首都リヤドのジェンダー・トラブル

サウジアラビアの男装女子たち



アメリ・ル・ルナール

(社会学者)

 近著に『サウジアラビアにおける女性と公共の場』(未邦訳)Amélie Le Renard,
Femmes et espaces publics en Arabie saoudite, Dalloz, Paris, 2011. がある。
また今月出版のロラン・ボヌフォワ、ミリヤン・カテュス監修『アラブの若者たち――
遊び・文化・政治、モロッコからイエメンまで』(未邦訳)に寄稿している。
Laurent Bonnefoy et Myriam Catusse (sous la direction de), Jeunesses arabes.
Du Maroc au Yemen, loisirs, culture et politique
,La Découverte, Paris, 2013.
本記事はこの寄稿論文の要約。


訳:石木隆治


 サウジアラビアの女子大生たちは、アメリカや地元のテレビ・ドラマに刺激を受け、本来の性を離れてユニセックスのファッションを採り入れ、自らを《ブヤ》(フランス語の《ギャルソンヌ》)と名づけている。こうしたスタイルは、一部には真正のレスビアニスム・LGBTを隠し持っており、イスラムのジェンダー規範に挑戦する可能性を持っているが、大半の女子学生がファッションとして受け入れているために、一般に容認されてもいる。[フランス語版・日本語版編集部]





 「下記の服装を固く禁じる。1. 品位に欠ける飾り(髑髏、下品な表現、有名人の写真など)を下げた太いチェーンを身につけること。2. ピアスを不自然な箇所(顎、口、耳の上部、眉など)につけること」。これは、リヤドのキング・サウド大学女子キャンパスの掲示板に貼り出された「学生指導課」からの通達である。数多くの女子学生が違反しているこの種の禁止事項は、キャンパスに広がった少数派のファッションをターゲットとしている。中でも特別に狙いを定めているのが、ゴシック、エモ(《エモーショナル》より取られた。流行の音楽と結びついたファッションで、くすんだ色の服やメークが特徴)、そして《ブヤ》である。


 この新語《ブヤ》は、英語の《boy》にアラビア語の女性化接尾辞《a》をつけてできた。アラビア半島の多くの国では、異性装をする女子のことをそう呼ぶのだ。彼女たちは女性的なシルエットを隠すような服を着る。体にフィットした服を避け、男性用シャツ、サッカー・ウエア、ゆったりした上着などを身につける。また、バストをカムフラージュするためにバンドを巻くこともある。こういった服装は、体型を隠すという「イスラム」の規律とは意味が違う。確かに後者も女性の身体的特徴を隠すよう定めているが、だからといってジェンダー区別には何の疑問も生じない。


《ブヤ》の女子たち


 自らを « ブヤ » と呼んだり、他者からそのように見られている女性たちは、一般的に髪はショートでたまに耳の上部や眉弓にピアスをしている。中には男性用香水をつける者もいれば、男性名で呼び合っている者もいる。インタビューに応じてくれた彼女たちは世俗名を名乗っていた。会話が進むに連れ、彼女たちは自発的に自分がブヤであることを認めるようになった。これは一種のアイデンティティであり、これに基づいて彼女たちはインターネット上のフォーラムあるいはフェイスブックの《ページ》や《グループ》を立ち上げ、そこで互いに知り合って意見や写真、ビデオなどを交換するようになった。


 新聞や地元テレビのディベート番組では、この現象を「男性化」(アラビア語で « イスティリヤル »)という医学用語で表現し「女性同士の愛情関係」と結びつけているが、サウジの女子たちに言わせると多くの場合、それは《 スタイル 》なのだという。


『Lの世界』


 筆者がこの話題について女子学生たち――ブヤもいるし、そうでない女性もいた――から話を聞くことを始めたとき、彼女たちの多くがアメリカのテレビ・ドラマ『Lの世界』に言及した。これはネット(アラビア語字幕つき)で見ることもできる。初登場は2004年、ロサンゼルのレスビアンたちの悩みを扱ったドラマである。サウジアラビアの多くの若い女性たちが教えてくれたのは、友人たちがドラマのなかのある登場人物に夢中になっている、という話だった。それはシェーン・マッカチョンと言い、最も中性的な女子として頻繁に登場する。毛先のとがったような彼女のヘアスタイルは流行となった。しかし、この番組がお手本になっているにもかかわらず、 « ブヤ・スタイル » は単なるアメリカからの輸入品にとどまっていない。


 世間一般のジェンダー規範からはみ出すような登場人物は、同じくアラビア半島全域でも創出され、流布している。たとえばクウェートで2005年のラマダンの最中(つまり、『Lの世界』の放送開始からそれほど時間を置かず)に初めて放映されたTVシリーズ『アディル・ルー』。このドラマの中で、女優のシュジュン・アル=ハジリはブヤの役を演じている。若いサウジ女性に人気のこのドラマは、クウェートの裕福な家庭が舞台となっていて、その一家に暮らす成人した子供たちの一人がブヤという設定なのである。多くのブヤたちが、こうしたTVドラマが自分たちに大きなインパクトを与えたと主張する。理由は、彼女たちが初めてこの種のドラマを観たからというだけでなく、こうしたドラマがネット上のフォーラムのきっかけともなっているからだ。話を聞いた彼女たちの多くはブヤとしての自己表現の理由をこう説明している。以前から男性になりたいという願望があり、それは特に行動の自由を得たいからである、と(「車を運転したいし、アバヤ[裾の長いワンピース状をしたイスラム女性の服装]を着るのはもうイヤ。息がしたい」)。なぜなら彼女たちは、自分の行動について両親にお伺いをたてなくてはならなかったり、外出許可を求めなくてはならないことにうんざりしているからである(「親たちは矢継ぎ早に『女の子なんだから! いつ出かけるの? 何時に帰ってくるの?』とか、あれこれ言う」)。彼女たちの一部は、男女混合の公共の場で髪をヴェールで覆うことを拒否し(注1)、アバヤ着用の義務に不満を感じている。アバヤは彼女たちが女性であることを直接的に示すものである。アバヤを着ていなければ彼女たちは性別に疑問を持たれるかもしれず、それどころか男子と認識されてしまうことだってあるかもしれない。


さまざまな《ブヤ》


 女子大生の一人は、サウジアラビアの女性たちが身体的に非力で、家族の男性の助けが必要だというふうに決めつけられていると悔しがる。実際には、彼女たちの一部は必要ならば喧嘩も辞さないと言い、キャンパスでは女子同士の乱闘だってあると言う。なかには、子供時代から「男まさり」だったと話す者がいる一方で、ブヤになったのは数年前からで、高校か大学に入ってからだと言う者もいる。ここでの語られていることは、なぜ彼女たちがこうした服装をするようになったかの理由の説明ではない。むしろ、こうしたブヤとしての服装を正当化するかの後付けの理由である。このようにブヤという「スタイル」は、たいてい既成の女性らしさへの反抗を伴っているが、だからといって彼女たちは深い考えがあってこうしたスタイルを取り入れているということを示してはいないのである。ドラマ『Lの世界』に出てくるシェーンという登場人物は「アンドロジーヌ」ファンションを身に纏い「同性愛者」であるが、一般的に言って自己表現の仕方と生来の性的傾向に繋がりがないことがあることはいうまでもない。さらに言えば、サウジアラビアの現状では、同性と恋愛関係や性的関係を持つということは、必ずしも個人のアイデンティティの根拠として認知されていない。アイデンティティというのは社会が認めなければならないのだ(男性が同性と関係を持つ場合はきわめて厳格に処断される可能性がある)。インタビューに応じたブヤの多くが打ち明けてくれたのは、自分は他の女子と関係を持っていたが、親友以外は誰も知らない、ということだった。


 スザン(19歳)が話してくれた。「両親は私がブヤだということを知っていて、うるさいことを言ってきます。私は両親に、自分は内面も外見も普通だと言っています。母は私の服装のことは気づいていますが、私がレスビアンだということは知りません。母は、私がまね事をしている、演じていると言うので、私は母に、私が女の子っぽく振る舞うとしたら、それこそが演技をしているからよ、って言い返すんです」。


「ストレート」?


 女子大生たちは、ブヤであってもなくても、次の会話のように様々な用語を使って自分の交際や恋愛関係について語ってくれた。シャイカ「これは個人の自由だと思うの。私は誰とでも出かけるけど、男子とも女子とも性的関係は持っていないわ」。バドリッヤ「私は何人かの女子と関係を持っていたけど、もうやめたの。イスラム教で禁止されているから」。ヌラ「私は、最初は男子と、次に女子と、それからまた男子と付き合ったわ」。バドリッヤ「今ここで話していることは誰も知らないの。知られたら面倒なことになるわ」。シャイカ「女子も男子も好きじゃない、つまり《ストレート》な女子なんて、実際にはほとんどいないんじゃないかしら。恋愛なしでも幸せに生きて行ける女子なんて…?」。ヌラ「悪いけどシャイカ、《ストレート》って男子を好きな女子のことよ」(笑い)。


 英語から派生した語に多様な意味が付与されてサウジ語になっているものがある。ここに登場している女子大生たちはごく簡単な英語しか話せなかった。シャイカは自分を「ストレート」(「伝統的」の意。一般には「異性愛の」という意味で使われる)と定義している。自分は男子とも女子とも隠れた交際はしていないし、その欲求も感じてもいないと言いたいのだ。サウジでは結婚外の恋愛関係は原則的に禁止されており、シャイカはこうした状況に合わせてこの言葉を使っている。ヌラはそれとは別の規範に合わせて《ストレート》という語を使い、通常の性的傾向を言い表している。 こういった特別な語彙の大部分は英語からきており、若い世代に特有のものである。ところが、インタビューの終りの方でヌラとバドリッヤが説明してくれたところによると、今では古めかしくなった昔の方言に「カウィッヤ」という言葉があるという。これは彼女たちも使っており、文字通り「女ともだち」を意味するが、実は親密な関係を表わす言葉だという。また別の調査協力者の話によれば、これは友情を越えた女同士の関係の古い伝統に連なるもので、自分の祖母の世代にそういうものがあったというのだ。


キャンパス内を闊歩するブヤ・カップル


 女子大生同士がカップルとなり、手をつないだり腕を組んだりしてキャンパス内を歩いている。インタビューに応じてくれた女子たちによると、カップルのうちの一方はブヤ――ショートヘアでゆったり目のスウェット・シャツと男子用バスケット・シューズを着用――で、他方は「フェミニン」または「キュート」(「可愛い」の意)――ブローしたロングヘアと体にフィットした服である――と呼ばれる。彼女たちの振る舞いは二人の関係、すなわち同性愛を公言していることになり、多くの場合非難を受けたり、隠蔽されたりすることになる。しかし中には――必ずしも全員ではないが――自らをレスビアンとはっきり認める女子もいる。


 2000年代の特徴として、アラブ圏では普遍的にLGBT(レスビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)による公然化要求が増えたこと、そしてこれに対抗して同性愛を非難する声明や活動が激化したことが挙げられる。後者の多くはいわゆる文化的・宗教的なイスラムの「正統性」を「西洋の干渉」から守るという名目で行なわれた。《クィーン・ボート事件》――カイロのゲイ・クラブで約50名の男性が逮捕され2001年に判決が下った――はその典型例だ。イスラムの正当性が冒されているというアプローチと関連して、「(性的)逸脱」(シュデュドゥー)とか「(ジェンダー)の混交」(タシャブー)といった(イスラム的典拠に基づく)告発が行われている。たとえば、クエートのテレビ番組《アル=ライ》では説教師ナビル=アル・アウディの番組「率直な発言の時間」では、ブヤに関してこうしたアプローチが使われた。しかし、それもアラブ首長国連邦やクウェートの放送でのみ可能な問題設定のひとつに過ぎない。


性的マイノリティを越えて拡がるブヤ


 サウジアラビアでは、LGBT(性的マイノリティ)の権利擁護のための公的な運動は行なわれていない。また、報道で「男性化」や「女性同士の同性愛」について触れられることも稀である。たいていは周辺国の論調の借用なのだ。つまり、精神病だとか、異常な病だとかいったものである。キャンパスで開かれる「男性化」に関する講演について、一部の講師らが用いているのもそうしたアプローチである。「女性であることに誇りをもってください。男性化はあなた自身のためになりません。自分本来の性を乱すものに私たちは反対します」。2008年、この種の同性愛事件を告知する張り紙に見られた文面である。さらには講師の一部が、女性精神科医や「女子教育」の専門家と直接協力し合って指導に当たっている。


 調査に協力してくれた非ブヤの女子たちも、ブヤを言い表すのにたびたび「精神病」「情緒の欠如」あるいは「家庭崩壊」という言葉を用いていた。とはいえ、彼女たちはたいていの場合、ブヤの格好をしている女子の大部分は「ファッション」として採り入れているのだと強調する。何人かの女子大生はブヤに対して大変に辛辣な言葉(「汚らわしい」「下品」「ヘンタイ」)を用いている。しかし、ブヤという形の自己表現が、一部にはファッションと考えられて若いサウジ女性に溶け込んでいるという実態があって、そのために、ブヤには秩序破壊的な影響力があるにもかかわらず、必ずしも全面的に批判されてはいないのだ。


 このような状況は、却ってキャンパスにブヤが広がることを助長している。キャンパスとは何らかの限界はあるとはいえ、規則への公然たる反抗が価値を持つ場所である。既成の秩序を破壊するブヤ・スタイルは、一部にはブヤの地位について権利要求するつもりのない女子学生も採り入れているのであり、彼女たちにはジェンダーや性行動の規範に違反する行為をするつもりなどない。この事はブヤが、一般的なジェンダー規範に対する抵抗であると同時に消費行動でもあるという矛盾があることを意味する。しかしこの矛盾こそがブヤの枠を越えて数多くの若いサウジアラビア女性たちが育んできたものなのだ。






(1)サウジアラビアでは、ヴェール着用は法的に義務づけられてはいないが、国の宗教機関が発行するファトワー(イスラムにおける法学裁定)が同様の意味をもつ。勧善懲悪委員会(一種の宗教警察)が、男女混合の公共の場でヴェール非着用、もしくはきちんと着用していない女性たちを取り締まるというかたちで義務づけられている。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年9月号)