けんか腰の外交術


ロシアが国際舞台にもどってきた


ジャック・レヴェスク

政治学博士。ケベック大学モントリオール校講師。
著書に『ロシアの復活』(未邦訳)がある。Jacques Lévesque,
Le Retour de la Russie, Varia, Montréal, 2007.


訳:仙石愛子


 同盟諸国への組織的スパイ行為を暴露されたアメリカ政府がまごついている間に、ロシアは国際舞台で次々と成功(スノーデン事件、シリア問題)を収めているように見える。ロシアはソ連の崩壊以来、その恐るべき外交力を弱体化させてきたが、今や列強としての地位を回復させようと野心を燃やしている。[フランス語版編集部]





アメリカの誤算がもたらした勝利


 ロシア大統領、ウラジーミル・プーチンはこの数ヶ月間に2つの重要な国際的成功をおさめた。まず8月にアメリカの情報処理技術者、エドワード・スノーデンに避難場所を提供した。NSA(アメリカ国家安全保障局)の監視システムの機密事項を漏えいして逃走し世界を騒がせた人物だ。プーチンは、ロシアがアメリカの要求をはねつけることのできる唯一の国だと得意げに語った。というのは、まず中国、そのあとを追ってヴェネズエラ、エクアドル、キューバが様々な言い訳をしながら逃げ去ったからだ。

 逆説的なことだが、アメリカ大統領バラク・オバマと同副大統領ジョー・バイデンが、スノーデン受け入れに傾いていた各国政府に圧力をかけていたのだが、結局それがプーチンの成功に大きく貢献した。アメリカ政府はスノーデンがあたかもアル=カーイダの元指導者、ウサーマ・ビン・ラーディンと同じくらいに安全保障上の脅威でもあるかのように対応した。たとえば同盟国に対して、ボリヴィアのモラレス大統領が搭乗する飛行機の領空通過を拒否するよう説得すらした(注1)。同大統領がスノーデンを同乗させているのではないかと疑ったのだ。このような雰囲気の中でプーチンの「大胆不敵」さが目立つようになったが、それは国際政治上だけではなくロシア政界でも同様だった。彼の行動に対しては政府内の反プーチン派もその多くが拍手喝采したが、それは一般市民の権利と自由を守るという名目上でのことであった。

 しかしプーチンの本当の成功はもっと卓越したもので、シリア問題の中でもたらされた。彼はバッシャール・アル=アサド大統領から、シリア国内にある全ての化学兵器を国際社会の監視のもとに廃棄する、という約束を取りつけたのだ。オバマが、検討していた懲罰的爆撃を「とりあえず」ではあったが実際に断念したのはそのためである。その時までアメリカ政府はロシアに対し、国際的に孤立させてやると脅したり、アサド政権を支援し国連の制裁に全面反対していることを非難していたのだ。

 今ではプーチンは、恐るべき結果を引き起こしかねなかった軍事行使を首尾よく回避できた国家指導者とみなされている。ここでもまた、プーチンの勝利はアメリカ政府の誤算に助けられた。オバマは軍事作戦に加わることをイギリスに拒否されたあと、2つ目の挫折を経験しようとしていた。つまり、議会の支持が得られないという思いもかけない結果に見舞われたのだ。

 国家の威信のために推し進めていた報復的軍事介入は、9月9日のジョン・ケリー国務長官の言葉を借りれば「非常に限定的なもの」であるにも拘わらず、議会に拒否されてしまったのである(注2)。オバマには明らかに辛い結果となった。プーチンが合意にこぎつけた次の日、ロシアの日刊紙『イズヴェスチヤ』(2013年9月12日付)は「ロシア、オバマを救出」という見出しの記事を載せた。

 慎重にも、プーチンは自分の取り巻きとは一線を画し、自信たっぷりで皮肉な態度は表に出さなかった。彼は自身の外交と同様、最近の出来事が時代の特徴をはらんでおり、見逃せない歴史的好機と読んでいた。もしスノーデンが7月ではなく10月、すなわち両国関係の再加熱後にモスクワに到着していたら、彼はおそらくロシアには滞在できなかっただろう。


ロシアの国内問題


 この2年来、シリア紛争に対するロシアの姿勢は、同国の不安と欲求不満だけではなく国際社会における長期的な目標と野心をも明らかにしてきた。そして同時に浮かんできたのが、プーチンが直面している内政問題である。

 二度にわたるチェチェン紛争(1994~1996年と1999~2000年)は多くの傷跡を残した。今では、警察へのテロ行為の規模やその犠牲者数は当時ほど甚大ではないが、北コーカサスでは未だに頻繁に起こっており、特にダゲスタンやイングーシでじわじわと広がっている。――といっても、そういった事件は多くが政治的事件というより犯罪とみなされている。チェチェンの武装グループは、相互に緊密な繋がりを持たなくなり分散しながらも、今でも存在はしている。2012年7月には、タタールスタン(注3)で空前の爆発事件が2件あった。北コーカサスからはるか遠いところだ。さらにチェチェン武装勢力のリーダー、ドク・ウマロフは自らをコーカサス国の首長だと宣言し、2014年2月に開催されるソチ冬季オリンピックを攻撃すると予告している。

 アメリカの《戦略国際問題研究所(CSIS)》(注4)の研究者、ゴードン・ハーン氏に倣って、大方のロシア国内メディアは、シリアには数百人のロシアから来たゲリラがいて政府軍と戦っている。ということは、アサド政府軍に武器が継続的に供給されているということである。

 プーチンとその側近が懸念するのは、政府軍が敗北すればシリアが第2のソマリアになりうるということだ。しかしシリアにはソマリアよりはるかに多くの武器が存在し、あたり一帯はソマリアよりも危険であり、しかも可能性としてロシアで軍事行動を展開する戦闘員への後方支援基地になるかも知れない。こういった懸念をアメリカと共有するのに時間が必要だった。


プーチン外交の最重要項目とは?


 国際政治の問題点として、シリア紛争におけるロシアの目標は2つに限定されるとよく言われる。1つは、タルトゥース――地中海沿岸にロシアが持つ唯一の海軍施設(基地ではない)――の死守、もう1つは武器の得意客を権力の地位に据えておくことだ。しかし、こうした発想は全く無視はできないが、ロシア政府のこだわりをこれだけで説明することはできない。ソ連崩壊後の国際秩序において地位と役割を回復させることこそがロシアにとって何より重要なのだ。

 1996年、つまりプーチンの登場(大統領就任が2000年)以前、元《ロシア科学アカデミー》所長のエフゲニー・プリマコフが外務大臣となってから、ロシア政界エリートの間ではコンセンサスができ、以来それが次第に強まってきた。つまり、アメリカがロシアをかなり強力な国とみなしてその復活を妨害しようとしている、というのだ。このような見解を支持する人たちがその根拠としているのは、バルト諸国や東欧諸国方面へのNATO(北大西洋条約機構)の拡大であり、さらにアメリカがグルジア、ウクライナの加盟も望んでいるという点である。この2ヵ国の加盟は、統合ドイツのNATO加盟に同意したミハイル・ゴルバチョフとの約束に反するものである。これはロシア外交部が断言していることだが、きわめて正当な権益をロシアが有する地域においてですら、アメリカはロシアの影響力を排除しようとしたというのである。

 ロシアから見ると、アメリカとその同盟国は国連安保理の決議を無視して国際的な制裁を行ない、また1999年のコソヴォ紛争や2003年のイラク戦争を指揮してきたが、そういったことが外交交渉を全面的に忌避させている。というのは交渉によっては、アメリカはロシアの利益をかなり考慮に入れなければならないからだ。ロシアは、アメリカが他国へ軍事介入し、さらに国連安保理の承認なしに政権交代に口出ししてきたことに深い嫌悪感を表明している。

 ロシアはシリアへの全ての軍事攻撃に反対する度に、2011年のリビアの前例を引き合いに出した。国連安保理決議1973号[リビア内戦停止に関する2011年3月の決議――訳注]ではロシアは棄権している。この議案の目的はリビア国民を守るためだったが、軍事介入とムアンマル・カダフィ打倒を正当化する方向へすり変えられたからだ。当時の大統領はドミートリー・メドヴェージェフで、ロシア政府は対米関係の新たなスタートに希望を託していた。

 今のロシア政府にとって国際問題を司っているのは、根本的には《地政学的》視点――ロシアの伝統――である。1996年以降の外交政策の主要目標は、世界中で多極化を推進しアメリカの《単独主義》を徐々に抑えていくことだった。プーチンは、話がロシアの今後の国力のことになると現実主義者――プリマコフと同じ――となり、《多極主義》を軌道に乗せるためにパートナーが必要だと考える。


ロシアが中国を重要視する理由


 このようなわけで、中国がロシアにとって戦略上のパートナーとして最も重要視される国となった。国連安保理におけるこの2ヵ国の協調ぶりは、とりわけシリア問題に関しては変わることがない。それはまさに以前、イランやリビア問題、あるいは2003年のイラク戦争時に実践した協調である。中国はより忍耐強くなり、経済力にはいよいよ自信を持ってきたが、両国共通の立場を守ることではロシアに花を持たせている。そういうわけで、ロシアは今なお国連安保理を国際政治の唯一の正統な調停の場として神聖化している。

 欧米のアナリストたちは当初、両国のパートナーシップはすぐにも崩壊するだろうと予測した。その理由は、中国の人口および経済力の重みをロシア指導者層が恐れているからである。とはいっても、この協力体制は、経済面(ロシアは石油と武器を中国に輸出している)、政治面(《上海協力機構》[注5]で協調している)、そして軍事面でも、強化されてきた(両国はほぼ毎年陸・海・空の合同軍事演習を実施している)。

 確かに何らかの摩擦はある。例えば、旧ソ連支配下だった中央アジア諸国との貿易では、中国が2009年にロシアを追い抜いた。しかし同地域において中国は隣国ロシアの地政学的利益の優位をこれまでのところ尊重し、自らの基地をつくろうとはしていない。さらに、ロシアがこの地域のほとんどの国と《集団安全保障条約(CSTO)》(注6)を結んでいることをも認めている。他方で、ロシアはアフガニスタンをめぐる協調的枠組みとしてNATOとCSTOの協力体制を望み、アメリカに再三要請してきたが、その度に拒否されている。アメリカとしては、すべての問題を各国と個別に対処することを選択してきた。その中には基地建設や軍隊への物資補給ルートに関するものも含まれる。

 プーチンはアメリカとの全面的な競争を追い求めているわけではない。自分の側にそのための手段がないのは明白だからだ。確かに、互いが冷戦時のような姿勢をとっているといって相手を非難すれば混乱を招くだけだろう。しかし、例えばロシアがアメリカの外交的不運を喜ぶとしたら、それは復讐心というより憤りからである。たとえば、ロシアはアメリカがアフガニスタンで敗北することも、軍を性急に撤退させることも望んでいない。シリア問題で両国が一致していないのは、まず何よりも国際政治ゲームのルールについてである。ロシアは、世界秩序の均衡が回復しそれによって欧米諸国とともに新たな一歩を踏み出したいと考えている。とはいっても、今ロシアが優位を占めている分野での激しい競争を止めるということではない。ロシアが進める《サウス・ストリーム》ガス・パイプラインのプロジェクトがアメリカ支援の《ナブコ》プロジェクトより優位に立つ大きなチャンスをロシアは持っているのだ(注7)。


変りゆく世界の力関係


 ロシアが執拗に追い求める《リバランス》の時期はやってきたのだろうか? 二義的な役割以上を果たそうとするロシアの野心は実現しようとしているのだろうか? シリア問題でプーチンが成功を収めた結果、アメリカは無理矢理にでも多極体制へと向かわせられるだろうという印象――あるいは幻想――が広がっている。アメリカの無条件同盟国であるイギリスの離脱は、時代の予兆だったかもしれない。それは《サンクトペテルブルグG20サミット》[2013年9月開催]の非公式会議も同様で、シリアへのいかなる軍事介入にも強い反対が表明された(注8)。そしてアメリカ議会も望まなかったこともその予兆であろう。

 ロシアで最も慎重なアナリストたちによると、米国議会の新孤立主義者たちを頼みするのではなく、まずオバマ大統領に賭けるべきだ、という。というのは、オバマが望んでいるのは不安定材料となりそうな自国の孤立ではなく、国際的な妥協に基づいて最も危険な軋轢の回避は図るということだからだ。ところで今、最も差し迫っているのはシリア問題とイラン問題――この2つは密接に関わっている――であるが、ロシアはこれらの解決に自分たちが大きく貢献できると考えている。

 シリア問題をめぐっての米・露の接近は9月の《大逆転劇》のかなり前から始まっていた。2013年5月にケリー国務長官は、シリアの今後を話し合うために国際会議を開くというロシア側の提案に同意していたが、同時にアサドの退陣をも要求し続けていた。翌6月に開催された北アイルランドの《ロック・アーンG8サミット》ではシリアに関する共同宣言が、プーチンの賛同を得るのに時間がかかったため遅れて開始された。化学兵器の廃棄にアサドが同意し、それが確認されれば、西側指導者たちはプーチンの正当性を認めるだろう。

 すでに何ヶ月もの間ロシアが主張し続けていることがある。それは、シリアに関する次の会議にはイランも参加すべきであり、それが会議を成功に導くだろう、ということだ。これまでアメリカはイスラエルの圧力によってそれを拒否してきた。それだからこそ、ロシアはオバマ大統領とイランのハサン・ロハニ新大統領の会談の推進に尽力してきたのだ。核問題に関して妥協が始ることも協調への推進力となるだろう。今、ロシアはイランとの関係を改善しようと躍起になっている。両国関係は、2010年、国連安保理にアメリカが提出した数多くの対イラン経済制裁をロシアが支持して以来、悪化していたのだ。それだけではなく、S-300対空防衛ミサイルのイランへの売却もロシアは取り消したこともある。

 プーチンがアメリカと相対的にではあれ、対等な関係を確立したいと思ったのはこれが初めてではない。それは《9.11》のあとに見られた。その時プーチンはチャンスの窓が開くと信じた。アメリカがアフガニスタン戦争のために中央アジアのロシアの同盟諸国に軍事基地を建設することを、彼は無条件で承諾した。こういった緊張緩和をさらに推し進めるため、プーチンはキューバにあった旧ソ連時代最後の軍事基地を閉鎖した(ほとんど重要ではなくなっていたが)。しかしその数ヵ月後、ブッシュ[第43代]大統領はバルト三国のNATO加盟を認め、《弾道弾迎撃ミサイル制限条約》、いわゆる《ABM条約》からアメリカが脱退することを発表した。つかの間の平穏は終った。しかし今なら、もっと実り多い協調体制に戻るのは可能ではないかと、プーチンは考えている。

 しかしこういった進展中のチャンスに、ある大きな障害物がのしかかる。ロシアの国内問題だ。プーチンは2012年に大統領に返り咲いたあと、モスクワでの大規模な反政府市民デモが続く中で、権力の基礎固めをしようとした。ロシア民族主義の構成要素として《反米主義》を唱えたのだ。それは、特に新法律の中に見られ、「外国から融資を受けているNGO(非政府組織)は、少額であっても外国の利益のためにサービスを行っていることを申告する義務がある」というものだ。ここには彼がかつて受けたKGBの教育の名残を見ることができる。この法律があれば大統領は、他国の策動や影響力が国内問題や政治的不安定要素の主な原因になっていると見なすことができるのだ。プーチン政権の正当性の欠如が悪化するか逆に好転するかによって、当然のことながら国際社会における彼の大望の実現は大きく左右されるのだが。





(1) «Moi, président de la Bolivie, séquestré en Europe», Le Monde diplomatique, août 2013.
(2) Patrick Wintour, «John Kerry gives Syria week to hand over chemical weapons or face attack», 10 septembre 2013, www.theguardian.com
(3) ロシア連邦内共和国の1つで、モスクワから東方約600kmに位置する。[訳注]
(4) «The Caucasus and Russia’s Syria policy», 26 septembre 2013, http://nationalinterest.org
(5) 2001年6月に組織され、中国、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、ロシアおよびタジキスタンが加盟し、オブザーバー国としてインド、イラン、パキスタンが参加している。
(6) 加盟国はロシアのほか、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キリギスタンとタジキスタンである。
(7)《サウス・ストリーム》は天然ガスのパイプラインをロシアからウクライナを経由してヨーロッパまで結ぶプロジェクトであり、《ナブコ》はカスピ海のガス田をヨーロッパまで繋ごうというもの。
(8) Michael T. Klare, «Le grand écart de Washington», Le Monde diplomatique, octobre 2013.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年11月号)