半島に侵入する新自由主義 、無気力な与党社会党


ブルターニュで反乱する《ボネ・ルージュ》(赤帽)


ジャン=アルノー・デラン、ロラン・ジェスラン

(ジャーナリスト)


訳:石木隆治


 与党左翼の砦であるブルターニュ地方は、古くから右派社会民主主義の実験の地だった。ところが2013年の秋中は《ボネ・ルージュ》(注1)たちが様々な形で抵抗デモを繰り広げた。この抵抗運動は、生産性至上主義と自由主義に基づく農業モデルのぐらつきが引き起こした不満の表れである。ブルターニュでは新たな階層の分解、政治地図の変更が始まろうとしている。[フランス語版・日本語版編集部]





抵抗するブルターニュ

 3,5トンを超える貨物トラックへの課税金である「エコ税」が2014年1月1日から施行されることになっていた。しかし2013年10月27日、千人余りのデモ隊が税徴収所を壊した。カンペールからブレストを速く結ぶルート、国道164のポン・ドゥ・ビュイでのことだ。ゲリラ戦で相対したのは共和国機動隊・憲兵隊と、これに対する赤帽《ボネ・ルージュ》を被ったデモ隊である。赤帽たちはブルターニュの黒と白の旗(グウェン・ナ・ドゥ)を振って抵抗する。

 ジャン=マルク・エロー首相率いる内閣は10月29日にエコ税の「延期」を発表したが、2万人に及ぶ抵抗者が11月2日に《ブルターニュで生きる、決める、働く》という団体の呼びかけでカンペールに結集した。11月30日にはさらに多くの人が、カレ近くのケラムピュイル平原に集まった。徴税所の破壊行為は相次ぎ、交通違犯取締りレーダーも壊された。こうした行動は《ボネ・ルージュ》たちが表向きは非難しているのだが。


《ボネ・ルージュ》

 アルモール・リュックス社で作られているこの帽子《ボネ・ルージュ》が抗議参加の象徴となっている。これは象徴にはふさわしいものだ。1675年夏、《ボネ・ルージュ》の反抗はブルターニュを燃え立たせたことがあるからだ。ルイ14世がオランダ戦争のために新しい税金を課した時のことである。蜂起した貴族が南ブルターニュ、特にカレ地方に集まっていた。抵抗者たちは税制度、領主制度に反対し、小作料撤廃と農民の権利を要求した。

 マルクス主義の歴史家たちはここにフランス革命の「予兆」を見ているが、一方、別の研究者たちは、一地方が中央集権王制に反対して地方独自性の保持に成功した最後の奮起と読む(注2)。1675年のジャックリーの反乱は、ブルターニュの歴史における折り返し点だった。人口も多く繁栄していたのは16世紀と17世紀初頭までだった。以後海上貿易の衰えと共に資産の源が枯渇してゆく。

 カンペールとカレのデモ行進には、種々雑多な群衆が集まった。農業従事者、解雇に脅えるサラリーマン、「税金に息の詰まった」職人、会社の社長…。このデモの中に「プジャード派」[1954年に結成された小商人・職人擁護の立場に立つ右翼政党――訳注]の声しか聞かないというのは、危機の大きさを過小評価している。しかし左派党・共同党首のジャン=リュック・メランションの「奴隷が主人の権利のために抗議している(注3)」という発言は広汎な人々の顰蹙を買った。共産党上院議員のモルビアン・ミシェル・ル・スクアルネクさえもメランションの発言を「苦しむ民衆に対する許し難い軽視」と言っている。他方研究者ジャン=ジャック・モニエは幾組かの組合の無分別を嘆く。彼らは別の集団を組織し、動員を傍目にして通り過ぎたりしたからだ。「あらゆる力を一つの抗議に結集することが可能だったはずです。そうすれば会社員や組合、左派の圧力を十分かけることができて、懐柔の危険を悉く遠ざけることができたでしょう」。

 「私たちは1675年におけるように反抗を再開したのです」と地元ポエのリーダー格、クリスチアン・トロアデック氏が誇らかに言う。ポエはクレイツ・ブレイツ(ブルターニュ語で「中央ブルターニュ」の意)にある農村地域。トロアデック氏は元ジャーナリストで、《コレフ》ブラスリーを引き継いだ。次いで《ヴィエイユ・シャリュ》フェスティバルを創設し、毎夏開催されるその祭りにはケランピュイの数十万の住民の心が虜になる。氏は現在47歳で2001年から、カレ市長に選ばれている。《ボネ・ルージュ》の代表者として、フィニステール県、コート・ダルモール県、モルビアン県の交差点に位置するこの小さな村ポエの選挙基盤を獲得する力があった。崩壊しつつある農村共産制の長い歴史を刻まれたクレイツ・ブレイツは、現在も連帯と助け合いの地である。

 カレは文化復興の砦でもある。最初のディヴァン高校ができたのもこの地だ。トロアデック氏は断固たる地域主義者で、彼の若い仲間が通ったこの学習施設では、授業がブルトン語で行われた。市長氏は左派たらんとしているが、とりわけ人脈と接触を大事にしており、市役所のブラスリーのカウンターで話をしながら相手を観察している。2008年にはカレ助産院の閉鎖と戦った。公共サービス廃止に脅かされる中央ブルターニュの象徴である。トロアデック氏の方法がたまには批判されることもあるが、しばしば彼を権威的であると非難しても、住民の声を代弁するトロアデック氏の正当性は否定できない。


続く工場の閉鎖

 ブルターニュ半島の先端部は実際暗い年を過ごした。2013年6月4日、ノルウェーの企業、マリン・ハーヴェスト(魚塩漬け業でヨーロッパのリーダー、2013年前期利益2億ユーロを達成)が、カレ近くのシャトージロン(イル=エ=ヴィレーヌ県)とプラウアンの工場閉鎖を発表した。雇用の少ないポエールの住民にとってこれは打撃である。次いで10月11日、ランポール=ギミリオ(フィニステール県)のガッド食肉センターが活動を停止し、従業員約900人が解雇された。「工場が、この地方全域を生かしてくれていたのです、モルレからランディヴィジオまで」と説明するのは、《労働者の力》組合(FO)代表のオリヴィエ・ル・ブラさん。2008年、ガッド・グループは、モルビアンを拠点とする農産加工業会社ブルトン農協センター(CECAB)の傘下に入った。CECABは東ヨーロッパの従業員を安く雇うドイツ食肉工場との競争に耐えられず、方針を変えてガッドと手を切り、もっともうけのある活動、野菜の缶詰業に切り替えた。

 このような状況下で、エコ税は怒りに火を焚きつけた。ありとあらゆる形の拒絶が起こった。共産党から国民運動連合(UMP)、ブルターニュ民主連合(UDB)の地方分権主義者、社会党(PS)ブルターニュ支部までも。目的もそれぞれ、主義のためであったり、状況追随のためであったりする。「ブルュターニュは辺境の半島地域です。エコ税は我々にとって二重の苦しみです。輸送にますます費用がかかります」とジェラルド・ラエレク氏は嘆く。彼は共産党ブルターニュ委員会の副委員長で、運輸関係の担当である。《ボネ・ルージュ》の反抗は西端地域に集中し、フィニステール県と、フェニステールに接するコート・ダルモール県及びモルビアン県周辺地域に広がった。イル=エ=ヴィレーヌ県には浸透していない。しかし最近はこの県でも大量解雇対策計画が同様に増大している。

 エコ税徴収所破壊の際、チエリー・メレ氏を会長とするフィニステール県農業開発組合全県連合団(FDSEA)から主要部隊が参加した。トレ地区の農業者メレ氏にとって、この危機は、農業発展の「ブルターニュ・モデル」の正当性を問題にするものではない。「もう私は、我々が輸出するひな鳥を食べないでしょう。しかしマグレブでは、口の中でとろける骨が欲しいのです」とメレさんは確信を持って言う。彼によればこの危機の原因は純粋に経済情勢の問題だ。「強いユーロのおかげで、我々家禽飼育業者はもう競争力を失い、外国で市場を失っています。国は我々に自由に生産させなくては。税金やしばりを増やさずにです」。養禽業が最初に揺らいだ部門である。シャトーラン(フィニステール県)に起点を置く若鳥冷凍食品大手企業ドゥーグループは2012年7月に法的整理に入った(注4)。


揺らぐ「ブルターニュ・モデル」、進む中央集権主義「競争に生き残れ!」

 ルネ・ルアイユ氏は、農業者連合の元スポークスマンで、今は地方議会議員(ヨーロッパ・エコロジー=緑の党)である。彼によればこの「ブルターニュ・モデル」こそが破綻寸前である。「地域農業政策(PAC)や政府の援助により生産性の基準を人工的に保っているのですが、この基準がもう機能していないのです」。彼は確かに、ブルターニュでエコ税の効力を認めている稀な人の一人である。つまりエコ税は「かさばる原料物の輸送に税を課すことにより、付加価値が大きい生産物がその場で作られるようになる」からである。これまでも未来の約束は繰り返し掲げて、「エコ農業」への転換に備えてきた。しかし、1月14日、国民議会で採択された農業、食料、森林の未来に関する法律は、金儲け競争を否定するものではない。「開拓地はどんどん広がっています。農業者たちは借金をして自分らの可能性を増やしていくのです。カンバン方式で生産し、水に溺れないようにしなければなりなせん。しかし多くの人は耐えられないでしょう。10年も経てば、ブルターニュの3万4千の開拓地の半分が消えてしまっていますよ」。

 ソフィー・ペドロン夫人はお兄さんと一緒に、トレメロワール(コート・ダルモール県)の小さな地区で酪農を営んでいる。彼女は将来を賭けている。百匹の豚を飼育する若い彼女が言う。「豚舎を改築するのに12年の借金をしました」。二人は77ヘクタールの土地を利用しているが、ル・グサン共同組合グループから毎年約700トンの餌を買わなくてはいけない。豚肉を売るのは別の共同組合、トリスカリアにである。「こうして少し自立的な部分が残り、グループに完全に吸収されずにいます」。仕事はきついし、それでなくともこの「小さな」農場の収益率は市場価格に直接左右される。「ここではみんな動物の幸せのことは気にかけても、開拓者の幸せのことは決して気づかいません」。

 集中化の過程はいっそう速まるかも知れない。ステファーヌ・ル・フォル農林大臣により省令が公布されたからだ。これにより2013年12月31日から、政府認定の養豚場基準が450頭から2000頭になったのだ。「大部分の畜産農家が活動を広げるにあたって、これからは公的調査や環境に対する影響評価の必要もないし、公衆衛生・環境保護に関する政府機関の意見も聞かなくていいのです(注5)」。同様に、乳製品割り当て量が2015年に見直され、生産規制緩和により、競争圧力が増し、集中の促進を後押しする。

 グウェナエル・ジュストムさんの農場は、アンザンザック=ロシリス(モルビアン県)近くの、ブラヴェ川岸にある。ジュストムさんは逆の選択をした。2009年のこと、牧場を《ビオ》にしたのだ。「もし生産の仕方を変えなかったら、他の人がどんどん大きくなっている中で、僕は生き延びることができなかったと思います」と言うジュストムさん。彼は毎年20万リットルの牛乳とビン詰ヨーグルト30万個を生産し、ロリアン、プロムール、ラネステールの学校食堂に売っている。「生産品の付加価値を増やし、地産地消を優先することで、僕らの発展の方向をうまくコントロールするのです。協同組合がわれわれを閉じ込めている制度と手を切ることは可能だと思います」。彼の転身の例が農業全般に拡がることはないかもしれないが、従来とは別の方法も可能であるということを示している。

 1月10日、中国グループ聖元が粉ミルク工場建設をカレで始めた。今年(2014年)から2015年までに従業員250人を雇う予定だ。製造することになる12万トンの粉ミルクの原料となる牛乳は、ソディアル共同組合がこの地域の700人の酪農業者から集めるとの取り決めだ。カレ市長のトロアデック氏は任期の終了前によい結果を出したと考えている。彼はこの投資家の到着に非常に熱心になっていた。国際的な市場へと通じることによって、未来が開かれると確信しているからだ。しかしブルターニュの数ある協同組合は、世界市場の襲来に身を投じることによって危険を冒すことになった。つまり組合は、EUの新しいメンバの安い労働力との競争の影響を真っ向から受けることになるのだ。同時に、大配給業者たちが、生産者の上に重い強制を加えた。カンバン方式並の資材調達を要求したのだ。とりわけブルターニュのこの先端部が不利益を被った。会社の社長たちがエコ税に敵意を持つのは、このためである。

 アフマディネジャド前大統領の政権時代、イランは南米に多くの投資を行った。南米の2人の大統領、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領とボリビアのエボ・モラレス大統領はテヘランを訪問し、経済関係は非常に拡大した。そのために2009年には当時のアメリカの国務長官ヒラリー・クリントン氏が南米におけるイラン外交の成功に対して公然と懸念を表している(注11)。


ブルターニュのシンクタンク「ロカルヌ研究所」

 一つの組織が、《ボネ・ルージュ》の運動の中での地方経営者の気持ちを体現している。ロカルヌ研究所のことだ。クレイツ・ブレイツの谷の多い田舎の一地方、カレから15km程のところにある。創立1994年のこのシンクタンクはもともとは「ブルターニュ産」というラベルの権威の元になる組織だった。この地方のほとんどの企業を集め、ロワール=アトランティック県の企業も含んでいる。ロカルヌ研究所はその設立1991年から地方議会からも援助を受け、あの不思議な「ブルターニュの合意」を育む場所の一つとなっている。ここでは経済界の人々、右派左派両方の政治家が一緒になっている。研究所によく出入りしていたのは、防衛大臣ジャン=イヴ・ル・ドリアンで、彼は当時この地方の議会議長だった。今やここは強力なロビーを形成するたくさんの団体が入り混じる。また、パリのトラント・クラブ[ブルターニュ系の会社社長を60名ほど集めたクラブ――訳註]や、ケルト・レストランでは、ビジネスマンのヴァンサン・ボロレ、TF1の元社長パトリック・ル・レイ、大型スーパーマーケットE.ルクレール社長ミシェル=エドアール・ルクレールらが、行き来するのである(注6)。

 2013年の12月終わりの金曜日、コート・ダルモール県の中小企業総連合(CGPME)議長ジャン=ピエール・ル・マ氏が、《ボネ・ルージュ》運動の「経過報告書」を提出した。その日の会議「ロシアの再浮上とユーラシア」が始まる前のことである。会議では、研究所創設者のジョー・ル・ビアン氏(1950年代は共産党員だったと言われる)が、ロシアの人口について発表したが、「偉大なロシア」という賞賛演説に変わってしまった。重要な報告者であるロシアの銀行マンが指摘したことは、地図を証拠にウクライナの「不在」について述べ、続いて「フェミニストのパンクグループ、プッシー・ライオットが犯した冒瀆」について激しく非難した。会議室に座るお偉方の幾人かが、首をすくめていた。発言者は、当然のことのように次の話題で会議を締めくくった。「ユーラシア大陸」が、ブルターニュの企業のために行うビジネスの可能性について…。

ロカルヌ研究所は若い高学歴者の養成にも力を注いでいる。奨学金を出しているのは職業安定所と地方審議会。「統合」の訓練は、森でする夜の歩行を含む。指揮するは外人部隊の元メンバ。この統合訓練を、必ずや告発する人たちがいる。それは、この研究所が、《オプス・デイ》、《ブルターニュ青年団ネットワーク》、《フランスの春》[同性愛結婚に反対する右翼青年団、『アラブの春』にちなんだ名称――訳注]などに浸透されていると言って非難する者たちだ。しかし研修の目的は何より、経済自由主義の立派な法則を叩き込むことにある。


規制緩和へ

 なぜならロカルヌ研究所は、国による規制の緩和を求める戦いの先端にいるからだ。研究所所長のアラン・グロンさんの説明では、世界は「大騒乱」の時代に入った。ここに顕著であるのは「現権力と未来との」間の争いだ。ブルターニュがこの微妙な局面から脱出するであろう時は2032年になるかもしれない――これはいい加減な年では全然ない。2032年はブルターニュ公国とフランス王国の統合条約500年祭なのだ。グロンさんは肉骨粉の輸入で財産を築いた人だ。難解な指導者(グル)ではない。グロン=スタンダーズ・ホールディングは創立者グロン氏が変わることなく35%の株式を保有するが、現在の筆頭株主は植物油フランス市場のリーダー、ソフィプロテオル・グループである。ソフィプロテオルの社長は他でもないグザヴィエ・ブラン、ロワレ県の開拓者、農業開発組合国民連盟(FNSEA)の総長である。

 そのグロンさんによると、ブルターニュは「成功するのに必要な99%の切り札」を持っている。残りの1%は、政府が課す足枷だ。つまり、税制度、労働法、失業保険分担金、等々だ。 彼はこういう言い方が気に入っている。「ブルターニュの問題と言えばフランス本土さ」。グロンさんが考える最重要事項は、ブルターニュのアイデンティティ問題よりも前に、全体的な規制の緩和問題だ。彼に共感し、コート・ダルモールの国民運動連合(UMP)党員のマルク・ル・ファー氏は迷わずに「援助が基本のフランス・モデル」に対して「およそ全員雇用だが低賃金前提のブルターニュ・ モデル」を対置する。ル・ファー氏の管轄地域には大きな農業組合が多数集中し、ブルターニュ地方の平均失業率をずっと下回る。その地方平均もフランス全国平均より低い。「反ロゼール県です」と国民議会の副議長はきっぱり言い、躊躇いなくボネ・ルージュを被った。


試されるブルターニュ

 「挑戦への権利」という言葉をどの人も――例えば地方主義左派から自由主義社長、社会党(PS)も――口にするが、誰も同じ内容で言っているわけではない。2013年12月13日に調印された「未来のための協定」はその曖昧さを明確にするのにあまり役に立たなかった。この協定は、ごく少数の地方経済社会審議会(CESER)と地方議会から僅差で承認されたのみだった。右派と、それから環境保護主義者と地方分権主義者も、反対投票した。ブルターニュ民主連合(UDB)地方議員のスポークスマン、アンリ・グルムラン氏は次のように話した。「一番悪いことは我々が政府に思わせてしまっとることです。ブルターニュが優遇策を喜んどるとね。だが大したことはされないままですよ。従来の国家と地方の協定と何も変わっとらんのです。前から予定していた予算をまた割り当てただけのことです」。しかし、エロー氏はこの協定に署名することでもっと先へ行った。ブルターニュを脱中央集権化の「パイオニア」にしよう、と提言したのである。

 ブルターニュは大統領が地方に権限を与えたいとしている「制定権」の実験室になるだろうか? ブルターニュはそれを望んでもよいかもしれない。地理的な特異性、強い共同体意識、さらには左派への明白な執着といった理由があるからだ。2007年と2012年、ブルターニュはセゴネール・ロワイヤル、次にフランソワ・オランドへの投票数が一番多かった。

 左派への傾倒は1970年代初めに始まり、「ブルターニュ経済モデル」の確立と切り離せない。だがこのモデルは今や異議ありだ。農業の近代化はキリスト教農業青年団(JAC)に大きく支持された。同時にJACは多くの地方幹部を社会党に入党させた。農産物産業の発達により左派の影響はさらに強まり、そのおかげで庶民層、とりわけ労働者層と良好な関係を維持した。いつの投票も、選挙の投票率は全国平均より高い。そして、国民戦線はいつでも得票が非常に低い。


政治的主導権のない左翼。民衆の気持ちは?

 しかしである。社会党(PS)はいつでも、およそヘゲモニーを握っている――ブルターニュ地方議会だけでなく、コート・ダルモール、フィニステール、イル=エ=ヴィレーヌの県議会、大小の町村の大部分を支配している――、それなのに政治的な主導権は驚くほどないようだ。幾人かの政治家が嘆いていることがある。それは、社会主義情報研究地方局(BREIS)という地方主義文化の象徴的組織があるのだが、この組織は長いことブルターニュ社会党の組織だった。だが《ボネ・ルージュ》の騒ぎのあいだ、一度も会合を開くことはなかったのだ。2008年の市長選挙では左派は西地域の多くの地区を失った。モルレ、ランデルノ、シャトーラン、ドゥアルネネ、カンペルネ、etc. この投票者数の減少は社会党にとって脅威だ。軽く取ってはならない。

 社会党は1970年代の大規模な動員のもっていた力を上手に利用してきた。例えばプロゴフの原子力発電所反対の例がある。現在は2014年にはノートル・ダム・デ・ランド空港――社会党の首相が支持しているのだが――に抗議し、反乱の風が吹き渡る。トロアデック氏が先導を切って動員を呼びかけ、2月18日に計画反対デモを行う。ロカルヌ研究所の「賛助会員」との断絶の危険を冒して。

 《ボネ・ルージュ》たちは、初めての全体会議を3月8日モルレにて開くことになっている。決裂の合図かもしれない、社会民主主義左派と、庶民層との。






(1)《ボネ・ルージュ》、赤い縁なし帽の意味。フランス大革命サン・キュロットの象徴だった赤い三角帽子、フリジア帽が元であると言われている。[訳注]

(2) Cf. Arthur de La Borderie, Boris Porchnev et E,sav Stadel Breizh (ESB), Les Bonnets rouges, Yoran Embqnner, Fouesnant, [20121eréd. : 1975]

(3) Agence France-Presse, 2 novembre 2013

(4) Lire Tristan Coloma, «Quand les volailles donnent la chair de poule», Le Monde diplomatique, juillet 2008.

(5) Nolwenn Weiler, «Le gouvernement relance les porcheries industrielles», 7 janvier 2014, www.bastamag.net

(6) Cf. Clarisse Lucas, Le Lobby breton, Nouveau Monde, Paris 2011.



(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2014年2月号)