主導権を奪い返そう

勝利のための戦略



セルジュ・アリミ

(編集主幹)


訳:井形和正


 経済成長率や、移民や最近の些事についてのお決まりの議論が戻ってきていることは、新自由主義的な秩序が巡航速度を回復しているようだという観測を強めている。リーマン・ショックは新自由主義的秩序を長期にわたって揺るがしたとは思われない。自然発生的な蜂起の不意の出現が広範囲の反撃を作り出すことを望むべきではないのか? それ以外には情況を変えるためのどのような方策も方法も考えられない。『ル・モンド・ディプロマティーク』の編集長によるこれまでの主張の集大成。綱領的文書。アリミの描き出す方向性は、年金・生活保護・健康保険など社会保障の強化によって、弱肉強食的な社会の発展に対抗し、高い給料の凍結、証券取引所の閉鎖、銀行の国有化、自由貿易の再検討、ユーロからの離脱、さらには公的債務の帳消し(21世紀の徳政令)などを実行することである。[フランス語版本紙・日本語版編集部]





 「国家は大胆かつ持続的な実験を求めている。ある方法を選び、それを試してみることが良いのだ。もしもその方法が失敗したら、失敗を率直に認めてほかの方法を試しなさい。しかし何はともあれ、何事かを試みることだ!」(フランクリン・ルーズベルト 1932年5月22日)


 2008年9月15日のリーマン・ブラザーズの倒産から5年が経った。社会の編成方法としての資本主義の正当性は打撃を受けた。資本主義の繁栄の可能性、社会的上昇の可能性、民主主義の可能性はもはや幻想を抱かせることがなくなった。かといって、大きな変化は生じていない。このシステムは批判されたが、システム自体は揺らいでいない。資本主義の失敗の代償は、資本主義からもぎ取られた社会的な獲得物の一部を破棄して支払われさえした。3年近く前に、アメリカ人経済学者ポール・クルーグマンは指摘していた。「市場原理主義者は、ほとんどすべての面で誤りを犯している。それにもかかわらず、彼らは政治世界をこれまでになく完全に支配している」(注1)。結局、自動操縦でもシステムは動く。これは敵への賛辞ではない。何が起きているのだろうか? そして、何をすれば良いのだろうか?


 反資本主義左翼は経済決定論という概念を認めない。なぜならば、左翼は経済決定論の概念を作っているのは政治意志であることを理解しているからである。左翼はそこから帰納して、2007年から2008年の財政的崩壊が左翼綱領の実現へと向かう確実な道を開くことはないだろうと推論したに違いない。1930年代の前例が既に暗示している。国家的情況、社会的連帯、政治的戦略の違いに応じて、世界恐慌が、ドイツでのアドルフ・ヒットラーの権力奪取、米国でのニューディール、フランスでの人民戦線、何も起こらなかった英国というように多様な対応がありえるのだ。だいぶ後になって、ロナルド・レーガンはホワイトハウスに入った後、数ヶ月遅れでミッテランはエリゼ宮に赴いた。フランスでニコラ・サルコジが破れた後、米国ではバラク・オバマが数ヶ月遅れで再選された。つまり、チャンスも才能も政治戦略さえも、一国の社会学や経済状況が取って代わり得るような二次的変数ではないと言って良いであろう。


 2008年以来の新自由主義者の勝利は新興諸国の騎兵隊援軍に多くを負っている。というのは、この「世界の崩壊」とは、中国やインドやブラジルの生産者・消費者大部隊の資本主義的ダンス場への入場でもあったからである。彼らは、資本主義システムがいまわのきわに見える時に援軍予備役として役立った。たった10年間で、新興諸国の世界的な生産は38%から50%になった。世界の新しい工場は主要な市場の一つになった。2009年以降、ドイツは米国よりも中国に輸出するようになった。


 「民族ブルジョワジー」の存在——それに、民族的解決の実施——は、今や世界中の支配階級が連携しているという事実に直面している。1960年代の反帝国主義思想に精神的に滞留しているのでもない限り、なぜいまだに現在の諸問題の進歩主義的解決において、中国、ロシア、インドの政治的エリートを立役者のように当てにするのだろうか? 彼らは、西洋の政治エリートと同じくらい利権重視で、金で動くのだが。


ラテン・アメリカの教訓


 しかし、後退は全世界的なものではなかった。社会学者イマニュエル・ウォーラーステインは3年前に指摘した。「21世紀初頭の10年間、ラテンアメリカは世界の左翼のサクセス・ストーリーであった。これは2つの理由でそうである。最初の、最も注目された理由は、左翼政党ないし中道左派政党が著しく長期間にわたって、選挙を勝ち取ったからである。第二の理由として、ラテンアメリカ諸政府が初めて共同して米国と距離を取ったからである。ラテンアメリカは比較的自主独立の地政学的勢力となったのである」(注2)。


 確かに地域統合は、最も大胆な考え方をする人々にとっては21世紀の社会主義」を先取りするものであり、その他の人々にとっては世界最大の市場の布石となるものである(注3)。しかしながら、このゲームはヨーロッパの内部ではなく、米国の昔からの裏庭で発展している。ラテンアメリカがこの10年以内に6つのクーデターの企て(ベネズエラ、ハイチ、ボリビア、ホンジュラス、エクアドル、パラグアイ)を体験したのは、おそらく左翼勢力による政変が現実に社会秩序を脅かし、住民の生活条件を変化させたからである。


 明らかになったのは、これまでとは別の方法が存在し、すべてが「不可能」ではなく、成功の条件を生み出すには経済的、政治的構造改革を始める必要があるということだ。この改革には庶民階級が動員されている。視野の欠如が庶民を無気力、神秘主義、抜け目ない生き残り術に追い込んでいだのである。おそらくこのようなやり方で極右とも闘うことになる。


商業部門を縮小させる方法


 構造改革、その通りだ。しかし、どのような改革なのか? 新自由主義者は「別の方法などない」という考えを巧みに植え付けて反対者を説き伏せたので、反対者たちは時として自らの主張を忘れてしまうほどである。構造改革の主張のいくつかを指摘しておこう。現在、主張は野心的であればあるほど、即座に定着させることが重要なのだ。そして、時に起きる荒々しさは、彼らが解体しようとする社会の暴力が原因であることを忘れてはならない。


 この新自由主義的秩序をどのように食い止め、撃退すればよいのだろうか? 非商業部門の発展ならびに無償性の発展は、この二つの目標に一挙に対応するであろう。経済学者アンドレ・オルレアンは指摘している。16世紀には「世界は交換可能な財ではなく、集団に共有の財・流通できない財であった。これで共有牧草地の囲い込みに関する法律への抵抗の強さが説明される」。彼は続ける。「今日でも生命の商品化について同じことが言える。一本の腕、一滴の血は商品には見えない。しかし、将来的にはどうなることだろうか?」(注4)。


 新自由主義的攻撃に反撃するためには、おそらく基本的ないくつかの需要(住居、食糧、文化、コミュニケーション、輸送)を民主的に定義し、公共団体が資金援助をおこない、全員に満足を与えることが必要であろう[公共団体とは地方自治体、健保組合など公共の福祉を目的とした団体を言う——訳註]。さらに、社会学者アラン・アッカルドが勧めるように、「公共サービスから始めて、歴史的な進展に応じてすべての根本的な需要の『無償の』支給にまで早急に、継続的に広げることが必要となる。こうしたことが経済的に構想可能になるのは、社会福祉労働に寄与し、皆の努力によって生み出されたすべての資源と財産の公共団体への返還による」(注5)。したがって、給料を大幅に上げて需要への支払い能力を強化するよりも、供給を共有化し、めいめいに対して新たな「共通経費」を負担することの方が重要であろう。


市場は誰のものか?


 しかし、どのようにして市場の独裁から国家の絶対主義へと転換することを避ければよいのか? 社会学者ベルナール・フリオは語る。「現に行われている人民による獲得物のモデルを一般化することから始めよう。たとえば社会保障であり、どのような政治信条の政府もこれを激しく攻撃している。この「すでにここにある解放者[社会保障制度のこと——訳註]」は、分担金の原理のおかげで、財の多くの部分を社会化し、年金、病人手当、失業者手当を支給することを可能にしている。国家によって徴収・支給される税金と異なり、社会保障積立金は蓄積の対象とならず、当初は、主として賃金労働者自身によって管理されていた。こうした原則をなぜもっと進めないのか?(注6)


三重の利点


 こうしたプランは敢然として攻撃的であり、三重の利点がある。政治的利点。このようなプランはきわめて大きな社会的連合を結ぶ可能性はあるが、リベラル派ないし極右派によって回収することは不可能である。エコロジー的利点。この計画はケインズ派の経済振興策を回避している。というのも、ケインズ派の経済振興策は、現行のモデルを存続させ、「一定額のお金が銀行口座に振り込まれても、広告の干渉によって商業的な消費に誘導される」(注7)ことに帰着するからである。現在、低賃金国でどうでもよいような製品を量産し、地球の端から端までコンテナでの輸送が続くが[iPhoneなどを途上国で委託生産することを皮肉っている——訳註]、そのような製品では満足しないような需要を重視する。最後の民主的な利点。公共業務の優先課題の選別権(無償にするか、しないか)は同一社会階層出身のエリート、株主、特権的知識人には独占されなくなるだろう。


 このタイプのアプローチは緊急に必要である。世界諸勢力の社会的力関係の現状では、産業労働力(同様にサービスも)の加速的ロボット化は、同時に、資本に対する新たな金利(「労働コスト」の低下)、大衆の失業とさらなる補償の低下を引き起こす可能性がある。アマゾンや検索エンジンで、毎日、数億の顧客が遠隔ロボットに小旅行、旅行、読書、聴く音楽の選択を任せていることがわかる。本屋、新聞社、旅行会社はすでにその代償を払わされている。マッキンゼー社長ドミニク・バートン氏は指摘する。「グーグル、フェイスブック、アマゾンなどインターネットの最大10社はかろうじて20万の雇用を創出した」のみだが、「数千億ドルの株式時価総額」を稼いだ(注8)。


無償性と負債


 失業問題を改善するために、支配階級は結局、哲学者アンドレ・ゴルツが恐れていたシナリオに行き着くことになる。無償性と寄付によってまかなわれていた分野への絶え間ない侵害である。「あらゆる活動が賃労働に変化することはいったいどこまでいったら止まるのだろうか? 賃収入が活動の理由となり、賃収入の最大化が目的となるのだ。母親としての活動、父親としての活動の商売化、胎児の商業ベースの出産、子供の売却、臓器の商売、これらを防ぐ脆いバリケードは、いったいいつまで持ち堪えるのだろう?」(注9)。


 国家の負債の問題は、政治的、社会的な背景が明らかにされるに従って無償性の問題と同じくらいに大きくなる。歴史上、国家は債権者に首根っこをつかまれ、国民にいつまでも緊縮策を押しつけられなくなって、重圧から逃れるのが日常茶飯事となっている。ツァーリが応募したロシアの公債の支払いを拒んだのはソビエト共和国だった。80%のフラン平価切下げを行い、フランスの財政的負担をそれだけ削減してフランを守ったのはレイモン・ポアンカレだった。フランは価値の下がった通貨で返済された。また、緊縮政策はなかったが、インフレを野放しにし、公的債務の重荷をほぼ半減させたのは戦後の米国と英国だった(注10)。


 それ以降、マネタリズム支配には義務が伴うことになる。銀行破産は冒涜となり、インフレは(その割合がゼロに近づく時を含めて)排除される。平価切下げも禁止される。しかし、債権者はデフォルトのリスクから解放されたにもかかわらず、「貸し付け利益」を要求し続ける。経済学者フレデリック・ロルドンは応酬する。「歴史的過剰債務情況において、債権者サービスの構造的調整か、あるいは何らかの形の彼らの倒産が起こるか、二つに一つの選択しかない」(注11)。負債の全部ないし一部の無効化によって、国籍が何であれ金利生活者や投資家に対してすべてを与えた後に略奪することになる。


 公共団体へ付けられた絞首刑用首輪は早急に緩められるだろう。30年間にわたって新自由主義が濫費した税収を、公共団体は回復していくからである。新自由主義の時代には、税金の累進性を攻撃し、不正行為の拡大に適応しただけでなく、全世界に広がったシステムを作り、そのシステムの内部で、財とサービスの国際的交易の半分がタックス・ヘイブンを通過するようにしていた。受益者は、ロシアの寡頭政治家や元フランス予算相だけではない。受益者はトタル、アップル、グーグル、シティグループ、BNPパリバのように、国家に甘やかされた(メディアでは影響力のある)企業である。


 財政の最適化、「送金費用」(税金が低い場所にある系列会社に利益を貯めておくことができる)、本社の移転。このような手段を用いて全く合法的に公共団体から奪い取られた総額は、欧州連合だけでも一兆ユーロ[130兆円]に近づくであろう。さもありなん、多くの国々で、税収損失が公的債務の総額を上回っているのである。フランスでは、何人もの経済学者が力説している。「税収損失総額の半分だけを回収しても予算の均衡は、立て直すことができる。しかも年金、公的雇用や将来の自然環境への投資を犠牲にせずに、である(注12)」。このような税逃れの「回収」は、100回も公表され、100回も延期され(そして、果てしのない「社会的扶助の不正受給」糾弾より100倍も儲かるはずなのだが)、もし本当に実施されれば、一層人気を集めることができ、平等的であろう。というのは、一般納税者は、名目上のロイヤリティをカイマン島の系列会社に支払って、課税所得を少なくすることなどできないからである。


ユーロ脱退


 優先順位リストに、高い給料の凍結、証券取引所の閉鎖、銀行の国有化、自由貿易の再検討、ユーロからの離脱、資本の管理などを付け加えることができる。いずれのテーマもこの欄にすでに論じている。なぜ無償性、公的債務の帳消し、財政回復に対して優先的な地位を与えるのか? なぜならば、単に戦略を練り上げ、社会的基盤と政治的実現の条件を想像するためには、少数の優先課題を選ぶ方が良いからである。最初の弾圧で追い散らされた種々雑多な怒れる群衆をまとめたカタログを作るよりも、ずっと楽なのだ。


 ユーロから離脱は、必ずや緊急の課題に数えられるだろう(注13)。今では誰でも、単一通貨ならびにこれを制度的、法律的に支える物的保証(独立中央銀行、安定条約)は、すべての政策的調整を禁止していることばかりか、財界の要求に従属した支配階級に支えられて、不平等に風穴を開けようとする挑戦、主権の制限に挑むことを禁止していることも理解している。しかし、単一通貨を再検討することはいかに必要であろうと、この不平等の制限、主権の制限という2重の戦線での奪回が保証されるわけでは決してない。イギリス連合王国やスイスの経済・社会的な進路もこのことを明らかにしている。他方、ユーロ離脱は、いくらか保護貿易主義的で、最悪と最善が混淆した政治的連合に基づいている。[EU離脱・ユーロ離脱を主張している右派との連合を想定しているものか?——訳註]連合の内部では、今のところ最悪が最善に勝っている。共通賃金、負債の削減、未払い税の回収によって、債務の一掃が大幅に、これまで以上に行われるだろうが、それに当たっては、望まれない連合者は遠ざける必要があるだろう。


 このような「計画」が世界のどんな国会でも多数派を占めることができると考えるのは無駄だ。このプランがひっくり返そうとしていることの中には、これまで不可侵とされてきた多くの規定が含まれている。しかし、苦境にあるシステムを救うことが問題な時には、リベラル派は強気であった。彼らは負債の増加を前にして、後ずさりしなかった(彼らは負債の増加は利率を急騰させると断言していた)。予算を用いた強烈な経済振興策の前でも、たじろぐことはなかった(彼らは負債の上昇はインフレを引き起こすと主張していた)。増税、倒産した銀行の国有化、預金への強制的課税や資本管理の再開を前にしてもたじろがなかった(キプロス)。結局、「小麦が雹に降られた時、やかましいことを言うのは馬鹿げている」。そして、彼らにとって意義があることは過剰な謙虚さに苦しんでいる私たちにも意義があるのだ。しかし、人が自信を取り戻す必要があるばかりか、ほぼ似たような綱領を掲げる左翼と右翼の交代以外に結局選択肢がないという諦めと闘う必要がある。そのためには、過去への帰還を空想したり、大災厄の大きさを減らそうと願っていてもだめなのだ。


今、大胆さとは?


 そうではなく、まさに大胆さが必要なのである。環境について語る際、アンドレ・ゴルツは1947年に以下のように求めていた。「政治的攻撃は、すべてのレベルで(資本主義から)活動の主導権を奪い取り、全く異なる社会・文明計画を資本主義に対置する」。ゴルツによれば、環境前線での改革が、社会情況の悪化で支払われるのは避けることが望ましいからである。「環境の闘いは資本主義に諸々の困難を生み出し、資本主義を変化させるかもしれない。しかし、資本主義は、長い間、力と策略で抵抗したあとで、最後には譲歩するだろう。というのは、環境の行き詰まりが避けられなくなるからだ。資本主義は他の困難を取り込んだように、この困難も取り込むだろう。(…)人民の購買力は抑えられ、まるで汚染除去の費用が、商品購入のために利用できる資金から天引きされるかのようになるだろう(注14)」。以後、システムの回復能力が明らかになり、今度は汚染除去が市場となった。たとえば、中国の深?市である。そこでは、あまり汚染物質を出していない企業が他人に正規の割当量を超える権利を売っている間に、汚染された空気が年間で100万人以上の中国人を殺している。


 もしも世界を回復させるアイデアが山ほどあるならば、どうやればそうしたアイデアを「未成のアイデア博物館」から取り出すことができるのだろうか? 最近、社会はアラブの抵抗運動から「怒れる人々」の運動にいたるまで、無数の異議申し立てを引き起こした。2003年にイラク戦争に反対して無数の群衆が集結してから、数千万人のデモ参加者が、スペインから米国、トルコあるいはブラジルを経由して、イスラエルまで街路を埋めた。彼らは人々の注意を引き付けた。しかし、得たものは大きくはなかった。彼らの戦略的失敗は、次に来たる行進の指標を作るにあたって参考となる。


 反体制大連合の特質は、分裂のタネとなるような諸問題を避けて、数を固めることである。誰でも、どのようなテーマであれば、緩やかだが曖昧な目標しか掲げない連合でも時として分裂させるのか誰にもわかっている。収入のより良い分配、骨抜きにされていない民主主義、差別と権威主義の拒否などである。新自由主義的政策の社会的基盤が貧弱になり、中流階級が、恵まれない人たちの費用、自由貿易、高い学費などの費用を支払わねばならなくなるにつれて、多数派の連合を集めることは一層容易になる。


 多数派を結集するだって? しかし、何をするために? あまりに漠然とし、あまりに数が多い要求では政治的表現を見出すことや長期的な関与が難しい。最近、ブラジルの主要な労組である労働者統一組合連合(CUT)の元委員長アルチュール・エンリケは説明した。「社会運動の全指導者集会の時に、私はさまざまな文書を集めた。労働組合連合のプログラムには230の主張が含まれていた。農民組合は77の主張であった。私はすべてを足してみた。900以上だ。そこで私は尋ねた。『具体的には、それで何になるのか?』」。エジプトでは答えが出た…軍隊によって。人民の多数派は、あらゆる種類の立派な理由で大統領モハメド・モルシに反対した。しかし、彼の失脚を求める以外の目標がなかったので、人民の多数派は権力を軍隊に委ねた。今日は軍隊の人質になる危険を冒して、明日はその犠牲になるのだ。往々にして、行動計画がないと、計画がある人々に依存することになる。


 自発性と即興性は革命的瞬間に有利に作用することがある。しかしそうしたものは革命を保証するのではない。社会のネットワークはデモの組織化を側面から鼓舞した。公的な組織の不在は警察の監視から——定期間——逃れることを可能にした。しかし、権力はいまだにピラミッド状の構造に支配されている。金銭、活動家、選挙マシーンと戦略が必要なのだ。どのような社会層に依拠し、どのような同盟を結び、どのような計画をたてるのか? アッカルドの隠喩がここに適用される。「一つの時計の部品がすべて机の上にある。組み立て表のない人は、時計を作動させることができない。組み立て表とは戦略である。政治では、連続した叫び声をあげるか、部品の組み立てについて熟考するか、どちらかであろう(注15)」。


 大きな優先事項をいくつか定義すること、優先事項を基軸にして闘争を再構築すること、自分固有の名人芸を見せようとしてすべてを複雑にしないようにすること、それは時計屋の役割を演じることである。なぜならば、「めいめいが内容に手を加えるウィキペディア革命(注16)」では時計は直らないからである。近年、局地的で、爆発的で、熱狂的な、自己愛に満ちた弾劾闘争を生んだが、これらはいらだちと無力の銀河系、連続した落胆に到った(注17)。中流階級がしばしばこの運動の中心となるに応じて、このような移り気は驚くべきものではなくなった。中流階級は、極度の危機の中でだけ、また、短期間で作戦の指導力を取り戻すという条件下でだけ、人民階層と同盟を結ぶ(注18)。


 しかしながら、権力との関係の問題がますます問われている。主要政党と現在の機構が、ほんの僅かでも新自由主義的秩序を変えられるとは誰も考えていない以上、心性の変化を構造や法律の変化に優先させ、国土を見捨て、地元や共同体レベルに再投資し、将来の勝利に備えて実験工房を作りたいという誘惑は増大する。ウォーラーステインは要約する。「ある団体は運動、中央組織のない多様性に希望を託している。別の団体は、政治的権力がなければ何も変えることはできない、と主張している。ラテンアメリカのすべての政府はこの議論を交わしている(注19)」。


 第一の考え方の難しさを測ってみよう。一方では、支配階級は団結し、利害に意識的で、動員されており、地域と権力を握っている。他方の側は、無数の結社、組合、政党を持ち、政治権力によって懐柔されることを危惧しているだけに一層、自分たちの領分、独自性、自主性を守ろうとしている。恐らく彼らは、インターネット幻想にうっとりする。インターネットは彼らに、ネット上にHPを所有している、彼らは重要な存在だと思わせるのだ。「ネットワーク組織」と彼らが名づけるものは、組織も戦略的熟慮もない、形だけの仮面となる。ネットワークの現実には、電子を使ったコミュニケの堂々巡りの流通しかない。誰もが応答するが、誰も読んでいないのだ。


 社会運動と体制側の調停者との関係、対抗勢力と政党との関係は常に問題であった。主要な目標、「綱領」が失われ、そうした路線を具体化する政党やカルテルがこれまでになくもはや存在しないからには、「個別から全体をいかに創り出すかが問われ」なければならない(注20)。直接的に資本権力を問題にした優先項目を定義すれば、善意の人たちを武装させ、中心的システムを攻撃し、仲間となる政治的勢力を見つけることが可能になるであろう。


新自由主義ユートピアの悪あがき


 しかしそうした仲間となる政治勢力に対しては、選挙民は国民投票によって当選者を任期満了前に罷免できるようにすることを、すぐに求めることが重要であろう。1999年以来、ベネズエラ憲法にはそのような措置が含まれている。多数の政府の長は、予め国民の委任を受けずに重要な決定を行った(退職年齢、徴兵、EU憲法条約)。罷免権をえればそれで国民は報復を行い、信頼を裏切った人たちの双子の兄弟を政府当局に再任しない権利を得ることになる。


 では、出番の時間を待つことで足りるのだろうか? チュニジア大統領モンセフ・マルズキは指摘している。「2011年の初頭に、共和国会議(CPR)の党員はまだ6人を超えませんでした。それでもCPRは数ヵ月後のチュニジアでの初の民主的な選挙で第2位を獲得しました」(注21)。現在の流れでは、あまりに消極的、あまりにも詩的な気分で待つことの危険とは、自分以外の人たちが、堪えきれずに、ためらわずに、強面に、時期を素早く掴み、自分たちの利益のために絶望的な怒りを利用することである。そして適切とは言えないターゲットを探すのだ。そして、救助の手が入らない限り社会的な凋落は止むことがないので、再出発のための支援所、抵抗拠点(商業的でない活動、公共サービス、民主的諸権利)が、ほっておくとダメになる恐れがある。将来の勝利は一層困難になるであろう。


 試合に敗北しているわけではない。新自由主義的ユートピアは夢、絶対、理想を焼き尽くしてしまった。夢がなければ社会計画は衰退し、ついで消滅する。ユートピアは特権しか、生気のない存在しか生み出さない。従って、事態は変化が起こるだろう。誰でも、思ったよりも早く変化を起こすことができるかも知れない。






(1) Paul Krugman, «When zombies win», The New York Times, 19 décembre 2010.
(2)Immanuel Wallerstein, «Latin America’s leftist divide», International Herald Tribune, Neuilly-sur-Seine, 18 août 2010.
(3) Lire Renaud Lambert, «Le Brésil s’empare du rêve de Bolivar», Le Monde diplomatique, juin 2013.
(4) Le Nouvel Observateur, Paris, 5 juillet 2012.
(5) Alain Accardo, «Les eaux tièdes du réformisme», Le Sarkophage, Lyon, septembre 2010.
(6) Lire Bernard Friot, «La cotisation, levier d’émancipation» ainsi que l’ensemble de notre dossier sur le revenu garanti, Le Monde diplomatique, respectivement février 2012 et mai 2013.
(7) Cf. «Pourquoi le Plan B n’augmentera pas les salaires», Le Plan B, n° 21, Paris, janvier 2010.
(8) Les Echos, Paris, 13 mai 2013.
(9) André Gorz, «Pourquoi la société salariale a besoin de nouveaux valets», Le Monde diplomatique, juin 1990.
(10) De 116 % à 66 % du produit national brut entre 1945 et 1955 dans le premier cas, de 216 % à 138 % dans le second. Lire «Ne rougissez pas de vouloir la lune : il nous la faut», Le Monde diplomatique, juillet 2011.
米国では国民総生産の116パーセントから66パーセントへ、英国では216パーセントから138パーセントへと比率が低下した。
(11) «En sortir», La pompe à phynance, 26 septembre 2012, blog.mondediplo.net
(12) «“Eradiquer les paradis fiscaux” rendrait la rigueur inutile», Libération, Paris, 30 avril 2013.
(13) Lire Frédéric Lordon, «Sortir de l’euro ?», Le Monde diplomatique, août 2013.
(14) André Gorz, Le Sauvage, avril 1974. Republié sous le titre «Leur écologie et la nôtre», Le Monde diplomatique, avril 2010.
(15) Alain Accardo, «L’organisation et le nombre», La Traverse, n° 1, Grenoble, été 2010, www.les-renseignements-genereux.org
(16) Expression de M. Wael Ghonim, cyberdissident égyptien et responsable marketing de Google.
ワエル・ゴニムの表現。ゴニムはエジプトのサイバー反徒、グーグルのマーケティング代表者。
(17) Cf. Thomas Frank, «Occuper Wall Street, un mouvement tombé amoureux de lui-même», Le Monde diplomatique, janvier 2013.
(18) Lire Dominique Pinsolle, «Entre soumission et rébellion», Le Monde diplomatique, mai 2012.
(19) L’Humanité, Saint-Denis, 31 juillet 2013.
(20) Lire Franck Poupeau, Les mésaventures de la critique, Raisons d’agir, Paris, 2012.
(21) Moncef Marzouki, L’Invention d’une démocratie. Les leçons de l’expérience tunisienne, La Découverte, Paris, 2013, p. 30.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年9月号)