教育手段の不足

アラビア語、無視された「フランスの言語」

マニュエル・タロン (ジャーナリスト)

訳:木下治人


 フランスで話されている言語の中では、フランス語に次いで2番目に多いのがアラビア語である。しかし、それを支えているアラビア語教育は、中等教育(中学・高校)に限ってみれば、公教育では場所を失い非営利団体 (アソシアシオン) に任されて続けているのが現状である。このような変化は、1980年代中頃にさかのぼる。フランスに移民してきた人々の公共部門・メディアの世界への進出がますます広がるのに平行してのことである。以後、アラビア語はイスラム原理主義やゲットーと結びつけられて考えられるようになったが、そのイメージを変えることができるだろうか?[フランス語版編集部]


「公立中学校で、ベールをつけた女の先生がアラビア語の授業を行うことを認めることは、皆さんが大衆迎合主義を育てることになるのです」。2011年 2月 7日、ブリュノ・ル・メール氏は、ロン・ポワン劇場で行われた大衆迎合主義をテーマとする討論会に参加した聴衆に向け、このように発言した。これに対する反対意見はまったくおきなかった(ル・メール氏は、当時農業大臣であり、国民運動連合(UMP)の2012年度党施政方針起草者であった)。ル・メール氏の考え方に大きな間違いがあることを指摘する人は誰もいないのである。このことは、アラビア語教育がイスラム教への勧誘になりはしないかという主張が根強く残っている現れであって、こうした誤解のために公教育におけるアラビア語教育の普及が妨げられている。


  わかりきったことではあるが、フランスでは、政教分離(ライシテ)の原則(憲法第一条)と公共サービス分野における中立性の原則によって、公務員が勤務中に宗教的信条を表明することは許されない。したがってこの点は、公教育や裁判においては厳格に適用される。実際、判例では、違反者は公的組織から追放されることが明記されている(注 1)。


 アラビア語は、フランス領土内で400万人の話者を擁する、フランス語に次ぐ第二の使用言語である。コメディアン、ジャメル・デブーズのように、演技の一部分にアラビア語方言を使うことで笑いを取っている芸人の成功ぶりは、大衆文化の中にアラビア語が浸透していることの証だ。1999年「ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章」の調印を経て(しかし、今日まだ批准されていない)、アラビア語は「フランスの言語」として認知されているにももかかわらず、公教育の場で学ぶには、まださまざまな問題がある。


 フランスには95の県があるが、そのうち45の県では、アラビア語はまったく教えられていない。パリでは、3校の中学校で教えられているにすぎない。したがって、アラビア語授業のないパリの108校の中学生は、アラビア語履修が認可されている高校への入学を待たなくてはならない。高校では、「学校間言語履修」制度 (注 2) にもとづき、アラビア語が認可されている8校で、週一回、土曜日の午後か水曜日の夜受講することができる。


 その結果、中等教育(中学・高校)全体を含めても、わずか6千人ほどがアラビア語を学んでいるにすぎない。一方、1万5千人が中国語、1万4千人がロシア語、1万2千人がポルトガル語を学んでいる。文部省は、供給側には何の問題もない、むしろ受講希望者が少なく、現行の中学・高校の授業を維持することの方が難しいのだという態度を崩さない。


  こうした文部省の分析は、教員の数の減少の根拠となっているとともに(2006年に236人だったものが、2011年には218人になった)、アラビア語担当の中等教育適性証(CAPES)所持者枠の度重なる削減 (注 3) を正当化する根拠となっているが、現状を反映していない。というのは、1990年代中頃以降、校外の非営利団体 (アソシアシオン)が主催するアラビア語授業をうける若者の数が上向きになっているからだ。内務省によれば、6万5千人の学生がイスラム系非営利団体(アソシアシオン)で受講している (宗教、非宗教含めて)。これは、公教育で学ぶ学生数に比べて10倍だ。


  たしかに、アラビア語講座を開設してほしいと願う親は、大学区長に書面で申し込みができる。しかし、親たちは、そんな情報を聞かされていないか、フランス語がよくわからないせいで、ほとんど申し込みをしない。「授業開設のために努力すべきなのは親ではなく、行政の方なんです」パリ、ディドロ高校の英語教師クリスチイーヌ・コクブランさんは指摘する。また、大学区が親たちにアラビア語講座開設の申請書を出してもらっても、学校長は応じない権利を持っている。2010年、セーヌ左岸の高校7校が大学区長から授業開設を促す文書を受け取りながら、どの高校も積極的に取り組もうとはしなかった。そこにはさまざまな理由がある。中学や高校には、もうすでに少数言語のための講座がいくつも開設されていて手がいっぱいなこと、アラビア語が開設された場合、自分の学校のブランド・イメージが損なわれる恐れがあること、「厄介な」人々が殺到する危惧があること、ユダヤ人学生が多い地域では親の反発が心配されることなどである。


  初等教育では、生徒4万人が《ELCO》(注 4) 制度の一環としてアラビア語の授業を受けている。その教師は、マグレブ3カ国から選ばれ、給料が支給されている。また、大学では「アラビア語受講生は、約10年前に比べてほぼ10倍の数にのぼっている」と《イナルコ》Inalco (注 5) の副会長リュック・ドゥウーブル氏は語る。

  

イスラム系共同体の退潮を求めるという矛盾

 したがって、問題なのは中等教育である。中等教育は青少年の人格形成にとって最も重要な時期であるから、なおさら憂慮すべきなのだ。1985年、東洋語学者ジャック・ベルクが文部大臣に提出したレポート「フランス共和国の公教育における移民」で強調していたように、移民統合の成功は、本当のところ、親の出生地言語や文化を公立学校のなかで認知することにある。

 

 皮肉なことではあるが、約30年後の今日、移民二世たちは、たいていの場合フランス社会に同化しているからこそ、親の出生地の文化に触れ、その文化を自分のものとしたいと感じるようになった。その背景には、移民の世代間でアラビア語が継承されなくなっている事情がある(注 6)。政府はこうした移民の願いに応えようとしないで、昔から危険視して来たフランス国内イスラム共同体の退潮を求めている。


 アラビア語学習と共に宗教教育もできることから、家庭によっては子供たちをモスクや非営利団体 (アソシアシオン) に入学させようとする人たちがいる一方、宗教とは無関係であることを望む場合もある。「親のなかには、公立学校で英語やスペイン語を学ばせるほうがよいと考える人もいるのです。子供たちの自由時間をそれらの学科に割かなければならないなどの理由で、公立学校以外でアラビア語授業を受けさせるのです」パリ、ヴォルテール高校のアラビア語教師ゼイナブ・ガインさんは指摘する。


  しかし、以下のことも否定しがたい。コーランに基づく学校で実施されている授業は、たいていの場合、外国人教師が担っている。ところが、彼らは、移民が住んでいるフランス社会とは違う社会の規範をもとに生きているのだ。古くさい権威的な師弟関係、あるいはアラビア語のイデオロギー化と神話化は、公教育との不一致を引き起こしている。イスラム系非営利団体 (アソシアシオン) では、大部分が「教育に関しては、マグレブの伝統を引き継いでいます。すなわち、一時間半のアラビア語の授業と30分のイスラム教を学ぶ授業です」アラビア語の1級教員資格 (agrege ) を持つヤーヤ・チェイク氏は説明する。(注 7)


  アラビア語教育が、どうして民営化されてしまったのか?実は1530年の段階で、《王立教授団》(後のコレージュ・ド・フランス) において欧州最初のアラビア語講座が創設されていたのだ。ルイ14世治世下においては、ジャン・バティスト・コルベールが「青少年語学学校」(《Inalco》の前身)を創設し、通訳を育成することで、オスマントルコ帝国との外交・通商貿易の需要に応えた。1906年からは、アラビア語の1級教員資格 (アグレガシオン) が設けられたのだが…。


 こうした実績がありながら、今日アラビア語教育が実施されていない理由を理解するためには、1980年代に遡らなくてはならない。1983年、リヨン郊外マンゲット地区で暴動が発生し、その結果、国民的規模の「反人種差別、平等のための行進」別名「ブールの行進 [ブールとは、マグレブ系移民二世 − 訳注]」が組織されることになった。1989年には、イラン革命の指導者ホメイニ師は、作家サルマーン・ルシュディーに対して、『悪魔の詩』を書いた廉で死刑宣告した。同年、クレイユ市の中学校で、三人の女子中学生がスカーフの着用を拒否したことで退学になった。これらの事件が新聞にでかでかと掲載され、フランスにおけるイスラム共同体のイメージがすっかり変わり、マグレブ出身の移民は国家的な問題となった。文部省総合視学官であり「アラブ世界研究所」(IMA)理事長を務めていたブリュノ・ルバロワ氏は思いだす「生徒で満員だった授業を打ち切り始めたのは、この時からです」「学校長や大学区長の多くが、フランス在住のアラブ人すべてに怯えた。彼らは、まさにアラビア語を使用していたのです」。


 そこが議論の核心である。アラビア語が世界で3億人に使われ、国連の6つの公用語のひとつであるにもかかわらず、フランスにおいては、まず何よりも移民の言語であり、ゲットー・アラブ民族主義・イスラム原理主義に安易に結び付けられやすいということなのだ。従って,政治家がアラビア語教育に賛成の態度を表明しようとすると、それに異を唱える人たちの総攻撃を喰らうことになる。2009年9月、BFM-TVで、ジャン=フランソワ・コペ氏はその危険を冒した。氏が思い切ってアラビア語教育に賛成意見を表明しようとしたとき、当時UMP国会議員団代表であったにもかかわらず、案の定、番組担当のオリビエ・マズロール記者に即座に発言を止められた。マズロール記者の気づかわしげな様子は明らかだった「他の課題はないんでしょうか?というのも、そう…よろしいですか…アラビア語を学ぶということは…」


  たしかに、イスラム教の拡大によって7世紀からアラビア語が普及したが、イスラム教徒の多くがアラビア語を話しているわけではない(インドネシアやトルコの大部分がこれにあたる)また、アラビア語話者の多くがイスラム教徒ではない(たとえば、近東諸国のキリスト教徒)。アラビア語を宗教的言語と同一視することは、アラビア語がイスラム教の聖典コーランより前に存在した事実を知らないことであり、イスラム過激派を利することになる。彼らは歴史的遺産であるアラビア語を自分たちだけのものだと勘違いしているのだ。

「非行」の防止

 たしかに、アラビア語はフランス植民地化の負の歴史の被害をこうむっている。アラビア語は植民地の言語であるために、フランス政府は「唯一にして不可分の共和国」の統一を維持するため、今でもフランスにおけるアラビア語の使用を減らそうとしている。この一国一言語主義は、フランス君主制と大革命の精神を引き継いだものであり、アラビア語を無視する働きをした。それはちょうど、地域言語無視の政策として、ここ数世紀にわたって推進されたものと同じである。


  1999年、ヴァル=ド=マルヌ県のジャック=アラン・ベニスティ議員は、ドミニク・ドビルパン氏 (当時、大統領首席補佐官) に非行防止に関する予備報告書を提出した。移民二世の、2か国語併用と非行との関係を明らかにしようとするものだった(注 8)。ベニスティ議員が考えていたのは、移民二世の未成年者が「非行」にはしるのを防止するため、母親が「家庭でフランス語を話さざるをえない」状態をつくり、そのことによって、この「唯一言語」に慣れさせようとするものである。この報告書は、教育専門家に手厳しく批判され修正されたものの、フランスにおける一国一言語主義が孕んでいる「体制強化の意図」をものの見事にあらわしている。ベニスティ議員は、植民地の言語を「方言的言い回し」と形容するまでになっている。実際、アラビア語は「排除の論理」にさらされて、フランスの地方言語のひとつとして位置づけられる − 「親しみのある奇妙さ」の極め付きの証だ。


  2008年、前フランス大統領ニコラ・サルコジは、第一回「アラビア語の言語と文化の会議」にメッセージを送った −会への出席を予定していたが、当日は欠席した − 「アラビア語は将来進歩する言語であり、現代科学にとって重要な言語でありまして…。今会議が、フランスにアラビア語教育の発展の具体的一歩をしるされることを期待し…」。2012年9月の新学期において、中等教育で新しく開講されたアラビア語授業は、たった8授業だけだった。しかし、大学区視学官と地域圏教育視学官でもあるミシェル・ネイルネフ氏は、こういった施策の成功ぶり報告している。「ル・マン市の中心部の中学校に2言語併用クラスを開設したところ、25人枠のところに40人の入学申し込みがあったのです」。

 

「フランスの言語」への道

 アラビア語は、グローバル化によって救われるだろうか?《エクスポラング》国際言語フェアで開催された会議では、「アラビア語、起業・経済の切り札に」 をテーマに話し合われ、発言者たちは、大きく発展しつつあるイスラム金融業界の強い要望に応えるために、アラビア語話者を養成することの重要性を口々に指摘した。また、アラビア語が使えれば、外交部門やホテル・レストラン業界 (とくに、湾岸諸国の豪華ホテル) でのキャリア形成も可能となる。さらに、アラビア語を使用した情報部門の急激な発展は、視聴覚メディア関係のジャーナリストを志していた人々に展望を与えている。


 公約が実行に移されるとすれば、もうひとつ別の問題も解決しなければならなくなるだろう。アラビア人のためだけのアラビア語であっていいのか、という問題である。例のBFM-TVで、コペ氏は「あなたの子供さんが、自分からアラビア語を習いたいと言い出したら、がんばってやりなさいと言いますか」という質問に「そもそも私はアラビア文化の素養がないんだ」と言い放った。だとすれば、中国語を学んでいる数千人ほどのフランス人学生にとって、「中国的素養」がどれほどあるというのか?


  フランスにおいて、アラビア語から「移民の言語」というレッテルを取り除き、公教育の場でアラビア語の学習を盛んにさせることができれば、出身地・宗教を問わず、アラビア語が「フランスの言語」となる事を希望するすべての人々にとって、重要な第一歩となるだろう。





(1) Avis du Conseil d'Etat n°217077, 3 mai 2000, Mlle M.
(2) LIE(Langues Inter-Etablissements)「学校間言語履修」制度。自分が通う高校で選択できない言語を、別の高校で第 2・第 3外国語として週1回受講でき、単位として認められるシステム。[訳注]
(3) 採用枠は、2002年に20人、2006年に5人、2011年0人となり試験は中止となった。(2012年再開)。
(4)《ELCO》 Enseignement de langue et culture d'origine「出身地の言語と文化の教育」の略称。主たる移民送り出し国の言語と文化を当該国出身の生徒に学ばせるというものである。クラスは、文部省が外国籍の生徒の人数や親の意向などを調査したうえで、開講が適当と判断した学校で開かれる。 [訳注]
(5)《イナルコ、Inalco》 l'Institut national des langues et civilisations orientales「フランス国立東洋言語文化研究所」の略称。西ヨーロッパ起源以外(アフリカ、アジア、東ヨーロッパ、オセアニア)の言語と文明についての研究および教育を行う。[訳注]
(6) Francois Heran, " Une approche quantitative de l'integration linguistique en France ", Hommes & migrations, no 1252, Paris, novembre-decembre 2004.
(7) Yahya Cheikh, " L'enseignement de l'arabe en France. Les voies de transmission ", Hommes & migrations, no 1288, novembre-decembre 2010.
(8) Rapport preliminaire de la commission prevention du groupe d'etude parlementaire sur la securite interieure.
       

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電 子版2012年10月号)