「会社側の敵意」と「政府の改革」の狭間で苦悩する労働基準監督官

だれが彼らを守ることができるのか?


ファニー・ドゥメルー *


* ジャーナリスト


訳:木下治人


 2012年6月、ダッソー社は、ビアリッツの工場で17人の従業員にたいする「組合差別」があったとして有罪判決を受けた。会社としてやらなければならない改革をしなかったのだ。この訴訟が有罪判決に至った背景には、労働基準監督局の立入り調査が行われたからという面もある。


 こうした裁判への関与は労働基準監督官業務のひとつであり、企業経営者にとって忌み嫌われるものである。一方政府は、行財政改革の一環として、この公的機関のイノベーションを図ろうとしている。労働基準監督局の「効率的運用」を追及するがゆえに、労働者を守るべき労働法典の精神をないがしろにしようとしているのである。


 経済のグローバル化、それに伴う「労働形態の柔軟性」が進行する今日の労働環境の中で、労働基準監督官が自殺するというショッキングな事件が起きた。監督官はなぜ自殺に追い込まれたのか? その背景を分析する。[フランス語版・日本語版編集部]





 フランソワ・オランド氏は、2012年春の大統領選キャンペーン中、公約したことがあった。社会党が政権を奪還した暁には、政府は労働基準監局の定員の「削減を即刻中止」し、労働基準監督局に対して「同監督局が業務とする公共サービスの重要性とその存在意義」(注1)を回復するというものだった。社会党がこのような公約をしたのは、2012年2月7日、労働基準監督官たちがアラスでの同僚の自殺に抗議してデモを行ったことが背景にある。自殺した監督官はロマン・ルクストル氏。デモの3週間前、自宅で縊死が確認されていた。すでに2011年5月には、全国統一組合(FSU)の労働・雇用・職業教育・経済部門(SNU-TEFE)の全国書記をつとめていたリュック・ベアル=レナルディ氏が労働省の階段で自殺する事件も起きていたのだ。


 雇用が不安定化したために、労働者にとって「最後の防波堤」(注2)になると見なされていた労働法制が役割を果せなくなってしまっている。2004年、ドルドーニュ県ソシニャックで監視業務中の二人の監督官が農民に殺害された(注3)。こうした殺人行為はこの種の事件としては初めてのことだが、昔から存在している外的な脅迫活動が実行されたのである。会社内部の検査に着手することを許さない経営者の脅かしであった。しかし昨今起きている監督官の自殺は、内的な脅威が原因であり、今までとは違う。それは政府の「改革」によって引き起こされたもので、何年も前から監督官を窮地に追い込んでいるのである。


労働者の味方、監督官の苦悩


 「こうした監督官を取り巻く環境の悪化はわれわれを驚愕させています。労働者の労働環境の悪化に慣れてしまっていたために、もしかすると、自分たちに起きていることに気がつかなかったのかもしれません」と、連帯統一民主労働組合(SUD)の監督官ピエール・ジョアニ氏は告白する。労働基準監督局が孤立状態に置かれ苦境に陥っているのは以下の理由による。第一に,相矛盾した命令が監督官業務を縛っているのである。労働法典という労働者保護規定があるにもかかわらず、一方の政府は、企業主たちが自由に活動できるように援助せよと言うのである。監督官は搾取の歯止めとなれと言われるけれども、労働者保護を確かなものにする手段を政府から受け取ることはない。政府は企業活動を保証する立場にもあるからである。


 1841年と1874年の二つの労働時間規制に関する法律を経て、工場の女性労働者・児童の雇用および労働時間を規制する「1892年11月2日法」によって、労働基準監督局は社会保障基本法を適用する任務を与えられた。これによって、初めて労働者保護の体制が整い、その後、給与所得者の増加、及び労働法の強化に伴い監督官の活動分野が広がり、1910年の労働法典に集大成された。


 労働基準監督官業務は、一人の監督官と二人の監督員がひとつの単位を作り、地理的に指定された担当地区内にある企業に対する「定期監督」を行い、労基法を遵守しているかどうかを確認する。また、労働者からの訴えを受けて法令違反がないか「申告監督」を行うことが規定されている(慣例により、従業員50人以上の企業は監督官が、50人以下は監督員が担当)。しかし業務量の増加に対して、職員の数は常にお話にならないほど少ない状態である。2257人の職員が180万の事業所(労働者1820万人)を担当しているのが現状である。彼らの権限は限定的である。検査のため企業に立入る権限を利用して、あらゆる書類を見ることができるのは確かだが、法律の遵守を強制することはできない。労働者の安全がおびやかされる場合、企業に対して仕事を中断させたり裁判所に仮処分申請することができるが、企業がこれに従わない時は、雇用主に対してプレッシャーをかけるという、長くてうんざりする仕事に着手する道しか残っていない。勧告状・再立入り、あるいは裁判に訴えることをちらつかせるのである。


 こうした手続きは、抑止と制裁の手段としては有効なものだと見なされていたが、現在ではあまり行われなくなっていて、裁判制度を利用するようになっている。調書の約三分の一は司法行政機関の中でうやむやにされ、20%は検事によって起訴猶予とされ、三分の一強だけが起訴になっている。起訴になればほとんど有罪判決になるが、その80%は罰金刑で済み、金額も抑止効果はほとんど期待できない程度である。2004年、問題となった違法行為886000件のうち、5208件の調書が作成された。起訴されたのが1968件、有罪判決が1645件で、そのうち1283件が罰金刑、262件が拘禁され、44件が禁固刑であった(注4)。こうした一種の「司法の甘やかし」はメディアの中で大々的に非難されることがほとんどない・・・やる気をなくした監督官たちは、とうとう訴訟に持ち込むことを控えるようになってしまった。訴訟の一件書類を作るのは面倒でもあるからだ。訴訟の数は、1978年の25100件から2010年には6600件に激減した。


 経済危機と労働運動の退潮に伴って、1970年代末には監督業務の活動条件は悪化し始める。企業内労使関係の悪化、労働強化及び不規則雇用の増加によって、従業員代表からだけでなく個人からの訴えが指数関数的伸びを見せているのだが。(注5)


無視される労働法典の精神


  同時に、監督官の立入り調査はより困難になる。企業内での諸組合の連携は弱まった。1982年以来、雇用の機会を増やすと考えられた「労働形態の柔軟性」を政府がすすめた結果、法の例外規定が増えることになった。このように法が多様化しているにもかかわらず、経営者は、相変わらず労働法典を「足かせ」として槍玉に挙げている。労働法典の適用を任務とする労働基準監督業の正当性が揺らいできているのである。また、仕事量が増えているのに職員の数は少ない。2000年初めには若干増えているが、それでも民間企業従業員1200万人に対しておよそ1200人しか配置されていない。


 「われわれは労働省のなかの冷や飯食いでした」とジョアニ氏は回想する。「労働基準監督官の仕事は細々と続いていました。現状に不平を述べていましたが、その後、自分たちにお呼びがかからないことにむしろ意味があると感じていたのです。少なくとも、落ちついて仕事ができていました」。2006年以来、そうはいかなくなった。ド・ヴィルパン政権下の労働大臣ジェラール・ラルシェル氏が「労働基準監督局の近代化と発展」案(PMDIT)を提出し、監督官の死に心を痛めていた担当官たちを前に、労働基準監督業の《強化・安定・促進》を宣言したからである。これは、監督官の保護というよりは指導権の奪還に重点が置かれていたのだ。


 たしかに、この計画には4年で監督官の数を50 % 増員し、フランスを欧州の平均水準に引き上げることが盛り込まれていた。実際、2006年1400人から、2010年には2257人へと約800人増員した。しかし、この「歴史的強化策」はまったくの見掛け倒しだった。交運、農業、漁業部門の労働監督官たちを総合監督官に統合することで550人ひねり出しているのだ。


 この計画では、せいぜい実質300人の増員が見込まれていたのだが、2007年に公共政策全般改正プロセス(RGPP)が作られ、それに基づいて、職員の退職後の補充は半分に留めるという内規の実施によって、早々と白紙に戻された(注6)。たしかに監督員は削減を免れたが、秘書たちは削減された。残った秘書たちは、こなさなければならない仕事量が増えたため労働の負荷が増大し、そのため監督官と監督員は一部の行政上の仕事を引き受けざるを得なくなっているのである。


役立たずの官僚機関に変貌した労働基準監督局


 この「公共政策の改革」と銘打って登場した政策は見かけ倒しであり、労働基準監督業が政府の奉仕機関へ方向転換しようとしていることを隠蔽するものである。これまでは、使用者側の権利濫用を告発して労働者側に奉仕する機関であったのとは正反対である。これまで監督員は、ILO国際労働機関第81条によって政府からの独立性が保証され、官僚の格付けからも離れて一定の自律性を享受していたけれども、労働省は今後、政府の「労働政策」の一環として監督活動を「導き」、「計画を立てる」ことになり、監督員の優先事項は経営者の違法行為を抑止することではなくなるだろう。


 さらに同政策は、労働基準監督局に対して「予算法に関する憲法付属法」(LOLF)に記載されている「成果」原則を課す。この法律は、2001年8月、リヨネル・ジョスパン社会党政権下で発布後、順次実行され、2006年には全面的に認められて「新行政管理」へと発展する。民間企業の手法を用いて公共財政を運営するというものである。予算は「数値化された指針・目的・結果」を用いて決定された「有効性」という基準に応じて割り当てられる。社会党議員ロラン・ファビウス氏とディディエ・ミゴ氏によれば、これは「より上手に支出し」「より少なく徴収する」ためだという(注7)。


 労働省の監視と成果主義の圧力のもとで、労働基準監督局は無駄なお役所仕事の塊に変貌する。2006年以降、職員一人一人の立ち入り調査(注8)目標が年間200件と義務付けられた。そのうち60%は企業への定期監督、残りは調査や資料検査などである。これを行うためには、重要度を念頭に、優先すべきだと判断された領域から手をつけねばならない。たとえば、労使対話を必要とする案件、発癌性物質を扱う企業への立ち入り調査などである。また、社会問題になっているテーマの啓発運動を行わなければならない。交通事故・放射能汚染・木屑等々の問題である。最後には「カプ・シテール」というソフトを用いて自分の活動のすべてを報告しなければならない。年次評価面接において、上司がこうした結果に基づいて特別手当や昇進を決めるのである。


 報告書の上では成果がすぐ現れた。ILO事務局作成のフランス年次報告書は、2010年「企業への立ち入り調査は3年連続20%の伸びを見せ、370000件にのぼっている」ことを報告するとともに、活動状況を詳しく説明している(注9)。実際の結果はあまりぱっとしない。この政策が実行されるまで、労働基準監督官と監督員は、ひっきりなしに持ち込まれる労働者たちの訴えに応える努力をしていた。しかし、彼らの日常は、今では膨大な労働者からの新しい訴えに対して、無情な機械的処理に徹している。日々、継続するか後回しにするかの判断を緊急性と優先性に照らして裁定をくだすという、難しい選択が強いられているのである。こうなったのも、政府の目的が公共サービスから職員を引き離し、何を優先するかという日々の葛藤を押し付けるものだったからである。


「成績が悪いほうがいい・・・」


 「問題を抱えた労働者に解決を約束したり、期日を決めて解決を図ることは、もう困難です」と、2008年以来ローヌ地方で監督員であり全国労働者連合(CNT)の組合員でもあるジル・グルク氏は主張する「しかも、私が目標を達成しようと努力したところで、手の施しようがないでしょう。むしろ成績が悪い方がましだと思っているのは、仕事にやりがいを感じたいからです」。ジョアニ氏は次のように強調する「やる気のある監督官たちにとっては、労働者の要望に応えることができない現状に自己嫌悪を感じ、このことが監督業務のもっとも耐え難い面だと写ってしまったのです」「ですから、無意味な仕事をやるように上が圧力をかけてきたり、監督官の立派な仕事ぶりを認めようとしないなら、監督官たちの苦悩は耐え難いものとなるでしょう」。


 監督官たちは、この「労働政策」なるものが、自分たちの使命を数値目標に従属させる手段で、しかもこの目標は、労働者の現状に対処するという本来の仕事と関係がないと感じている。ジョアニ氏は主張する「上層部がわれわれに求めるのは、労働者の心理的・社会的リスクを回避するための計画を企業にたいして事前に作らせることばかりで、その危機を回避するための具体的方策の評価は求められていません。しかし、労働事故を避けるために大事なのは、そのことなのです」。2003年以来セーヌ=マリティム地域圏で監督官を勤めるジェラルド・ル・コール氏(CGT 組合活動家でもある)は、アスベスト騒動後、「労働省は、別の発がん物質でも、別の心理的・社会的リスクに関しても何の手も打たなかった廉で告発される可能性があることを認識したのです。『労働政策』は、次官通達を連発することで行われている自己防衛なのです」と強調する(注10)。


 労働基準監督官たちは、目標として年200回の立ち入り調査があるので、本来やるべき仕事ができなくなってしまった。「立ち入り調査には圧力をかけるという意味があるのです。レストランでは、義務付けられた掲示を確認するのに10分かけたり、勤務時間の明細書を丹念に調べあげ労働時間を検査するのに何日もかけることができたはずなのですが」とヴァル=ド=マルヌの監督官は嘆く。200回と決められた検査方法では労働者の利益をまもることができないし、職員の労働意欲をそぐことになる。労働意欲の欠如は仕事の手抜きにつながり「カプ・シテール」に入力する情報をねじ曲げる。グルク氏は次のように説明する「監督官たちは偽造しています」「働きかけが少なければ少ないほど、数値は増やすのです」。公共サービスの低下が目に余るので(注11)、オンブズマンでさえ次のように嘆くことになった「市民の実感と政府機関が所有するデータとのずれがますます顕著になっているのです」(注12)。


 「年200回の目標」という方針は監督官たちの抵抗に遭う。そのうち何人かは「カプ・シテール」の使用や評価面接を拒否した。しかし同僚の間で競争が発生したり、もらった特別手当を意図的に隠したりすることで、互いの関係が次第に険悪になった。2012年初め、労働省は、二人の監督官の自殺の後に起きたデモをふまえ、今年のところは量的基準に基づく成績評価を一時中断した。4月、二人の自殺が職業上の理由に基づく事を認めたが、改革の中断は行わなかった。


 5月、政権交代がなされたので、監督官たちは、公共政策全般改正プロセスが部分的にでも見直されるだろうと期待したのだが、7月には冷水を浴びせられた格好になった。ミシェル・サパン労働相が、組合大会での演説(注13)の中で監督官の雇用削減の継続、「労働政策」「優先政策と目標」、そのための道具-「カプ・シテール」、年一回の成績評価面接、そしてボーナスなどの存続を宣言したからだ。サパン労働相によれば、公共サービスにおいて「監督官の心理的・社会的リスク防止対策」を強化すれば、自殺を「思いとどまらせる」ことができるだろうと言うのである。





(1)社会党、労働・雇用問題担当アラン・ビダリ氏による、オランド氏の大統領選キャンペーン中の公式声明。2012年2月8日
(2)『La Dernière digue』リシャール・ボワ監督のドキュメンタリー映画、キュイヴ・プロダクション、1998年
(3)死亡したのは、農業労働監督員(Itepsa)シルヴィ・トレムイユさんと、農業共同組合の労働監督員(MSA)ダニエル・ビュフィエール氏。2007年3月9日、犯人は懲役30年を言い渡された。
(4) «L’inspection du travail en France en 2010», rapport au Bureau international du travail, ministère du travail, de l’emploi et de la santé, 2011.
(5) Cf. Thomas Kapp, «L’inspection du travail face à la demande individuelle», Le Droit ouvrier, n° 653, Montreuil, décembre 2002.
(6) Lire Laurent Bonelli et Willy Pelletier, « De l’Etat-providence à l’Etat manager», Le Monde diplomatique, décembre 2009.
(7)「より上手に支出し」「より少なく徴収する」というタイトルは、1999年2月、国民議会で二人の議員によって提出された「予算法に関する憲法付属法」(LOLF)の準備書面で使用された。2010年、提出議員のひとりミゴ氏は社会党を離党。
(8)立ち入り調査。労働基準監督官の立ち入り調査のことで、労働基準法や労働安全衛生法に基づき、法令違反の発見とその違反事項の是正を目的とする。立ち入り調査には「定期監督」と「申告監督」がある。「定期監督」は労働基準監督署がその年度の行政方針を策定し、それに基づき重点業種や重点ポイントを定めて行われる監督で、「申告監督」は労基法に基づき、労働者から法令違反等の申告が労働基準監督署にあったときに行われる監督である。[訳注]
(9) «L’inspection du travail en France en 2010», op. cit. 前掲論文
(10)参照。 « 「フランス労働法、世紀の改悪」 »(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年3月号)[訳注]
(11) Cf. Maya Bacache-Beauvallet, «Rémunération à la performance. Effets pervers et désordre dans les services publics», Actes de la recherche en sciences sociales, no 189, Paris, avril 2011.
(12) «La mise en oeuvre de la loi organique relative aux lois de finances (LOLF) : un bilan pour de nouvelles perspectives», rapport de la Cour des comptes, La Documentation française, Paris, novembre 2011.
(13)労働省専門委員会での、労働大臣の演説。2012年7月17日


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2012年12月号)