盟》、《大ルーマニア党》、スロヴァキアの《国民党》、ノルウェーの《進歩党》はそのよい例である。

 問題は選挙戦術や得票数だけではない。フランスでは、《国民戦線》(FN)支持者と《国民運動連合》(UMP)支持者間の拡大する相互浸透性がそれを物語っている。ルネ・レモンがかつて入念に作った3つの右翼モデルでは――反革命、自由主義、大衆主義(救世主神話を伴う)――、もはやこの国の現実を説明することはできないだろう。それは国民戦線の第4モデル(原注12)が追加されても同じことである。おそらく今後は、二つの右翼モデルのせめぎ合いになるだろう。一つは《共和主義的ナショナリスト右翼》で、これは、大衆主義的伝統と、《国民戦線》的なラディカル右翼を合体させた主権主義、精神的保守主義の融合である。これは「ナショナリスト」的なグループへの回帰となるだろう。そしてもう一つは、連邦主義、EU推進、自由交易支持、そして福祉政策に寛大な右翼モデルである。

 ヨーロッパの至る所、大きな混沌の中で右翼の権力へと向かう闘争が繰り広げられている。もちろん地域差はあるが似たような対立によるものである。たとえば、《国民国家》対《EU政府》、《一国家、一民族》対《多文化社会》、「利益至上主義への服従」(原注13)対《共同体の優位》といったものがある。ヨーロッパの左翼は、《ラディカル右翼》に対抗する選挙戦略を練る前に相手の変化を認識すべきだろう。それにはほど遠いのが現状だが…。





原注

(1)Serge Halimi, « Le populisme, voilà l’ennemi ! », et Alexandre Dorna, « Faut-il avoir peur du populisme ? », Le Monde diplomatique, respectivement avril 1996 et novembre 2003.

(2)2013年2月の選挙ではフィーニ率いる《イタリアのための未来と自由》党はわずか0.47%の票しか獲得できなかった。

(3)G. M. Tamas, « Hongrie, laboratoire d'une nouvelle droite », Le Monde diplomatique, février 2012.

(4)Pierre-André Taguieff, L'Illusion populiste, Berg International, Paris, 2002.

(5)Eric Dupin, « Acrobaties doctrinales au Front national », Le Monde diplomatique, avril 2012.

(6)Uwe Backes, Political Extremes. A Conceptual History from Antiquity to the Present, Routledge, Abingdon (Royaume-Uni), 2010.

(7)Piero Ignazi, Il Polo Escluso. Profilo del Movimento Sociale Italiano, Il Mulino, Bologne, 1989.

(8)2012年5月の議会選挙の際、いかなる多数派も新たな連立政権の枠組みに合意しなかったため1か月後に再選挙が行なわれた。

(9)国際通貨基金、欧州中央銀行および欧州委員会の3組織のこと。

(10)《LAOS》党首ヨルゴス・カラツァフェリス氏は、結党以前はアントニス・サマラス現首相の《新民主主義》党に所属していた。

(11)Paul Taggart, The New Populism and the New Politics. New Protest Parties in Sweden in a Comparative Perspective, Palgrave Macmillan, Londres, 1996.

(12)ené Rémond, La Droite en France de 1815 à nos jours. Continuité et diversité d'une tradition politique, Aubier, Paris, 1954. Ajout pris en compte par l'auteur dans Les Droites aujourd'hui, Louis Audibert, Paris, 2005.

(13)Robert de Herte, Eléments, n° 150, Paris, janvier-mars 2014.

訳注

[a]「世界システムの合理化に対する反動としてナショナリズムを激化させる」という観点から生まれた異議申し立て理論の一つ。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2014年3月号)