精神的パニック、統計調査の横暴に基づく

いわゆる「右傾化」について



アラン・ガリグー

パリ西部大学(ナンテール=ラ・デファンス)教授

 政治学専攻。
共著に『アンチ統計調査必携 民主主義は売り物にあらず』(未邦訳)
(Coauteur, avec Richard Brousse, Manuel anti-sondages.
La démocratie n’est pas à vendre!
,
La ville brûle,Montreuil-sous-Bois, 2011.)がある。



訳:川端聡子


 リストラ解雇の禁止やファイナンスの規制といった経済・社会政策を公約に掲げたフランス政府だが、そのほとんどが不履行となっている。これに対し、保守勢力はオウム返しに「みんなのための結婚」法案への反対デモで応えた。しかしながら、フランス社会が「右傾化」していると結論づけるべきなのだろうか。その前に、まずはこの言葉が本当に意味するところについて、見解を一致させておく必要がある。[フランス語版編集部]




「右傾化」をめぐるふたつの解釈


 いわゆる「アシスタナ」(注1)や移民、税金亡命の問題に対抗して、秩序への回帰、権威の称揚、格差の正当化といった反動が徐々に起こっている。右派から左派にいたる政界全域にわたって、社会が「右傾化」しつつあるとの診断は一致しているようだ。それを喜ぶ人もいるだろうし、迷うことなく(または不承不承)順応しようという人もいるかもしれない。諦観して(または無自覚に)受け入れる人もいるだろうし、絶望する人もいよう。しかし、みな現実認識は同じなのである。2007年にニコラ・サルコジが大統領に当選した選挙の際は、「人道的見地」に基づく抵抗があってこのような見立てが和らげられることもあった(注2)。今日では「みんなのための結婚」法案(注3)のような社会変革を推進することによって緩和されることも考えられる。にもかかわらず、経済・福祉・政治各分野において事態は明白だ。もはや右傾化の規模や速度を推し量ることが残されているのみだ。そこで、「右傾化」の内実についてよく理解するほうが、型通りの説明を繰り返すより有意義なように思う。


 フランス国民の「政治不信」が5年前と同じように再び高まっている。ある者は、この「政治不信」という言葉を従来からある「代議制民主主義の危機」と結びつけ、国会議員によって民意が反映されていないと考えている。また一方では、「ポピュリズム」という告発型の思潮の台頭と結びつけ、極右と極左を同一視している。前者は100年以上も前の「反議会主義」的主張の焼き直しであり、国民戦線の躍進や20年前の選挙権放棄事件の理由となっている。後者は古くさい全体主義批判を引き継ぐもので、「Ni-ni」政策(注4)礼賛の復活であり、1930年代から始まって、左右両極の中間を行こうとする「第三の道」の幾度目かの復権である。


 こうした見立ての貧困ぶり、驚くべき一致は何が問題なのかわれわれがきちんと理解しようとしていないせいかもしれない。ある者にとっては「右傾化」は世論の極右への傾斜を表し、過激化のことである。別の者にとっては、社会党も含む政党・政治家が右寄りの立場を取る傾向にあることのようだ。その結果、相反する結論に至る。前者の例については、問題は極右的主張に集約される。外国人嫌悪、あるいは人種差別が攻撃的な表現形態を取る。後者の例について言えば、充分な広範囲の人々から支持を得ようという、いわばリベラルな合意、あるいは「イデオロギーの終焉」である。ところで、このようなふたつの傾向の示す兆候は混在している。一方では国民戦線が選挙で得票率を伸ばし、主張が受け入れられた結果、同党の掲げるテーマをさまざまな政治団体が競って取り上げている。治安問題、イスラムの脅威、減税政策、公費乱用、フランス至上主義といったテーマである。また一方では、市場、自由貿易、私企業、公費削減についての与党各会派の合意がある。


階級脱落の恐怖


 政治的過激化としての「右傾化」は、よりショッキングかつセンセーショナルであることから世間の注目を浴びやすい。社会を根底から揺るがす要素のうち、めぼしいものだけ取り上げてみても、グローバル化や債務危機、爆発的な失業者の増大、新興国の突き上げなどがあり、さらに金持ちはより豊かになり、中間層は貧困化し、貧困層はホームレス化する——このような変化は、当然ながら政治にも影響を与えずにはおかない。1930年代の世界恐慌の記憶が蘇り、国民の恐怖感を増幅させるのだ。20世紀を混乱に陥れ、ファシズム、戦争へと至る恐怖政治を生んだあの恐慌である。


 ほんの少し前は、フランス、ベルギー、ハンガリーやオランダにおける極右政党の選挙得票率急上昇は社会にとって脅威だった。目覚ましい躍進をみせた彼らだが、その後は支持が伸び悩んだり支持基盤が縮小し、オーストリアの故イェルク・ハイダーの政党のように与党内少数派の例はあったにしても、政権につくことは滅多にない。もしくはベルギーの政党であるフラームス・ブロックのように、地方自治レベルどまりである。他方で注目されたのが、アメリカのティー・パーティのような運動である。運動の目的は、既成政党(この場合は共和党)に対して圧力をかけることだ。これらの背景には、アメリカ国民が階級脱落の恐怖心を抱いていることがある。彼らは主として白人で、時として貧しい人々で、下からの脅威、つまり最低貧困層、外国人からの脅威に対して敏感であって、金持ちのさらなる裕福化には関心がない。ティー・パーティ支持層は階級差には関心がなく、「人種問題」に敏感である。しかし、極右をアピールしていた共和党候補者は選挙に勝てなかった。こうした運動の定着が共和党の敗北に一定の役割を果たしたとさえささやかれた。[ティー・パーティの運動に引きずられて共和党が右傾化したために、穏健な共和党支持者が離れたとされる——訳注]


 確かに2007年の大統領選では、サルコジ氏が演説を右傾化させたことが極右票の取り込みに役立ったのは事実だが、同じ手で5年後の選挙戦に勝つことは叶わなかった。それでも、この敗北がことのほか僅差だったことで、UMP(国民運動連合)は右への先鋭化が必須だと確信したらしい。以降、UMPの党員たちの移民・治安政策は国民戦線の党員たちと近い印象を受けるし、(この場合は各党の指導層とは意見が異なっているが)保護主義的経済・金融政策、そしてユーロに関しても広範な部分で意見が一致しているのである。


 彼らの先鋭化が緊要の問題であることは疑う余地がない。3つ以上の世論調査が行なわれた結果、極右の評価が上がっていることが2013年1月に明らかになっている。その調査のひとつには、87%ものフランス人が「秩序を取り戻してくれるフランスの真のリーダー」を望んでいるという報道さえあった(2013年1月25日付『ル・モンド』)。こうした軍靴の響きのような意見表明のせいで過激な演説が本格的に増加し、もはや移民、軽犯罪者、生活保護者、役人等々について糾弾することに何のこだわりもなくなった。リチャード・ホフスタッターの言う「偏執狂的スタイル」によれば、徴税嫌悪や高級官僚・インテリ・わけても外国人への憎悪に陰謀理論的メンタリティが結びつくという(注5)。この政治スタイルから生まれたのはアメリカにおける政党間のライバル関係ばかりではない。ほとんどの統計調査ではさまざまなテーマ、死刑復活、国策に反する自由な起業、労働時間の拡大に賛成する意見が色濃く出たり、増大したりしている。


 ふたつの「右傾化」は繋がっている。それは、政論を分ける左右の中心軸が右側へと移動したため機械的に右派が極右へとスライドしたからではなく、党派閥競争が違いを求めてエスカレートしているからだ。政治家たちは実に巧みに曲言法を操り、直接的には表現するのを許されない主張を国民に連想させている。たとえばUMPの党首で、「遠慮なき右派」のジャン=フランソワ・コペ氏は「下校時に児童のひとりが不良グループからおやつを取り上げられ、これが親たちのトラウマとなっています。この不良グループは正義を実行するイランの取締り民兵を気取っているのです」などと発言している。その他にも「『反白人の人種差別』がわれらの街に広がっている」とか、「今後は不法入国者だけが100%国家負担の制度の恩恵を受けられるのです」、さらには「企業主、職人、商店主(中略)は税務調査におののいていますし、もっと悪いこととして労働基準監督官の査察が入ることを怖れています」とも言っている(注6)。これらの演説では、言ってもよい限界の線が移動している。政治的に思考しうる範囲は、言葉にしうる範囲に比例して広げられる。


 アメリカでは、FOXニュースのように巨大な影響力をもつメディアが日々こうした政治家の発言を放送することで、ヨーロッパよりも「陰謀的」側面が顕著となっている。ヨーロッパ社会においては、いくらでも到富して構わないとするピューリタン的正当化がそれほど強くないし[初期のプロテスタントは額に汗して富を作ることを正しい営為と考えていた——訳注]、それよりも真の福祉国家を目ざすことに関心がある。こうした状況から、制度を悪用する「外国人」「働く気のない者」「被生活保護者」に対する非難はまだ抑えられていたのだが。


 このように「旧大陸」においては右傾化はひそやかに進行している。たとえばいくつかの雑誌上に、おそらく示し合わせてではないだろうが、週を同じくしてフリー=メイソン関連の見出しが踊った。「フリー=メイソンがわれわれを統治する」(2013年1月3日付『ヌーヴェル・オブセルヴァトゥアール』)、「オランドとフリー=メイソンの仲間たち」(2013年1月7日付『ル・ポワン』)——こうした雑誌はオブラートに包んだ陰謀主義を常に主張しているのだ(注7)。こうした陰謀主義にあっては、必要に応じて記事のテーマは変更され、悪人相をしたテロリストの親玉数人の頭上に「われらの敵、イスラム主義者」のタイトルが冠されたりする(2013年1月24日付『ル・ポワン』)(注8)。かつての反ユダヤ主義の展覧会に展示されたユダヤ人の典型を示す顔写真を思わせる紙面である。[『ユダヤ人とフランス』展、1941、パリ——訳注]


 出版社のオーナーたちは、センセーショナルな表紙などもはや販売促進のための「引き」にはならないと断言している。もしそれが本当ならば、各紙の表紙は不景気に困った報道の新戦略なのか、多くの読者の共感を得られる階級脱落の恐怖感を伝えるものとなるのか……。知的活動であるはずの批評的報道の根本意義は「密事」や「謀略」を暴くことにつきるのは確かだが、しかしもっとも読者を引きつける題材がもっとも下らない題材であり、そのことに誰も留意をしない場合、——さらには誰も警戒しない場合——批評的報道の有徳性はどこにあるというのか?


「自己責任」の布教


 一部の調査員はアンケート回答者を集めるに当たって比較的保守派支持層に近いと分かった上で募ったり、他の対象者らに謝礼を払って統計サンプルを軌道修正しており、これについては何をかいわんやである(2013年1月25日付『ル・モンド』によると、大手調査会社IPSOSによってこのような方法で調査が行なわれた)。こういうことをするのは、彼らに「反白人の人種差別」(ということはつまり、反白人の人種差別が存在することになる)、またはフランスにおける移民の「同化への努力」に関して質問するためである(ここはあくまでも「努力」についての問いである)。さらに二択の質問が提示されるが、どれも遠回しな設問であり、「たいていの人々」を「信用」しているか、とか、その反対に「他人」に対して用心するほうがいいか(誰をさして他人というのだろう?)と言うのだ。お終いには、「以前と同じくくつろぎを感じる」かどうかについて、回答を促す(しかしフランスでくつろぎを感じるとは、いったいいつより前の話だ?)。こうした探りのような設問がソフトなやり方で誘導しようとしているのは、「フランスでは、権威は何かにつけて批判されることが多すぎる」ということかもしれない。相手に「ウイ」と答えるよう仕向けるような明らかな調査方法上のミスをいったいどうして専門家は犯したのだろうか。


 新自由主義的教義と粗雑な道徳観がないまぜになった先入観の乱舞が起きている。これにエゴイズム賞賛が結びつき、人々の右傾化を助長した。政治家たちが公益に奉仕するなどということが市民に信じられようか。少なくとも政治家に愛他的行動を期待するのは無分別なことであるらしい。政治家は自らの愛他主義を証明して見せなければならない唯一の人種なのだ。この間、公開討論の場でずっと広められてきたのは、「自己責任」という信条である。この信条は庶民の政治不信に根ざしているだけに、いっそうその影響が強い。彼らにしてみれば、「説教されるまでもなく」身についた貧乏人の考え方という心持ちなのだ(注8)。彼らが間違っているとは言い切れない。


 いずれにせよ、このように蔓延したシニシズムは公開討論での常勝手段である。これらの討論の裏には、常に地位を巡る争いや選挙の票の奪い合い、金か石油を巡る争いがある。本人たちが思うほど保守主義者でも伝統主義者でもないメディアに登場する論客たちはファッショ化を推進しているが、今のところ思想レベルに留まっている。理由は「自己責任」の理念がまさしくその定義上あらゆる民衆運動をタブーとしているからである。だが、果たしてこれで安堵すべきなのだろうか。






(1)富を再分配して社会的弱者のために充てるフランスの保護政策。特にリベラル派が支持するが、税金ばらまきの側面もあり、批判も多い。[訳注]
(2)右傾化は「だまし絵」だったといっていいかもしれない。なぜなら権威主義の高揚によって「人道主義が後退することはない」からである。(Etienne Schweisguth, « Le trompe-l’œil de la droitisation », Revue française de science politique, vol. 57, no 3-4, Paris, 2007.)。
(3)「みんなのための結婚」法案。Mariage pour tous。大統領選でフランソワ・オランドが公約に掲げた「結婚の平等」を法化するもので、同性愛者カップルの結婚を認めている。この法案は2013年2月2日、さまざまな議論の末可決された。[訳注]
(4)1988年に当事のフランス大統領、フランソワ・ミッテランが再選後代2期を務めるに際して打ち出した経済政策。「民営化も、国有化も行なわない」。[訳注]
(5)Richard Hofstadter, Le Style paranoïaque. Théories du complot et droite radicale en Amérique, Bourin Editeur, Paris, 2012. Le Monde diplomatique a publié les « bonnes feuilles » de cet ouvrage dans son numéro de septembre 2012 sous le titre «Le style paranoïaque en politique ». アメリカの政治史家、リチャード・ホフスタッターによると、陰謀史観は個人のパラノイアを政治に向けたものであり、ホフスタッターは「陰謀論者は敵の陰謀に対抗するうちに敵を模倣してしまう」としたことで知られる。[訳注]
(6)Jean-François Copé, Manifeste pour une droite décomplexée, Fayard, Paris, 2012.
(7)2012年2月28日配信のLibération.fr は、2009年から2012年までにフリー=メイソンの特集が組まれた雑誌を調べ、『レクスプレス』と『ル・ポアン』5册の表紙、『ヌーヴェル・オブセルヴァトゥアール』については4册の表紙を掲載した。「このテーマは世間に飽きられた」——『ヌーヴェル・オブセルヴァトゥアール』のローラン・ジョフリン社長は、以前にこのように発言したことを完全に忘れており、2013年1月5日配信のFrance Inter上で「彼らは政府部内にかなりいる。そして彼らには影響力がある」と弁解している。
(8)該当号の表紙は"http://www.relay.com/le-point/mali-nos-ennemis-islamistes-numero-2106-newsmagazines-46539-13.html" 参照。
(9)Richard Hoggart, La Culture du pauvre, Editions de Minuit, Paris, 1970.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年3月号)