エクアドル大統領からの警鐘


「EUはラテン・アメリカの二の舞を演じている」


ラファエル・コレア

エクアドル共和国大統領、経済学博士。
近著に『エクアドル バナナ共和国から非共和国へ』(未邦訳)
Rafael Correa, Equateur. De la république bananière à la non-république,
Utopia, Paris, 2013. がある。


訳:仙石愛子


 去る11月6日、ソルボンヌの講演会においてエクアドル大統領、ラファエル・コレア氏が、債務危機に陥っている財政運営について、EUの指導者たちに強く訴えかけた。現今のEU債務危機の特徴はたった一つの強迫観念、つまり《金融界の利益を守ること》に帰するという。同大統領による省察の概要をここに届ける。[フランス語版編集部]





南米経済危機の真相

 われわれラテン・アメリカ諸国は、危機のエキスパートである。といっても、われわれの知的レベルが他地域の人々より高いという意味ではなく、ありとあらゆる危機を被ったのがラテン・アメリカだったからである。しかも危機の切り抜け方が極めて不適切だった。というのは、われわれに残されていた唯一の選択肢は、当地域が長い債務危機の中に投げ込まれることも厭わず資本の利益を守ることであったからだ。今、われわれはヨーロッパが同じ道を歩むのではないかとの懸念を抱いている。

 1970年代、ラテン・アメリカ諸国は苛酷な対外債務を抱える状況に陥った。公式の歴史が次のように明言している。「この状況は『無責任な』政策および収支の不均衡から生じたものだ。この収支不均衡は戦後ラテン・アメリカが採用した開発モデル、すなわち『輸入製品の代替品を地元で製造する工業化』が原因で累積したものである」。

 こういった巨額の債務は、実際には国際金融機関が奨励し――押しつけさえした――ものだ。国際金融機関のロジックによると、当時《第三世界》には無数の開発プロジェクトがあり、高い収益性が見込まれる融資により開発事業は成功するし、それと並行して投資による収益で負債を償還できる、ということだった。

 このような理屈がまかり通っていた1982年の8月13日、メキシコが支払期日までに債務が返済できないと発表した。これによってラテン・アメリカ全体が国際融資の停止を被ることになり、同時に債務の利率は暴騰した。4~6%の金利で契約していたが、実際には様々な利率で取り引きされていたのが、突然20%にはね上がったのだ。かつてマーク・トウェインは言った。「銀行家とは、晴れた日に傘を貸し、雨が降り出したとたんそれを取り返す輩である…」。

 われわれの債務危機はこのように始まったのだ。1980年代の10年間に、ラテン・アメリカは債権側に対し元金の1950億ドル(現在の価値で5540億ドル近く)の送金を行なった。にもかかわらず、対外債務は1980年に2230億ドルだったものが1991年には4430億ドルへと膨らんでいたのだ! これは新たな融資が原因ではなく、借り換えと累積利息によるものだ。

 事実、1980年代末のラテン・アメリカの住民一人当たりの所得は、1970年代中頃と同レベルになっていた。それはまさに開発どころか《失われた10年》だったというが、実際にはまるまる一世代が失われたのだ。

 各当事者に責任があるにもかかわらず、関係主要国や、IMF(国際通貨基金)、世界銀行、IDB(米州開発銀行)のような国際官僚組織、さらには国際民間バンクも加わって、問題をラテン・アメリカ諸国の債務超過問題のせいにしてきた。が、彼らは不合理な貸付権益(過剰融資)については自らの責任を引き受けること、つまりその補償を請け負うことは決してなかった。

 ラテン・アメリカは、負債元本を債権側に返済させられたため深刻な財政危機および対外債務危機に陥った。これにより中南米の多くの国は、IMFに課された「同意書」を書くこととなった。強制力を持つこの合意により、IMFは自身が融資した分を取り戻し、さらに《パリ・クラブ》(注1)に集結した各債権国との再交渉では、IMFは抵当分も取り戻した。


指導者と思想の欠如

 緊縮予算、公共料金の値上げ、民営化といった《構造改革》や《安定化プロジェクト》といった相も変わらぬ処方箋が課された。が、いずれの対策でも目標とされたのは、できる限り迅速に危機から脱出することでもなければ、景気や雇用を活性化させることでもなく、ただ民間銀行の債権を保証することだったのだ。要するに、なおも負債を抱え続けるしかない当該諸国は、もはやこういった公的機関ではなく国際金融機関を頼るしかなくなったが、国際金融機関は銀行の権益を守ったというわけである。

 1980年代初頭、ラテン・アメリカだけではなく世界中で新型の開発モデルが頭角を現し始めた。《新自由主義》である。開発戦略に関するこの新しい総意には「ワシントン・コンセンサス」という異名がついたが、それはその主要な企画と推進を、ワシントンに本部を置く多国籍金融機関が行なっていたからである。今流行りのロジックで言うと、ラテン・アメリカに危機をもたらしたのは、国の経済が過度に干渉されたこと、適切な自由価格システムがなかったこと、国際市場から離れた場所にあること、などである。こういった特性の根源は、輸入に代えて国内産業を活性化させようという[新自由主義の]中南米モデルにあったのだ。

 《科学的研究》の装いを取って、過去に例を見ない思想的な市場作戦が行われた。これにIMFや世銀によって直接行使された圧力も加わった。その結果、ラテン・アメリカは極端から極端へと移った。つまり南米地域では市場への不信感と国家への過剰な期待感に代わって、突然、自由交易、規制緩和と民営化の方向へ移行したのである。

 危機は単に経済だけではなかった。その原因は指導者と思想の欠如でもあった。われわれは自分自身で考えることを恐れ、他国からの強制を不条理かつ受動的に認めてしまった。

 エクアドルを通り抜けた危機についての解説は、おそらく多くのヨーロッパ人にはお馴染みのものだろう。今EUを苦しめている債務は、新自由主義的原理主義によって生み出され悪化したものである。われわれは世界各地域の主権や独自性を尊重はするが、いかにも賢明なヨーロッパが、ラテン・アメリカが過去に犯した過ちをあらゆる点で繰り返しているのを見て、驚いている。


銀行救済が最優先

 ヨーロッパの銀行はギリシャに対し融資を行なったが、その際、同国の財政赤字が自ら発表した額の3倍近いことを考慮していなかった。《過剰債務》が新たに問題になっているが、それと対になっているもの、《過剰融資》という問題を無視している。あたかも金融資本には一切の責任もなかったかのようだ。

 2010年から2012年にかけて、ヨーロッパ全体の失業率が憂慮すべきレベルに達した。2009年から2012年の間には、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、アイルランド、スペインでは財政支出を平均6.4%削減し、そのせいで福利厚生や教育分野に重大な影響が及んだ。こういった政策は財源不足を理由に正当化されるが、一方でかなりの額の予算が金融の分野を救済するために捻出されたのだ。ポルトガル、ギリシャ、アイルランドでは、銀行救済に充てられた総額が国民年間所得の総額を上回っている。

 ヨーロッパの市民は厳しい財政危機に打ちのめされながら、税金も課されつづけている。こういった政策は世界いたるところで失敗しているというのに…。

 キプロス共和国の例を取り上げてみよう。ご多分に洩れず、問題は金融の規制緩和から始まった。2012年、財政運営の悪化は手の施しようがなくなっていた。それまでに、キプロス国内の銀行、特に《キプロス銀行》や《マーフィン・ライキ銀行》は、ギリシャに対しキプロスのGDPを上回る額の貸付を非公式に行なっていた。2013年4月には「トロイカ体制」――IMF(国際通貨基金)、ECB(欧州中央銀行)および欧州委員会――が、《調整プログラム》を実行するという条件つきで100億ユーロの「救済」を提案した。そのプログラムとは、公共部門の縮小、新人公務員の天引き方式による年金制度の廃止、政策的公共企業の民営化、2018年までの財政調整措置、社会福祉予算の削減、銀行の支援と問題解決のための「財政救済基金」の設立、10万ユーロ超の預金の凍結などであった。

 改革が必要なことも、重大な過ちを正さねばならないことも明白だった。この中には、そもそもEUが生産性に大きな格差のある国々を統合したという過ちも含まれていた。その格差は国別平均所得には表われていなかったのだ。いずれにせよ、実施された政策の目標は、ヨーロッパ市民を最小のコストで危機から脱出させることではなく、民間銀行への債務返済を保証することであることに本質的に変りはない。

 負債を返済できない国々の事情はどうなっていたのだろうか? スペインの場合を取り上げよう。金融調整力が欠如していたこと、国中の銀行預金にいとも簡単にアクセスできたことが、巨額の担保付融資を実行させ、それが不動産投機を煽る結果となった。銀行は自ら顧客を探し求め、彼らの住居を査定し、車、家具、家電製品などを購入するための資金をさらに貸していた。

 不動産バブルがはじけると、善意の債務者はもはや借金を返済することができない。職を失ったからだ。住居を売らざるを得なくなるが、価格は購入時よりかなり下がっている。一家は路頭に迷ったあげく死ぬまで借金を抱えることになる。調査によると2012年に家を退去させられた家族の数は日に200を超え、スペインではこれが自殺の大半の原因だった…。


《科学》を装ったイデオロギー

 ここで疑問が生じる。当然のことながら彼らはなぜわかり切ったはずの救済手段に訴えなかったのだろうか? 人はなぜ最悪のシナリオを繰り返すのだろう? 理由は、それが技術の問題ではなく政治問題であり、力関係で決まるからだ。ではわれらの社会を統率するのは何か? 人間か、それとも資本か?

 人が経済に対して犯した最大の過ちは、経済というものの経済学的特質を覆い隠したことである。技術がすべてだとわれわれに信じ込ませてきたのだ。つまり、イデオロギーは科学に姿を変え、われわれは社会における力関係を考慮に入れないよう促され、「資本帝国」とでも呼ぶべき支配権力に従属させられてきたのだ。


狂乱融資の始まり

 ラテン・アメリカに危機をもたらした苛酷な債務に対して戦略が立てられたが、その目的は当該諸国の発展を支援することではなかった。戦略は、当時「第一世界」の金融市場に溢れていた資本を投資すべしという緊急性に従っていた。その資本とはアラブ産油国が先進国の銀行に預けていた《オイル・ダラー》である。この流動資産が生じた原因は1973年10月の中東戦争による石油価格の高騰である。《OPEC(石油輸出国機構)》が値上げして以来その価格は維持されていた。1975年から1980年にかけて、諸々の国際銀行の預金額は820億ドルから4400億ドル(現在の価値で1兆2260億ドル)に膨れ上がっていた。

 きわめて多額の資金を投資する必要性に迫られ、第三世界に対する関心が持たれるようになった。1975年からはあらゆる種類の融資を提供しようという国際銀行が次々と出現した。その中には、多くの軍事独裁国家の経常費や武器購入のための融資も含まれていた。この地域には観光ですら来たことのなかったような銀行家たちが、例のごとく役人へ渡すべき賄賂の入った大型スーツケースを何個も熱心に運び込んだ。口実はどうであれ、それは彼らに新たな融資を受け入れさせるためだった。同じ時期、国際的な金融機関や開発会社も自分たちのアイデアを売り込み続けた。そのアイデアとは《借金をする》ことだった。


中央銀行の独立性は何のためか

 一般の評価がどうであれ、中央銀行の独立性はシステムの一貫性を保証するのに役立っているのは事実だ。が、そもそもこの独立性なるものは1990年代初頭に、「技術的」に必要だとして押しつけられたもので、いわゆる《実証的研究》によって正当化されたのだった。その研究結果とは、「この体制を導入したことでマクロ経済学的により良い成果が生み出されている」というものだった。こういった「研究」によれば、独立性の高い中央銀行は「技術的」手段を行使することができ、好ましからざる政治圧力もかかりにくい、という。さらに、財務省をも独立させるべきだという馬鹿げた議論も出てくるだろう。というのは、財政政策も専ら「技術的」でなければならないからだ。ノーベル経済学賞受賞者のロナルド・コース氏も示唆したように、こういった研究の結果わかったことは、当局はデータを拷問にかけてでも言わせたいことを言わせた、ということである。

 経済危機が起きる前の時期、独立性を高めた中央銀行は通貨安定の維持、すなわちインフレ抑制に専念した。一方で日本や韓国では、中央銀行が国の発展に重要な役割を果たしたという事実があった。アメリカの場合は、1970年代に入るまでのFRB(連邦準備銀行[中央銀行にあたる])の主な役割は、雇用の創成と経済活性化だった。これに物価の安定が加わったのは、単に1970年代初頭のインフレの影響があったからである。

 物価の安定を優先させることもまた、人的資源の完全雇用の維持を目指す政策の放棄を意味する。ところが今の財政政策は景気後退や失業問題を改善するどころか、絶えず出費を抑制することで問題を悪化させる一方である。

 いわゆる「独立性の高い」中央銀行は通貨の安定ばかりを気にし、それ自体が解決ではなく問題の一部になっている。ヨーロッパはより速やかに危機から脱出しようとしているのに、中央銀行がそれを妨げる要素となっているのだ。

 それでもヨーロッパの力は揺るぎない。そこには人的資源、生産資源、テクノロジーなどすべてがそろっている。そこから確固たる結論を導き出さなければならない、と私は考える。それは、《社会調整力》、言い換えれば需要を生み出す《経済政策》、呼び方はどうであれこういったものである。一方、EUにおける国内の力、国際的な力関係は資本、特に金融に有利に作用するため、実行されている政策は社会的に望ましいとは言えないものである。

 多くの市民が、いわゆる《経済学》や《国際官僚体制》によって法外な義務を負わされた。その結果、彼らが確信したのは、「今に代わるやり方など存在しない」ということだった。そう考える人たちは誤っているのだ。






(1)フランス財務省で月1回非公式に開催される主要債権国会議。[訳注]



(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年12月号)