政治と文学。再び「行動が夢の同胞(はらから)」(ボードレール)とならんことを


「唯美主義」と「政治参加」の対立というフィクション


エヴリヌ・ピエイエ


訳:上原秀一


 「政治参加」(アンガジュマン)の芸術は、芸術の目的を裏切ることになるのではないか。確かに、型どおりの教条に支配されて創造性を破壊してしまった例や、政治綱領の表現へと矮小化されてしまった作品はある。サルトルが提起して世界中の知識人を悩ませたこの問題は、実はボードレールの時代から存在しており、その後もブレヒト、ブロッホらの努力によって様々な回答の試みが行われている。現在得られている研究成果・知見をもとにした論考。[フランス語版・日本語版編集部]




芸術の役割に関する二つの見方


 われわれは賢明なる民主主義の世界に暮らしているはずなのに、政治家は芸術についてあまり語らなくなってしまった。フランソワ・オランド大統領が2012年フランス大統領選挙の選挙綱領で示した60項目の公約においては、「国民芸術教育計画」の一か所を除いて「芸術(art)」という言葉は用いられていない。ニコラ・サルコジ候補の公約に到ってはこの言葉は一度も用いられていない。これは驚くべきことではない。「選良」たちの演説の中では、「芸術」の代わりに「文化」が用いられるようになっているからである。しかし文化という言葉は曖昧である。誰も正確な意味を知らず、何でもそこに入れてしまう。政権党の政治家たちにとっての文化領域の課題は、何十年も前から、かの文化なるものに接する機会を「民主化」することである。社会のつながりを緊密なものにすると言われる例の文化である。これは、芸術を単なる社会統合の道具に変え、長い間危険なものであり続けていたこの芸術という主題をゆがめてしまう驚くべきやり方である。


 2世紀近くにわたって、社会問題が出現するときにはいつでも、芸術の役割に関する二つの見方がぶつかり合ってきた。魂の糧なのか、それとも社会変革のための道具なのか。教養人のための作品なのか、それとも人民のための芸術なのか。重大な問いかけだ。この問いかけは、あるいは「文化の義務」を、あるいは「市民一人一人が持つ文化への権利」(注1)を、手品のように出したり引っ込めたりしてみたとしても、消えてなくなることがない。政治的・社会的な問題が急増している今日、再び大いに議論の俎上に登りそうな根本的な問いかけである。


 プジョー株式会社(PSA)の工員でラッパーのカシュ・レオーヌ氏は、『もう続かない』(Kash Leone, Ça peut plus durer)というラップを作った(注2)。この曲は、PSAオルネー=スー=ボワ工場の閉鎖に対する同氏の怒りを皮肉を込めて表現したものである。同氏がルポルタージュに合わせて歌うビデオクリップは非常に広く視聴された。イランのアーリャ・アラームネジャド氏は、2009年大統領選挙における不正行為を告発する大規模な抗議行動「緑の運動」のために『デルタンギュイ』(「締め付けられる心」という意味)(Arya Aramnejad, Deltangui)という曲を発表した(注3)。このため彼は18か月の間、逮捕拘禁されている。フランスの演劇集団ドルゼデジャ(D’ores et déjà)は、『われらが恐怖政治』(Notre Terreur)という作品で1793年の意味を問うている(注4)。フランスの俳優フィリップ・コベール氏は、『アージェント・クライアー!』(Philippe Caubère, Urgent crier !)で、劇作家アンドレ・ベネデット(André Benedetto)の叙情的な政治参加演劇に対するオマージュを捧げている(注5)。中国の現代美術家で社会運動家のアイ・ウェイェイ(艾未未・がいみみ)氏は、当局による2011年の身柄拘束を描いたミュージック・ビデオを5月末に公表した(注6)。そこでは、当局のプロパガンダがあれほど重視している「調和」とは反対に、ロックと映画そして心を打つ罵詈雑言が混ぜ合わされている。そして彼は、「共生」の魅力とは相容れないジャンルであるハードロックのアルバムを近く発表して、再び当局を刺激しようとしている。


 こうしたいくつかの例は、多岐にわたっており、比較のしようもないが、政治との結びつきを自認する芸術の重要性が増していることの証拠にはなるだろう。フランスにおける論争の生ぬるさ、そして危機意識の無さからすれば、こうした芸術の狙いがどこにあるのかを思い出しておくこともつまらないことではないだろう。なぜなら、政治目的に資するための芸術は、長い間、「非政治的」芸術と比べて「創造的」ではないと考えられてきたからである。しかし、おおっぴらに掲げられた政治性さえあれば、芸術が「芸術的に」政治参加するのに十分なのだろうか。芸術家が政治参加するとき、芸術は何に参加することになるのだろうか。芸術作品はそれ自身では十分な価値のないものなのだろうか……。


 まず強調しておかなければならないのは、芸術の役割に関するこのように対立した見方は大昔からあるものではない、という点である。こうした対立は、革命を背景とした政治・社会の歴史によって生み出されたのである。完璧な詩人、シャルル・ボードレールは、ここで象徴的な役割を果たしてくれることだろう。


ボードレールの場合


 ボードレールは髪の毛を緑色に染めていて、間違いなく非凡な風采の持ち主であった。見まがうことなく、彼は芸術家なのだ。しかし、髪粉を振って上品な淡いばら色の手袋をはめたこのダンディが、「《芸術のための芸術》派の幼稚な理想論」を嘲弄するのである。共和主義者で社会主義者の人気詩人ピエール・デュポンの詩集『歌と歌謡』への序文(1851年)においてのことだ。デュポンの詩「労働者の歌」は「苦痛と憂愁の賛嘆すべき叫び」であると力説するのだ(注7)。同じ年にボードレールは次のように述べている。「文学上の論争にひっきりなしに登場する、壮大で怖ろしい語というものがある――芸術、美、有用性、道徳、である。大乱闘が演じられる。そして、哲学的な分別を欠くがゆえに、めいめいが旗の半分をわがものにして、他の半分には何の価値もないと主張する。(中略)相対立する二派、ブルジョワ派と社会主義派の双方にわれわれは同様な誤謬を見出す、と指摘するのは心痛むわざだ。『教化しよう! 教化しよう!』とどちらの派も叫ぶ、海外布教師さながらの激しい熱をこめて。当然のことながら、一方はブルジョワ道徳を、他方は社会主義道徳を説くのである。そうなってしまえば芸術はもうプロパガンダの問題でしかない」(注8)。


 ボードレールは、1848年の二月革命に参加した。この革命によって、国王ルイ=フィリップは倒され、共和政が樹立された。この年に人民が起こした六月蜂起は、武力で鎮圧された。12月には、ルイ=ナポレオンが(男性)普通選挙で大統領に選出された。ルイ=ナポレオンは、1851年にクーデタを起こして皇帝となった。貯蓄銀行が隆盛を極めることとなる。フランソワ・ギゾー大臣が「金持ちになりたまえ」という有名な言葉でフランス人の理想を示したとおりである(注9)。このときボードレールは「自我の孤独」の中を歩んでいた、と友人の写真家ナダールが書き記している。進歩はボードレールを落胆させるものであった。彼は『火箭』でこう書いている。「およそ〈進歩〉にもまして不条理なものがあるだろうか、なぜなら人間は、日々の事実によって証明されるように、いつだって人間に似ており人間に等しい、つまりいつも野蛮な状態にあるのだから」(注10)。現代性は彼を憂鬱にさせる(現代性(modernité)と憂鬱(spleen)は、ボードレールが新たにフランス語の語彙に取り入れた言葉である)。しかし彼は、現代性の「叙事詩的な側面」を賞賛することができるということを知っていた。そして、「われわれがネクタイを締めワニス塗りの長靴を履いたままでいかに偉大であり詩的であるか」(『1845年のサロン』)を見せ、理解させることができるということも知っていた(注11)。


 ボードレールの苦痛と矛盾は、まさに現代性と結びついている。その苦痛と矛盾は、現代性の象徴でさえある。二つの嫌悪(「教化しよう! 教化しよう!」)の板挟みにあって、彼は、ピエール・ブルデューの言うように、相互に対立する立場に対立し、「相互に深く対立し社会的に両立不可能な諸特性と諸計画を《調停的譲歩なし》に」結合しようとする。「すでに出来上がった可能態の空間」の前に位置してこれを拒否した彼には、一つの「作るべき可能態(ポッシーブル・ア・フェール)」しか残されていない(注12)。すなわち、『悪の華』の言葉で言えば「行動が夢の同胞(はらから)ではないような世界」(注13)の中で、引き裂かれた孤独な作品を作ることしか残されていないのである。


芸術Artと技芸art


 政治参加と唯美主義との間の緊張関係、有用な芸術と自律性を求める芸術との間の緊張関係、そして時代の問題に結びついた作品と永久不変の美の探求との間の緊張関係は、19世紀になって初めて広まったものである。絵画に署名をする習慣が一般的になったのもこの時期のことである。絵画が「作品」と考えられるようになったからである。art(技芸)という語を大文字で書き始めてArt(芸術)とする用例は、近代的な意味を表すものであり、18世紀以前にはなかったようだ。詩や音楽、絵画……そして軍事技術(art militaire)といった「高貴な」技術が「機械的」技術から区別されて芸術となったのである。芸術家(artiste)は次第に職人(artisan)から区別されるようになっていく。新たな価値序列のもとでは、「[絵画と詩――原注]を生み出したのは必要性ではない」(『百科全書』序論)(注14)という事実を重視するからである。ラテン語のオーティウム(otium、閑暇)とネゴーティウム(negotium、仕事)との対立である。余暇や無駄な贅沢に対する労働やその収益性との対立である。


 19世紀にはこうした対立が激化した。一方で、国家が芸術作品の展覧と評価に関する独占権を失った(注15)。他方で、フランス革命によって、特権が廃止されて驚くような平等の概念が主張されたことにより、内的差異すなわち例外性に関する意識が生まれた。この19世紀はもう一つの(より長期にわたる)革命である産業革命によって揺すぶられたからである。この革命のせいで、新たに民衆や大衆、庶民といった存在が可視化され、彼らの問題が提起されるようになったのだ。政治的革命は何度も挫折したが、革命の問いかけ・成果・理想は人々に働きかけることをやめなかった。それと同時に、社会問題によって革命の問いや成果、理想が活性化され、先鋭化されることとなった。


ブルジョワの勝利


 しかし、ブルジョワが勝利を収める。労働、経済、秩序遵守といったブルジョワの価値観が勝利を収める。芸術家は市場原理に支配されるようになる。客であるならば価値観の違う人々でも喜ばせなければならなくなるのである。芸術家の取るべき立場は二つに一つとなる。一つは、自らの芸術の求めるところのみに従い、象牙の塔を求める立場である。そこにこもって、美の高みに至ることのできない俗物たちを軽蔑するのだ。もう一つは、支配階級に虐げられた人々の代弁者となり、こうした人々を解放する価値観に奉仕するという立場である。芸術仲間と自分自身のための作品なのか、社会の真理を語るための作品なのか。芸術のための芸術なのか、有益な芸術なのか。それ自体が目的である芸術なのか、何らかの目的に仕える芸術なのか。19世紀末に作家のカテュル・マンデスは、述べている。「現代の民主主義の時代に芸術は次第にエリートの所有物となっている。貴族階級の奇妙で、極めて魅力的な所有物である」(注16)。これは、庶民の代弁者にもなりたくなく、ごく一部の選ばれた人々のための芸術家にもなりたくない者にとっては困った状況である。ギュスターヴ・フローベールは、『書簡』で次のように述べている。「『芸術』とは、結局のところ、九柱戯よりも真面目なものだというわけじゃありませんよ。すべてが、果てもないお笑いに過ぎないのかもしれない」(注17)。芸術が何の役に立つのかというのである。


「大砲の火薬より強い物」


 この問いに具体的な答えを与えようとする者もいた。ヴィクトル・ユゴーを筆頭とする作家たちである。その一人、ジュール・バルベー・ドールヴィイは、カトリックの君主制擁護論者でありながらダンディでもあった。彼は、自分の構想が、『レ・ミゼラブル』と同様に「山を吹き飛ばす大砲の火薬より強い物によって、つまり涙と同情によって、あらゆる社会制度を吹き飛ばすこと」(注18)にあると繰り返して言うことができたのである。


 政治思想家たちもこうした議論に加わるようになる。ピエール=ジョセフ・プルードンももちろんその一人だ。彼は、芸術家の例外性と特殊性は「普遍的知性の産物」であり、「数多くの下位の人々の仕事に支えられ、大勢の大家の努力の積み重ねである学問全体の産物」だと言う。だから芸術家は「社会の形成に貢献するよう求められているのだ」と強調する。「人類の身体的・知的・道徳的完成のために、また人類自身による人類の肯定のために、そして人類の栄光のために」理想的な実在を表現することによって社会形成に貢献するのである(注19)。プルードンのこの言葉をフローベールは「下品な社会主義の極致」と評している(『書簡』)。プルードンのような考え方は、20世紀が展開する中で、弱まったり、高まったり、凶暴化したりしながら明白な姿を表すこととなるだろう。そして、1917年ロシア革命がもたらした大きな期待と20世紀の悪夢とを背景に、政治的前衛と芸術的前衛が対決し、ぶつかり合うこととなる。


ジレンマからの脱出方法


 極めて重要な二つの省察によって、純粋芸術と有用芸術との対立・永遠の美の追究と大義への隷属との対立という困難が克服されることとなる。


 ベルトルト・ブレヒトは、政治参加する芸術家の原型である。政治的な芸術に関する優れた理論家・実践家であり、自称マルクス主義者である。旧東ドイツで劇団ベルリナー・アンサンブルを創設した。彼は言う。「古来、演劇の仕事は、他の芸術と同じく、人々を楽しませることであった。(中略)演劇の仕事を正当化してくれるものには、せいぜいそれが与える喜びぐらいしかない。しかし、この喜びがまさに必要不可欠なものなのである。演劇にさらに一層高い地位を与えて、例えば道徳の祭典のようなものにしてしまうことはできない。(中略)何であれ何かしらの物事を教育してくれるよう演劇に求めたりしてはならない。なぜなら、演劇にはぜいたく品としての完全な自由が与えられなければならないからである。これは、人間がぜいたく品のために生きているということを正しく意味している」(注20)。


 ここでブレヒトが言っているのは、ある演劇作品が政治的であるのは、それが政治的なテーマを扱うからではなく、「政治的な態度を取る、つまり私的であり、同時に政治的なことを変革する喜びを取り上げる」からであるということだ(注21)。芸術が影響力を及ぼすのは、それに内在する力によってである。しかしそれでも、「我々の時代の真の歓喜がどのようなものであるのかを探」る必要はある。これは、現代の課題にふさわしい形式を発明するということを意味する。「共産主義者かどうか尋ねられたなら、党員証を見せるのではなく、証拠に絵を描いてみせるのがよい」(注22)。


 手本となるような形式はない。社会によって与えられる新しい問いがあるだけである。この問いに形式を付与すべきなのだ。この形式は、観客の心の中に、今までにない答えを探す楽しさを引き起こすようなものでなければならない。観客の生きる世界がこれまでに与えてきた答えとは違った答えである。ある種の遊戯的形式は、有無を言わさぬ驚きを与えるものなので、間違った常識を信じるのをやめさせ、現存する秩序の永続性を疑うようにいざない、人間の豊かな生活を妨げている物事からの解放を希望するよう助ける。こうしたことが与えてくれるのは、、、喜びだ。


 孤独なエリートの芸術か、プロパガンダに堕する芸術かというジレンマからのこうした脱出方法は、ブレヒトただ一人が定式化したのではない。ロシア十月革命を大きく導いた「革命的ロマン主義者たち」(注23)には、シュールレアリストとまったく同様に、「我々が望ましいと判断する社会と結びついた神話」を探し求める力があった。1917年から1929年までソ連の教育人民委員を務めたアナトリ・ルナチャルスキーの言葉を借りれば、大切なのは形式主義でもなく、「革命にまつわる善意ばかりの安物」でもない(注24)。「社会主義的リアリズム」は、耽美主義的実践と同じくらいに内容空疎なものである。


別の地平へと向かう欲望をかき立てる


 さらにもう一つの脱出方法がある。ぜいたく品を共有財産に変化させるのである。例えば、1936年にフランス人民戦線を支えた芸術家たちがやろうとしたのがこれだ。彼らは自分たちの芸術を教え広めるために賃金労働者の一員となることを選択した。これが演劇の地方分散(注25)のさきがけとなる。著名な木版画家のフラン・マズレールは、「私はただの芸術家であることで満足するほど耽美主義的ではない」と言って、セーヌ県労働組合連合が資金提供した絵画教室で指導に当たった。ジャン・ルノワール監督の映画『ラ・マルセイエーズ』は、「政府お墨付きであるのに、国民的で公的で民主的な傑作」と絶賛された。ルイ・アラゴンは、『ス・ソワール』紙(1938年2月1日)にこう書いている。「このような映画が作られたのは奇跡である。『ラ・マルセイエーズ』は、衣装もセットもテーマも現在と異なっているのに、こんなにも現代的で情熱的で人間的である。観客は、目の前で繰り広げられているのがまるで自分たちの人生であるかのように心を奪われ夢中になる。そして、実際にこれが我々の人生なのだ」。


 こうしたケースの中で重要なことはどういうことだろうか。それは、左翼の理想のために表現方法を単純化してこれに依存したりしないということである。同時に、美的判断力を形成するという選択である。その究極の目的は「解放された社会」の到来に貢献することである。そこでは「他の活動と同じように創造的な活動に誰もが自由に没頭することができる。そこには画家というものはいない。せいぜい他の活動もしながら絵を描いているという人がいるくらいである」。こう言っているのは、政治理論家のカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスである(注26)。詩人のロートレアモンがこれに呼応して言う。「詩は万人によって作られるべきである。ひとりによってではなく」(ポエジーⅡ)と(注27)。芸術家たちはこのようなやり方を続けることになる。特に1960・70年代には、芸術家たちが、作者を神聖化するのをやめて集団を重視するようになったり、観客を俳優のように演劇に参加させるようになったり、芸術作品の産出と普及の新しい方法を模索するようになったりすることとなる。


 言い換えれば、芸術が政治を持ち出すということは、人間が未完成であるからだ。人間の能力を開花させるための諸条件を満たすためには、変えなければならないことがたくさんあるということである。芸術が自らの使命を果たした暁には、支配的な考え方を表象することをサボタージュして、別の地平へと向かう欲望をかき立てるものとならなければならない。そのとき、芸術は、「不可能なものを渇望すること」を教えてくれるものとなる。「現存社会の権力は不可能なものを欲望することを禁じている。不可能なものが生まれないようにするためである。不可能なものは、勝ち取るべきものとして残されているのである」(注28)。


 芸術には世界を変えることはできない。しかし、芸術は、現存秩序の中に、頭の中に、あこがれの中に、何か肝心なものがあると感じさせるような興奮を与えてくれる。この興奮は、進歩主義的な良識の誇示へと還元されてしまうようなことではない。まして、自己満足しているブルジョワにショックを与えるだけで満足してしまうような些細な挑発の追求にも還元されはしない。


 だがこのような芸術は、文化の振興やそれに込められた善意の中に溶けて無くなるようなものではないだろう。なぜなら、この芸術は、「世界を再魔術化し」たいわけではないからである。芸術は、我々の現実の危機化を「可能性の祭典」(注29)とするのだ。我々の集団的で内的な可能性の祭典である。






(1) 2012年7月15日にフランス、アヴィニョンで行われた集会におけるオレリー・フィリペッティ文化大臣の演説。
(2) Kash Leone, Ça peut plus durerは、YouTubeで視聴できる(http://www.youtube.com/watch?v=5Fnx-phCCAI)。歌詞もインターネットに掲載されている(http://www.13or-du-hiphop.fr/parole/kash-leone-ca-peut-plus-durer--psa--14526.html)。題名にある「Ça peut plus durer」が現れる繰り返し部分は、「Tristesse, colère, inquiétude, sacrifice, déprime, malaise / Ça peut plus durer !(以下略)」で、「悲しみ、怒り、不安、犠牲、憂鬱、不調/もう続かない!」という意味である。[訳注]
(3) Arya Aramnejad, Deltanguiは、YouTubeで視聴できる(http://www.youtube.com/watch?v=78gUaZvSmOA)。[訳注]
(4) 『われらが恐怖政治』は、フランス革命期の1793年にロベスピエール率いるジャコバン派が設置し、恐怖政治の中心となった「公安委員会」の歴史を描いた作品である。[訳注]
(5) アンドレ・ベネデットは、1960年代に活躍したフランスの劇作家であり、フランスで初めてベトナム戦争を描いた『ナパーム』などの政治的な作品で知られる。国際的な演劇の祭典であるアヴィニョン演劇祭で、「イン」と呼ばれるオフィシャルなフェスティバルに平行して行われる「オフ」と呼ばれる自主公演を1966年に始めた。フィリップ・コベール氏は、ベネデットの詩集の題名から名を取った演劇『アージェント・クライヤー!』の中でベネデット役を演じている。[訳注]
(6) AiWeiwei, Dumbass。YouTubeで視聴できる(http://www.youtube.com/user/diaocha?feature=watch)。[訳注]
(7) シャルル・ボードレール(阿部良雄訳)「ピエール・デュポン著『歌と歌謡』への序文」『ボードレール批評3』ちくま学芸文庫、1999年、pp.11-29、p.12、p.20。以下ボードレールの引用はすべて阿部訳に基づくが、一部修正あり。[訳注]
(8) Charles Baudelaire, « Les drames et les romans honnêtes » (1851), dans Œuvres complètes, Gallimard, coll. « La Pléiade », Paris, 1961. ボードレール(阿部良雄訳)「道義派のドラマと小説」『ボードレール批評3』ちくま学芸文庫、1999年、pp.31-42、p.37sq.。
(9) ギゾーは、国王ルイ=フィリップの下で1847年首相に就任、選挙法改正に反対した。このとき、「労働と貯蓄で金持ちになりたまえ。そうすれば選挙権が持てるだろう(Enrichissez-vous par le travail et par l'épargne et vous deviendrez électeurs)」と述べたと言われる。これが二月革命を引き起こした。[訳注]
(10) シャルル・ボードレール(阿部良雄訳)「火箭」『ボードレール批評4』ちくま学芸文庫、1999年、pp.37-78、p.61。[訳注]
(11) シャルル・ボードレール(阿部良雄訳)「一八四五年のサロン」『ボードレール批評1』ちくま学芸文庫、1999年、pp.11-59、p.59。[訳注]
(12) Pierre Bourdieu, Méditations pascaliennes, Seuil, coll. « Points Essais », Paris, 2003 (1re éd. : 1997). ピエール・ブルデュー(加藤晴久訳)『パスカル的省察』藤原書店、2009年、p.152sq.。
(13) シャルル・ボードレール(阿部良雄訳)「悪の華」『ボードレール全詩集Ⅰ』ちくま文庫、1998年、pp.25-301、p.273。[訳注]
(14)「『百科全書』序論」は、筆者の誤記とみられる。ここで引用されている文は、『百科全書』の「序論」にはなく、同12巻所収ド・ジョクール執筆「絵画(美術史における)」にある。[訳注]
(15) Cf. Nathalie Heinich, Du peintre à l’artiste, Editions de Minuit, Paris, 1993. ナタリー・エニック(佐野泰雄訳)『芸術家の誕生――フランス古典主義時代の画家と社会』岩波書店、2010年、p.246 sq.を参照。
(16) Jules Huret, Enquête sur l’évolution littéraire, Bibliothèque Charpentier, Paris, 1891. より引用。
(17) ギュスターヴ・フローベール(山田爵・斎藤昌三訳)「ルイーズ・コレ宛書簡(1851年11月初頭)」『フローベール全集9 書簡Ⅱ』筑摩書房、1968年、pp.12-14、p.13。九柱戯(le jeu de quilles)は、ボウリングに似た遊技である。[訳注]
(18) Cf. «Les Misérables», un roman inconnu ?, Maison de Victor Hugo - Paris musées, 2008.
(19) Pierre-Joseph Proudhon, Du principe de l’art et de sa destination sociale (extraits), dans Emile Zola et Pierre-Joseph Proudhon, Controverse sur Courbet et l’utilité sociale de l’art, Mille et une nuits, Paris, 2011.
(20) Bertolt Brecht, Petit Organon pour le théâtre, L’Arche, Paris, 1970.
(21) Manfred Wekwerth, dans « Bertolt Brecht », Europe, no 856-857, Paris, août-septembre 2000.
(22)Bertolt Brecht, « Appel aux jeunes peintres », Ecrits sur la littérature et l’art, L’Arche, Paris, 1970.
(23) Michael Löwy et Robert Sayre, Révolte et mélancolie. Le romantisme à contre-courant de la modernité, Payot, Paris, 1992.
(24) Anatoli Lounatcharski, Théâtre et révolution, Maspéro, Paris, 1971.
(25)「演劇の地方分散(décentralisation théâtrale)」は、フランス特有の文化政策の一つである。劇場等の文化施設がパリに一極集中した状況を改めるべく、戦後、各地に「国立演劇センター(Centres dramatiques nationaux, CDN)」が設置されるようになった。演劇の地方分散の理念は、1936年に成立したフランス人民戦線内閣の首班レオン・ブルムが提唱したと言われる。[訳注]
(26) Karl Marx et Friedrich Engels, L’Idéologie allemande (1846), Editions sociales, Paris, 1976. マルクス、エンゲルス(真下信一・藤野渉・竹内良知訳)「ドイツ・イデオロギー」『マルクス=エンゲルス全集3』大月書店、1963年。
(27)ロートレアモン(石井洋二郎訳)「ポエジーⅡ」『ロートレアモン全集』ちくま文庫、2005年、pp.345-377、p.364。[訳注]
(28)Henri Maler, Convoiter l’impossible, Albin Michel, Paris, 1995.
(29) Ernst Bloch, Le Principe Espérance, trois volumes, Gallimard, Paris, 1976, 1982 et 1991. エルンスト・ブロッホ(山下肇他訳)『希望の原理』全3巻、白水社、1982年。


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年7月号)