アフリカのSFに未来が読み取れる


アラン・ヴィッキー

(ジャーナリスト)


訳:上原秀一


 SF(空想科学小説)は、現在のなかに隠された可能性を描き出し、未来に起こるかもしれないことを具体化するものである。SFは、集合的な恐怖や願望を目に見える形にするため、――独特なやりかたでではあるが――常に政治的な意味を持っている。アングロサクソン諸国でSFがファンタジーのせいで衰退する一方、アフリカの芸術家たちはSFを自分たちのものにしようとしている。[フランス語版編集部]




指針は未来の方からやって来る


 マスコミのレーダーが届かない遠い場所で、アフリカの若い作家グループが大陸に文化革命を起こそうとしている。独立に携わった世代の孫に当たる黒人と白人の若者たちである。いくつかのブログを通じて、あるいはアフリカ全土で発刊される少数の新しい雑誌を通じてお互いに結びつき、SF(空想科学小説)という欧米人の想像力に支配されてきた領土に攻め込んでいるのである。セネガルの哲学者スレイマン・バシル・ディアニュ氏の意見を敷衍させてもらうならば、将来の構想が危機に立つアフリカ大陸では、指針は未来の方からからやって来るということになる。このようなディアニュ氏の考え方に呼応しているのがSF集団「3D Fiction」の「透明人間」たちで、彼らは「ダカールの将来について共に物語を作る計画」に参加して、こう主張している。「物語が描き出す未来によって新しい現代が生み出され、我々の現在が問い直されることになる」(注1)。


 懸念した方向に世界が進む様子を描く反ユートピアの考え方――これはSFの手法の一つである――は、2000年代末まで、アフリカにとってまったく必要のないものだった。現実が十分に反ユートピア的だったのである。しかしこれからは、モダニティ[現代性――訳注]によって現在が揺さぶられるようになるだろう。マリ共和国の北部では、最近、「頭の中は7世紀のままなのに21世紀のテクノロジーを使って頑丈に武装している連中」と出くわすようになった、とル・モンド紙(2013年1月30日)が報告している。また、ヨハネスブルクの商業施設の出口では、電話コーナーで携帯電話を充電するための金が無くなってしまった3人の若者が「デジタル奴隷制」だと言って抗議したという……。


 ガーナのジョナサン・ドス氏は自身のブログ「アフロサイバーパンク」において、「第三世界の若者が、数年前にはほとんど想像さえできなかったようなテクノロジーに接するようになった現在、いったい何が起こっているのだろうか」と問うている。「このような傾向がこれからさらに50年間続いたとしたら、どうなるのだろうか。この問いに誰が答えることができるのだろう。もちろんSF作家だ!」。ドス氏は、後にこの新芸術運動の宣言と見なされることになるかもしれない文章「発展する世界 SFの越境」において、自身がいかにしてSFの世界と出会ったのかを述べている。「アフリカ人の小さな子どもを想像してほしい。彼はVHF放送用の古いテレビの粗い画面の前で目を見開いている。町の境界の向こうにある素晴らしく不思議な世界の映像と音声に初めて接しているのである。これは私の最も古い記憶の一つだ。私は、1990年代にマアモビにある小さい静かなアパートで育った。マアモビは、アックラの有名なスラム街の一つ、ニマの郊外の一区域である。国営テレビの他には、当時、テレビ局は全国に二つしかなかった。我が家には有料の衛星放送に加入するお金はなかったが、無料のテレビ局でも、運が良ければ、あらゆる分野の世界中の番組を視ることができた。こうして私はSFに出会ったのである。有名作家の作品を通してではなく、作品の主要なイメージから作り出されたテレビの上の類似品を通してであった」。


「自信を取り戻すアフリカ人」


 2000年代半ばからすでに、アフリカの空想力の中でUFOが空を飛び始めていた。カメルーンのジャン=ピエール・ベコロ監督が2005年に撮影した映画『血を流す女たち(Les Saignantes)』[本邦未紹介]は、2025年の首都ヤウンデを舞台にしている。フランスとジブチ混血の作家アブドゥラマン・A・ワベリ氏の『アフリカ合衆国へ』(Abdourahman A. Waberi, Aux Etats-Unis d’Afrique, Jean-Claude Lattès, 2006. 未邦訳)は、2033年の逆立ちの世界を描いている。そこではアフリカが世界の経済と知の中心となり、飢えたる者は困窮した欧米に集中している。著者にとっては、「急速に自信を取り戻すアフリカ人」を描く機会となっている。「アフリカ人は、他の民族や人種から無限に区別された比類なき存在であり、この地上の最高の存在と見なされている。アフリカ人は、自らが頂上に君臨する価値の体系を作り出している。それ以外の原住民、野蛮人、原始人、異教徒の大部分は白人であり、彼らは賎民の地位に落ちぶれている」


 2009年には、アンゴラの作家ホセ・エドゥワルド・アクアルーザ氏が『熱帯のバロッコ』(José Eduardo Agualuza, Barroco Tropical, Métailié, 2011. 未邦訳)で未来を描いた。舞台となる2020年、石油からの利益によってアンゴラの首都ルアンダは栄え、総ガラス張りの高層ビルが立ち並ぶようになる。しかし突然「原油価格が下落し(セーフティネットが無いために暴落)、この新しいきらびやかな世界にも衰退が訪れる。上層階に水を引き上げるポンプは故障し、発電機も動かない。大勢の亡命者が国外に脱出し、不遇な人々は再び高層ビルに住み始める」。さらに南のケープタウンでは、これと同時期に雑誌『チムレンガ』(Chimurenga)がSF作品「サタン博士のエコー室」(Dr Satan's echo chamber)の特集号を刊行し、大人気となった。ワベリ氏は、「アフリカで新しく姿を現しつつある美的な領域を新世代の若い芸術家が耕している。アフリカの芸術の世界に訪れつつある希有な真の革命の一つであろう」と強調している。


南アSF映画『第9地区』の世界的ヒット


 このことは特にアフリカの英語圏諸国に当てはまる。南アフリカ共和国は、アングロサクソン諸国の大衆文化から大きな影響を受けてアフリカ最大の娯楽産業を抱えているため、とりわけそうである。映像学芸員のウリマタ・ギュエイユ氏は言う。「南アフリカ出身の映画監督ニール・ブロムカンプ氏は、デジタル文化の天才としてピーター・ジャクソン監督[『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の監督――原注]に見いだされた人だが、自身初の長編映画を撮影するため、幼少期を過ごした土地に戻ることにした。ソウェト地区の中でも最も貧しい町の一つシアウェロである。彼は、戦争ルポルタージュ、テレビ・ドキュメンタリー、そしてSFのそれぞれが持つ美的な要素を巧みに組み合わせて『第9地区』を撮影し、世界的な成功を収めた。この作品によって、SFの世界にアフリカが「正式な」進出を印すことになった」(注2)。


 フランスにおける『第9地区』の入場者数はおそらく100万人を超えている。この作品では、現代南アフリカが抱える諸問題がかなり緻密に描かれている。その筆頭は外国人嫌いの問題である。地球に避難してきた宇宙人たちが、ある多国籍企業によって保護区に閉じ込められ、監視されているという設定である。この多国籍企業は、宇宙人が持っているテクノロジーの秘密を独占したいのである。『第9地区』に続いて、南アフリカの女流作家兼ジャーナリスト、ローレン・ビュークス氏による小説『ZOO CITY(ズー シティ)』[和爾桃子訳、早川書房、2013年刊]が同じように世界的な名声を博した。『ZOO CITY(ズー シティ)』は、最初、南アフリカのジャカナ・メディア社から刊行された後、イギリスでも出版された。透視能力を持ったヨハネスブルクの女性私立探偵ジンジ・セプテンバー[ジンジ・ディッセンバーの誤記――訳注]の冒険を描いている。イギリス最高のSF小説を選ぶ有名なアーサー・C・クラーク賞を2011年に受賞した。


 アフリカ初のSF短編集『アフロSF』(注3)が生まれたのも南アフリカである。この短編集は、ジンバブエ出身で現在はヨハネスブルクに住む作家アイヴァー・ハートマン氏の呼びかけで誕生した。ナイジェリア、ガーナ、南アフリカの作家による約20本の作品が収められている。時間旅行、ギャングに荒らされたメガロポリス、手に負えないパンデミック、アフリカの宇宙船による惑星入植、悲しいほど無能なロボット政府といったテーマが入り交じっている。ハートマン氏は序文でこう言う。「SFは、アフリカの作家が独自の視点で未来を描くことができる唯一の文学ジャンルである。自分たち自身の未来へのビジョンを示してこれを伝えていくことができないならば、どこかの誰かがそれを与えることになるだろう。しかしそれは、私たちのために最善の意図によってなされたものとは必ずしも言えない。だから、SFは、私たちのアフリカの発展と将来にとって決定的に重要な意味を持っているのである」。


 この短編集には、ナイジェリア出身のアメリカ女流作家ンネディ・オコレイファー氏の作品が含まれている。彼女のデビュー作『死を恐れるのは誰』(Nnedi Okorafor, Who Fears Death. 未邦訳)(注4)は、筆者の祖先であるイボ族の宇宙観と呪術的思考から影響を受けて、まるでアフリカ版『ロード・オブ・ザ・リング』のような物語となっており、2011年には世界幻想文学大賞を受賞した。そして現在、『ZOO CITY(ズー シティ)』と同じく映画化が予定されている。この映画を撮影するのは、ケニアの女流監督ワヌリ・カヒウ氏である。地球温暖化に侵されたアフリカを描くカヒウ氏の短編作品『プンジ』(Pumzi)は、各地の映画祭で極めて高い評価を得ている[本邦ではシネマアフリカ2013 映画祭で上映――訳注]。


アフロフューチャーリズム音楽の継承者


 『ZOO CITY(ズー シティ)』の中でビュークス氏は、ヨハネスブルクの都会的な音楽を非常に重視している。そもそも失踪した歌手をプロデューサーの依頼で捜索するというのが女主人公の仕事なのである。そしてさらに小説のサウンドトラックCDまで作られている。南アフリカのレコード会社アフリカン・ドープ社が制作した作品で、ヒップ・ホップ、エレクトロ、クワイト、ダブステップといったジャンルを混ぜ合わせたくすんだ感じの凝ったアルバムである。さらに小説の中では実在のミュージシャンに対する言及もなされている。ンータト・モクガタ、別名スポーク・マサンボ氏である。彼はおそらく、近年のアフリカに登場したアーティストの中で最も斬新な一人である。彼は2012年に次のように述べている。「アフリカの思想集団と本当に呼べるようなものがSFの周りで発展しているのかどうか、私には分かりません。ただ確かに言えるのは、ウィリアム・ギブソンとフィリップ・K・ディックが私のお気に入りの作家に入っているということです」。マサンボ氏は、これまでに2枚のアルバム(2010年の『Mshini Wam』と2012年の『Father Creeper』)を出している。欧米とアフリカのロック批評界では、彼はアフロフューチャーリズムのアフリカにおける継承者と見なされている。アフロフューチャーリズムとは、神話とテクノロジーを混交させ、伝統音楽と電子音楽を混交させる音楽の手法である。グレート・ブラック・ミュージックの周辺に生まれ、1975年にニューヨークタイムズ紙上で批評家マーク・デリー氏によって理論化された。その後、1980年代半ばのデトロイト・テクノの流行の中で再登場したものである。


 こうしてアメリカからアフリカまで一周して戻ってきたわけである。マサンボ氏は言う。「アフロフューチャーリズムは、文化の系譜学を作り出してくれます。私が最も強い影響を受けたと言えるのはジャズピアニストのサン・ラです。彼は一つの世界全体を作り出したのですから。彼は自分が土星からやって来たと言っていますが、この話には惹かれます。アフリカ人である私たちは、教育制度のせいで、自分たち自身の歴史や文化から滋養を与えられることがありませんでした。そして人々は必ずしも私たち自身の歴史や文化を掘り起こそうとしているわけでもありません。アフロフューチャーリストたちは、これとは別の物語を示してくれます。私たちは白人からはジャングルから出てきた無意味な存在だと思われていますが、私たちはこれとは別の系譜学を作り出すことでしょう。私たちの歴史に基づいて、さらに私たちに相応しいと思われるすべての物事に基づいて作り出すのです。そこには、誇りを持って、そして私たち自身の民族としてのまとまりを持って、見いだすべき多くのことがあるはずです」(注5)。


 アフリカにはまだ政治の春は訪れていない。しかし、未来はすでに訪れている。






(1) http://dakardeadropfiction.wordpress.com
(2) Oulimata Gueye, « Afrique & science-fiction. Un univers en pleine expansion », 18 septembre 2012, www.gaite-lyrique.net
(3) AfroSF : Science Fiction by African Writers, StoryTime, Johannesburg, 2013, 406 pages, 12.63 dollars. http://ivorhartmann.blogspot.frも参照。
(4)オコレイファー氏のブログ(http://nnedi.blogspot.fr)を参照。
(5) «Spoek Mathambo on afro-futurism and finally taking South Africa», 13 mars 2012, http://afripopmag.com


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年6月号)