紛争時の軍事報道

きれいな映像、きたない戦争


フィリップ・レマリー

 ジャーナリスト、『ル・モンド・ディプロマティーク』電子版《防衛問題》ブロガー
http://blog.mondediplo.net


訳:木下治人


 リビア・マリ・シリアの現状を見る限り、戦争時における軍事報道はプロの手に握られてしまった観がある。フランス軍は、グランド・ミュエット[だんまりを決め込むフランス陸軍の異名]としての反応を示すよりもむしろ、必ずしも全部を言わないことを好むようになる。あるいは、何も言うことはないと言うことを好む。その旗印はウソをつかないことだ。情報操作・改ざんという批判から免れようとしているのだ。軍は、主導権を取りたがっている…。[フランス語版編集部]





マリへの軍事介入——戦死者がいない戦争?


 「閉じた場所で行われた戦争… 映像が流れない … 仮想世界の映像だ… 敵が見えない … 戦死者がいない… 捕虜がいない戦争… 」、2013年1月発生したマリ紛争初期の数週間に起こったことに、メディアと世論は失望を覚えた。人々は、《グランド・ミュエット》[「偉大なる唖者」と呼ばれるフランス陸軍のこと――訳注]が情報操作を行い事実を隠そうとしたのではないかと疑った。半ば意味不明な情報をじっくりと練り上げ、《ジハード主義者》と闘うことで、フランスに「勝利の女神」という得な役回りを演じさせた。この女神は豊富で熟練した手段を持ち、完全な戦略を所有しているので、何人も彼女には抵抗できないのである。フランス軍は、マリ軍の自尊心を傷つけないように配慮することさえ行った模様である。そして仏大統領オランドに凱旋の機会を与えた。これは、凱旋将軍・前サルコジ大統領がリビアへの軍事介入後行ったことと同じだ(注1)。

 2013年1月半ば、マリへの軍事介入の初期、押し寄せてきた総勢150人もの従軍記者は首都バマコあるいはバマコ北部の前線後方に足止めされた。参謀本部の報道官ティエリー・ビュルカール大佐の説明によれば、記者たちは初めのうち「存在しない映像を撮影しようとし、起きてもいない戦闘を見ようと努力したのです」と言う。彼らを諭すことはできなかった。「記者たちは皆、隊列の先頭を行くVAB(装甲兵員輸送車)に搭乗したがりました」。記者たちは、飛行機の便数や兵士の到着・出発しか教えられなかった。――1991年勃発した湾岸戦争、「砂漠の嵐」作戦の時と同じである。

 戦争開始から二ヵ月後の2013年3月、マリ北東部の端に位置するイフォガス山地での戦闘の最初の1週間、従軍記者たちは、そこでもまたすべてを映像に収めようと考えた。《ジハード主義者》の捕虜や死体などである。ビュルカール大佐は繰り返し「そういった映像は存在しないのです」と断言する。大佐に言わせれば、戦争現場を撮影することは容易ではなく、「戦争映像は映画の『スターリングラード』や『ブラックホーク・ダウン』などのようなものではありません」(注2)ということになる。


『心情と知性の征服』作戦


 メディア対策に長じているはずのビュルカール報道官でも、マリ紛争期間中「時には情報提供に支障がでることをおしても」大手テレビ局間の情報獲得競争の調整に当たらねばならなかった。たとえばあるテレビ局が、一社だけが軍用車で塔乗取材するのなら全社が取材を中止すべきだと要求したときなどだ。しかし、ジャン=マルク・タンギ氏は自身のブログ《 マンモス Le Mamouth 》で次のように指摘する。「(マリ紛争に関わるジャーナリストたちの間で)支配的な雰囲気は、たとえばアフガンなどみられたような公開原則の後退です(注3)」。

 メマリに派遣された従軍記者は軍事技術とアフリカの実情に精通しておらず、大部分が若者たちで占められていた、と強調するのはフランス国防情報通信委員会(Dicod)委員長ピエール・ベール氏だ。ベール氏によれば、従軍記者たちは「激戦、炎上、爆発場面」を期待していたが、実際は後方支援活動しか取材させてもらえなかった。報道された映像は「遠くはなれたところの、ぱっとしない」映像で、兵站部門だけだった。

 攻勢に転じるため、フランスが先鋭部隊であるコマンド特殊部隊を前面展開するにつれて、《ジハード主義者》は国境に遁走し始めた。したがって、従軍記者たちが取材していた場所には伝えるべき戦闘場面は存在しなかった。しかし、たとえ戦闘があったとしても、コマンド特殊部隊の活動は防衛秘密の名で秘匿されるのである。軍は、戦闘場面に「真っ先に突入する」コマンド兵士たちの動きや行動様式を公開していないのだ。そもそも法律では、コマンド兵士たちの身分を明らかにする事を禁止している。「従軍記者たちは、後になって、イフォガス山地アドラールでチャド部隊のきれいな映像を撮ることができたようです!」ベール氏は、このように指摘する。結局、戦闘場面を最も的確に撮れたのは、「ファーマス(注4)[ライフル銃――訳注]を背中に担いで従軍する軍のカメラマン部隊であった。

 「従軍記者たちは、軍用機で移動する権利があると思いこんでいる」と、参謀本部情報担当責任者ビュルカール氏はこぼす。この部署は「ビュルカール航空」というあだ名で軍の仲間から嘲笑されている。それは、トランザール輸送機を使用してジャーナリストや技術者などの多くの搭乗要求に応えてきたからだ。しかし同時にビュルカール氏は、フランス国際ニュース専門チャンネル《フランス24》のように、メジャーでないメディアにも、この輸送機を使わせることによってチャンスを与えたことを誇りに思っている。同チャンネルは、マリの一部のテレビ視聴者が視聴可能である。この 2 カ月の間に、同氏は212 のメディアの代表者・ジャーナリスト400人を迎えた。軍独自の取材班のおかげで、従軍記者たちではとても手に入れられなかった戦争映像を提供できたことを自慢する。著作権フリーの120本のヴィデオと500枚の写真である。「なかには発信者が軍であるとの記名なしに利用された」と、ビュルカール氏は驚く。

 ビュルカール氏は、「従軍記者たちは提供されたものには決して満足していないことはわかる」としながらも、メディア取材はアフガンより簡単にできたとみなしている。というのは、取材が周到に準備され、事実上エンベド(埋め込み)取材しか選択の余地がなかったからだ(エンベド embedded とは、文字どおりには「同じベッドの中で」、つまり軍の一単位に組み込まれることを示す)。これは軍の情報担当者にとっては好都合だ。作戦時の従軍記者の安全意識を高めるためには、より簡単な方法である。しかし、輸送・手続き・保護の過程で重要な制約が課せられる。たとえば、テレビ記者の一グループが装甲車内にいるだけで、兵士三人を部隊から外すことを余儀なくされるのだ。「もし、さらにもっと多くのテレビ・クルーを迎えることになれば、戦争はしないで輸送に専念することになるでしょうね」ビュルカール氏は冗談交じりに言う。


アフガニスタン、従軍記者誘拐事件


 公共放送《フランス3》の著名なレポーター、エルヴェ・ゲスキエール氏は、ジャーナリストが戦闘員に付きそわれて現場に行くことに疑問を持つ一人である。2009年末、当局と交渉の上、フランス軍とアフガン政府軍の前線基地を訪問したが、常時「ボディーガード」付きであったため、うんざりしてしまった。できればカピーサ州の谷に住む村人たちの考えを聞きたかった彼は、『証拠物件』という雑誌の記者として、アフガニスタンへのフランス軍投入について現状分析しようとしていたのだ。この取材は、カブールの北東50キロメートルほどに位置しているウズビン渓谷でのタリバンの待伏せ攻撃から一年後のことである。ウズビン渓谷の攻撃は2008年8月18日から19日にかけて行われ、フランス兵10人の死者と21人の負傷者を出していた。

 ゲスキエール氏は、カメラマンのステファン・タポニエ氏とともに誘拐され、547日間拘束された(注5)。ゲスキエール氏は、当時の政治家や軍指導者によって「規律に従わない」「無謀な」「警告に耳を貸さない」「禁止を無視する」人物だとみなされたばかりか、「どんな代価もいとわずスクープを追求(注6)」しようとして「軍を危険な目に遭わせ」、フランス政府に高い代償を払わせることになった(注7)と非難された。しかし彼は戦略上の弱点に言及し釈明する。彼自身も被害を蒙り、スケ-プゴ-トにされているのだという。「われわれの間違いは、フランス前線基地タガブとトラ間の重要な交通路でタリバンに捕らえられてしまったことです。まさにその二つの基地は『ヴェルモン』と名づけられるアフガニスタン東部とパキスタンを結ぶ幹線道路を守り抜くことが任務だったはずなのです」。

 ゲスキエール氏は、この事件を振りかえり「フランスの使命にとって酷い失敗であった」という結論に達している。そのために自分が誘拐され、取材方法をめぐる論争が引き起こされたのだと考えているのだ。しかしこの論争は以前から胚胎していたもので、それがアフガニスタンからのフランス軍の撤退、その2年後の同盟国の撤退を導いたのである。二人が拉致されていた期間フランス統合参謀総長を務めたジャン=ルイ・ジョルジュラン陸軍大将は、後になって、ゲスキエール氏を次のように非難した。「あなたの軽率な行為によって、アフガン地域でのフランスの活動は無駄になったのです。フランス政府が攻撃的な態度をとらざるを得なかったことによって、『心と体の征服』作戦というわれわれの任務の達成を困難にさせたのです」。

 陸軍中佐ジャッキー・フクロは、2009年9月から2010年4月までの間カブールに駐在するフランス軍の情報将校20人の長を務めた。その間、彼は200人ほどの従軍記者を送り出したが、その中にはゲスキエール氏とタポニエ氏がいた。滞在当初の従軍記者たちは皆、出動前に安全のためのブリーフィングを受けた。立ち入り禁止ゾーン、行動が制限される地域、傭兵やアフガン政府軍に対してとるべき態度などが確認される。次に、情報将校を割当てられる。この将校は直接従軍記者の安全を担うだけでなく軍幹部との良好な関係を構築する任務を与えられていた。フクロ氏が特に思い出すのは、アメリカ人ジャーナリストとのある折衝である。彼らは、安全がほとんど確保されていないと思われている市場での取材を望んでいたのだ。この作戦は、住民を保護すると同時に、ジャーナリストの安全も確保する大がかりな保護体制がなければ実施できなかったものだ。

 一般に,作戦情報は当然,軍にとって命のかかった情報であるため、一連の条件がつけられる。「これはテレビ番組ではありません。軍の組織、作戦に責任を持つ立場の幹部は、作戦の期間中、情報を白日のもとにさらすことは望んでいないのです」とフクロ氏は主張する。テレビ局《フランス 3 》のドキュメンタリー番組作業チームにたいして、このチームのやろうとしていることは「実行不可能」であると警告したにもかかわらず――局の指導部と防衛省の彼の上司が ――「取材に許可を与えた」ことに、フクロ氏は驚いた。取材目的は、ウズビン渓谷での待伏せ攻撃から一年後のフランス召集兵の状況を知ることだったからだ。

 忠告を無視した結果、2009年12月29日、ゲスキエール氏たちはタガブ地域で誘拐され、その後何日もカピサ谷戦線は軍事的空白地帯となった。国際治安支援部隊(ISAF)内でのフランス作戦計画は縮小が再検討され、戦闘地域にいる従軍記者たちは帰国し、すべての情報交換は数か月にわたって中断した。


偏った情報収集の危険性


 それ以来、戦場での人質事件の再発が懸念されたが、ゲスキエール氏のような災難は繰り返されてはいない。ある情報(村や道路の名前など)が微妙な問題を抱えている、と従軍記者たちが説明を受ける時、「従軍記者たちは、慎重に振る舞う必要があることを理解して受け入れるのが普通です」と、ビュルカール大佐は強調する。従軍記者たちは、リアル・タイムの連絡や報告のために衛星電話やブログ、ソーシャル・ネットワーク(コラム参照)といったものを所有している。これらは敵に関する最良・唯一の情報手段となる。一方、敵はハイテク手段を使えない。「また、狭い戦車の中で向かい合っている従軍記者たちも、インターネット上でしのぎを削りながら情報をキャッチしているのです」と、ベール氏は指摘する。

 しかしこの元従軍記者(注8)ベール氏にとっては、ジャーナリストの権利と義務とは、まさに情報を探し求めることなのである。彼は、イヴ・ドベイ氏、2013年1月にシリアの「最前線で亡くなった情報兵士」を引き合いに出す。ドベイ氏は「ワイルドキャット(無謀な従軍記者)」あるいは「戦場フリーカメラマン」(FTP)といわれる人たちの中で代表的な人物である(注9)。ベール氏が言うように、残念なことに「2001 年の 9.11 を契機に、西欧のジャーナリストは敵とみなされるようになってしまった」のだ。9.11 以来、第一次湾岸戦争、バルカン半島における紛争、イスラエル=パレスチナ紛争、そしてアフリカの角の内戦などの場合に見られるように、戦争を双方から取材することがますます難しくなった。


戦車に当たって輝く夕日


 このような「一方だけからの」情報収集は、情報操作のリスクに遭う可能性を増加させるだけでなく、多くの場合、幹部ジャーナリストへの締め付け・繰り返されるジャーナリスト自身の自己規制・さらには情報源や特定地域へのアクセスの禁止をもたらした。しかし,マリの場合は違っていた。従軍記者は望んでいた映像を得られたわけではなかったが、かなり大きな裁量権を持っていた。彼らは、他の紛争地の場合とは違って国費でマリの首都バマコまで送られることはなかった。「移動費用込み」の移動は、予算上の制限を受けて例外扱いとされた。「主な敵はもはやタリバンではなく、公共政策全般改正プロセス(RGPP)(注10)なのです」。国防情報通信委員会委員長ピエール・ベール氏は皮肉る。

 TF1とLCI[民間テレビ局――訳注]の《海外・防衛部門》編集長パトリシア・アレモニエール女史によれば、そもそもメディアがフランス軍に関われば、絶えず「肩の上に手」がかけられているような状況になるという。つまり、従軍記者は軍に付き添われ統率される。そのことによって、何よりもまず、軍は軍事行動に賛成するような世論形成をはかろうとして肯定的なメッセージを発信しようと画策しているのだ。戦争取材に詳しいアレモニエール記者は、フランス軍の気遣いぶりにも同じような重圧を感じている。軍は「死者ゼロ」と称して、どんな代価を払ってでもジャーナリストの死傷者を出すことを避けようとしたがっている。そのためには度を超した用心を払うこともあるのだという(注11)。

 「戦争遂行にとって重要なのは、戦争が見えることなのでしょうか? それとも勝つことなのでしょうか?」元陸軍特殊軍事教育司令官ヴァンサン・デポルト将軍は疑問を投げかける。将軍は、戦争における心理面の重要性を強調する。たとえば、敵にとっては「損害の広がりは副次的」であることをアピールしたり、反乱軍に同調する村民のデモを強調することが得策となる。

 情報戦線でも、同じく闘争が行われている。マリ北部ガオ、トンブクトゥへのフランス軍進撃の際、「マリ軍兵士がマリ国旗を立てて前線に立つ必要があった」。マリ軍は、この電撃戦でほとんど役割を果せなかったが、世論とマリ軍に配慮する必要があったのだ。デポルト将軍によれば、その証拠に「国旗を持ったマリ軍兵士の映像のおかげで、ある作戦の最終実施を避けることができるのです。原則として、全てを見ること・伝えることが可能ならば、一般市民は却って判断のために必要な距離を持てないことになるでしょう」という。ということは、デポルト将軍は、いくらかの「映像コントロール」は当然のことだとみなしているのだ(注12)。

 しかし、こうした情報の自己抑制は、軍事情報のきわめて重要な目的のひとつと矛盾している。その目的とは、世論に対してフランスの軍事介入の正当性を納得させ、命令達成のため兵士が戦場でいかに行動するかを説明することである。「作戦に対する強い支持によって正当性がもたらされるばかりでなく、兵士とその家族の士気を高めることになるのです」と、ビュルカール氏は説明する(注13)。

 しかし、たとえば屍体の様子はどこまで公開されているのだろうか? 視聴覚問題高等評議会(CSA)は、今年一月、メディアがマリでの屍体映像を放送しないように勧告し、《国境なき記者団》から即刻次のような抗議を受けていた。「CSAは若者のテレビ視聴者保護を名目に、軍事作戦の公式情報を隠してしているのではないでしょうか? 戦車に当たって輝く夕日が戦争の映像だとは、とんでもないことです。世論は、軍のコントロールのもとで手に入れられた情報、あるいは軍が直接関与する情報に満足できないのです」。


きれいな映像、汚い映像


 「戦争には、きれいな映像と汚い映像とがあるものだ」というタイトルを冠しているのは、ウズビン渓谷での待伏せ攻撃の数日後、2008年8月29日の《プレイ・バック》サイトである。ピエール・バベ(テレビ《フランス3》の記者)は、その記事の中で、事件当時、従軍記者に適用された禁令に言及している。屍体の写真もヴィデオも存在しない。ウズビン渓谷での待伏せ攻撃の様子も残っていない。飛行機で本国に送還された棺の映像も存在しない。またアフガンでも、アルジェリア戦争や湾岸戦争の時も、敵側の報道記事はほとんどなかった。そこから浮び上がってくるのは、「西側の映像がコントロールされているという印象」なのだ。

 ドイツ人の報道写真家ホルスト・ファースは、1962年から74年までベトナム戦争を取材した。サイゴンAP通信社の写真撮影部門を担当、死にかけている兵隊や爆撃に恐れおののくベトナム市民の写真集を出版した。当時彼は、家族に前もって知らせれば死者の映像を出版することは可能だとみなしていた。その後、戦争は「お役所仕事となり、すべてが許可制」になってしまった。ジャーナリスト、クレール・ギヨ女史はファース氏との対談で次のように言う。「戦場に近づくことは制限されています。ですから写真家は、戦闘の前後を選んで撮るようになりました。検閲に関しては、アメリカ関係官庁が、負傷者の写真は当局の許可がない限り撮る事を禁止するという『奇妙なルール』を設定しました」。ファース氏は「撮るべき被写体に爆弾が落とされる前に、当局に撮影許可を申請するのでしょうか?」と、首を傾げる(注14)。

 アメリカ軍は――ドイツ軍も同様であるが――心理作戦にかけては名人の域に達している。この作戦は、アメリカ軍が北大西洋条約機構(NATO)に採用させ、とくにアフガンで実行された。2001年9.11テ口事件直後、ペンタゴンは極秘裏に《戦略的影響局》(OSI)を創設した。この組織は「世界的なレベルでメディアや圧力団体を使い、広範囲にわたって心理戦を行い世論を操作する(注15)」宣伝機関であった。2002年、OSI は《特別戦略オフィス l'Office of Special Plans(OSP)》に置き換えられ、つづいて2003年に《北部湾岸情勢オフィス le Northern Gulf Affairs Office》へと改組された。この機関は近東の政局に関する情報の収集と分析を行い「大量破壊兵器に関する情報を広めイラクへのアメリカの介入を準備する」ことを目的としていた。同機関は、広報民間会社レンドン・グループを頼りに戦略的影響力を行使してきた。レンドン・グループは、米軍の宣伝活動の専門機関として宣伝パンフを作成するばかりか、従軍記者にたいして「米軍に対する信頼度」の高低を定めていた。

 長い間フランス軍は右寄りという評判であり、1950年代の植民地戦争の際、共産主義と闘うという口実で情報戦をも推進した(注16)。インドネシアでは、民族主義者たちが自らの軍事的劣勢に対して思想を武器にして補いをつけようと考えていた。これに対し、心理戦を担当する情報部は、「敵の士気を削ぎ、たたかう意欲をなくす」ことのできるあるあらゆる形態の行動を研究・指揮し、宣伝・検閲・スローガンの演出などを駆使していた。こうした技術は、アルジェリアで完成され普及した。とくに《対ゲリラ、調停、教育センター》が創設され、そこでは、ゲリラに参加する兵士の戦争意思を削ぎ、改心させ部隊復帰させる方法を教育した。《諜報、活用組織》(GRE)は、アルジェリア民族解放戦線(FLN)とその支持者を敵とする情報操作の仕方を教えた。

 また、つい最近の情報操作が記憶に残る。1989年、ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊につながったとされるティミショアラでの殺戮というデマ、あるいは1990年から91年にかけて行われた、対イラク戦の際の連合軍参謀本部と情報担当者による映像と表現の厳しいコントロール、そして極め付きは2003年の同じくイラクへの侵略の際の「捏造された敵」(注17)である。アメリカのブッシュ大統領はイラクに大量破壊兵器が存在するという嘘を流し、アメリカの侵略を正当化した。また、飛行禁止区域を解除するという2011年の国連決議の方針転換が、結果的に、フランスとアメリカがシリア政府に対する懲罰作戦を断念しなければならなかった理由に一役買っているのである。






(1) Lire «Mali, la victoire en chantant» et «Victime collatérale», Défense en ligne, respectivement 1er février 2013 et 1er septembre 2011, http://blog.mondediplo/
(2)リドリー・スコット監督のアメリカ映画『ブラックホーク・ダウン』。1993年、米軍のソマリア軍事介入からヒントを得た作品。
(3) Jean-Marc Tanguy, «La com’ de Serval devant la mission d’information », 2 juillet 2013, http://lemamouth.blogspot.fr
(4)フランス軍が装備するライフル銃である。(FAMAS——ファーマスとは、Fusil d'Assaut de la Manufacture d'Armes de Saint-Étienneの略である[訳註])
(5) Hervé Ghesquière, 547 jours, Albin Michel, Paris, 2012.
(6)クロード・ゲアン、内務大臣、17 janvier 2010.
(7)すでに、2010年2月21日、フランス統合参謀総長ジャン=ルイ・ジョルジュラン陸軍大将は、人質によって引き起こされた出費を、400人の兵士と約50人の対外治安総局(DGSE)の職員を二か月間動員したので、1000万ユーロと見積もっていた。
(8)元ジャーナリスト、ベール氏。とくに、TTU誌の作成、そしてEADS(イーエーディーエス、航空宇宙企業)グループのPRを指導した(TTU=Très Très Urgent 誌は週間情報誌で、防衛部門を担当するジャーナリストのチームによって1993年に創立された。フランスの産業界、軍部、政治家、外交官にとって無視できない情報源となっている。http://www.ttu.fr/a-propos-de-ttu/[訳注])。
(9)戦場フリーカメラマン(FTP)のことを「Fuck the pool」とも表現する。軍の情報担当者によって編成される「コンバット・プール combat pools」という従軍方式の枠内で取材することよりもむしろ、戦争現場で自由に行動することの方を選択した報道カメラマン。
(10)公共政策全般改正プロセス(RGPP)は、国の借金を減らす目的で2007年開始された。条項によっては年々変化しながら現在も継続中である。
(11)2013年2月17日『リベラシオン』紙上で行われた討論。ピエール・ベール氏のWEB日記 http://pierrebayle.typepad.com 2013年2月18日の記事「一方だけから見た戦争」
(12) Rencontre avec des membres de l’Association des journalistes de défense, 12 février 2013.
(13) Cf. «Les impératifs de la communication opérationnelle», Armées d’aujourd’hui, n° 379, Paris, avril 2013.
(14) Claire Guillot, Le Monde, 6 septembre 2008.
(15) Cf. Michel Klen, Les Ravages de la désinformation d’hier à aujourd’hui, Favre, Lausanne, 2013.
(16) Cf. Paul et Marie-Catherine Villatoux, La République et son armée face au «péril subversif» Guerre et action psychologiques, 1945-1960, Les Indes savantes, Paris, 2005.
(17) Cf. Pierre Conesa, La Fabrication de l’ennemi, Robert Laffont, Paris, 2011.
(18)マリ共和国の現状を理解し、当テキスト理解の参考になる記事の紹介。「再建能力なき国家、マリ軍の憂鬱」(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年5月号)http://www.diplo.jp/articles13/1305leblues.html[訳注]


コラム「防衛秘密とソーシャル・ネットワーク」


 軍のソーシャル・ネットワーク利用が必定になった現状に鑑み、防衛省はこれを制限するのではなく「使用基準」を制定することで対処することに決定し、そのためにガイドブックを出版した。以下は、その抜粋である。


●作戦行動中の安全を重視すること。ありふれた社会事象、写真やヴィデオであっても、ときには戦略的価値のある情報を含むことがある。現代の戦争では、敵は社会的問題の起りやすい情報を求めて常にインターネット上を探しまわり、わが国の弱点を発見しようとしているからである。
●建築物の位置情報、軍の展開状況の詳細、不測の事態による損害の大きさ、軍の士気に関する評価、戦闘方法とその評価などは秘密情報であり公表してはならない。
●進行中あるいは計画されている作戦行動の正確な時刻と場所、あるいは軍人の氏名を公表しないよう配慮しなければならない。
●軍が取得し公表した映像をGPS 機能をオンにしてのやり取りは厳禁である。その映像をフェイス・ブック上に投稿する際には、GPS機能をオフにすること。スマートホン自体のGPS機能がオフになっていることにも注意しなければならない。軍の取得した映像や ヴィデオなどを公表する場合は、その前に、背景の部分にも問題がないことを徹底的に点検しなければならない。
(『ソーシャル・メディアの使用法ガイドブック』、avril 2012, www.defense.gouv.fr/)


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年10月号)