冷戦終結以来、戦略的見直しは行なわれず

放置されるフランスの核兵器論議


ヴァンサン・デポルト

陸軍少将(予備役)、パリ政治学院客員教授、元陸軍士官学校校長


訳:仙石愛子


 フランスは伝統的な自国核武装論で固まっており、社会党といえどもこの基本戦略を支持している。これはフランス左翼が大革命・パリコミューン以来、愛国主義を標榜してきたことと関係がある。ところでオランド大統領に提出された新しい防衛白書の示している核戦略は、ドゴール大統領が定義した戦略をそのまま引き継ぐ内容だった。ここ数十年間に生じた変化や脅威の様変わりが、新たに考慮に入れられることは又もやなかった。核兵器に無駄な出費を続けることで、フランスの抑止力がむしろ弱体化する危険性をはらんでいる。[フランス語版・日本語版編集部]





核兵器の光と影


 核兵器に関する論議は非常に少ない。通常は、核抑止力という「保険をかける」というきわめて不快なドグマの繰り返ししかない。核兵器は、かつては戦略的思考の至宝であったが、今やタブーとなり貧しい親戚となってしまった。2013年4月29日にフランソワ・オランド大統領に提出された『国防と国家安全保障に関する白書』も例外ではない。大統領は厳しい緊縮財政のさなかなのに、フランスの核兵器政策装備を、再検討することもなく引き継いだ(軍事予算の限定枠付き見込みによると核軍備費は年間35億~45億ユーロで、軍事予算の10%~20%に相当する)。


 すぐれた専門家や組織がこの問題を論じているが、彼らは議論を「手段」という視点、または「技術」というアプローチ、あるいは核拡散の視点からしか行なっていない。考察の重点は「何を」と「どのように」に置かれ、「なぜ」と「誰に対して」はめったにない。結局、冷戦時代の概念は一度も再定義されていないのである。


 それでも、核抑止力は平和を保証するわけでも、全ての攻撃を抑止するわけでもない。2人の首相と1人の国防相に共通する表現を借りれば、「核抑止力の戦略的正当性には『死角』が認められる。この死角は次第に広がっている」(注1)。この核抑止力という道具は二重の欠陥を露呈している。つまり、明らかに必要というわけでもないし、あるいはこれで十分というわけでもない。むしろ正反対なのだ。フランスは直接的脅威を被っていない・核の外で紛争がしつこく起こっている・テロの脅威に対してこの兵器は適合しない・多くの場合、無差別大量破壊兵器の使用は倫理的に不可能、などがその理由である。その上、国連安全保障理事会常任理事国としてのフランスの正統性は、核軍備に基づいているばかりでなく、例えばマリ共和国への[通常兵器による軍事]介入能力にも基づいている。「爆弾と憲兵隊」といった[旧式の]防衛モデルは――現実はその方向に移行しつつあるが――効力がない。安全保障が必要であるからこそ核の軍事費を削減しなければならないのだ。


通常兵器の重要性


 核軍備の規模を縮小すれば、[予算が浮いて]抑止力として必要な通常兵器の能力を維持することは可能なはずである。国民議会国防委員会のパトリシア・アダン委員長はこのことを最近認めて、こう言っている。「信頼できる抑止力というものは多様な軍事力に基づくものであって、そこには通常兵器をも含むのである」(注2)。核兵器と通常兵器のこういった極めて強い戦略上の結びつきは、作戦の漸進性・脅威の本当らしさの程度・核抑止力の行使回避の予知能力に基づいている。


 いささか戯画的な話ではあるが、最初の必然的結論として明らかなことは、「全てか無か」の板ばさみになるというのはあり得ない、ということだ。人間は何もしない状態からいきなり世界滅亡に至る行動をとることはない。段階的な行動という原則は守られる。この自明の理のせいで、アメリカとフランスは冷戦期に極めて大量の通常兵器をも保持し続けることになった。何も変ってはいない。もし核による「先制第一撃」に先行して通常兵器による確固たる作戦がなかったら、それは歴史上正当化できる攻撃ではなくなる。通常兵器による攻撃こそ、敵に[核兵器を使用する場合の]自らの責任を認識させることができるのだ。


 政治的意志を相手に示すことはやはり重要である。政治的意志の本気度は実際の軍備を示すことによって示されてきた。振り返ればアメリカもソ連も、この本気度に頼っていたのだ。このように、抑止力の構造には確固たる通常兵力が伴わなければならないが、それは核戦争開始の本気度を示すためである。要するに、特に「既成事実」を手早く作ろうと目論む限定的攻撃に対しては、[通常兵器で反撃して]核抑止力使用の回避の可能性のほうに賭けるべきなのだ。そのためには、敵が実践しそうな作戦を妨害できる通常兵器システムを保有すべきなのである。そういうわけで、防衛予算のバランスを取り直す必要があるように思われる。それは可能である。実現可能な節約問題――それは存在するし、重要なことだ――は本気で検討する価値がある。


世界の実情にそぐわなくなった道具


 核抑止力の航空部門(注3)が必要なのか検討してみるべきだ。航空部門には「威嚇性と素早い移動性がある」という向きもあろうが、抑止すべき敵を前にした時の航空部門のお人好しぶり・非現実性を指摘する向きもある。確かに、核弾頭と輸送機器はすでにある。しかし、こういったシステムの維持と近代化に要するコストは、何年か後には購入予算に匹敵する額になるのだ。イギリスが長期間この部門を廃止していることを、この機会に指摘しておこう。


 「恒久的な海洋配備」(核弾頭ミサイルを搭載する1隻ないし数隻の潜水艦を恒常的に海洋に配備すること)は、タブー視されて誰も論議しようとしないが、避けて通れない問題である。これは、予算が潤沢な時期には完璧なものだが、非常に高額なコストがかかる――少なくとも《戦略ミサイル発射原子力潜水艦(SNLE)》に関しては、その関連機器および兵器の維持管理、近代化、取り換えなど、にである。それというのも、その有効性についてはおおいに疑問があり、必要な潜水期間能力が、国際紛争の高まりの程度に応じて非常に多岐にわたるからである。


 核弾頭の改良・輸送機器の更新には巨額の費用がかかるので、よく考えてみる必要がある。なぜ、15年ほどで4回も弾頭ミサイルを変え、1997年から2020年の間に、M45からM51.1へ、さらにM51.2へ、そしてM51.3へ移行させる必要があるのか? 北京市を総破壊する軍事力を持つことが、本当に戦略上得策なのか? 仮にわが国が貯えている核弾頭の最小値が300のレベル以下に下がったとして、それでは不十分なのか? 中国は核弾頭を240しか保有していないし、イギリスは225であり2020年には180に削減する予定である(注4)。兵器の《信頼性》という概念もまた考察に値する。たとえば、高速道路を走るドライバーは、信頼度75%の取り締まりレーダーに対しても、100%とされるレーダーに対しても、同じように速度を落とすものだ(注5)。


 戦略論議は公開されるべきである。まじめな見解であれば、世界の実情に順応できなくなった兵器のあり方を変えることができるだろう。核による安全保障は維持されるべきだが、現在の財政状況において是が非でも軍備を現状のまま続けたいというのは、妥当性を損ね、フランスを危うくすることになる。






(1) Alain Juppé, Bernard Norlain, Alain Richard et Michel Rocard, Le Monde, 14 octobre 2009.
(2) Communication & Influence, n° 42, Paris, mars 2013.
(3)フランスの核抑止力は航空部門(ミサイル、航空機で)と海洋部門(潜水艦、航空母艦から)の二つの部門によって成り立っている。[訳注]
(4) Olivier Zajec, « Les ambitions de Pékin bousculent la donne spatiale et nucléaire », Le Monde diplomatique, mai 2013.
(5) Yves Quéau, « Angles morts et typologie argumentaire de la dissuasion nucléaire : le vrai-faux débat sur les coûts », Les Champs de Mars, n°25, La Documentation française, Paris, hiver 2013,.

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年6月号)