アベノミクスの虚構とナショナリズムという本音


勝俣誠

(明治学院大学教授、国際平和研究所所長)



 デフレ経済を脱却するためアベノミクスと名づけた大胆な金融緩和政策で、安倍首相は各界から賞賛の対象となった。「歴代の首相ができなかったことを緊縮政策のドグマと袂を分かった安倍はスゴイとされたが、これらのお金はどこへ向かったのか」という声は正面切って出てこなかった。今やその正体が徐々に明らかになってきている。例えば、防衛予算は5%の増加が見込まれている。そして経済成長という言語が踊る。アベノミクスの行方は?[フランス語版編集部]





 2013年7月の参議院選挙で自民党は圧勝し、安倍政権は両院で絶対多数を手にすることになった。1997年来の不況で、未曾有の長期デフレーション、安倍政権は2012年12月28日の発足以来、さらに2011年3月の東日本大震災と福島第一原発の事故に見舞われる中で、経済の立て直しを最優先課題としてきた。1980年代、米国のレーガン政権下で打ち出された米国のネオリベラリズムの登場を特徴付けたレーガノミクスに倣って、この取組はアベノミクスと名づけられ、メディアが大きく注目することとなった。安倍政権は「3本の矢」によってデフレ脱却を達成すると大々的に公言した。先ず第1の矢とは、2年以内に2%のインフレを達成する目標を掲げ(インフレが少しでも再燃すると直ちに不安が広がる欧州事情とはだいぶ異なる)、銀行券を大量に発行することによる流動性の拡大による金融緩和である。第2の矢とは、大型公共投資の実施で、第3の矢とは、成長戦略と呼ばれるもので、輸出ドライブ、民営化、労働市場の規制緩和などによる経済全般の成長達成であった。では、アベノミクスの1年の成果を検討してみよう。


異次元緩和を強調するだけでは不十分

 まずは、日本銀行に2013年1月から押しつけられた前例のない流動性増加で株式市場は活気づき、参議院選挙に先立つ数カ月間、株価は上昇し始めた。円高に対して苦情を繰り返してきた輸出主力産業に答えて、対ドルと対ユーロを中心に円安が誘導された。輸出ドライブがかかった(2012年10月から2013年10月の間で、16%の輸出額増加)が、輸入国側の景気後退や過去数年に渡り続けられてきた大がかりな海外移転によって、期待された伸びを大きく下回った(輸出量の伸びは4%)。要するに輸出企業の利潤のみが増大したわけだ。

 これに対して、円安は輸入価格を急騰させた。財務省の貿易統計速報では、貿易赤字は、比較可能な1979年以来未曾有の規模に達し、2013年11月に1兆2929億円に達した。

 これ以上、国は借金できないということで、タブー視されてきた(国の債務高は2013年国内総生産の224%)公共投資による景気刺激策は受注の低迷に悩む国内企業からは歓迎された。財政出動による景気浮揚策などは(これに対して外国、とりわけヨーロッパでは歳出削減がドグマとさえなっているのだが)政治主導の信奉者や緊縮財政に反対してきたジョセフ・スティグリッツのようなエコノミストによって歓迎された。彼は、「(アベノミクスは)日本経済を立ち直させる正しい取り組みだと思います。欧州が学ぶべきものです」と賛辞をおしまなかった。しかしながら、このケインズ主義の部分的回帰は、今のところ期待された成果を生んではいない。国内総生産の年成長率は2013年1月3日に4.3%に達していたが、第3四半期には1.9%に下落し、近年外国に生産拠点を移している企業の投資率は低調にとどまった。こうした事態を憂慮した政府は10月初め、5兆5000億円規模の補正予算を発表せざるを得なかった。

 しかし、景気回復には「異次元の金融緩和」などと称して、従来の手法とは一風変わった政策を打ち出し、企業に対しては資金面で優遇するだけでは不十分である。国内の社会状況を見ると「アベノミクス」は明らかに負の側面がはっきりしている。生活保護世帯は2013年8月には160万世帯にも達し、戦後最多を更新した。

 OECD(俗称:先進国クラブ)諸国では、日本の失業率は約4.1%ともっとも低いが、その背後には雇用環境の深刻な劣化と労働の強化という現実が隠されている。雇用の35%は今やプレカリアート化(パート、覇権などの非正規労働)し、厚生労働省統計によれば、労働者の実質賃金は、2012年10月から2013年10月の1年間で1.3%減少している。

 今や労働組合の労働者組織率は、1980年代の24%に対して18%にまで低下しえいることを見落としてはならない。プレカリアート化した使い捨て労働者の要求に耳を傾けているのは、ほぼ労働組合ではなく市民団体である。2012年来、市民団体は非人間的な労働条件を従業員に押し付けている企業のブラックリストを公表している。毎年授与される「ブラック企業大賞」は、2013年もレストランチェーンの大手グループ「ワタミ」に供与された。ワタミグループの創設者で元会長の渡邉美樹は、前回の参議院選挙で自民党から比例代表で当選した人物である。同氏の従業員に対する訓話は、今ではよく知られるようになった「365日、1日24時間、死ぬまで働け」であり、「自助努力」と共に日本型ネオリベラリズム推進用語をまた増やすこととなった。

 安部首相は法人税を減らす決意表明をしながら、他方、消費刺激のために賃上げを財界に声高に呼びかけてきた。実際には首相の本心は「日本を世界一企業が活動しやすい国にする」という発言にみられる如く、人件費の低下で外国企業誘致を狙う世界戦略の熱心な信奉者である。安部首相は企業優遇税制を維持し続けるだけでなく、一般家庭に重くのしかかる消費税をこの4月1日から8%にまで引き上げる決定をしている。本来なら、例えば同政権は、欧州連合加盟国では国内総生産の平均11%を占めている企業社会保障の事業者負担率を、現行の5%よりも引き上げる努力をすべきであろう。

 他方、政権はメディアで繰り返し、原発、高級農産物食品、ハイテク軍事機器の輸出攻勢を打ち出している。軍事機器の輸出に関しては、1967年以来一応は守られてきた武器輸出三原則によって縛りが実質的にかけられてきた。

 また、原発輸出攻勢も突飛な感を免れない。2013年9月7日、首相はオリンピック委員会の前で福島第一原発は制御下にあり、2020年の東京オリンピック開催前には全ては解決されると公言したが、放射能汚染水の排水作業は必ずしも制御されておらず、地域住民、農業生産者、漁民の怒りをかっている。

 農産物輸出に関しても、政府は攻めの農業戦略などと自画自賛しているが、実際は現在交渉中の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)反対世論の関心を逸らすための一つの戦略とみなされている。国民の多くが懸念するのは、同協定の条項は国内の家族農業と米国よりも厳格な食品安全基準を崩壊に導くのではないかという点である。

 こうした新経済政策の手法は、総じて日本の近代史において、国内社会が危機的状態になると、国民の自由を制限することによって対応してきた過去があるだけに、懸念材料となっている。1920〜30年代の恐慌時に小作争議と都市労働者の要求の増大に対して採用された政策は、治安維持法に象徴される如く軍事化のための弾圧であり、結果として対外膨張主義的ナショナリズムの興隆を生んだ。


加速化する軍事化

 これに対して戦後初登場した高度成長は所得分配効果が高く、国民の多くがその恩恵によって満足することができた。しかし、その後に続く2回にわたる「失われた10年」(1997年の不況で始まる時代の名称)によって、そこから生まれた分厚い中間層の形成という神話は崩壊し、賃上げなどの社会的要求はますますしぼんでいった。危機の際には、ナショナリズムとアイデンティティーポリティクスは、金持ちも貧乏人も共に国のために一生懸命働こう、そして隣国に対しては国を挙げて団結しようということで、国内の社会的要求をかわす格好の手段となる。

 東シナ海の尖閣諸島(中国語では釣魚島)をめぐり、中国(本紙下記の記事を参照)と、またメディアが騒がしている竹島(韓国、朝鮮語では独島)問題の韓国と、いずれも領有問題を巡る対立が頻発しているが、これらは安倍政権に、ナショナリズムをこの際、何とか国民に植えつけたいと夢見るまたとない機会を与えることになっている。2012年に公表された自民党による、一般に平和憲法と呼ばれている現行憲法の改定案が、この憲法にある「人類の普遍的原則」という文言を削除し、「祖国、家族、調和の尊重に立った国家」という表現を挿入しようとしているのは、この動きと全く無関係でない。憲法学者の樋口陽一は「血族的な国家観は排外的になりやすい」(なお、日本の国籍法は血縁主義が中心で、例外として出生地主義を認めている)と日本の民主主義の将来を憂えている。

 安倍にとってこの改定の狙いは「戦後レジームからの脱却」であり、ファシズム列強を罰した1945年のヤルタとポツダムの会談から生まれた戦後の国際秩序を再検討することである。しかし、奇妙なことに、安部首相は国家主権の名で米国との距離をとろうとしてはいない。逆に同政権は米国との軍事同盟を強化し、沖縄のように膨大な軍事基地の駐屯を自国内に許している。

 ここうした日本の軍事、政治、経済面での対米従属批判は、従来は戦後の日本を「米国の従属国」と規定してきた日本共産党(JCP)の独占的言説であった。しかしここにきて、日本共産党の過去に何らかの縁のなかった主としてリベラル派と元官僚から対米従属批判が噴出してきた。元外交官で防衛大学校教授の孫崎享は『終わらない<占領>』トダイする共編著で、米国との相対的自立と日米安保条約の改定、そして東アジア共同体の設立を提案している。

 こうしたリベラル派の一部の動きは、前政権時代は反対していた環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を熱心に締結させようとする安倍政権路線と著しいコントラストをなしている。これらのリベラル派は、この自由貿易協定が米企業を結果として優遇するもので、係争時には米国の法律基準で日本政府が訴えられ、罰せられかねないとしている。こうした条項はどう見ても、国家主権の放棄と言わざるを得ないのだ。

 しかし防衛政策において、この新従属学派がもっとも懸念を表面している。安倍によって段取りされている憲法の根本的見直しで、日本に自立をもたらすどころか、現行憲法の禁じる米軍との集団的自衛権の行使としての軍事作戦に参加してしまうことになる。

 この憲法改定と武器輸出促進への意欲こそは、『南ドイツ新聞』がいみじくもアベノミクスを、安倍政権の日本を「軍事大国への手段」となっていると指摘したように、アベノミクスの隠された側面を露呈している。

 かくして中国と日本はナショナリズムを煽ってお互いに軍拡競争に余念がない。日本の右翼は東アジアの近現代史に対する挑発行為を行っている。A級戦犯がまつられ、今なお日本の内外で議論を生んでいる靖国神社参拝を政治家が決行したり、第2次世界対戦中に日本軍が設置した従軍慰安婦の存在を否定したりしている。

 地域の緊張関係が武力対立へと進展してしまわないためには、今こそ「アベノミクス」を大胆に見直さなければならないだろう。まずは、深刻化する所得格差を是正するために賃金を大幅に値上げし、労働法の規制を緩和ではなく逆に強化し、生きにくさによる社会的不安を和らげる方策を優先させなければいけないだろう。さらに、原子力発電所を維持したエネルギー計画を停止、放棄しなければならないであろう。実際、原発の失敗は、福島第一発電所の放射能汚染水が未だ増加し続けていることに如実にあらわれている。この汚染水が太平洋に垂れ流されれば、この沿岸諸国と将来重大な係争問題に発展する可能性もあり得るであろう。

 そして、より根本的な課題は、未曾有の経営利潤を達成し、税制も優遇されている大企業に頼った経済成長主義に立った景気回復を夢見させるよりも、デフレ分析のエコノミスト藻谷浩介が強調するように、日本社会が今日経験している構造的変化に注目すべきであろう。

 同氏によれば、労働人口は1995年の8,120万人から2035年には4,420万人へと著しく減少しており、さらに富裕層の消費性向はそれほど高くないため、経済成長をいつまでも期待するのは非現実的としている。また、別のエコノミスト、日本の格差分析を専門とする橘木俊詔氏は「アベノミクス」はなんとしても富を創出しようとするあまり、その成長ロジックには勝者は全てを取っても構わないという考えが見出され、それによって不平等が生まれることを既に織り込み済みとしていると分析している。しかし、同氏によれば、この仕組は日本の人口少子化と、消費支出よりも「幸せ」をますます求めようとする日本人の価値観からして機能するはずがないという。






(1)NHK,NewsWeb, 2013年11月20日

(2)朝日新聞、2013年6月15日

(3) ”Japan growth slows on weakness overseas”, The Wall Street Journal Online,2013年11月13日、http://online.wsj.com

(4)日本経済新聞、2013年11月13日

(5)伊藤周平「岐路に立つ社会保障」、「世界」、岩波書店、2013年11月号

(6) Lori Wallach「欧州を脅かす北太平洋条約機構」、ル・モンド・ディプロマティーク、2013年11月号参照

(7)東京新聞、2013年7月15日朝刊

(8)孫崎享、木村朗共編『終わらない<占領>』、法律文化社、2013年

(9)高橋哲哉「靖国神社か日本の身勝手な記憶」、ル・モンド・ディプロマティーク、2007年3月号

(10)東京新聞、2013年11月17日

(11)橘木俊詔(対談)「成長戦略がもたらすリスク」、『世界』、岩波書店、2013年8月号





(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2014年1月号)