フランス映画の現実−−意義の薄れる助成金制度


エウジェニオ・レンジ


映画雑誌『アンデパンダンシア』共同編集長


訳:石木隆治


 1998年に制定された「助成に関する多国間協定」に反対する活動によって、フランスは国家が自由に文化政策を決定する権利を認めさせ、「文化的特例」を認知させた。この仕組みによってフランス映画が保護されていることは、その最も有名な例である。しかし、この仕組みはその役割を正しく演じているのだろうか。文化的特例の実施が長く続いた結果、フランス映画の様相も変わってきた。大衆映画は『最強のふたり』に代表されるようにハリウッド映画の二番煎じとなり、またフランス映画の誇りである「作家主義の映画」も比較的特定の監督に助成が集中し、ごくマイナーな作品には助成が回らないなどの弊害も生じている。[フランス語版・日本語版編集部]





批判される文化特例措置


 スキャンダルの気配が広まっている。文化特例措置が危機に瀕しているというのだ。2012年に、欧州委員会がフランスにおける映画への助成金制度を再度批判したが、これはメディアで特に大きくとりあげられることはなかった。しかし、プロデューサーで映画配給業のヴァンサン・マラヴァル氏が去る12月に『ルモンド』紙に寄稿し、その中でフランス映画界は増え続ける助成金の上にあぐらをかき、一部の人気俳優たちは驚くべき額のギャラを受け取っている(注1)という事実を告発した結果、思わぬ反響を巻き起こした。いずれの記事の場合も、非難された助成金制度で問題となっているのは、概ね国立映画センター(数年前からは「国立映画・アニメーション・センター」となったが、「CNC」の呼び方のほうがよく知られている)である。この組織は一つの産業、第七芸術を保護する目的で設立され発展してきたものだ。


1946年に当センターが設立されたのは、一部には《ブルム=バーンズ協定》に抵抗してのことだった。というのは、この協定はフランスがアメリカに負っていた債務の一部を帳消しにしてもらおうというものであり、その交換条件がフランスのほぼ全ての映画館をアメリカ映画に開放することだったからだ。交渉の末、フランスは自国の映画を何とか毎月1週間は上映できることになった(注2)。しかし、CNCの役割が大きくなったのは、《特別追加税(TSA)》の出資による援助基金が1948年に設立されたためである。映画館入場チケット総売り上げの10.72%が特別追加税として差し引かれ、差し引かれた総額が映画制作に投入されるようになった。1959年に新設された文化省は、アンドレ・マルローを大臣に頂き、売上金を前貸しするという《選別援助制度》を導入した。この制度の目的は、映画会社が「リスク」の大きさを理由になかなか認めない企画の制作を支援することだった。最後には、テレビが観客を独占し始めた1980年代初頭、ジャック・ラング文化相は各テレビ局を助成基金に参加させ、さらに《映画・視聴覚産業融資会社(SOFICA)》を設立した。この組織は、民間の寄付金で成り立つ一種の売上金前貸し機関であり、これには優遇税制が適用された。


売上金の前貸し制度


 現在でもこういった方針、つまり売上金を天引きして制作部門へ配分するというやり方は維持されている。さらに、この課税はビデオ産業にも、そして2007年3月からはインターネット配信にも及んでいる。2011年の映画制作費の総額8億629万ユーロのうち、1億4307万ユーロがTSA(特別追加税)、6億3104万ユーロがテレビ番組制作会社およびテレビ局、そして3196万ユーロがビデオ業界の、それぞれ税収から得たものである。ちょっとした金の卵である……。なんとも頑固な非常識さに、欧州委員会が頭を悩ましているのも納得がいく。その非常識さは、プロバイダにまで課税して時代に適応しようとしていることにも見て取れる。欧州議会が勢い込んで非難するのが、これらフランス映画支援策が地域限定であることである。製作会社がフランス以外のEU加盟国内で使える予算は全体の20%だけ。フランス国内の映画スタッフを(さらに!)保護しようというのだ。


 こうした保護政策が功を奏しているのは、異論の余地がないところだ。CNC所長のエリック・ガランドー氏が指摘するように「いくぶん集客に貪欲に過ぎる市場の悪影響の修正」(注3)が目的であり、この施策のおかげでフランス映画は外国映画、とくにアメリカ映画に呑み込まれずにすんでいる。これはヨーロッパにおいて唯一の例である。同じように、現実に公金を「大作映画から集め、作家主義の作品や多様性を持つ作品へ補填する」(注4)政策がとられていることは、完全競争市場におけるフランスの並々ならぬ意欲の表れなのだ。政策に充分な根拠があることは明白である。しかし、こうした特例措置の適用条件には時代とともにいささかのゆがみが起こっている。


『最強のふたり』と『ブラック・スワン』


 フランス映画は稀に見る繁栄を享受している。というのも年間200本ものフランス映画が生産され、そのうち何本かは注目すべき興行成功を収めているからである。2011年のフランス作品でいえば、エリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ監督の『最強のふたり』は最高動員記録を保持している。だが、たとえばダーレン・アロノフスキー監督の『ブラック・スワン』といったハリウッド作品と、どこがどう違うというのだろうか。アロノフスキーはヴェネツィア映画祭で金獅子賞(グランプリ)に輝いた監督であり、『ブラック・スワン』は2011年フランスの観客最多動員作10本に入る。巨額の製作費を投じ、国際的スターをキャスティングしたこの作品は、幅広い大衆をターゲットに作られている。また、古典的な物語を実験映画に見事に変容させたひとつの例ともなっている。『カイエ・デュ・シネマ』編集長は、アロノフスキーを評して「完璧さの追求」に取り憑かれている、という(2011年2月号)一方、彼は同年のフランス作品『最強のふたり』を「甘ったるいマシュマロ」になぞらえてもいる(2011年11月号)。


 このように『ブランク・スワン』を高く評価する意見について、ほとんど異論はないようだ。フランスの商業映画は、たいていはアメリカで作られた同種の作品よりも質が落ちるということである。とはいっても、『最強のふたり』はハリウッド式の黄金律におとなしく従って作られているのである(注5)。最初の5分で作品の精神的・道徳的テーマが示され、最後はどんでん返しの「めでたしめでたし」へと至るのである。したがって「大衆向け作品」においては、フランスとアメリカの文化的差異は表われない。だが、助成制度の恩恵を受けている諸作品においては、その違いが見てとれることだろう。そもそも『最強のふたり』はこの助成の対象にはなっていないのだ。


 2009年に規定が改訂されたCNCにとって、もはや映画は管轄部門のひとつでしかなくなった。他にもテレビ番組、マルチメディア、ビデオゲームといったものがあるからである。映画部門に対する支援は1億550万ユーロに上る。支援は「公益」という名目に相応しく企画から上映まで製作全般に及び、短編・長編、劇映画・ドキュメンタリーといった、あらゆるジャンルに対し行なわれている。これら多岐にわたる支援のうち、売上げの前貸し助成には2000万~3000万ユーロが割り当てられている。50本ほどの企画しかこの審査を通らず、それもせいぜい製作予算の半分までしか貸し付けけてくれないから、大したものではないと思えるかも知れない。それでも、この前貸し助成が映画支援制度の要であることに変わりはない。理由はこの助成が、映画創造を保護するという国家意思の表示だからである。


「フランス映画の美的特質」


 だが、いったいどのような作品創造を保護しようとしているのか。前貸し助成を受けるのが恒例となっている映画作家を見れば、その概要を掴むことができるかもしれない。ジャク・ドワイヨン、フィリップ・ガレル(彼は一度だけ『恋人たちの失われた革命』の製作で貸し付け拒否に遭い、物議を醸した)、オリヴィエ・アサイヤス、ブリュノ・デュモン、コスタ=ガヴラス、ミヒャエル・ハネケ、アヴィ・モグラビ……。一方、援助を断られたものを見ると、この助成制度の限界がわかる。ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの二人が作り出す厳格な作品、ルネ・アリオ(『Les Camisards』、あるいはミシェル・フーコー原作の『Moi, Pierre Rivière…』)、今夏にシネマテークでの回顧展が予定されるジャン=クロード・ビエット、そして驚嘆すべき監督リュック・ムレらの作品である。


 プロデューサーのトマ・ラングマンは、多くの人が心の中で思っていることを堂々と声に出して言ってのけた。CNC選定委員会のことを「お友だち委員会」と評したのだ(注6)。確かに、選定会議では正式なCNC委員と他に、映画に関わる様々な職業から選ばれた人たちが席を占めているのは事実であり、彼らが友情や利害関係で申請者と結びついている場合が多いのも事実である。しかし、とりわけ問題だと思われるのは、援助対象映画を選別する委員会が明確な基準に従っていない、ということである。例えば、2011年に助成を受けた映画の中には、パスカル・ボニゼールの復古調の作品『Cherchez Hortense』が入っているかと思うと、現代の巨匠の一人アヴィ・モグラビの 『Retour à Beyrouth』も選ばれているのである。


 それでも、CNCの眼鏡にかなう作家主義映画はこうあるべきだ、という暗黙のモデルが存在する。フランソワ・トリュフォーの『終電車』(1980年)がそれだ。これはトリュフォーが模範的な「フランス映画の美的特質」を蘇らせた作品である。彼は若い頃、その形式主義と脚本第一主義を理由にこのフランス映画の美的特質を酷評していたのだが……。CNC委員会の選定は、常に脚本を拠りどころとしてきた。実にこの約30年間、制作過程の基本として完成シナリオを優先させてきたことが、ある種の形骸化をつくり上げてしまった。というのは、シナリオ優先はアカデミックな形式を重んじる必要性によって強化され、物語と台詞に集中してきたからである。その逆の例であるが、ナンニ・モレッティの場合、撮影の一部が脚本に先行することもある、ということを指摘しておこう。『赤いシュート』や『親愛なる日記』などがそれだ。


 こうした傾向を緩和するために、先ごろ改善策がとられた。2012年には、伝統的なストーリー展開法に縛られない監督――ヴィルジル・ヴェルニエ、トマ・サルヴァドール、ラリー・クラークなど――が助成を受けた。しかし、こういった「正常化」もまた、どちらかというとテーマの画一性となって現れてくるようになった。その一例として自己陶酔的な迫害妄想がある。こうしたテーマは映画遺産の上に重くのしかかっている――アサヤスの映画は好例である。そればかりでなくテレビの重圧を受けてもいる。1985年からテレビ局は、劇場映画の事前購入予算の1%を供出することで映画制作に関わることを法律で義務づけられた。ところが、テレビ局の関心は次第に低予算の映画(制作費400万~800万ユーロ)の方に向きつつある。こういった映画は一般のテレビ・ドラマや商業映画に似てくる運命にあるのだ。たとえば、人気俳優の起用、意外性のないストーリー、ごく単純な表現に極まる映像技術などである。その逆に、一般的なやり方からあまりにもかけ離れた演出や台詞を採り入れる映画は、排除される恐れもある。


 SOFICAの支援や自費制作のお陰で、市場の脅威からほぼ完璧に保護されている映画もいくつかある。しかし、急進的すぎる制作方法では、基準と合致しないという理由でCNCの認可が下りない可能性もある。助成金付与にはこの認可が不可欠なのだが。こうして超ラディカルなやり方の作品は、無名のままに留まることになる。その好例に、ジャン=クロード・ルソー監督の『De son appartement 』という見事な作品がある。これは2009年マルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭(FID)で最優秀作品賞を受賞した。この映画祭は設立以来15年間、世界で最も権威ある映画祭の一つとして開催されてきたが、未だに知名度は低い。


 結論として、これからはよりいっそう顕著な《違いのある》映画の方に支援策を投入する事が重要になるだろう。支援策を投入するにあたっては、商業主義的映画の勢いを抑えること,特にその広告費を制限する努力もすべきだ。そうすることによって、批評の領域まで含む映画産業全体に広がりと可能性が与えられるだろう。批判性や創造性の欠如は、作家主義映画と商業主義映画の両方に悪影響を及ぼしている。特に作家主義の映画においてはより深刻なようだ。文化という祭壇に作品を捧げるために収益性を犠牲にしているからだ。しかし商業主義映画の凡庸ぶりも全く同じくらいに気がかりな状況だ。CNCは映画産業全体の経済体制がうまくまわっていることを盾にとって、あぐらをかいていられるかもしれない。つまりCNCはフランス映画における困難に気づいていないのだが、深刻なのは必ずしも金の問題だけではないのだ。これまでの対策は小手先の事であり、将来の展望にはつながらない。いずれは、目立たなくなった《文化的特例》の名において《映画産業という特例》を保護する事はしだいに難しくなるであろう。





(1)Le Monde, 29 décembre 2012.
(2)Lire Geneviève Sellier, « Le précédent des accords Blum-Byrnes », Le Monde diplomatique, novembre 1993.
(3)«Garandeau : “Nous avons un cinéma riche et puissant”», 3 janvier 2013, www.lefigaro.fr
(4)France Inter, 3 janvier 2013.
(5)John Truby, L’Anatomie du scénario. Cinéma, littérature, séries télé, Le Nouveau Monde Editions, Paris, 2010.
(4)Le Figaro, Paris, 4 janvier 2013.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2013年2月号)