マキアヴェリは権謀術数の思想家か?


オリヴィエ・ピロネ

訳:上原秀一


 フィレンツェの哲学者ニッコロ・マキアヴェリは、16世紀初頭に近代政治思想への扉を開いた人物である。彼は、統治者の権謀術数と結び付けて語られることが多い。しかし、誹謗者がねつ造したこの「悪い噂」の背後に、実際には、自由と人民主権の真の理論家としての顔が隠れている。[フランス語版編集部]





『君主論』500周年

 今年2013年は、『君主論』完成500周年に当たる。これを記念する研究書、伝記、研究会は、枚挙にいとまがない(注1)。統治技術を扱ったこの小論において、マキアヴェリ(1469~1527)は、「主権とは何か、いくつ種類があるのか、どのようにして獲得され、どのようにして失われるのか(注2)」を率直に論じている。彼は、このようにして権力の仕組みと権威の基盤を明らかにした。これによって、彼は、危険視されたり、正反対に解釈されたりすることとなった。そして、彼の著作は、過去500年で「最も広く読まれ注釈された政治思想書(注3)」となった。

 『君主論』は、1513年に執筆され、1532年に死後刊行された(このため、原稿完成の年を祝うという珍しい状況になっている)。同書は、1559年から19世紀末までの間、カトリック教会の禁書に指定されていた。彼の他の著作も同じ措置を受けた。1576年には、ユグノー[フランスのカルヴァン派新教徒――訳注]の著作家イノサン・ジャンティエが、「マキアヴェリズム」という新語を考案して、『君主論』に対する悪しき評判を作り上げるのに貢献した。「マキアヴェリズム」という語には、結構な未来が約束されることになった。「政治哲学の聖なる神秘を冒涜した」と同書を非難したジャン・ボダン(1529~1596)から、「『君主論』はギャングの手引書である」と言った知識人バートランド・ラッセル(1872~1970)に至るまで、マキアヴェリは、一般に、良識に反する権謀術数を暴君の耳元でささやいた理論家として通っている。

 しかし、マキアヴェリの思想には、これらとはまったく異なった解釈もあり得る(注4)。ジャン=ジャック・ルソーは、『君主論』は「共和主義者の書」であると述べた。アントニオ・グラムシによれば、『君主論』は「マキアヴェリ自身が民衆の一人になって」書いた書物である。実を言えば、16世紀反宗教改革の思想家から、啓蒙主義者、ジャコバン派、マルクス主義者、ファシスト、そして新共和主義者を経て21世紀の新自由主義者に至るまで、皆、『君主論』の読解をもとに行動している。今日では、マキアヴェリから着想を得た作品の中には、「企業経営」の実用書や「家庭管理」の実用書――たとえば、スザンヌ・エヴァンズ著『ママのためのマキアヴェリ』など――ばかりでなく、推理小説やテレビゲームまであるのだ(注5)。


イタリア統一への願い

 マキアヴェリのもう一つの主著『ローマ史論』は、1531年に出版された。その中で彼は、ローマの歴史をひもときながら、共和政の原理について考察している。そして、共和政は、専制的・独裁的な制度(プリンキパトゥス[古代ローマの元首政治――訳注])よりも優れているということを示している。『君主論』と『ローマ史論』は、一つの同じ問題をめぐって互いに結びついている。支配関係のない自治と平等の体制――すなわち共和国――をいかに確立し維持するかという問題である。共通の法律、正義と相互性の規則、そして公益の実現に基づいて、自由な国家をいかに作り上げるのかという問題である。『君主論』は、共和国の創設あるいは危機に立つ共和国の再建のための理論書であり、共和国の支柱を確立するための――時に暴力的だが――適切な方法のための理論書である。『ローマ史論』は、共和国が持つべき形態――すなわち民主主義――についての考察であり、民主主義を保持するための手段についての考察である。だから、これら二つの著作を切り離すことはできない。どちらの著作も、マキアヴェリが執筆に当たった当時の時代背景の中から生まれた。彼は自らの知的伝統に所属しながらも、そこから巧みに離脱したのである。

 マキアヴェリは、フィレンツェ共和国で高位の外交官として14年間働いた[フィレンツェ共和国を支配していたメディチ家が追放された1494年より後のこと――訳注]。フィレンツェ共和国が分裂と腐敗によって弱体化したために、スペインの援助を受けたメディチ家が復帰してきた(1512年9月)。彼が『君主論』に取り組んだのは、その直後のことであった。それまでは、18年間にわたって共和主義の間奏が鳴り続けていた。まず、1494年から1498年までは、ジローラモ・サヴォナローラ修道士が統治した神権政治による共和国の時代である。その後の1498年から1512年までは、世俗的な共和国の時代である。しかし、何十年も前から、イベリア半島のスペインとポルトガルは、強大な君主国としての征服欲に囚われ、イタリアの数多くの都市国家と利害がらみで連携し、地域の国家的統一を妨げていた。マキアヴェリが願っていたのは、まさにこのイタリア統一であった。このような状況によってこそ、『君主論』の主題を説明することができる。著者マキアヴェリにとって重要だったのは、トスカーナ地方の都市フィレンツェに共和国を再建するための手段を考察することであった。そして、イタリアを「手に入れ」(統一し)、諸外国の支配から「解放する」にふさわしい力を持った国家を築くことであった。『君主論』は、このような二重の目標を実現する力を持つ者に向けて書かれたのである。

 『君主論』は、差し迫った事態に対処するための行動の手引きであると同時に、権力の性質に関する考察でもある。人文主義者たちの間で流行していた啓蒙書の伝統を引き継いでいる。しかし、同書は、古典的な理想とは一線を画している。そして、国家の(再)建設者が従うべき教訓と方法を有無をいわせぬ調子で述べている。それは、政治は道徳に左右されるべきだという伝統的な考え方を逆転させて「事態の実際の真実」(注6)に従うことである。統治技術は、人間関係の不安定性(人間は自らの利害に従い、野心を含む情熱に従うものだ)と歴史の非合理性に結び付いた特別の規則に従うものである。指導者は皆、「身を守り」「国家を維持」したいならば、この規則について知らなければならない。


民衆と有力者の対立に基づく共和政

 マキアヴェリは、道徳が影響を及ぼしてきた場とは異なる、行動と反省の自立した場として政治を定義した。ルイ・アルチュセールの言葉を借りるならば、マキアヴェリは、「思考様式におけるまさに革命」(注7)を始めたのである。それは後に、近代政治科学の創設につながっていくものであった。そして、この革新ゆえにこそ、マキアヴェリはかくも多くの反感を買うことになったのである。ある時は、支配のメカニズムを白日の下にさらし、権力を確立するために統治者が何をしているのかを被統治者に明かしてしまったと言って非難された。またある時は、行動の効率性を求めて、政治と道徳と宗教の間に存在するはずの(と批判者が考える)本質的なつながりを断ち切ってしまったと言って非難された。

 しかし、マキアヴェリは、もう一つ別の重要な問題も詳しく論じている。彼によれば、あらゆる政体は、二大勢力の間の根本的な対立に立脚している。市民の大多数を占める民衆と、社会的・経済的・政治的な特権階級を成す有力者との、社会的な「体質(umori)」の対立である。この対立によって、政体の形が決まるのである。少数派の有力者は支配することを望み、多数派の民衆はその望みに抵抗する。彼は、「これら二つの相対立する欲望から、どこの都市においても、次の三つの結果のうちの一つが生まれてくる。すなわち、君主政か、自由か、放縦かである」と述べている。

 このような社会的分裂がなくて済むような国家は存在しない。二つの勢力の間の対立は、身分や財産、社会への要求の違いに対応するものである。この対立は普遍的に存在し、完全に解消する可能性はない。支配するためには、付くべき勢力がどちら側なのかを選ばなければならない。そしてマキアヴェリの考えでは、民衆の側に付く以外にはあり得ない。「有力者たちが抑圧することを望んで、民衆の側が抑圧されないことを望む以上、後者の目的は前者のそれよりも正義に叶ったものになるのだから」である。君主政や寡頭制といった独裁的体制によっては、社会的問題を解決することはできない。それゆえ、君主政よりも共和政を選ぶべきである。共和政は、市民の間の平等、公益の実現、そして国家の独立を可能にする唯一の制度なのである。

 しかし、『ローマ史論』(注8)では次のように論じられている。すなわち、このような共和政は、市民が特権階級と平民に分かれて反目しあう制度に基づいて初めて可能になるというのである。言い換えれば、共和制は、都市本来の対立を政治的に承認することによって初めて可能になるというのだ。平和な社会という観念は、神話であり思い込みである。マキアヴェリはそれゆえ、共和政ローマは「元老院と民衆の不和によって初めてその完成形態に到達した」と考えている。


古典的モデルからの完全な離脱

 これによって、マキアヴェリは、古典的なモデルから完全に離れていくことになる。古典的なモデルでは、国家というものは和親関係に立脚しなければならないものであった。マキアヴェリは、逆に、市民間の反目の制度がまさに自由の基盤であると考えた。彼は、「どんな共和国の中にも二つの体質(umori)が存在するものであって(……)自由を確保するために作られたすべての法律は、民衆と有力者との対立から生じたものである」と述べている。だから、民衆が自らの要求と権利を主張しうる法的な仕組みを確立することが非常に重要なのである。

 民衆と有力者の対立を通して両者が共に権力に参加する仕組みがひとたび認められたならば、次に問われるべきなのは、「自由の保護」を誰に委ねるのかという問題である。制度が正しく運用されているかどうかを誰が監視するのかという問題だ。この問題は極めて重要である。なぜなら、民衆と有力者のいずれが公益を管理するかによって、国家の安定と統一が左右されるからである。共和国は、貴族制と民主制のどちらの形態を取るべきなのだろうか。マキアヴェリと同時代の共和主義者は大部分が寡頭制を賞揚していたが、彼は人民共和国(stato popolare)の創設を提唱した。議会に最高権威を与え、民衆が有力者と同じ資格で都市の行政の指揮管理に参加することができるようにするのだ。このためマキアヴェリは、『ルッカ事情概要』(注9)において次のような状況を「現制度のよい点」と評価している。すなわち、「総評議会が市民に対する権限を有することで、特定の人物の野心を抑える効果的な歯止めとなる。(……)多人数からなる機関は、貴族を抑制し、金持ちの野心に歯止めをかけることができる」という状況である。自由と平等をよりよく擁護することができるのは、自由と平等が守られることによって利益を得る人物である。すなわち、マキアヴェリは、「自由を奪い取ろうとする気持ちの弱いほうに、自由の監視をまかせるべきだ」と述べている。

 反対に、「高邁有能の士ではなく、より権力を手中に収めている人物が」国家の公職につくようになるならば、もう一つ別の対立が生じることになるだろう。利益団体の間の対立である。利益団体は、多くの場合、親族組織や利益誘導制度、金融独占と結び付いている。マキアヴェリは、これらをsette(徒党、圧力団体)という語にまとめて整理している。「富裕層や権力者だけが法を提案するようになり、それも自由のためではなく、自分の権勢を張りたい一心からである」のだから、国家は根元からむしばまれ、堕落してしまう。共和政ローマがフィレンツェ共和国と同じように破滅したのは、このためであった。ではどうすれば良いのか。市民は、「災いの大きな力を、十分に考えに入れておくことが肝要だ。その上で、その災いをいやすのが十分だという見通しが立てば、くよくよせずに断固として、攻撃をすべきだ」ということなのである。





(1) Emmanuel Roux, Machiavel, la vie libre, Raisons d’agir, Paris, 2013, 267 pages, 20 eurosを挙げておく。Tumultes et indignation. Conflit, droit et multitude chez Machiavel et Spinoza (éd. Amsterdam, Paris, 2010)の著者Filippo Del Luccheseは、『君主論』に関するインターネットサイト«Machiavelli : A multimedia project» (www.brunel.ac.uk)を開設した。John P. McCormick, Machiavellian Democracy, Cambridge University Press, 2011も参照されたい。
(2) フランチェスコ・ヴェットリへの1513年12月10日付け書簡。
(3) Emmanuel Roux, op. cit.
(4) マキアヴェリの思想に対する様々な解釈については、Claude Lefort, Le Travail de l’œuvre Machiavel, Gallimard, Paris, 1986 (1re éd. : 1972) を参照。
(5) Suzanne Evans, Machiavelli for Moms, Simon & Schuster, Touchstone, 2013 Cf. Ranieri Polese, «Machiavel mène l’enquête», Books, no 46, Paris, septembre 2013.
(6) 『君主論』第15章に、「私の意図は一貫して、耳を傾ける者には役立ちそうな事態を書き記すことであったから、事態をめぐる想像よりも、その実際の真実に即して書き進めてゆくほうが、より適切であろうと私には思われた。」との記述がある。マキアヴェッリ(河島英昭訳)『君主論』岩波文庫、1998年、115ページ。以下、『君主論』からの引用部分の訳は、同書の訳文を参考にした。[訳注]
(7) Louis Althusser, L’avenir dure longtemps, Flammarion, coll. «Champs essais», Paris, 2013 (1re éd. : 1992). ルイ・アルチュセール(福井和美訳)「唯物論のユニークな伝統2 マキアヴェリ」『批評空間』第Ⅱ期第6号、1995年、113~127ページ。ルイ・アルチュセール(宮林寛訳)『未来は長く続く アルチュセール自伝』河出書房新社、2002年も参考にした。
(8) 以下、同書からの引用部分の訳は、ニッコロ・マキァヴェッリ(永井三明訳)『ディスコルシ 「ローマ史」論』ちくま学芸文庫、2011年の訳文を参考にした。[訳注]
(9) マキァヴェッリ(武田好訳)「ルッカ事情概要」『マキァヴェッリ全集6』筑摩書房、2000年、126~132ページの訳文を参考にした。[訳注]


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年11月号)