特集「疑問視される教科書の正統性」


男性優位の数学教科書——フランス語圏アフリカ諸国の場合


カロル・ブリュゲイユ、シルヴィ・クロメ

カロル・ブリュゲイユは、パリ西ナンテール大学人口社会研究センター(CERPOS)
及び国立人口学研究所(INED)に所属する人口学者。
シルヴィ・クロメは、リール第二大学法学研究センター及び国立人口学研究所(INED)
に所属する社会学者。
二人の共著書に『教科書における男女の表象の分析』(未邦訳)がある。
Carole Brugeilles et Sylvie Cromer, Analyser les représentations du masculin
et du féminin dans les manuels scolaires
, Ceped, coll. «Les clefs pour», Paris, 2005.


訳:上原秀一


 フランス語圏アフリカ諸国では、他の国々と同様に、計算を習う生徒たちが、計算と同時に男女の関係に関する偏った見方をも身に付けている。[フランス語版編集部]




数学教科書の中の性別役割


 数学という教科は一見したところ中立的なものであるが、その教科書の中では、歴史や経済の教科書と同様に、さまざまな社会的な関係が照らし出されている。学習を具体的で魅力的なものとするため、授業や練習問題には様々な人物が登場する。子供がビー玉の数を数えたり、大人が買い物やガソリンの計算をしたりする初歩的なストーリーの登場人物である。そこには、ある種の性別役割が描き出されている。


 『私の数学の本(Mon livre de mathématiques)』という全6巻の教科書がある。アティエ・アンテルナショナル社が刊行し、フランス語圏アフリカ諸国の小学校で使われているものである(注1)。この教科書の登場人物のうち性別が分かるのは1,375人である(文章中に1,014人、イラスト中に361人)。男女別の数は、まったくアンバランスである。最も好んで使われるのは男の子(文章中の39%、イラスト中の58%)である。成年女性は、女の子と成年男性に続いて最も少なく、文章中の10%、イラスト中の5%にとどまっている。そして、学年が上がるにつれて、成年女性の数は減っていく。


 学校の場面では男の子と女の子は非常に似通って見えるかもしれないが、家庭の場面では違いがはっきりする。家庭ではすべての子供が家の仕事を手伝っているが、裁縫は女の子だけが、大工仕事は男の子だけが担っている。女の子は、飾りとしての役割を表す性質(宝石、リボン)を与えられており、男の子は遊びに関わる性質(ゲーム、玩具)やお金と結びつけられている。さらに、買い物は、男の子が担うことの多い活動である。外の世界に関与する活動だからである。


 成年女性の姿は、明らかに均質に描かれている。60%近くは家庭における役割(誰それの母や誰それの妻)によって女性と認めることができる人物である。23%が名前から、10.8%が職業から女性と認めることができる(大部分が食料品店員で、教師が二人、秘書が一人いる)。食料品店員や教師、秘書の他に公的な場に現れる女性は、その大部分が、家族全員の食料品(該当する女性の半数)や衣類(同じく3分の1)を買いに来る客である。このように、食事に関する役割は、女性の特徴とされていることが分かる。女性の44%が食料品に関係のある形で描かれているのである。反対に、余暇を過ごす女性はいない。余暇を過ごす女性は、それ以外の可能性と比べて、数字の上で周辺的である。


 反対に、数学教科書には、極めて多様な男性像が描かれている。成年男性の二人に一人は、職業上の地位を与えられ、多種多様な職種に属している。商業従事者と手工業者を筆頭に、小学校の教師と校長、農業従事者、工員、事務職員、そして、知的・芸術的専門職の代表的なものなどがこれらに続く。イラスト中には19人の教師が描かれているが、そのうち18人が男性である。この割合は、現実をまったく反映していない。国連教育科学文化機関(ユネスコ)のデータによると、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国における女性教師の割合は2009年には42%に上っているからである(注2)。しかしながら、数学の教科書では、知識を蓄えて伝達する学校が、男性専用の場所とされているのである。


男性の存在に従属する女性の存在


 成年男性は、家庭の中にも溶け込んでいる。社会のあらゆる場で能力を開花させることができるのである。しかし、その参加の仕方は偏りがある。高額な買い物(家電製品や乗物など)は、とりわけ男性の仕事である。また、男性は、庭仕事や大工仕事も引き受ける。これらは、価値ある仕事と思われていて、原則として普段は行わないような仕事である。さらに、男性には、自立の証であり象徴的な権力の証であるような性質が与えられている。男性は、畑や仕事道具、あるいは事務用品の所有者であり、多くの場合、金銭や乗物、工具類も男性が所有している。


 男女両性の間の「関係」を子供と大人の間の「関係」と同じように納得のいく形で決めるものでない限り、性別役割分業(ジェンダー)の制度は完全なものとは言えないはずである。数学教科書の登場人物が形作る人間関係(文章中に214組、イラスト中に50組)からは、年齢と性別による差別が存在する世の中の姿を読み取ることができる。そこでは、様々な誘導の仕組みが働いている。男の世界は、普通、男だけで成り立っている。それは、女の世界とは異なっている。女の世界は、男女両性が共存しているのを特徴とするからである。このことから、男たちは自立していて、男だけの社会というものが存在し得るという仮説が確かめられることになる。一方、女だけの社会というものは存在しない。教科書中の成年女性の4分の3は、男性と一緒に登場する。女の子の場合、男性と一緒に登場する割合は80%にまで高まる。したがって、女性登場人物の存在は、男性登場人物の存在に従属しているといえるだろう。


 そして最後に、数学は、《比較》という特別な関係づけの仕方を助長するものである。教科書においては、全部で87か所で《比較》が行われている。男の子と女の子の比較が最も多い(34か所)。比較の性質は、登場人物の性別に応じて変化する。男の子同士を比較する時には、物の所有、身体的特徴、学業成績、所持する金銭の額、そしてスポーツの成績が比べられる。女の子同士の比較というのはそもそも極めて珍しいのだが、その場合は、様々な物やお金を持っているかどうかよりもむしろ、身体的な特徴による比較が多くなっている(3分の1のケース)。学業やスポーツの成績で女の子を比較している例は一切無い。男の子と女の子の比較においては、学業成績と身体的特徴が比較の対象となる。あらゆる比較は順位付けが可能であるということを前提としており、多くの場合、女の子には低い価値が与えられる。34か所の男女比較のうちたったの6か所でしか女の子は優位に立っていない。19か所で女の子が低く評価されているのである。






(1)この教科書は、1997年度に初めて編纂された。ここでは、2002年度以降に使われている新版を調査の対象とした。同社が出版する他の教科書と違って、『私の数学の本』は、特定の国のために作られたものではない。著者は不詳で、単に「教員グループ」とのみ記載されている。
(2) «La demande mondiale d’enseignants au primaire», Institut de statistique de l’Unesco, fiche d’information n° 6, 2011, www.uis.unesco.org


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年9月号)