イスラム主義政党の現状

王の監督下にあるモロッコ政府

ウェンディ・クリスティアナセン特派員*

*ル・モンド・ディプロマティーク英語版主筆

『イスラム深層世界への旅』(2001年、パリ、シーニュ社刊)著者

訳:石木隆治


 ラバトでは歴史上初めてイスラム主義政党《公正発展党》が政権についた。この政党は社会問題に関して王よりももっと保守主義であるが、王制の正当性を疑問にふすことはしていない。[フランス語版編集部]


モロッコの春?

「モロッコは民主主義国家ではありません。しかし、『アラブの春』によって民主主義国家という目標への第一歩を踏み出しました。わが国にとってこれは革命的なことです!」。現法務大臣のムスタファ・ラミド氏は言う。現政権は初のイスラム主義による連合政権で、率いるのはアブドゥリラ・ベンキラン氏と彼が党首をつとめる《公正発展党》(PJD)である。ラミド氏にとって「アラブの春」は願ってもない出来事だった。それまでラミド氏はイスラム主義政党内の異端児であり、選挙参加の前提条件として政治改革にこだわっていた人物である。


 2011年2月20日、アラブ諸国で始まったデモに呼応して、何千人もの人々がラバト、カサブランカ、タンジール、そしてマラケシュの街頭でデモを行なった。新憲法や政権交替、そして政治腐敗の根絶を求めたのである。同年3月9日、モハメッド6世は賢明にもこうした求めに応じ、演説でさまざまな改革案を表明した。同年6月17日には、国王は新憲法を提案。その内容は、国王が多数派与党から首相を任命する義務を負い、首相に議会の解散権を与えるというものであり、さらにはアラビア語に加えベルベル語を公用語にするというものであった。同年7月1日の選挙でこの憲法は、73%の投票率――この数値は疑問視されたがーー、98.5%という高い賛成で可決された。また同年11月25日に前倒しの国政選挙では、公正発展党が第1党で勝利した(325議席中107席)。


 確かに国王の機敏な対応で暴動は免れたものの、本当にモロッコの情勢は変化したのだろうか。2007年にベンキラン氏は、彼の目標は「自由と民主制であるが、これにはある一定の枠がある」と説明していた。特に国王の地位については手を触れることができない。たとえ報道が少し自由になり、社会がいくらか活気づいたとしても、こうした枠はなくなってはいない。今では政治腐敗についても取りあげられるが、王家周辺の汚職については触れられない。たとえばマフザン(モロッコ王宮)の官僚たちが情実人事を行っていたりすること、燐鉱山の管理で王家の私腹を肥やしたり――25億ドルにも上る――していること、といったことに言及するのはタブーとなっているのだ。

イスラム主義者は権力を握っているか

いったいどのような権力をイスラム主義者たちは所持しているというのだろうか。ムスリム同胞団の影響下にある《公正発展党》は、比較第一党なのに連立内閣では31名の閣僚のうち12名しか占めていない。経済はニガル・バラカ氏の手中にあるが、彼はかつて政権を担っていた右派の《イスティクラル党》(注1)所属である。外務,内務、及び観光省はすべて《影の大臣》たちの支配下にある。《影の大臣》とは王宮に選ばれ実権を持っている者たちのことである。こういうわけで、2012年3月、アメリカの国務長官ヒラリー・クリントンは正規の外務大臣に会う前に、王の外務顧問に会っている。王の顧問たちは元内務大臣アリ・アル=ヒマ氏と同じように《2月20日運動》の主な非難の対象となっていた。言うまでもないことだが、国王は今もなお軍と治安情報部隊を握っている。さらに国王は閣議を司るだけでなく、モスクやイマームの統制を担うイスラム法学者評議会(モスクやイマームの統制を担う。注3)の議長も務めているのである。


《2月20日運動》に参加した人々は、憲法改正以外にパンと仕事を要求していた。ヨーロッパの財政危機、観光業の落ち込み、麦の大凶作などに国は打撃を受けており、若者の二人に一人は職がない状態だからだ。

 

 このようにイスラム主義者たちは政権についたのだが,彼らには権力はないのである。ラミド氏は次のように認めている。それは彼がその事を認めるまれな閣僚の一人だからなのだが、「連立内閣の中に問題があるのです。」すなわち、「連立でなければもっと迅速に、そして効果的に活動する事が出来たのですけどね」と述べている。しかし彼は楽観的である。「改革は順調に始まっています。これから良くなるだろうと考えています。」彼自身は、司法制度の改革を行う決意をしている。「すでに権力と機能の配分は始まっています。より民主主義的な方向性を目指していますが、相変わらずモロッコ流になるでしょう」。


「公正発展党」の重要な切り札と言えるのは、ベンキラン氏である。彼は人気もカリスマ性もあり、率直な物言いをし、ダリジャというモロッコ風のアラブ方言を使う人物である。彼は聴衆を射抜くような目をして喋る、それは一対一の対談だろうが、大勢を前にした演説だろうと同じことで、例えば2012年の7月にラバトで行われた「公正発展党」の集会がそうだった。リベラル派の批評家で、「公正発展党」にはとても与しない人物でさえ、ベンキラン氏には一目を置いている。というのも、ベンキラン氏が、生活必需品への大規模な財政支援を続けることはできず、また、物資、とりわけ原油の値上げを行わなければならないと公言した最初の人物だからである。「彼はモロッコの国民へ、もはや他の選択肢はないとはっきりと述べました。ベンキラン氏は人々に、この苦い薬を飲ませることができたのは、彼に正当性があったからです」。

公正発展党の矛盾 

  ところで「公正発展党」は自己の立場をどのように考えているのであろうか。「2011年に行われた選挙は民主主義の夜明けと言えるものでした」と答えるのは「公正発展党」の書記長補佐スリマン・エロトマニ氏である。「『公正発展党』と他の[連立]政党の課題は、労働組合、民間団体、そして王と協力することです。我々の目的はこの新しい憲法に息を吹き込むことです。何故ならこの憲法は、今は単なる紙切れにすぎないからです」。更にエロトマニ氏は続ける。「アッラーは偉大なり、アラブの春が我々を救っってくれました! しかし、モハメド・ブアジジ氏の自死(注4)がチュニジアの政体の崩壊を引き起こしたのに対し、モロッコの事情は全く異なっています。モロッコには、チュニジアのような暴動鎮圧、はたまた20万人の死者を出したアルジェリアの内戦のような例はありません。ここでは、政治体制が国際的に見ても理にかなっていることは明白です。モロッコ国民の弱さ、そして民主主義の欠如は否めませんでしたが、「公正発展党」は政体の合法性を問題にすることはしませんでした。我々はまさに中道を模索していました」。


この中庸精神は多くの批評を呼び起こした。とりわけモロッコ王国の中で最も影響力のある団体「アル=アドル・ワル=イフサーン」(イスラム主義団体《公正慈善運動》)は、公認はされていないが黙認されている穏健派のイスラム主義組織だが、《公正発展党》が理想を放棄したとして厳しく非難した。創始者である長老アブデッサラーム・ヤシン師とその娘であり組織の広報を務めるナディア・ヤシン氏の指導のもと、《公正慈善運動》は王制に異議を唱えて《2月20日運動》に参加はしたものの、後に手を引いた。組織の政治顧問に名を連ねるヒシャム・アトゥッシュ氏は次のように説明する。「2月20日運動の件は、戦略的撤退でした。何故ならその時のデモ活動は、主導権を狙う左翼小グループによって間違った方へ向けられたのですから」。


「公正発展党」の選挙での勝利から1年、モロッコ国民の政府に対する判断は1年前とは正反対になっている。もっとも厳しい批判は、都市住民層の現役勤労者のものである。彼らの見解は進歩主義的で、世俗的な傾向がある。その多数はイスラム教徒としての勤めを果たしてはいるが・・・。批判の主なものは、さまざまな社会問題、とりわけ女性の社会的地位に関するものである。「公正発展党」が主導する内閣で、女性閣僚は《連帯・女性・家族・社会発展問題》担当相のバシマ・アカウイ女史一人だけという事実が彼らにはその証左だと映る。その上、バシマ・アカウイ大臣が法務大臣(複数妻帯者)の第二夫人であることを考え合わせれば何をかいわんやである。


 これらの諸テーマは家族法典(ムダワナ)の改正に直結する問題だが、これは王の指導のもと2004年に首尾よく決着を見た。女性差別撤廃条約(CEDAW)は1993年、モロッコ政府によって批准されたが、シャリーア(イスラム法)に整合させるという留保を付されていた。王は2008年、国民議会に諮ることなくこの留保を「無効」と宣言した。多数の都市住民層にとって王は変革の保証人と映っているのである。


 モハメド・ドジイ氏はイスラム主義者運動研究の専門家だが、「公正発展党」が思い切って挑まねばならない問題をこうまとめている。「ブルジョアジーと小ブルジョワという保守主義者にして伝統主義者でもある人々は、選挙では「公正発展党」に投票しました。しかし現状は、この2つの階層をもう一度総結集しなければならないところに来ている。都市の知識層は「公正発展党」の連中を成り上がり者、田舎者であるとして批判しています。「公正発展党」の力の源泉は大衆にとって身近な存在であることですが、それは彼らの貧しい出自によるものであり、党の思想のお蔭ではないのです」。他のアラブ諸国と同様、イスラム主義者の党はよく組織化されている。「しかし、イスラム主義者にはジレンマがあるのです。王の希望される通り国を近代化していかなければならない一方、保守主義者たちからなる支持基盤を守らなければならないのです。しかもイスラム主義者たち自身、何事であれ社会の近代化というものに根強く反対しているのです」。


 




(1)イスティクラル党 モロッコの民族主義政党。独立に貢献した。[訳注]
(2)イマーム イスラム教の指導者。スンニ派においては、集団礼拝で信徒たちを指導する統率者。[訳注]
(3)イスラム法学者(ウラマー) イスラムにおける知識人。宗教教育における先生の役割を持ち、実質的な聖職者にあたる。[訳注]
(4)モハメド・ブアジジ氏 チュニジアの露天商。2010年12月17日、街頭での販売許可を役所に陳情したが認められず、なおかつ職員から侮辱を受けたことから抗議の焼身自殺を行った。その様子を収めたビデオがインターネットに投稿されるや否や波紋はチュニジア全土に拡がり、その後のジャスミン革命、ひいてはアラブの春の呼び水となった。また彼は英紙タイムズにより、2011年の「今年の人」に選ばれた。[訳注]
         

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電 子版2012年11月号)