仏軍によるアフリカへの介入、4年間で3度に

中央アフリカの大統領、フランソワ・オランド


アンヌ=セシル・ロベール


訳:川端聡子


 「ここ中央アフリカ共和国での主たる問題は、誰が敵で誰が味方なのかわからないことです」。こう話すのは、MISCA(中央アフリカ支援国際ミッション)第一陣のブルンジ軍を指揮するポンティアン・ハキジマナ中佐である。将来的には、アフリカの軍隊がフランス軍から任務を引き継がねばならない。しかし、中央アフリカの混乱には深い根があり、それゆえフランス軍駐留が長引くのは間違いないだろう。[フランス語版編集部]





「このガレー船のなかで一体何をしようとしていたのか」

 ――モリエール作『スカパンの悪だくみ』第2幕第7場より

 「アフリカの肩に乗ったときのフランスは、いつになく尊大に見える」。コンゴにはこういう俗諺がある。実際、国内の「失業率を低くする」という目標に対するフランス政府の慎重ぶりと、フランソワ・オランド大統領が突如として御自ら中央アフリカ問題についてリーダーシップを発揮した勇敢なる決断。この二つの行動はまったくもって対照的だ。「緊急事態につき、迅速なる行動を決断しました。つまり、今夜、行動を開始します。アフリカ諸国との調整と、EU加盟国からの支援を得てのことであります」。この大統領の表明とほぼ時を同じくして仏軍の装甲車やヘリコプター(「ピューマ」、「ガゼル」、「フェネック」といったアフリカを連想させる名前がつけられている)が現地入りした。そして今回に限っては、ドイツの意向をうかがわなかった。荒れ狂う大海原のような状況にあるアフリカを、ちっぽけな総舵係のようなフランスが舵取りして進むのである。

 今回の中央アフリカ介入の目標を子細に検証してみると、慎重論に気持ちが傾いてくる。国連安保理の決議(フランス政府が提案した)で「フランス軍の支援による」MISCA(中央アフリカ共和国支援国際ミッション)が採択された。その決議文では、フランス軍に対し「文民保護、治安と社会秩序の回復、中央アフリカの国情安定、必要とする国民に対し人道支援が可能な環境づくりへの貢献」が要請されている。中央アフリカでは重武装の傭兵軍同士が対立し、混乱のただ中にある。1600名のフランス軍兵士たちは、その中央アフリカで危険が想定される任務を遂行せねばならないのである。あるジャーナリストがジャン=イヴ・ル・ドリアン国防大臣に質問した。「反乱者たちが武装解除を拒否したら、どうするのでしょうか」。国防大臣はそれに対しも「無理にでも武装解除させる」とわけのわからない返答をしている(注1)。

 しかし、こうした混乱の種を撒いたのは、「国際」行動によって中央アフリカの体制変革へと導けるなどと示唆したオランド大統領自身なのである。大統領はこう述べている。「何もできず、事態を放置した中央アフリカ大統領をそのままにしておくことはできません」。2011年にリビアでカダフィ大佐が失墜したときと同じである。リビアにおけるカダフィ大佐追撃は、国連から与えられた任務を逸脱していたと思われるし、国際法の基本条項に背くものではなかっただろうか。だが、その国際法が大国に都合のよい解釈をされつつあることを、私たちは知っている(注2)。


周辺諸国へ混乱拡大の恐れ

 2013年1月マリ共和国での「セルヴァル作戦」(注3)同様、今回も長期的視野に立ったプランはまったく示されていない。フランスの外交政策の全体像そのままに、フランスの対アフリカ政策も、切迫した事態に対する、その場凌ぎである。それがイメージではなく、事実となる。たとえば、12月10日の国会でジャン=マルク・エロー首相は「待機していては大混乱にいたる懸念がありました」と釈明しているのがいい例だ。中央アフリカは、スーダンやチャド、コンゴ民主共和国と国境を接している。資源に乏しい小国である中央アフリカが政変の渦に飲み込まれようとしており、すでにサヘル地域諸国を巻き込んでいるその混乱の影響は、スーダンを経由して近東にまで及ぶというのだ。エロー首相は「サンガリ作戦」は「数ヶ月間の任務」で済むと断言する。長くて半年だと……。まさに「セルヴァル作戦」がこのケースだったが、あの作戦開始から1年近く経ったのに、フランス兵から任務を引き継ぐはずのアフリカ兵は半数しかいない。

 中央アフリカにおいて、フランスの歴代大統領はなんら罪に問われてはいない。しかし1960年以降、フランス当局は中央アフリカの体制を援助したり、解体したりしてきた。たとえば、「皇帝ポカサ一世」の戴冠式の際に支持を表明したりしたりと、失笑を買うことも恐れなかった(注4)。中央アフリカがマリ同様に荒廃しているのは、なにも偶然ではないはずだ。国際金融機関とEUは、十数年間にわたり新自由主義政策を推し進め、フランスはこれを支持してきた。彼らのとってきた政策が影響し、すでに指導者間の勢力争いで弱体化した国々の政府を転覆させているのである(注5)。このようなドミノ倒しがフランス語圏のアフリカ諸国で始まったばかりであることは、疑いの余地がない。

 経済学者のフィリップ・ヒューゴンは、こう記している。「21世紀を境に、英語圏のアフリカ諸国にはフランス語圏諸国と比べて高い経済成長率が認められる。わけても東南部アフリカ市場共同体と(ジンバブエを除く)、あるいは西アフリカ(ガーナ、ナイジェリア)などである」(注6)。西アフリカ諸国――たとえばガーナやリベリア、シエラレオネは4%という高い成長率であるのに対し、ベナン、ギニア、トーゴやコートジヴォワールでは0%、あるいは0.5%と後退している。地理的条件や貨幣システムのせいもあるが、統治体制上の理由が多々介在している。こうした経済発展の差を象徴するような出来事がある。2012年、南アフリカ出身のヌコサザナ・ドラミニ=ズマのアフリカ連合委員会委員長就任だ。ガボン出身のジャン・ピン氏と委員長のポストをめぐって激しく争ったズマ氏は、「フランスの憲兵」に対し敵対心をあらわにしている。


アフリカとの過去の清算に挫折したフランス

 「介入すれば非難されるし、介入しなくても非難される」といったあるフランス外務省高官の、いかにも冷静ぶったコメントも聞こえてくる。それはもっともである。だが、植民地解放から50年後になって、なぜフランスが率先してアフリカの治安維持作戦に当たるのか。国外に派遣された兵士の半数がアフリカで任務に就き、約8000人の兵士が5カ所の常設基地に配属されている。フランス軍は、アフリカから特権的にサヴァンナ、砂漠、森林、都市部、海軍機動など変化に富んだ訓練地を提供してもらっているようなものであり、「臨機応変な行動」が許されている。アフリカで特殊養成を受けた兵士らは、特にゲリラ戦について世界屈指の精鋭となるだろう。

 「フランスは自らの歴史に囚われている。とりわけアフリカとの過去にです」。これは、アフリカ研究者のアントワーヌ・グラゼールの所見である(注7)。フランソワ・ミッテラン(1981~1995年)以降の歴代大統領は、みなアフリカとの関係を根底から改善すると公言してきた。以後、そうした対アフリカ政策実行によって、「フランサフリック」に終止符を打つためのたゆまぬ努力がなされてきた。それらが意味していたのは、より対等で、より「透明な」関係を築くことであった。ところが、相次いで起こる惨事やクー・デタによってアフリカ諸国は問題の集積所と化し、フランスはそんなアフリカの見せかけの「後見者」になってしまったのである。

 ほとんどが惨事ばかりのアフリカでの出来事に、大国のリーダーが続々と介入を決意せざるをえないのは事実である。だが彼らは、自国の能力を誇示することに魅力を感じてもいる。国連の旗の下、寡婦や孤児たちの救済に空軍を差し向けるという派手なパフォーマンスをすることさえある。オランド大統領の言葉を借りれば、威光も実力も失いつつあるフランスに対してアフリカが、フランスの「世界の大国」としての役割を回復させてくれるのだ。こうした現状はオランド大統領とローラン・ファビウス外相にとって好都合である。大統領と外相の地政学的外交活動は、端的に「悪の枢軸」と戦うジョージ・ブッシュの正義のカウボーイ・スタイルとも比較されそうだ。


列強それぞれの思惑、そしてアフリカの苦難は続く

 とはいえ、長びく政治的混迷を軍事作戦が解決することはあまりない。マリでは「セルヴァル作戦」の数週間後に大統領選出選挙と総選挙が実現したが、いくつかの地域では投票所を開場できず、投票率もたったの38%だった。2013年末には、フランス政府がトゥアレグ族寄りの態度を取ったために、マリ国民はフランスに反感を表しているようである。中央アフリカでは、交渉相手を見極めるには超能力者並みの能力が必要だ。なぜなら、各グループすべてが問題解決の代表団を自称しているからである。クー・デタを起こしたセレカ当局は権威を失っているにもかかわらず、フランソワ・ボジゼ元大統領側のゲリラ兵による抵抗は失敗に終わっている。「暴力で国家を創ることはできない」。こうコメントするのは、元フランス首相のドミニク・ド・ヴィルパンだ。彼はフランス語圏アフリカ諸国の「軍事化」と、アフリカの「温情的再植民地化」を批判している(注8)。

 フランス以外のEU加盟国は、マリや中央アフリカの問題にそれほど関心がない。彼らはフランスがアフリカ(特にフランス語圏)における軍事作戦を引き受けたことで胸をなで下ろしているようだ。「セルヴァル作戦」あるいは「サンガリ作戦」で想定外の失敗――フランス兵の犠牲者――が出たとて、彼らの損害ではない。これが豊かな資源に恵まれたコンゴ民主共和国で展開される「欧州警察ミッション・キンシャサ」となれば、また話は別である。このミッションが実施されるたび争いが起こっており、ドイツはフランスが鉱山を狙ってポジションどりをしているといった疑念を抱いている(注9)。ポルトガルはアンゴラに手一杯だ。というよりもその首都ルアンダがポルトガルの首都リスボンに手一杯だ(注10)。イギリスはシエラレオネを注視している。「どの大国も、それぞれ自分たちに影響のある陣地から出ようとはしない」とグラゼル氏は結んでいる。

 EUが中央アフリカでの治安維持作戦に5000万ユーロを提供し(特に今後のアフリカ部隊の組成のため)、フランス政府は同種の活動支援のため特別基金設立の意向だ。オランド大統領は以下のように簡潔に説明している。「EU加盟国は28カ国だが、フランスは特別な地位にある。わがフランスは(中略)ほとんどのヨーロッパ諸国が持たない軍隊・装備を保有している。よって、われわれの部隊が率先して貢献・関与し、相互扶助の可能な軍となることを希望する」。

 アフリカでは、現地で任務に就く「フランス憲兵」に対して、人々の間に複雑な思いが起こっている。ドラミニ=ズマ氏は、機能不全状態のアフリカに対する苛立ちを隠さない。あるアフリカ人外交官は、「氏は『セルヴァル作戦』に納得していません」とコメントしている。また、「セルヴァル作戦」が行なわれた当時、ギニアのアルファ・コンデ大統領はこう漏らしている。「フランスに賞賛を贈らねばならないとは、我々アフリカ人にとって恥ずべきことです。フランソワ・オランドには感謝するが、アフリカが自力で問題を解決できないであろうとは、いくぶん侮辱的だ」(注11)。もう10年近くも前からアフリカ待機軍(FAA)が構想されているのだが、机上の空論のままである。主たる理由は、資金不足である。2012年には、アフリカ連合加盟国の多くが3.3%強の予算しか計上できず、EUとフランス政府とアメリカ政府の財布に頼りっぱなしだ。現在では南アフリカが「アフリカ早期問題解決機構」(CARIC)の設立を提案しており、その活動はFAAのにも増して臨機応変になることだろう。中央アフリカでのMISCAの任務は、短期間のうちにフランス軍を引き継がれねばならない。

 「アフリカを脅かす最大の危険は、ヘゲモニーの不在だ」とカメルーン人政治学者、アシル・ムベンベは言う。「『ヘゲモニーの不在』の作用が強力に働いて、他国軍を呼び寄せている状態です。アフリカ諸国に介入する列強に大したリスクはありません。いつかこうした冒険に高い代価を払わねばらなくなったとき、初めて彼らは真剣に考えることでしょう」(注10)。汎アフリカ主義的な理念が訴えられているにもかかわらず、アフリカ諸国の足並みは揃わないままだ。アルジェリアはマリ共和国の混乱に対し沈黙を貫き通した。南アフリカ政府とナイジェリア政府はまったくちぐはぐに国際会議に働きかけている。ド・ヴィルパン元首相は語る。「『フランスが介入せずして、誰がするのか』と言うが、事実はまったくその逆で、フランスが介入すればどの国も動きません。フランスの介入はアフリカ諸国政府救済のためですが、これで一番大助かりなのは超大国(アメリカ、中国、ロシア、ヨーロッパ)でしょう」(注12)。






(1)LCI, 8 décembre 2013.

(2)マリ共和国北部で独立国家を主張するトゥアレグ族と政府の対立に端を発し、2012年のリビア内戦後、イスラム武装組織の流入によりマリ政府が弱体化。マリのトラオレ暫定大統領の要請と国連安保理の決議を受け、2013年1月11日よりフランスはマリへ軍隊を派遣。「セルヴァル作戦」を展開した。[訳注]

(3)ジャン=ベテル・ボカサ。1966年に中央アフリカの大統領に就任し、1979年までの在任期間仲、独裁政治を行なった。1976年には、国費をつぎ込んだフランス式の戴冠式を行ない「黒いナポレオン」と呼ばれた。[訳注]

(4)«Origines et vicissitudes du “droit d’ingérence”», Le Monde diplomatique, mai 2011参照。

(5) Vincent Munié, «Agonie silencieuse de la Centrafrique», Le Monde diplomatique, octobre 2013参照。

(6) Philipe Hugon, L’Economie de l’Afrique, La Découverte, coll. «Repères», Paris, 2012.

(7) Radio France Internationale (RFI), 6 décembre 2013.

(8) Dominique de Villepin, «Paris ne doit pas agir seul», LeMonde.fr, 4 décembre 2013.

(9) Raf Custers, «L’Afrique révise les contrats miniers», Le Monde diplomatique, juillet 2008参照。

(10) Augusta Conchiglia, «L’Angola au secours du Portugal», Le Monde diplomatique, mai 2012参照。

(11) RFI, 27 avril 2013.

(12) «L’Afrique en 2014», Jeune Afrique, hors-série no 35, Paris, 2013.

(13) 同上。



(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2014年1月号)