英語を世界の統一言語にしてはならない


セルジュ・アリミ

(総編集長)


訳:上原秀一


 2012年5月の政権交代で発足したフランスのオランド社会党政権は、大学改革に向けて高等教育研究基本法案(フィオラゾ法案)を2013年5月20日に国会に提出した。法案第2条には、これまで法律で禁じられてきた大学における英語での授業を解禁する規定が盛り込まれている。しかし、アメリカの大学における外国人留学生の割合3.7%に対して、フランスの高等教育機関は13%であり、フランスの留学生政策が混迷しているわけではない。この論説は、大学における英語授業に関するフィオラゾ高等教育研究大臣の5月21日の発言を受けて記されたものである。[日本語版編集部]




 統一市場、統一通貨ときたから次は統一言語なのだろうか。ユーロ紙幣に描かれた門と橋が象徴していることがある。商人同士が土地に縛られず平穏なやり方でスムーズに交易できることだ。これと同じように、学生が辞書を持たずに外国に留学できるようにするべきなのだろうか。言葉のパスポートとしては「空港で使える英会話」だけを身に付けさせて、である。このパスポートをどこでも、特にフランスの大学でも通用するようにしなければならないのだろうか。


 なにしろフランスの大学は、この国の他の部門と同様に、いまだにあまりにも「ずれて」いるらしいのだ。「信じられますか? そこではいまだに……なんとフランス語が話されているのです!」というわけである。フランスのジュヌヴィエーヴ・フィオラゾ高等教育研究大臣は、こうした「言葉の壁」をなくしたいと考えている。言葉の壁によって「韓国、インド、ブラジルといった新興国の学生」がフランス留学を思いとどまっているというのである。


 しかしながら、モリエールの言葉[フランス語――訳注]は、29もの国で公用語とされている(シェークスピアの言葉は56か国である)。そして、フランス語話者の数は、アフリカを中心に増加し続けている。しかし、アフリカの学生に課される障害物競走のように面倒な留学手続きから判断するならば、アフリカの学生はフランスが招致したい存在ではないようだ。アフリカの学生はあまり裕福ではないので、商業専門学校や工業専門学校(注1)の(時には高額ともなる)授業料を納められるとは考えにくいからだろう。


 アメリカの大学における外国人留学生の割合は3.7%であり、フランスの高等教育機関の13%に比べて著しく低いが、こうした「遅れ」を取り戻すために中国語やポルトガル語で教えるべきだと考えるアメリカ人は一人もいない。しかしフィオラゾ大臣は、「英語による授業を認めないならば、プルーストについて議論しようとテーブルを囲んでいるのが気がつけばたったの5人だけだったということになってしまうかも知れません」と皮肉を言う。サルコジ前大統領は、人文科学に対する軽蔑を露わにしようと、法律やビジネスの勉強の代わりに『クレーヴの奥方』[ラファイエット夫人による17世紀の小説――訳注]を読まされる学生を哀れんでみせる。


 1994年に制定されたトゥーボン法[当時のジャック・トゥーボン文化大臣の名による――訳注]は、「公立及び私立の教育機関において、教育、修了試験及び入学試験に用いる言語並びに博士論文及び修士論文に用いる言語は、フランス語とする」と定めている。一握りの著名な大学教授は、こうした「前世紀の」規則に反対して、次のように主張している。すなわち、多言語主義(これは今世紀になってもいまだに大部分の国際機関に根強く残っているが)を擁護し続けるならば、英語圏の学生がパリに留学に来るのを断念させることになってしまうだろうと(注2)。


 しかし、ある言語の「魅力」は、新興国に対する教育の売り上げなどで測られるものではない。言語の魅力がはっきりと表れるのは、その言語を使って他の国々と交流し、現在の世界や来るべき世界のことを考えるときである。フランスは、全力を挙げて自国の映画を守り、文化的特例という考え(注3)を守ろうとしてきた。外国人が誤用しやすい超大国の国語だけで研究や学術の成果が表現されるようになるなどということを、そのフランスが受け入れられるはずがない。


 言語学者のクロード・アジェージュ氏は、「逆説的なことに今日、英語の普及活動やアメリカ化を担っているのはアメリカ人以外の人々である」と指摘している。一方、言語の多元主義が持ちこたえているのは、アフリカやカナダ・ケベック州などのフランス人以外の人々のおかげである。彼らの粘り強さは、全面的な敗北主義に陥っている一握りの大学教授よりもずっと、政治の指導者たちを動かす力を持っているはずである。






(1)フランスの高等教育機関には、大学(ユニヴェルシテ)の他に、学校(エコール)や学院(アンスティテュ)などと呼ばれる多様な教育機関がある。商業専門学校(école de commerce)と工業専門学校(école d’ingénieurs)もその一種である。大学がすべて国立であり授業料無償で少額の学籍登録料しかかからないのに対し、商業専門学校や工業専門学校には私立も多く、高額な授業料がかかる場合もある。[訳注]
(2) «Faculté : les cours en anglais sont une chance et une réalité», Le Monde, 8 mai 2013.
(3) 「文化的特例(exception culturelle)」とは、1986~94年に行われたガット(関税と貿易に関する一般協定)のウルグアイ・ラウンド(多角的貿易交渉)において、フランスが提起した主張である。経済的グローバリゼーションの中にあっても文化は単なる商品ではなく例外扱いすべきであるとする。[訳注]


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年6月号)