行政に浸透する企業マネジメント

ベンチマーキング評価という破壊兵器


イザベル・ブリュノ

エマニュエル・ディディエ


著書に『ベンチマーキング 統計が締め付ける国家』(未邦訳)
Isabelle Bruno et Emmanuel Didier, Benchmarking. L’Etat sous pression
statistique
, La Découverte, coll. « Zones », Paris, 2013. がある。


訳:上原秀一


 文明病とも言われるバーンアウト(燃え尽き症候群)は、最も献身的な勤労者を襲うことが多い。それはおそらく、経営的な手法によって恒常的な不安が生み出されるのに加えて、職業活動がゆがめられて担い手自身のものではなくなってしまうからである。「クオリティ」を高めると言われている「ベンチマーキング」が、民間部門だけではなく公的部門にも幅をきかせるようになっている。[フランス語版編集部]




相対的な到達目標


 「ベンチマーキングこそが健全なやり方です!」欧州議会の議場で開催されたフランス企業運動(MEDEF)の2008年総会において、ロランス・パリゾ会長は、総会のスローガンを引用しながら高らかにこう述べた。ベンチマーキングをよく知らない人々が彼女の演説に面食らったのも無理はない。彼女は、製品・サービス・アイデア・職員・国家などにベンチマーキングを適用するよう強く勧めたのだから。


 ベンチマーキングとはいったい何なのだろうか。「競争的な観点から改善活動を評価する」という経営手法の利点を称揚することだ。パリゾ氏にとって、ある国を「ベンチマーキング」するというのは「他国と比較する」ことを意味しているようだ。それによって、「最も安い税制」、「最も小さな行政」、「最もすばらしい大学(注1)」といった「最善の政策」を探し出し、競争力を高める新しいアイデアを得るのである(注2)。この単純な方法を、実業家たちは1990年代以降、世界中の指導者に広めようと骨を折ってきた。たとえば1996年には、欧州産業円卓会議(European Round Table, ERT)が欧州委員会[EUの行政機関――訳注]と共催で政策担当者向けのセミナーを開催して、「避けることのできない厳しい選択を政府が正当化するのに役立つ(注3)」であろうこの取組を推進しようとした。誰にとって厳しいのか。この点は明らかにされなかった。


 ベンチマーキングにおいては、ベンチマーク(「指標」)が作り出される。すなわち、経営者の要求に応じた絶対的な到達目標ではなく、世界で最もうまく行われているとみなされた成果に応じて相対的に定められる到達目標が作り出されるのである。したがってベンチマークの力は、社長の権威や目標数値の科学性に由来するのではなく、客観的な実績に由来するのである。懐疑的な人々に対しては、よそで記録された最善の成果という証拠がベンチマークによって突き付けられる。このため、競争という事実の名の下にリストラや解雇、予算の「合理化」を認めさせ、異論を「非現実的だ」と言って封じ込めることがよりいっそう簡単になるというわけだ。


 アメリカにおいてベンチマーキングは、ゼロックスなどの企業が民間で展開して1980年代半ばに広く知られるようになった。ベンチマーキングは、当時の「日本の急成長」によって奪われたマーケットシェアを回復するための武器として紹介され、名門マサチューセッツ工科大学(MIT)の経済学者たちはアメリカ産業のパフォーマンスの衰退を食い止めるためにこれを強く推奨した(注4)。ベンチマーキングは、レーガン政権が創設したボルドリッジ賞の選考基準の一つにもなった。ボルドリッジ賞は、製造業・サービス業・医療・教育・非営利活動などあらゆる部門を対象に、「総合的なクオリティの高さ」を最も熱心に追求した団体を顕彰する取組である。


「給与労働者の潜勢力の社会的組み込み」


 ベンチマーキングによって、職員たちは、休むことなく点数を良くし続けたいと思うようになり、「より良い実践」をいつも追い求めるようになり、常に新しい目標を目指すだけでなく、「クオリティ」という関連する理想に向かってできる限りの努力をするようになる。競争力をつけるための努力へとすべての人々を巻き込むにあたって、物理的ないし法的な強制力に頼るというのは理想的ではない。参加者の善意をこうした努力の糧とするのである。自発的つまり「プロアクティブ」になって「完全なパフォーマンス(注5)」の証拠を見せる、さもなくばゲームを降りる、これぞまさしく「地獄の選択(注6)」であろう。ここには集団の構成員を統治支配する非常に特異な方法が見られる。


 強制的な手段なしでどうやって集団の構成員を走らせるのだろうか。ベンチマーキングによる統治支配を行えば、賞与や報償のために資金が尽きるということはない。ベンチマーキングは、自主性・自己評価・個人的参加・権限付与・自発性によって機能する支配形態だからである。「主体的な参加の管理(注7)」や「給与労働者の潜勢力の社会的組み込み(注8)」などの言い方をする論者もいる。このような言い方は、被支配者の自由、創造性そして主体性を糧とする支配のアンビヴァレントさを強調するものである。


 これらの概念は、企業における労働関係の変化を説明するために考え出されたものであるが、行政にも同様に当てはまる。予算が欠乏し、過度なお役所仕事が頻繁に非難されるような時期にあって、もっと多く介入する(つまりもっと多くの予算を使う)というのは論外であり、組織を改善し、最善のサービスを最少のコストで提供できるようにすることが必要である。こうして「小さな政府」という古典的な自由主義のスローガンに取って代わって「より良い政府」という新自由主義的な合言葉が現れるわけである。しかし、「より良い」という言葉が多様な機構のそれぞれにとって何を意味するのかは、おのずと明らかなわけではない。企業は利益を追求するものかもしれないが、政府や行政機関を動かすのはどのような究極目的なのだろうか。民主主義においては、原則的には、これを決めるのは国民である。実際、この問題は根本的な政治的対立を引き起こしている。したがって、ベンチマーキングの実践には明白な点も自然な点もまったく無いのである。


 国家が数字を使うのは新しいことではない。統計学は、18世紀に誕生した時から「国家の学問」をもって任じていた。だが歴史の皮肉である。公権力が自らの特別な道具として考案したものが、今日では「新しい経営」の名の下に公権力を攻撃するのに役立っている。ベンチマーキングは、統計を動員することによって変革の絵を描く力を手に入れようとする。国家の形成と平行して形成された統計ツールと区別して、ベンチマーキングが織り成す数字のネットワークを言い表すために、われわれは「新公共経営(ニュー・パブリック・マネジメント)」(注9)という言い方にならって「新しい公共のための数値化(nouvelle quantification publique, NQP)」と言うことができるかも知れない。これらの表現はいずれも、可変的な諸要素の間の相互連関に規則性・首尾一貫性を見いだし、照準を合わせるのに役立つものである。


 NQPの中には、10年ほど前からいやというほど喧伝されてきた様々な手法がちりばめられている。公務員が自分たちの仕事の価値を説明するために自ら数値を公表しなければならない実績指標。「成果主義の文化」を吹き込むために指導部が公務員一人一人に割り当てる数値目標。多種多様な数値データを一目で理解するための経営管理ダッシュボード。「優等生」とそれ以外を見分けて賞罰を与えるためのランキング。こういった様々な手法がNQPの中に集められているのだ。これらの技法は、フランスの行政においては、2001年予算組織法(LOLF)と公共政策総点検(RGPP)(注10)によって体系的に導入された。RGPPは、オランド社会党新政権によって公共事業現代化(MAP)と改称された。


方向感覚の喪失


 これらの技法は各自の「善意」に支えられているが、だからといってこうした仕組みが惰性走行や自動操縦のような形で勝手に作動しているというわけではない。狭いグループに限定されたエリート集団がこのような経営支配を行っているのである。そして、ベンチマーキングにはオフロード車のようにどこにでも行ける普遍性が備わっていると主張して、政治経済の指導者たちがその価値を押しつけている一方、ベンチマーキングを当の指導者自身に適用することは滅多にしない。その最も良い例はおそらく、サルコジ大統領が定めた数値目標に照らして各大臣を評定・順位付けした実験であろう。2008年1月に『ル・ポワン』誌がこのランキングを公表して大きな反響を呼んだものの、このアイデアはすぐに放棄された。


 また、ベンチマーキングの普及には、医師・法曹・警察幹部・大学教授といった特殊なカテゴリーの公務員が反対した。いずれの職種も、ベンチマーキングのような比較による経営評価が導入されると、同業組合の伝統的な相互評価に基づく権威が根本的に揺らいでしまうからである。これらの職種に属する「親方」たちは、普段はあまり集団行動に加わらないものだが、今回はベンチマーキングの第一の標的にされた下級公務員の批判的な立場に与することとなった。一方、こうした同業組合的なソーシャル・キャピタル[信頼・規範・ネットワークなどの社会組織の特徴――訳注]の恩恵を受けてこなかった職員は、新しい評価制度のおかげで自分たちの資質がより高く評価され、地位が向上するようになることを期待していた。したがって、ベンチマーキングがさまざまな抵抗を抑えて公共部門に入り込むことができたのは、最上級管理職と一部の「アウトサイダーの(非同業組合的な)」中間管理職(注11)とが手を結んだことによるのである。


 しかし、ベンチマーキングの提唱者が明言していた客観性と公平性の約束は守られておらず、逆に多くのゆがみがはっきりした形で現れている。あらゆる層の公務員が極めて大きな心理的負担に襲われていることを自覚していて、特に「数字の政策」のメッカである警察では自殺者も出ている。機動隊員用の心理相談窓口に対する電話相談件数は、10年間でほぼ4倍に増えている。


 流動的で一貫性のない目標を追求させられることで、公務員は自分の仕事の確実性と安定性を失って苦しんでいる。彼らはよく「方向感覚の喪失」と言う。公共サービスの利用者の方は、いわゆる「より良い政府」が実際には公共サービスの質の低下を意味するということを理解できるようになった。たとえば、以前なら警察につけ回されるようなことのなかった人たちが拘留される件数の急増が認められた。また、病院の急患窓口における病人の選別は、患者のより迅速な診察を保証するものと説明されていたが、実際には不十分な治療の証拠である再発率の増加を招いた。


 数値で評価される公務員は、「売り上げを伸ばし」たり、最も良く見える方法で成果を示したりすることを覚えなければならなくなった。警察官は、犯罪に対する実際の抑止効果を無視して安易な逮捕に走るようになった。医師は、難しい症例を避けて簡単な病気をたくさん扱うようになった。研究者は、一つのまとまった研究成果をサラミソーセージのように切り分けて3本の論文にしたりするようになった[二重投稿などの研究上の不正行為を「サラミ出版」などと呼ぶ――訳注]。こうした人々の行為を自分の利益しか考えない保身行為だと非難することができるだろうか。いやむしろ、彼らの対応力や自主性などを評価すると言われる数字が表現する《現実》それ自体が、経営技術によって作りだされたものなのである。この現実は、もはや政府の行動を吟味する最終的な裁判官ではない。現実そのものも作りだすことができるのである。


法廷での初勝利


 ベンチマーキングに対して反対運動と呼べるような反対運動がフランスを中心に組織され始めている。2012年9月4日、リヨンの大審裁判所[日本の地方裁判所に相当――訳注]は、サラリーマンを競争状態に置くことによって深刻な健康被害につながる恒常的なストレスが引き起こされると認定した。そして、南ローヌ=アルプ貯蓄銀行に対して、ベンチマーキングに基づく組織形態をやめるよう命じた。この銀行は、2007年以降、各行員の成績を日常的に比較して順位を貼り出すという人事管理制度を実際に導入していた。この訴訟は、このような人事管理方法が生み出す恐怖感を告発するために、連帯統一民主労組(SUD)が起こしたものである。ベンチマーキングの仕組みに対する抵抗にとって一つの転機となる訴訟である。前例のないこの判決は、ベンチマーキングが行われているあらゆる場所での数多くの不服申し立てに道を開くものである。






(1) «Benchmarker, c’est la santé!», Medef, 8 février 2008.
(2) Gilles Ardinat, «La compétitivité, un mythe en vogue», Le Monde diplomatique, octobre 2012 を参照。
(3) ERT, «Benchmarking for policy-makers : The way to competitiveness, growth and job creation», rapport issu du séminaire, octobre 1996.
(4) The MIT Commission on Industrial Productivity, «Made in America : Regaining the productivity edge», MIT Press, Cambridge, 1989.
(5) Florence Jany-Catrice, La Performance totale : nouvel esprit du capitalisme ?, Presses universitaires du Septentrion, Villeneuve-d’Ascq, 2012.
(6) Philipe Pignarre et Isabelle Stengers, La Sorcellerie capitaliste. Pratiques de désenvoûtement, La Découverte, Paris, 2007.
(7) Philippe Zarifian, «Contrôle des engagements et productivité sociale», Multitudes, no 17, Paris, été 2004.
(8) Frédéric Lordon, Capitalisme, désir et servitude. Marx et Spinoza, La Fabrique, Paris, 2010.[原注]フレデリック・ロルドン(杉村昌昭訳)『なぜ私たちは、喜んで“資本主義の奴隷”になるのか? 新自由主義社会における欲望と隷属』作品社、2012年[訳注]。
(9) 「新公共経営(New Public Management, NPM)」とは、公共部門に民間企業の経営手法を適用して効率化・活性化を図る考え方である。1980年代半ば以降、英国やニュージーランドなどで形成された。競争原理の導入や業績・成果の評価などを特に重視する。[訳注]
(10) 「2001年予算組織法(LOLF)」は、「予算に関する2001年8月1日組織法第2001-692号」の略称である。LOLFは、議会の予算に対するコントロール強化と行政の効率化に向けて、国の予算制度を定める「1959年予算組織法」を全面改正した法律である。予算執行における各省の裁量権を大幅に拡大する一方で、毎年の予算案審議の際に目標を設定し、その達成状況を決算時に評価することとした。2005年1月1日に施行され、2006年度予算から適用された。「公共政策総点検(RGPP)」は、2007年5月に発足したサルコジ政権が同年夏から実施した全省庁を対象とする公共政策監査である。これによって省庁間機関や国の地方出先機関の大幅な統合などが進められた。[訳注]
(11) Nicolas Belorgey, L’Hôpital sous pression. Enquête sur le «nouveau management public», La Découverte, Paris, 2010.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年5月号)