キム王朝独裁と自由市場

《アジアの竜》を夢見る北朝鮮


パトリック・モリュー

フランス国立東洋言語文化研究所(INALCO)教授。
著書に『寓話の中の朝鮮』(未邦訳)Patrick Maurus,
La Corée dans ses fables, Actes Sud, Arles, 2010. がある。


訳:仙石愛子


  《朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)》の指導者たちは、彼らの風刺画に自ら一生懸命近づこうとすることがよくある。最近の朝鮮労働党内部での粛清や2013年の核実験がよい例である。しかしこういった衝撃的な行動の背後には、経済に関する新たな風景画が描かれているのだ。このような状況は長く続くのだろうか?[フランス語版編集部]





一枚岩ではないキム体制

 またも、北朝鮮は国際ニュースを「一つ」提供してくれた。2013年12月、《政治局会議》開催中に、最高指導者キム・ジョンウン(金正恩)の叔父、チャン・ソンテク(張成沢)氏が逮捕され、裁判にかけられ、処刑されたのだ。わずか4日間の衝撃的な出来事だった。1946年生まれのチャン氏は国の基準に照らしても若い方だったが、広く《政権ナンバー2》とみなされていた。北朝鮮のメディアによると、氏は「秩序破壊行為を犯した」というが、告発された犯罪の詳細が今なお明らかにされていない事実が、《政治的》判決という見方を裏付けている。欧米の一部のメディアは同氏を浮気な夫とか、飢えた犬の群れの中に放り込まれた、などと書き立てた。北朝鮮の専門家、ブルース・カミングス氏が「この国について語ると精神異常者扱いされる」と言うのももっともである。

 異常に迅速で見せしめのようなこの裁判を見れば――逮捕時の映像がテレビ放映された――、北朝鮮の裁判制度が何の機能も果たしていないと思わざるを得ないだろう。この国の裁判では、被告人が自分の弁護人から非難され、その弁護人は言い渡された判決に対して裁判官に謝辞を述べるというのが今でも一般的であるが、さすがに手続きなしの拘禁というのはもはや聞かれない。2013年10月、多くの裁判所が「工事中」、すなわち一時《閉鎖》して法律の書き換えを待っているころ、6大政治犯収容所のうち2つが閉鎖される(注1)と言われていた。韓国の通信社《聨合ニュース》の指摘によると、おそらく収容所の《閉鎖》の方が早く決まるだろう、という。

 世界が抱くイメージとは異なり、北朝鮮の体制は一枚岩ではない。「一枚岩的多頭政治」という用語は、国家権力の分散を大雑把にひと言で言い切っているが、こうした言い方の方が妥当だろう。すなわち、国は1990年代の飢饉の時期に国民に食糧を供給できなかったその一方で、軍備は相変わらず増強され、自営企業と経済特区が出現し、公的機関どうしが対立しているという状況だ。

 国家権力の分散は国家の喪失ではなく、むしろ公権の堕落である。それは、経済危機と飢饉が重なった時期に食糧を国民の6割に分配することを委託された公的機関から始まった。「苦難の行軍」(注2)と名づけられた国家の方針は1995年から1997年まで続き、算定すると国民の3~10%がそのために死亡した。それまでキム政権が国民に本当に支持されていたとしても、体制確立後約50年にして同政権は国民の最低限の欲求に応える能力もないことを証明したのである。

 確かに、「アメリカの攻撃」すなわち《経済制裁》を理由に――昨2013年のミサイル発射後さらに強化されている――正当化することは可能だ。その影響は否定できないだろう。北朝鮮にとって唯一の同盟国、中国ですら2013年10月には約100ページにおよぶ北朝鮮への輸出禁止製品のリストを公表した。するとその数日後、北朝鮮のマンスデ(万寿台)・テレビは日曜夜の人気国際番組で、中国製模造品に関するカナダ制作の長編ドキュメンタリーを特別に放映している。


国民はテレビ・ニュースを信じていない

 いずれにせよ、国家独占のテレビ・ニュースで繰り返し流される弁解は国民を懐疑的にしている。彼らは「苦難の行軍」の時期を戦時下になぞらえている。つまり、飢饉、公共サービスの消滅、蔓延する不正取引などである。貧困に打ちのめされていた全ての地域、中でも東部の人々の脳裏にあったのは《生き伸びる》ことだけであった。使えるものは全て略奪され、密売から自由市場までありとあらゆる手段で売買された(注3)。工場はエネルギー不足により次々と閉鎖に追い込まれ、公共の建物も解体され、あとに残った金属は中国で食糧と交換された。

 国家の威力は衰退し、それは警察力をもってしても弱体化した。亡命者の多くが証言したところによると、密売や違法出国を理由に収容所送りとなる判決の数は減少していた。おそらくいつか、実際に何が起きていたのか、中でも特に旧体制の手法がいかにして復活しこの国の欠陥を正したのか、明らかになるだろう。

 それにしても、テレビ画面に映し出されるこの時期の現状は戦時下のようだ。閉鎖された工場、電気のない生活、荒廃した田畑、降雪、等々。まるで戦争映画だ。それはまさに《戦争》だった、とテレビは伝えている。この結論を正当化するもの、それは《敵がいた》ということだ。が、今では状況は改善されつつある。

 しかし、最も卓越した幹部の一人を逮捕し抹殺しなければならなかったことをどう説明するのだろう? それは強さの象徴なのか、それとも弱さなのか? 熾烈な権力闘争を理解するには、保守派と改革派の間の対立という常套句をまず無視しなければならない。というのは、ほとんど全ての幹部が「改革派」だからだ。実際に、《公式発表》にもはや影響力がないということは、最も鈍い官僚ですらわかっている。「苦難の行軍」によってプロパガンダ的演説は全く無視されるようになった。「これからも髭剃りを無料でやってもらえる」など、もはやいかなる官僚も信じていない。確かに、民族主義的な演説を繰り返し流すことによって、北朝鮮には外国の軍隊が駐留していないことを――韓国には米軍基地がある――思い起こさせ、あるいは犠牲の歴史に目を向けさせている(朝鮮の全歴史は南北を問わず、他国の侵略による犠牲の歴史だと自己定義している)。しかし、国民を動員するには演説だけではもはや十分ではない。動員するには豊富な品揃えの店舗が必要なのだ。

 支配者層の幹部どうしが対立するとしたら、それは権力装置のコントロール権いうよりも国家の発展を掌握するための争いである。キム・イルソン(金日成)は「建国の父」、その息子、キム・ジョンイル(金正日)は改革の実行者だった。そして孫のキム・ジョンウン(金正恩)氏は、継承権を与えられたがゆえに後継者とならざるを得なかった(注4)。ただし、そこに長く座り続けるには、彼の経済的成功が商品流通の改善だけで終るというわけにはいかないのだ。


北朝鮮の経済特区

 北朝鮮から戻って、最も理解してもらうのに苦労するのはその急激な経済発展だ。他国の人々の脳裏には悲惨な飢餓のイメージが刷り込まれているからである。その後、状況は徐々に改善され、この数ヶ月であらゆるものが加速されてきた。店の陳列台には商品が補充され電気もつくようになった。昨年、都市周辺の超高層マンション群は夜には暗闇に包まれていたが、今は明るくなった。国はあらゆる分野のビジネスを推進した。が、それ以前に始まっていたのは、農村地域の再組織化、すなわち同族的な農村の中で生産単位の規模を縮小することだった。その生産再稼動は成功した。同じ時期に、政権は軍(100万人規模)の財政的利権を聖域化させたが、これはかの悪名高き「先軍思想」原則の放棄を交換条件に行なわれた。「先軍思想」は巨額の軍事予算を優先的に獲得するための公式スローガンだった。軍部は、新しい政策に関しては中立を守ることで自分たちの既得権を死守したのだ。

 《中国方式》(一党独裁と自由市場の組み合わせ)の改革派と、昔風の《一党支配=国家体制》の信奉者たちとの間に対立が起きている。前者は消費を通じて一種の不況脱出を試みている。ピョンヤンの店舗には商品が溢れ、都市の住民は皆買い物をし、中国との国境付近では商売が活発に行なわれ、3つの経済特区は力をつけている。後者を支持する長老たちは飢饉で全面的に信用をなくしてしまった。彼らは改革に必ずしも反対というわけではないが、自分たちの権限を奪ってしまいそうな冒険は嫌なのだ。キム・ジョンウン氏はアドバンテージを持っているが、試合は始まったばかりなのだ。今のところ、ビジネスには頼るべき法律的基盤が何もない。これはセイフティ・ネットのないゲームなのだ。

 キム・ジョンウン氏は小さな「影の内閣」をつくり、農業部門のような役所で本物の専門家たちを任命し、明らかに力不足の役人たちを補佐させている。これは父、キム・ジョンイルが高齢の役人を罷免せず肩書きのない若い幹部候補生に彼らを補佐させていたのに倣ったものである。その結果、土壌・森林の「保護」を担当する新しい省庁が誕生した。土壌・森林保護の必要性を正式に認知したようだ。

 こういった状況の中で、チャン・ソンテク(張成沢)氏粛清の意味は何だったのだろう? 彼は《親中国》的すぎたのか? ある一つの派閥に頼り切りながら別の派閥を封じ込め、そのあと前者を粉砕するというのはこの政権の昔からのやり方である。確かに第三国への行き過ぎた依存は政治上の脅威となるだろう。なぜなら、《国家の独立性》は今なお効力ある唯一のイデオロギー的信条だからだ。


北朝鮮の貿易相手国リスト

 いずれにせよ、中国との経済的交流は急速に進んでいる。2011年の貿易額は62.5%増加し、56億3000万ドルに達した(注5)。2013年8月、チャン・ソンテク(張成沢)氏の中国訪問時に、中国の商務部副部長、陳健氏は自国企業に対し北朝鮮との貿易をさらに反転増加させるよう勧告した。インド、エジプト、インドネシア、タイといった国々が重要貿易国リストに次々と追加されている。そうはいっても、北朝鮮にとって第二の貿易国は今なお韓国である。2013年4月から9月まで北朝鮮側の決定で閉鎖されていたとはいえ、ケソン(開城)経済特区の存在は大きい。2013年の対韓国貿易額は(10%減少したとはいえ)17億1000万ドルであった。韓国企業は北朝鮮との《貿易協定》を要請している。

 《北朝鮮の開国》という仮説については楽観視もあり得るのではないだろうか。その《後退》は主要出資者である中国の利益に反するだけではなく、自国民の拒絶にも会うだろう。キム政権は手持ちのカードを使い切っており、《消費》カードしか残っていないのだ。

 この国の経済的《武器》はどうなっているのだろうか? まず、エネルギーだ。食糧危機の時期に、昔ながらの農業政策と森林伐採がより深刻な洪水を引き起こし、鉱山や道路を破壊した。こうしたインフラは、かつては経済力の象徴であり、1975年までは韓国を凌いでいた。中国政府の(非常に利害がらみの)援助により、困難を伴うこの問題を大部分解決することができた。鉱山内の水を汲み出すには多くの時間と経費を要した。現地の中国人技師の説明によると、それは鉱山が老朽化したインフラに依存して開発されたからだ、という。物々交換や他国(中国、韓国、日本)からの様々な援助活動のお陰で、中国と隣接したシニジュ(新義州)市の南西に、特に石油目的の掘削サイトが造られ、無数の小さなダムも建設された。ピョンヤン(平城)と中国のシェンヤン(瀋陽)間の飛行便がさらに事業規模の拡大ぶりを示している。その意味で北朝鮮がエネルギー体制を再構築したことは重要な第一歩であるが、いまだ自国の産業を再起動させるには至っていない。それにはさらに別の大規模な資本を必要とするだろう。

 政権の二つ目の武器は《農業改革》だ。NGO(非政府組織)の報告によると、最も困難なことが達成された、という。各NGOは北朝鮮の農業生産を不安定にしかねないリスクを冒してでも食糧援助を停止し、開発途上国に対するように協力体制のみに移行すべきだ、ということを国際援助組織にわからせるのに苦労したのである。第一の改革では、自由市場――もはや管理市場ではない――が導入され目下進行中であり、国中に広がっていた農業協同体は今ではなくなった。

 民間企業を作っていくには従業員を雇わなければならない。農業にはかなり多くの人手が必要であることを考えれば、これは難しい段階である。正確な数字を挙げるのは難しいが、機械化されたフランスの農場であれば一人で十分な作業に、北朝鮮では何百人も必要となる。「苦難の行軍」や大洪水のあとには、指導者たちを含め全国民が幹線道路の復旧工事に駆り出された。当然のことながら新しいアスファルトはなく、ピョンヤンですら残骸をかき集めて再加熱して溶かし、ハンマーかスプーンでくぼみを埋めなければならなかった。こうした体験をきっかけに北朝鮮は今、機械化に向けて重要な第一歩を踏み出そうとしている。

 政権が使えるもう一枚のカードは何か? それは《金融・商取引の開放》であろう。「自由市場」は数年も前から存在し今では風景の一部になっている。ピョンヤンのトンイル(統一)市場のような整備された市場の写真撮影は今でもあからさまに阻止されるが、今となってはこのような市場は新しい構造体にとって代わられている。こうした新しい構造のものは、公式の基準も、公然たる認知も行われていないので記述するのが難しい。


通貨と高級品店とピョンヤン・ツァー

 食料品、中でも生鮮食品の供給は依然としてこの国の弱点である。だが、ピョンヤンの百貨店には衣類、化粧品、家電、携帯電話、自転車など何でも揃っている。価格も、殺到した客がたじろぐほどには高くない。これは特権階級相手の商売とは全く違う。というのは、現在は通貨交換が自由になり、外貨保持者は誰でもウォンを買えるようになっているからだ。百貨店やホテルには為替レートを表示した窓口がある。こうすることで闇取引の拡大を防いでいる。確かに中年女性たちが自由市場周辺で通貨を交換しているが、それは特定の舶来品や高級品を購入するための両替であって為替相場で儲けようというわけではない。今、高級品店は市中のレストランやサウナも入るモダンなビルの中に集中し、立派な店舗を構えている。ここではすべての通貨が使用でき、どのような商品でも購入することができる。

 こういった集合店舗は官か民かあいまいである。しかし、建物の内部でも、路上に出ている店でも、どちらかすぐにわかる。すなわち高級品を扱う店はほとんどが民間だ。たいていの場合、構造物はたてまえ上は国家に属する。北朝鮮の研究家、アンドレイ・ランコフ氏はこれを「法的擬制」(注6)と呼んでいる(注7)。

 最後に残っているものは、「消費したい」、「値切りたい」、そして「現状から脱出したい」という欲求が働いている。北朝鮮の二大経済特区――ファングンピョン(黄金坪)とラソン(羅先)――に近い中国側の国境の町、ダンドン(丹東)やイェンジー(延吉)では、北朝鮮からやってくる多くの商人を受け入れている。彼らの商品は非常に慎ましく一人で運搬できる程度のものだ。中国の街は、いつもながら当局が奨励するこうした需要には即座に対応する。ダンドンのある旅行代理業者によると、その会社だけで北朝鮮を訪れたい中国人のために年間4000のツアーを企画している、という。北朝鮮が経済的飛躍に必要な資本の一部をどこで調達しようとしているのか、見当がつくだろう。

 中国側の国境の町ジーアン(集安)で働く北朝鮮の労働者たちは、数週間あるいは数ヶ月間働いて給料を得て帰国するという。 他方、あまり見かけることのない北朝鮮人出稼ぎ労働者もいる。彼らは国家の大きなプロジェクトの枠組みの中で中国に派遣されるため、さほど拘束されずに働き生活することができる。しかし彼らの給与の大部分は北朝鮮当局に直接支払われる。森林伐採人や針子と呼ばれる人々のことのようだ。朝鮮の人たちはこういった仕事を北朝鮮建国のずっと前に満州やシベリアですでに経験していた。

 しかし、たとえ国家が何らかの経済活力を示しているとしても、現在の指導者層は国の政策に法的基盤を付与するのに苦労している。外国企業との貿易は行き当たりばったりで行なわれ、新たな経済情勢に対応できる規則は何もない。変化をしめす言説を練り上げることもなく、建前の現実が支配している。そういう中で、自由市場を写真撮影するのは禁止し続けている。経済特区のみに多くの規則破棄の権利があり、中国メディアの報道を信じるとすれば、《中央の帝国》[中国のこと]の企業との対立が絶えない、という。仲裁機関は何もない。


政府が最も重要視するのは《中間層》

 北朝鮮が中国に完全服従する――あるいは国民がそう感じとる――ことになれば、おそらく政権にとって耐え難いものとなるだろうが、立ち止まってもそれは全く同じことだ。2009年に、北朝鮮政府は当時の経済危機への対応策として大胆かつ精力的な財政改革を試みていた。貨幣価値は暴落し、ほとんどの貯蓄銀行への預金は没収された――お金はそもそもこういう時代には物品に換えない限り何の価値も持たない。ところで、最悪の危機にもぐらつかなかった政権が、今回は都市部中間層の強い拒否に直面して動揺した。数日内に改革案は姿を消し同時にその立案者も消された(改革チームは消されていないが…)。

 北朝鮮には、公務員、大都市居住者、外国企業労働者など人口の20~25%を占める《中間層》が存在し、キム・ジョンウン氏は彼らが望むことと望まないことを完全に把握している。氏は中間層の願望の体現者になることを自ら決めた。父と同じような服装、祖父と同じような髪型にし、見栄えのする配偶者を同行(伝統と現代性を演出…)させる一方で、新しい設備やサービスの開始に余念がない。

 この体制の中で純粋培養された若き指導者は、権力の座に就く前はほとんど世に知られていなかったが、今ではある種の人気を博している。その実情を知るには、月曜日にピョンヤンのコーヒー・ショップに行ってみれば十分だ。数ある公共テレビの一つにキム・ジョンイル氏の《活動カレンダー》が放映される。店内が次第に静まり、視線が画面の方に向けられる。45分の番組の中で、大事業の着工式で力強くあいさつし、現地を視察する彼の姿が映し出される。

 首都ピョンヤンには、ビル、住宅、テーマパーク、プール、病院などが至る所に建ち並んでいる。日曜日に、こういった公園や大きな滑り台つきプールを巡る散歩は教えられることが多い。大勢の農民が乗車しているバスを見かけたら、それは労働単位の仲間と首都を見物し「アリラン」のマスゲーム観覧で締めくくるという日帰りツァーだろう。

 北朝鮮は次の「小竜」(注8)になれるだろうか? 現在の政治路線が維持され近代国家が構築されれば、それは技術的には可能だろう。20世紀、同国は諸外国からの干渉、日本による植民地化、共産主義政権の樹立、そして朝鮮戦争後の復興を経験した。経済的転換を迎えるのは5度目であるが、彼らには経験がある。ただし、経済だけではなく、イデオロギー的・法律的には、これまでにない挑戦なのである。







(1)収容所が閉鎖されるほど多くの政治犯が処刑されたといわれる。[訳注]
(2)飢饉と経済的困難を乗り越えるための国家的スローガン。[訳注]
(3) Barbara Demick, Vies ordinaires en Corée du Nord, Albin Michel, Paris, 2010. この著書は、数ページに及ぶ政治的主張を除き、当時を思い起こし語り始めた北朝鮮の役人が、率直かつ詳細に描出している。
(4) Bruce Cumings, «La dynastie Kim ou les deux corps du roi», Le Monde diplomatique, février 2012.
(5) Statistiques de la Korean Trade-Investment Promotion Agency, Séoul, 2012.
(6) 日本の法律の《擬制》とは、実際には違うものを法的には同一であるかのようにみなし、同一の法的効果を与え反証を許さないこと。[訳注]
(7) Andreï Lankov, The Real North Korea : Life and Politics in Failed Stalinist Utopia, Oxford University Press, 2013.
(8) 日本の高度経済成長に次いで急速な発展を遂げた韓国、台湾、香港、シンガポールの4地域が「アジア四小竜」と呼ばれている。[訳注]





(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2014年2月号)