経済発展でも国民は抗議デモ


トルコ、エルドアン首相の変身の真意


トリスタン・コロマ

(ジャーナリスト)


訳:川端聡子


 この6月、イスタンブールのタクシム広場のみならずトルコ中で夥しい数の人々がデモ行進をした。彼らは政府に抗議し、レジェプ・タイイップ・エルドアン首相の独裁への偏向を非難したのである。エルドアン首相が再びイニシアティヴを取り戻し、抗議デモは沈静化するかもしれないが、こうした多面的な抗議運動はここ10年間の社会変化を反映している。

 イスラム主義対世俗派の対立という図式はトルコもエジプトも同じだし、イスラム主義の方が多数派を押さえた、という点も同じだが、一方でトルコでは世俗派の力をそぐのに時間をかけて慎重にやってきたのに、エジプトのムスリム同胞団は極めて性急にことを運んだように思われる。しかし、ここにきて両国での情勢は急展開しているので、予断を許さない。エルドアン首相の統治の内実をみる。[フランス語版・日本語版編集部]





広がるデモの背景


 「チャプルジュ Capulcu」とはトルコ語で「社会の屑、ごろつき」といった意味だ。首相、エルドアン氏がこう呼んだのは、彼の権威に挑戦してデモに加わった何千人もの国民に対してである。2013年5月31日、イスタンブールでゲジ公園取り壊しの撤回を求めるデモ隊に警察が行なった暴圧に抗議して、ひとつの運動が生まれた。この日以来、SNSでは「チャプルジュ」が英語ふうに「チャプリング chapulling」とアレンジされ、この新語に「自分自身の権利のため戦う者」という新しい意味が与えられたのだ。今やトルコでは「チャプラー chapuller」であろうとする意思を表明する者が大勢いる。


 こうした状況から伝わってくるのは、何よりもまず社会の深い亀裂だ。チャプラーといったネーミングの仕方に現れた状況は——ゲジ公園の何本かの樹木を守るための限定的動員とか、若者たちの騒乱という形をとってはいるが——冗談とはほど遠いもので、「生活様式に表れた亀裂」を明らかにしている。この亀裂を「エルドアン氏の人物像がまとめて表している」と、イスタンブール大学政治学教授アイシェギュル・ボザンは言う。2002年、エルドアン氏自身が政敵を時代遅れの「反動」呼ばわりすることで旧勢力との「断絶」を表現したのに、今日では氏自身この国に昔ながらの悪魔と再び手を結んでいる。つまり、首相は「トルコの国家体制を揺るがそうとする国際的陰謀に立ち向かう殉教者」よろしく振る舞っているのだ。


 この4月1日、すでに首相の顔から愛想の良さは消え失せていた。「憲法和解評議会が新憲法草案決定に至らなければ、わがAKP(公正発展党)が独自案を擢用する」。彼はテレビ放送でこのように尊大な発言をしたのである。


 ブルハン・クズ氏[クズ氏は、AKPの議員で大国民憲法委員会委員長を務める――訳注]は、まるで『不思議の国のアリス』に出てくる白うさぎだ。その努力もむなしく彼は時刻に間に合わなかった。各党派から成る大国民憲法委員会は当初、草案提出期限を2012年12月31日としていた。しかしながら「合意に至る議題があまりにも少なかった」と、氏は嘆いている。しかし、そもそもクズ氏に、草案を練り上げ、トルコをある程度成熟した民主主義国家へと導ける可能性があるというのだろうか。


 「不思議の国」であれば、ハートの女王が憲法改正が必要不可欠だと提言することだろう。なにしろこの変わりつつある社会は、一方ではムスリムとしての道徳的戒律と、他方ではよりいっそうの自由への希求を、同一の運動によって推し進めようとしているのだ。だが、エルドアン首相が憲法改正にこれほどの性急さを示し、ここまで介入するということは、彼が「これまでと違う権力の段階に入った」ということだと、フランス・アナトリア研究所研究員のエリーズ・マシカールは考えている。彼女は言う。「2011年まで、AKPは軍隊や司法のような対抗勢力を潰すこと、もしくは手なずけることに血道を上げてきました。こうした彼らの徹底した施策は、事実上完成を見ました(注1)」。その通り、事実上、完成を見ているのだ……。軍人・弁護士・ジャーナリスト・大学教員あるいは学生らに対する検挙や長期裁判といった憲法に反する行為も行なわれるようになっている。


 司法・軍部といった対抗権力が抑圧され、世俗派野党勢力が大した政治力を持たないこの国で、エルドアン氏率いるAKPは大統領制、もしくは半大統領制を導入する新憲法に積極的な動きを見せている。ところで、この5月から6月にかけて公然と行なわれた抗議デモのほとんどは首相の傲慢な態度が引き起こしたもので、党内でも新憲法案に迷いが見られるようになっている。デモ以降は、改憲計画をもっと縮小し、より民意に沿ったかたちに変更するよう説得に回る党幹部も多い。


公正発展党が大躍進を遂げた理由


 与党であるAKPは、2002年11月3日に選挙で勝利して以後、得票数を伸ばし続けてきた。しかし体制側は、再選と再々選の成果を独裁体制化に利用した。その証拠に、2012年12月17日、コンヤでの演説の際、エルドアン首相は自分が政策を進めるに当たって「三権分立」は「弊害」だと明言している。2002年の公約とはほど遠い、民主主義からの後退である。「繁栄党」がイスラム主義を疑われて弾圧された後、党内の改革派をまとめてエルドアン氏が立ち上げたのがAKPである。この時エルドアンが望んでいたのは、政治勢力図における中道右派の位置を占めることであった。彼は、文化的には保守主義、政治的には民族主義、経済的には自由主義を選択したのである。


 ボザンによれば、「AKPは既成政党の信頼失墜を利用しました。彼らは『国民的視座』(イスラム主義運動)繋がりの諸党派支持層の大部分を引きつけたばかりでなく、今までイスラム系の政党など支持していなかった中道右派の有権者をも引きつけることができました。リベラル派の知識人、あるいは一部の社会民主主義者たちは、将来、この民間組織が底辺民衆の政治意識を変え、国を民主化するという展望をAKPに見たのです」という。


 エルドアン首相がこの10年間神通力を失うことなく、権力をふるうことができたのは、彼に対する総合評価が「大きく進歩しました」となっているからだ。まず第一に経済では、自由主義的な尺度で言えば良い結果を出している。2000~2010年の年間平均成長率は7%に達した。物価高騰はストップし、外国からの直接投資(FDI)は10年のうちに12億ドルから200億ドル近くにまでなった。社会的不平等は減った。また、EU加盟を目指すという国家政策によって個人の自由が拡大された。さらにクルド問題「和平プロセス」では首相の力量を見せつけ、AKP内にまで登場した過激な民族主義者たちを退けた(注2)。最後に、1960年より4度もクーデターを起こしてきた軍に対しても同様に改革を行ない、軍の影響力を削いだ。それ以来、AKPは世俗主義の上層ブルジョアジーとの戦いを遂行し、その戦いを民衆対エリートの間の対立として示すことができたのである。


 国民の半数にとって、エルドアン氏の人物像は、こうした階級闘争・社会的差別撤廃の象徴である。コンダ調査研究所の報告によれば、2011年6月の選挙でAKPに投票した有権者は党に投票したというよりは、党首である彼に一票を投じたのである(57%)(注3)。


 政治学者のディレク・ヤンカヤは以下のように述べる。「AKPの活動家は世論の風向きを変えようと努力しているのです。市民一人ひとりが抱える問題がそれぞれ解決されるよう活動しています。もし善良なイスラム女性との結婚を望むなら、紹介してくれるでしょう。燃料が必要なら、あるいは入院しなくてはならないなら彼らが世話をしてくれる。活動家らは市民一人ひとりの必要に応じた援助を与えることで、見返りに市民から票をもらっています」。


 「AKPは経済市場に国家を介入させないための抑止力になると同時に、社会的落伍の立ち直りのための仲介者として振る舞ってきた。資本主義的な価値観と社会福祉的な価値観の両方を広めてきたのである」。政治学者のアンドレ・バンクとロイ・カラダグはこのように分析する(注4)。AKPは党の公約において、所得の再分配政策によって一種の社会福祉的新自由主義の展開を推進するとしている。「管理されたポピュリズム」にイスラム的連帯を重ね合わせているのである。


 政府は党に近い民間企業主たちにおもねり社会的責務を放棄している。彼らは多くが「アナトリアの虎」と呼ばれる新興企業家たちだ。アナトリアの田舎の出身であることが多く、保守的で信心深い伝統に身を置き、「ムシアド」[1万社から成る経済団体で、エルドアン首相の支持母体ともなっている——訳注]の加盟者でもある(注6)。起業家・個人事業主の強力な団体が、イスラム政治勢力の、最終的にはAKPの支持母体的となった。ムシアドは世俗主義エリートに対する「トルコの下層民」の反撃のシンボルでもある。ヤンカヤ氏は、以下のように分析する。「エルドアンの政策を形作っているのは、アナトリアの小ブルジョワ的価値観にイデオロギー的な形態——労働、家庭、宗教——を与えたものだ。いずれも伝統的な小ブルジョワ思想である(注7)」。


トルコ経済発展の危うい実情


 AKPが登場したのは、2002年の選挙の半年前である。大部分のトルコ国民の目には、「白いトルコ人」(イスタンブル在住の上層ブルジョワジーや軍部特権階級の出身を指す)による経済的・政治的権利の搾取に対する唯一の抵抗手段がAKPであると映った。AKPが必ずイスラムと起業精神との架け橋となってくれるものと思えたのである。エルドアン氏は自分について「グローバル化にも対応できる信仰厚い政治家」というイメージを作り上げた。ゆえに、AKPの強みは、まさに自由主義的な経済政策を取る庶民政党としての自己演出能力にあるのだ。


1985〜2010年、国営企業の民営化プランが実施されるなかでトルコは419億8000万ドルの利益をあげた。そのうち340億ドル以上が2002年以降のものである。トルコ民営化管理局(OIB)局長も明言するように、2010年は民営化における「歴史的な年」であった。104億もの資産が民間化されたからである。ボザンは「国民は新自由主義的政策の結果がどういうものになるか理解していません。また、こうした状況を自覚していても代替案を見いだせないでいるのです」と嘆く。


 政府発表では10%以下とされていた失業率だが、トルコ進歩的労働組合連盟(DISK)によると17%に達しているという。また、2002~2011年で、製造業に務めるサラリーマンの購買力は15.9%低下したという。2011年春の総選挙期間中、エルドアン氏はさまざまな公約を示してこうした現実を覆い隠した。彼は支持率の高さと成長の絶頂にあるGDP(2011年の第1四半期では11.5%上昇)を利用し、失業率はすぐ5%に持ち直すだろうとか、トルコはすぐにも世界経済ランクの10位に入るだろうとか予言している(2012年、トルコは第17位である)。2000〜2010年の間におけるGDPが倍増したために、エルドアン氏は「トルコの経済成長」と比べて「ヨーロッパの緊縮経済」を嘲笑することができた。


 トルコの指導者たちはEUからの解放を謳っているが、政府は西欧経済への統合の深化から、かなり大きな分け前を得ている。ヨーロッパとトルコは切っても切れない関係なのだ。政治家たちは2011年のEU圏への輸出が46%に縮小したことを強調するが、絶対値が22%増えていることについては指摘していない(末尾の参考データを参照)。常に新たな販売経路を求め続けることで、トルコ企業は「オスマン帝国風ビジネス」の威力をアラブ世界で発揮している。だが、こうした新規取引国に、欧州など従来の市場に取って変わるだけの経済力はない。トルコにもたらされる資本の75%はEUからのものであり続けている(2008〜2011年、6.1%がアメリカ、6.1%が湾岸諸国から)。


 しかし、こうしたトルコの経済的成功は見た目よりも危ういものであるように思われる。それは、あまりにも外国からの資本投資に依存しているからだ。評価や予測においても、その将来に陰りが表れている。成長は足踏みし、目下収支決算は赤字で、EU圏への輸出もEU経済そのものの弱体化により減少している。と同時に、不正受給や無届け就労で税収が逼迫し、家計負債の増大により国内消費(GDPの70%)が落ち込んでいる。


 社会的不平等のいっそうの削減、そして公正な課税制度の制定によってトルコに繁栄をもたらすことができたなら? そのあとは、企業経営者たちに不評を買うかもしれない改革に政府が踏み切ることが必要なのだ。6月中旬、タクシム広場でのデモに2大労組が合流したときに、これに対し首相が見せたぞんざいな態度からすると、政府にとっては、極めて保守的な「ムシアド」の経営者たちとの繋がりが今もって最重要のようだ。






(1)AKPは2010年春の憲法改正に乗じ、司法の独立性を奪った。憲法裁判所や「裁判官・検察官高等評議会」のメンバーは政府の選任によることとなった。
(2) Vicken Cheterian, «Chance historique pour les Kurdes», Le Monde diplomatique, mai 2013.参照。
(3) www.konda.com.tr/tr/raporlar.php
(4) André Bank et Roy Karadag, «The political economy of regional power : Turkey under the AKP», German Institute of Global and Area Studies, Hambourg, septembre 2012.
(5) Ziya Önis, «The triumph of conservative globalism : The political economy of the AKP era», Koc University (Istanbul), février 2012.
(6) Wendy Kristianasen, «Activisme patronal», Le Monde diplomatique, mai 2011.参照。
(7)この問題についてはヤンカヤ氏の著書を参照。Dilek Yankaya, La Nouvelle Bourgeoisie islamique. Le modèle turc, Presses universitaires de France, Paris, 2013.

参考データ


労働人口:国民7650万人に対し、2800万人
失業率:2013年現在、9.4%
労働組合組織率:2010年で5.9%(2002年は9.5%)
経済成長率:2012年で2.2%(2011年は8.5%)
インフレ率:2012年末で6.2%(2011年は10.4%)
貿易収支:620億の赤字。2012年ではドイツ・イラクがトルコの2大輸出先であった。現在ロシア・ドイツ・中国が3大輸出先となっている。2010年にはトルコのEUへの輸出が527億ドルに上る一方で、EUからの輸入は722億ドルに達した。
(トルコ統計局調べ)


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年7月号)