ニューヨークから東京まで、暮らしぶりを激変させているある事情

「おひとり様」なれど、孤独にあらず


エリック・クリネンバーグ

ニューヨーク大学(社会学)


近著に、『一人で生きる――独り暮らしの急増ぶりと意外な魅力』(未邦訳)がある。
Eric Klinenberg, Going Solo. The Extraordinary Rise and Surprising
Appeal of Living Alone
, Penguin Press, New York, 2012. 本記事はその要約。


訳:石木隆治


 50年前はごく少数だった独居者が、いわゆる「先進」諸国で急増している。一部の人たちは、これは「ナルシスム」の結果であるとか、「ひきこもり」であるとか、または「《絆》の崩壊」であるとかといった言葉で説明する。しかし、この劇的な変化はメディアで取りあげるような残念なイメージと比べて、はるかに興味深いものである――そして、そう受け入れがたいものでもない。この種の変化をもたらした条件についての研究が進み、もっとニュアンスに富んだ様相を浮かび上がらせている。若い独身者から独居老人にいたるまで、ひとり暮らしが狙うのは個人主義と豊かな人間関係の融合である。[フランス語版・日本語版編集部]




 旧約聖書の冒頭には次のように記されている。神は世界を創造されるにあたり、一日に一つずつ仕事を成し遂げられた。天と地、光、あらゆる種類の動植物の種などの創造である。神は創りたもうたもの一つ一つに対し「これは良い」と満足気に言われた。しかし神がアダムを創りたもうた時、人間の不完全さに気がつかれると、語調が変わった。「人間が一人でいるのは良くない」と神は申され、その結果イヴを創られてアダムと番わせた。


 時がたつと神学の周辺から、人間は孤独と戦うべしという要請が出でて、哲学や文学の素材を提供するようになった。ギリシャの詩人テオクリトスは断言した。「人間は永遠に他人を必要とするだろう」。そしてローマ皇帝マルクス・アウレリウスは、ストア哲学を好み、人間を「社会的動物」とした。集団生活がいかに必要かということを最もよく表しているのが、家族の発明である。あらゆる時代、あらゆる文化圏において、社会・経済生活の土台をなすのは、家族であって個人ではない。進化論者たちがいみじくも断言している。「原始社会における生存競争では集団で生きる方が決定的に有利だった。それは安全性の面だけではなく食糧供給さらには種の保存の面からも同じであった」と。


 この50年間、人類は前代未聞の社会的経験を積んできた。人類史上初めて、あらゆる年齢層とあらゆる社会環境にある相当数の個人が、ひとり暮らし、《おひとり様》の生活を選択しているのである。ごく最近まで、大部分のアメリカ人は若くして結婚し、死別するまで一緒に暮らすのが普通だった。夫婦のどちらかが先に死んだら、残されたほうはすぐに再婚した。それが現在では、結婚するにも以前より高年齢化し、結婚期間もより短くなっている。ピュー研究所によると、アメリカでは平均初婚年齢が「過去最高となっており、この半世紀の間に5歳上がっている(注1)」。ひとり暮らしの原因は離婚、死別、独身主義などがあるだろうが、いずれにせよ、独居の期間は何年、何十年と続く。人生の諸段階を印す要素の内、家族はもはや一時的あるいは条件つきの位置しか占めなくなっている。


ひとり暮らしは「病気」? 「反道徳的」? はたまた「ノイローゼ」?


 こうした現象が広がっているにもかかわらず「ひとり暮らし」という生き方は現代において議論されることがなく、それゆえ理解されてもいないテーマである。当人たちも周囲も「おひとり様」という立場を、あくまで個人的な体験に過ぎないと捉えているのだが、次第に一般的になりつつあるこの生き方が社会生活に及ぼす影響は、当然ながら考察に値する。ところが、この新たな傾向をメディアや学会でたまたまテーマに取り上げることがあっても、評論家たちはただ心理学用語や社会用語によって問題を語るのみである。彼らが用いるのは、「ナルシスム」であるとか、「ひきこもり」であるとか、または「《絆》の崩壊」であるとかといった言葉である。しかし、この劇的な変化はメディアで取りあげるような残念なイメージと比べて、はるかに興味深いものである――そして、そう受け入れがたいものでもない。


 《おひとり様》の増加は、大きな射程の社会変化をなしており、それ以上でも以下でもない。都市空間(住宅、交通手段など)の概念に方向性を与え、個人向けサービス産業(家事の訪問サービス、保育サービス、食事の宅配など)の発達を促している。生老病死の仕方にも影響を及ぼす。あらゆる社会集団・ほとんどすべての家族にインパクトを与えているのだ。


 おひとりさまの増加はアメリカに典型的な現象だと考えたくなる。つまり、文芸評論家のハロルド・ブルームが「自己中心教」と呼んでいるものの現れと考えるのだ。しかし、この変化を推し進めている力は、アメリカ特有の考え方の枠を超えるものである。その証拠に、アメリカは独居者数に関しては遅れをとっており、それほど個人主義へ傾倒していないと思われている国々に大きく引き離されている。統計的にみて、独居生活に対して最も好意的な国は、スウェーデン・ノルウェー・フィンランド・デンマークである。これらの国々では、単独世帯は総世帯数の40~45%を占める。日本では、歴史的に社会生活が家庭尊重と深く結びついているにもかかわらず、単独世帯の割合が昨今30%に近づいている。ドイツ・フランス・イギリス、さらにはオーストラリアやカナダでも、その割合はアメリカよりも高い。この現象は、かつての産業大国に留まらない。というのも、最も増加の速度が速いのは中国・インド・ブラジルだからだ。≪ユーロ・モニター・インターナショナル≫(ロンドン所在の市場調査会社)の調べによると、単独者世帯の数は世界中で爆発的に増加している。その数は1996年に1億5300万だったが、2006年には2億200万人を超え、10年で33%伸びたそうだ(注2)。


 この劇的な変化をどのように説明すればよいだろうか。経済発展が関係しているだけではなく、経済発展で一部の人たちに生じた物質的な安寧も関係していることは明白である。言い方を変えれば、かつてないほどに「おひとり様」たちの数が増えたのは、豊かになって、こうしたライフスタイルが可能になったからである。だが、経済が理由のすべてではない。1957年の統計調査によれば、アメリカ人の半数が非婚者を「病気」、「不道徳」あるいは「ノイローゼ」だと思っており、中立的な意見はたった3分の1だった。一世代たって1976年になると、結果は逆転する。非難めいた意見が3分の1で、半数は中立的意見である。7人にひとりは独身生活に賛同すらしている(注3)。独身者数が既婚者数を上回った今日では、こうした調査を行なうことを考えること自体、どこの調査機関にとっても不条理なことに思える。夫婦生活を行わない人間に対するマイナス・イメージは残るにしろ、今現に結婚を選択するための文化的決定要因が根底から覆ったのである。


 支配的なイデオロギーのなかにすでにしっかり根をはった常識がある。それは、成功して幸福をつかむには、他人とのあいだに取り結ぶ絆に頼るよりも、運命から抜け出しよりよいチャンスを得るほうが有効だという考え方である。自由、ありあまる選択肢、プライベートの充実、これらはいずれも現代的な知恵に見合った美徳である。人口統計学者のアンドリュー・チャーリンは「人は親や子よりも前に、まず自分自身のことを考えねば」(注4)とまで示唆する。


 ほんの少し以前には、離婚を望む者は誰しもまず己の離婚請求を正当化する必要があった。今日では、その論理が逆転していることが観察できる。つまり、もし夫婦生活に完全に満たされていない場合、即座に結婚生活に終止符を打つのが当然であり、終止符を打たないのならその理由を説明できなくてはならないだろう――それほど「自己の尊重を」という命令が重視されているのだ。この変化は、生活する地域に対する執着が次第に薄くなってきていることにも現れている。アメリカで人々は頻繁に引っ越しをするので、社会学者らは「隣人の絆」というよりは「限定的コミュニティ」(注5)という呼び方を好む。職場での人間関係についても同じことが起こっており、これは不安定なポストや収入、将来の見通しがないこと、といったことにはっきりと現れている――「ご自分のことだけお考えください」が、生き残っていくための処世術なのである。ドイツ人社会学者のウルリッヒ・ベックとエリザベス・ベック=ゲルンスハイムは「歴史上初めてのことであるが、個人主義をベースとして社会の再生産がなされつつある」(注6)と記している。


 「個人の尊重」は19世紀に拡がったものの、20世紀後半になってやっと産業社会を根底からひっくり返すことになった。それは4つの社会変革のおかげである。つまり、女性の権利の認知・コミュニケーション手段の発展・都市化・平均寿命の伸長だ。この4つがあいまって、個人主義と一人暮らしに都合の良い環境を作り出し、西洋から始まったこの流れは世界へと拡がった。


欲しいものを好きなときに


 まず第一に女性の解放から。1950年以降に女性がこの分野で得たものは、不十分で不完全ではあるのだが、そうはいっても革命であったことには変わりない。というのも女性は学歴を手に入れ、仕事の世界に進出し、家庭生活や性生活をコントロールするようになったからだ。ほとんどの先進国は、この半世紀に同様な変化をとげており、高等教育でもビジネスの場でも、これほど男女のバランスが均等になった時代はこれまでない。とはいうものの、女性への差別が消えたわけではないのだが。


 時を同じくして、女性が勝ち取った避妊とバース・コントロールによって男女関係の伝統的な枠組みが崩れ、晩婚化と別居・離婚が急速に増大した。アメリカでは一組のカップルが離婚に終る可能性は50年前に比べに2倍となった。女性にとってパートナーとの別離や一人暮らしは、もはや禁欲を意味することはなくなった。むしろ正反対だ。スタンフォード大学の社会学者マイケル・ローゼンフェルドによると、今や中産階級の30代の女性の多くが《第二の思春期》の新しくて自由気ままな恋愛がもたらす陶酔に憧れるようになったという。この快楽主義はローゼンフェルドが名付けた「ひとり暮らしの時代」の核心点である。つまり一人で自立して生きることで、却って他人たちと交流を愉しむ余裕が生まれるということになるのだ (注7)。


 第2に個人称揚の発展の基盤となっているのは、コミュニケーションの革命である。通信手段が進化し、家にいながら他人と交流することを可能にした。1940年のアメリカでは電話機のある家庭はたった3軒に1軒の割合だったが、第二次世界大戦後は63%に増え、今では95%のアメリカ人が電話を所有している。テレビの普及はさらに速かった。政治学者のロバート・パットナムが著書『孤独なボウリング』[未邦訳]で、1948~1958年の間にアメリカでテレビのある世帯は1%から、実に90%に推移したと指摘している。20世紀終盤の十数年には、インターネットが状況を一変させた。ネットは電話によるコミュニケーションの相互性と、テレビの受動的消費性を併せ持つ。ネットユーザーはいつどこででも誰とでも繋がることができるだけでなく、ブログを作ったり、ユーチューブに画像を公開したり、ソーシャル・ネットワーク(SNS)に投稿することで世界中の不特定多数に向けて呼びかけることが可能である。あらゆる人々が、インターネットによって孤独と連携を両立させ、物理的接触なしに幅広い人間関係を持てるのだ。


 ほとんどの独居者が他者と交流を持つ手段が、もうひとつある。外へ出て、街の社交場を利用するのである。世界を個人主義に向かわせている第3の牽引力は「都市化」である。大都市にはありとあらゆる「変り者」が引き寄せられてやって来る。彼らは大都会の雑踏の中で同類と気ままに交遊を結ぶ。都市化によって、価値観、好み、ライフ・スタイルといった共通点ごとにグループの形成が促され、多くのサブカルチャーが生み出された。こうして発展したサブカルチャーは確立され、今ではメインのカルチャーとなっている。歴史学者のハワード・チュダコフは、19世紀と20世紀の転換期におけるシカゴやニューヨークといった都市が、都会暮らしを楽しむ独身の白人男性たちの新しいライフ・スタイルによって変容を遂げたという。彼らには、行きつけの飲み屋、プライバシーを詮索されない住居、自由気ままな生活があったのである。


 数十年の間に、都市化が創り出したサブカルチャーはじわじわ浸透し、都会生活の主流文化に染み込んだ。サブカルチャーの特徴であったものが都会文化の標準になったのだ。おひとり様がソーシャルライフを楽しむ場は紫煙ただようバーや赤いカーテンのナイトクラブだったが、今日では裕福なおひとりさまがそこに入り浸る必要はもはやない。スポーツジム・バー・共用施設の充実したマンション・ケータリング業者・クリーニング屋などのバラエティに富んだ場所やサービスがおひとり様独特の要望や興味を満たしてくれる。著書『都会族』[未邦訳]の中でイーサン・ワッターズが指摘しているように、独身者たちが集まると、独身として生きるためにお互いに助け合うことができるのだ(注8)。


 おひとり様の生活を広めた四つめの変化は地域の貢献だが、そのように認識されていることはほとんどない。長生きをする人が増えているため、ひとりで老後を過ごすことも増えている。1900年にアメリカでは、高齢者の10%がひとり暮らしだったが、一世紀後には62%まで上昇した(注9)。


 ひとりで老いることは容易ではない。よくありがちな老後の困難(年金の管理・病気の治療・衰えを受け入れること・身近な人が次々とこの世を去るのを見届けること、等々はひとりで立ち向かうには手強いかもしれない。しかし、だからといって耐えられないものでもない。英国で行われた研究によれば、ひとり暮らしの高齢者は夫婦で暮らす高齢者よりも幸せな生活を送っており、自分を気にかけ励ましてくれる人々(看護師、医師、ホームヘルパーなど)とよりよい関係を築いていることが明らかになったという。数十年前から、高齢者は一般的に、家族や友人の家、もしくは老人ホームで暮らすよりも、自宅に独りで住むことを好むようになっている(注10)。この現象もアメリカに限った話ではない。日本からドイツまで、伝統的な数世代同居家族があたりまえだった国々でも、ひとりで老いることが普通になっている(注11)。


 孤独に生きることを選んでいる人は、多くの場合、ある目的があってそうしている。すなわち、個人の自由、自己陶冶、自己開花といった神聖冒すべからざる価値を実現しようとしているのだ。こうした価値観が物心が就いてからいまわの際まで自己の存在を導いているからである。一人で生きれば、好きな時に好きなやり方で好きなことができる。一人身というこの身分は、パートナーの欲求・願望を思いやって自分のことは犠牲にするというやりきれない務めから解き放たれる。自分のことだけにかまけていればいいのだ。メディアがデジタル化し、ソーシャルネットワークが広く浸透している時代に、一人身でいることはさらに大きなメリットをもたらしてくれる。ひとりでいることによって癒やされる時間と空間をいっそう持つことができるのだ。


 「一人で生きること」と「孤独に苦しむこと」の二つは明瞭に異なる状態である。孤独感に対して盾になってくれるのは、人間関係の質であり、その量ではないことは多くの研究の教えるところである。言いかえれば、人々が一人で生きるかどうかは重要ではなく、自分を寄る辺なき存在と感じないことがポイントなのである。





(1) «The decline of marriage and rise of new families», Pew Research Center, Washington, DC, novembre 2010.
(2) Euromonitor International, « Single living : How atomisation – the rise of singles and one-person households – is affecting consumer purchasing habits », juillet 2008.
(3) Cité dans Frank Furstenberg Jr, Sheela Kennedy, Vonnie McLoyd, Rubén Rumbaut et Richard Settersten Jr, «Growing up is harder to do», Contexts, n° 3, Berkeley, 2004.
(4) Andrew Cherlin, The Marriage-Go-Round : The State of Marriage and the Family in America Today, Knopf, New York, 2009.
(5)この表現が初めて使われたのは、モーリス・ジャノビッチによる。(Morris Janowitz, The Community Press in an Urban Setting, Free Press, Glencoe, 1952)
(6) Ulrich Beck et Elisabeth Beck-Gernsheim, Individualization : Institutionalized Individualism and Its Social and Political Consequences, Sage, Londres, 2002.
(7) Michael Rosenfeld, The Age of Independence : Interracial Unions, Same-Sex Unions, and the Changing American Family, Harvard University Press, Cambridge, 2007.
(8) Ethan Watters, Urban Tribes : A Generation Redefines Friendship, Family, and Commitment, Bloomsbury, New York, 2003.
(9) Claude Fischer et Michael Hout, Century of Difference : How America Changed in the Last One Hundred Years, Russell Sage Foundation, New York, 2006.
(10) Dora Costa, The Evolution of Retirement : An American Economic History, 1880-1990, University of Chicago Press, 1998.
(11) Robert Ellickson, The Household : Informal Order Around the Hearth, Princeton University Press, 2008.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年3月号)