政治家たちに蹂躙されるスペイン国民

フェリペ・ゴンサレスの猫

ルイス・セプルベダ*

*スペイン在住のチリ人作家。近著に『南半球の最新ニュース』

(フランス語版。写真家ダニエル・モルズィンスキとの共著)。

メタイエ社、パリ、2012年。

訳:木下 治人


 ヨーロッパ経済危機ではギリシャばかりが注目されるが、それ以外の国も大きな問題を抱えている。スペインは、冷戦上の必要から経済の民主主義を徹底することなく、NATOに加盟し、EUにも加盟させてもらった。補助金を受けるなどでインフラ整備が加速し、その結果、96年から2007年までの経済成長率は年平均3.7%を記録した。牽引役は建設部門で、住宅建設数は07年までの3年間、通常の年25万軒から年50万軒に倍増した。だが、08年のリーマン・ショックを受けた世界的な金融危機を契機にバブルがはじけ、不良債権は今も増え続けている。景気が落ち込むと、欧州中央銀行から注入された資金と国債との金利差でまた儲けようとしている。 2011年発足したラホイ国民党政権の緊縮政策の結果、失業率は25.1 % に上昇した。ユーロ圏で最悪の数字だ。金融資本家だけが生き延びようとしている現実に、スペイン国民は憤りの声を上げている。スペイン在住チリ人作家のリポート。(日本語版編集部) 


 物語というものはすべて、一定の時と場所から始まる。私は、現在の危機のために、ひどくつらい思いをしている。スペインの友人たちの多くが、壊滅的な混乱状態に陥っているからだ。彼らは、未来がどうなるかわからないと感じ、ヨーロッパのなかの一国であるはずのスペイン的日常が、国民党とスペイン社会労働党の二大政党の狂気の権力競争に翻弄され、日増しに崩壊していくのを観て驚愕しているのだ。両政党とも、昨今の情勢の悪化に対するほんのわずかな説明さえもできない状態である。特に明日には、どこがもっと悪化するのかも説明できない。

 

  政府の果たすべき役割とは、社会の矛盾点や問題点をしっかり捉え解決の方策を示すことであると考えられている。しかしスペインでは、そのような方策が示されることは、現に行われていないばかりか、今まで一度もなかった。それは、次のような、けっこうな理由からだ。フランコ将軍が死去し民主主義への過渡期が始まって以来(注1)、政治家は、知的怠慢をブランドにまで仕立てあげた。いまだかつて、スペインにとって実現性のある戦略モデルが考えられたためしがないからだ。私が試みたように、国会での宣言や選挙キャンペーンを読み直し、スペイン社会観が少しでも表現されているのではないかと探してみても、まったく見つけられない。

 

 スペイン社会のありうべき姿を構想した政治家は、マヌエル・アサーニャただ一人だ。彼は、フランコのクーデタ以前の共和国最後の大統領である。他にはいなかった。というのは、スペイン政府の無策は、聡明なブルジョワジーの不在に基づくものであり、そうした不在自体が真の国家指導者たちの不在によって生じたことである。

 

  彼らの座右の銘といえば、中国の指導者ケ小平が主張した「ねずみを取りさえすれば、白猫だろうが黒猫だろうがかまわない」というスローガンである。フェリペ・ゴンサレス(注2)は、任期当時にこの話を引用したことがある。ゴンサレスが主張する「ネコ」物語は、スペインの社会・経済・文化及び政治的状況のすべてにわたって浸透しており、そこから解きほぐして、過去に何がどのように起き、これから何が起きるか、なぜそうなるかをお話しよう。ヨーロッパの一市民として、ドリアン・グレイの呪われた自画像(注3)の物語のような悪夢に襲われないうちに、スペインが現在抱える悪夢を分かりやすく説明し、その悪夢から脱出できるような図面が必要なのだ。

             

ゴンサレス政権が果たした役割

  1988年2月4日、マドリッドの朝は寒かった。たしかに、街頭では冬の厳しさが感じられたが、国際会議場の十分に暖房が効いた部屋の中ではそうではなかった。「指導者向上委員会(APD)」に招待された優に千人の企業代表は、フェリペ・ゴンサレス率いる社会党内閣のカルロス・ソルチャガ経済・財政相の話に聞きほれていた。「スペインは、ヨーロッパ、いや世界中で、短期間に最も多くの金を稼げる国であります。こう申しているのは私だけではありません。これは、証券コンサルタント・アナリストの方々も認めるところであります」。

 

  大臣が受けた喝采のせいで部屋は熱帯のように暑かった。スペイン社会労働党はもったいぶらずに、次のように主張していた。スペインで金持ちになれないのは大ばか者だけだ。ばか者たちだけが、自分が金持ちになれることを納得しないのだ。経済の機能ぶり、連帯の原則、福祉に関する社会民主主義的概念、富の源泉に関する左翼的分析。こうしたものすべて(それ以外のものも含めて)が、輝かしい進むべき道を照らし出している。その進むべき道とは、社会が富を得られる、特に「短期的に」富を得られる道である。

 

  国は、なぜ安易な金儲けの誘惑に負けるのか?エコノミストたちが、世界的な経済危機を説明するために行っている議論は肝心な点を見逃している。資本主義的経済システムは総体として失敗しただけでなく、特殊スペインの場合には、この失敗は国粋家主義的カトリック独裁から民主主義国家への移行が失敗したことによって増幅された。歴史の一ページをめくることしか考えていなかったからだ。

 

  スペインは、欧州共同体(注4)への参加を急いだことによって民主主義建設のあり方をめぐる議論がすべてできなくなったり、あるいは聞くに堪えない議論になったりした。共和国の経験(注5)は無視され、人々は民主主義の歴史的経験が欠如していることに対して支払うべき代償に気をとめないばかりか、冷戦の終りに北大西洋条約機構の一員として加盟させた西側の意図に対しても、また特に、≪ ピカレスク ≫(注6)と呼ばれる文化的不幸に対しても、同様に気をとめることがなかった。猫は、白でも黒でもねずみを取ればよいというわけである。

グローバル化とスペイン

  盲目の乞食からぶどうを盗んで食べる悪党の話ならば、笑ってすませることができるが、ピカレスクな生き方が人生の基本方針に、あるいは最悪、国の方針になるとしたら、影響が長く続くことになるだろう。というのも、われわれの今日抱える欠陥は、もっぱら昨日の欠陥の繰り返しだからだ。このような欠陥の中には、現実から目をそらせるための、ゆがんだ語彙の使用法がある。80年代のETA(バスク祖国と自由)(注7)に対する国家のテロは、「反テロ政策」という呼称が使われたが、これは偶然のことではない。「経済危機」という言葉も「成長の低下」に置き換えられ、あるいは公的資金の注入による銀行の救済は、「最良条件での貸付」とされたのも偶然のことではない。民主主義への移行最初の日から、婉曲語法は「政治的言説」を構築するのに不可欠な要素として幅を利かせたのである。

 

  ベルリンの壁崩壊3年前のこと、東欧諸国ではいわゆる社会主義体制の崩壊が進み、「新世界秩序」の宣言(注8)に至る。スペインは、すでに1986年には欧州共同体に加入していた。「グローバル化」の合言葉がすさまじい喧騒の中で響きわたり、スペインを新しい世界経済の中に統合させるため、時宜にかなった賢明な方法を模索すべきだというあらゆる批判を黙らせた。人類の中での裕福な少数に確実に所属することができるという思いにふけって、政界全体、エコノミストの大半は、欧州連合加盟が引き起こす結果にたいして一顧だにしなかった。そのことが、現在の経済危機の根っこにある。

 

  経済における世界最強の国々が、開発が遅れているスペインなどの国も巨大市場に加わるべきだと決め、それにあたっては、アメリカ・フランスなどの「第一世界」との競争に門戸を開くことを条件とした。この時に、カルロス・ソルチャガ風の予言者の誰もが考え強調したのは、第三世界に押し付けられた諸条件がどれほど不正で不条理なものであろうとも、こうした条件は計り知れないほどの経済的推進力を生み出すだろうということだった。貧しい国は、富んだ国に対してより一層多くの商品を売り、「第一世界」の産業に対して一層の強力な競争力をもつようになるだろうというわけだ。

 

  こうした国々は、めざましい発展をみせ、「新興経済国」と呼ばれた。その富裕化は、数世紀にわたる略奪の被害に対する当然の補償として認められてもよいだろう。しかし結果的に、生み出された大部分の富が一部の富裕層の手に集中し、経済的「必要性」を政治的民主化より優先することになった。利益をすべてに優先することから、西欧諸国は国内産業を犠牲にすることをいとわなかった。工場の海外移転、「非課税を。でなければ出て行く」式の脅しによって、人々の暮らしを切り詰めさせ、福祉国家を破壊するための最初の風穴をあけさせ、その完全な壊滅を待った。

 

  新しい支配者たちの振る舞いに驚くべきか?その必要はない。資本主義の本質は何も変わらなかったのだ。「グローバル化」という言葉が経済・政治用語として使われるずっと前に、スペインからはるかに遠い南アメリカの国・チリの大統領サルバドール・アジェンデ(注9)によって語られていた。1972年12月4日、アジェンデの国連演説は次のようなものだ。「我々は、巨大な多国籍企業と国家との全面対決に立ち至っています。国家は、政治・軍事・経済などの重要な決定に際して、世界に広がる巨大企業から干渉を受け、食いものにされているのです。世界的巨大企業は、どの国にも属さず、活動のすべてにおいて、あらゆる国の国会にも公的議決機関に対しても責任を負わないのです。要約すれば、世界のあらゆる政治機構が根底からくつがえされつつあるのです」。

 

  この当時、すでに市場は独裁者の様相を示していた。そして、可能性を追求する古くからの技術であるはずの政治が、市場のもっとも効率の高い運用の奉仕役として試されるようになった。スペインの政治家たちは、このことすべてを、わざと知らないふりをした。「私は、都合の悪いことは無視する」という、「ピカレスク」の特徴を十分持ったこの諺通りに、経済危機の最初の前兆を前にしても、彼らはことなかれ主義に完全に凝り固まっていた。

 

  観光業はスペインの第一の(あるいは、控えめに言って第二の)産業なのだということを認めない人はいない。天からの賜り物である観光業は、観光業を発展させたがる人々が存在しても、彼らの意向で思うようにならない、偶然性に左右されやすい産業であり、さらに観光業はホテル経営者の財産を太らせるが、社会全体を劣等コンプレックスに陥らせ、社会を消耗させる産業であることを認めない人はいない。先端技術が進んだ国に住むことと、ホテル従業員、フロント、料理人の国に住むこととは、同じことではない。

 

  スペインがギリシャやポルトガルと並んで、欧州連合(EU)へ加盟したことは、イベリア半島の自立状態の終焉を示しただけでなく、ある集中投資の始まりともなった。それは、悪名高い「団結と発展援助のための資金」で、戦後、ヨーロッパのためにマーシャル・プラン(注10)がかき集めた金額より多かった。スペインは、2007年からたった6年間の間に、32億5千ユーロ受け取った。ホセ・マリア・アスナール政権の8年間、「スペインは順調だ」といわれ続けた。また後任のホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ(注11)は、スペインはイタリアより経済的に豊かであり、他の世界各国にくらべても財政力が強いと保証した。にもかかわらずスペインは、2004年にEUへ加盟した東側10か国のためには、一銭も払わなかった。このようなけちな行為は、近隣のヨーロッパ諸国に警戒心を抱かせてもよかったはずだ。そうならなかったのは、市場が、スペインの中に ― 以前、アメリカでそうだったように ― 金の卵を産む鳥がいると判断していたからだ。その鳥とは、当てにならない生産システムの近代化よりはるかに期待をいだかせるもの、つまり不動産投機、抵当貸しによる無制限の信用供与などである。

 

  大手投資銀行グループ、リーマン・ブラザーズの破綻前の5年間の間に、中国・ブラジル・インドなどの新興国の経済が驚くべき経済成長のピークを過ぎたという事実を理由に、何らかの措置をとったスペインの政治家・エコノミストはほとんどいない。なぜなら、危機からちょうどよい時に手を引くことができるいくつかのスペイン企業の競争力の強弱などは、不動産バブルが約束した短期の利益に比べれば、ほとんど重要ではなかったからだ。

スペイン政界の腐敗

  まるでピカレスクを地で行くように、スペイン政界の腐敗が表面化した。「あなたに選挙資金を提供するから、あなたの選挙区に建築許可を出してほしい」というわけだ。市街地がいたるところに拡がり始めた。たとえば、トレド県のセセーニャ地区(注12)の人気のない幽霊の出そうな町だ。ここの13500世帯の団地では、水、ガス、基本設備がなく、そのうえ住民もいない。そこに見られるのは、乞食と砂嵐だけだ。銀行は、この不様な不動産の値段を人工的に吊り上げた後、これをひとりのスペインの金持ち企業家に売渡した。その名は、フランシスコ・エルナンド・コントレラース。「下水掃除夫」から身を起こした彼は、まさにピカレスク的人物で、厄介ものを放出してもらったおかげで億万長者になったのだ。

 

  セセーニャのような死の町が、スペイン各地に作られた。確かに団地の建設は雇用創出の面はある。前首相サパテロは、彼お得意の非常識な演説のなかの一つで、次のように断言した。スペインは、2006年から2008年にかけて、フランス・イタリア・ドイツを合わせたより多くの雇用を創出していたのだという。― ところが、スペイン人の新しい給料がフランス人・イタリア人・ドイツ人の三分の一しか支払われていないことについては故意に触れなかった。スペインはすこぶる元気で、国民は「スペインというブランド」を誇りとしていた。

 

 利益至上主義が不動産部門にも適用された結果、政界の腐敗を招いただけでなく、文化や社会風土を堕落させた。若者数十万人が学業を喜んで放棄したのは、建設・不動産業が両手を挙げて彼らを歓迎したからだ。給料3か月分の頭金があれば3・40年のローンを組むことができ、マンション・車・ハイビジョンテレビどころか最新の携帯電話を手に入れることができるのに、どうして6年、7年、8年もかけ、へとへとになるまで勉強して技術者や医者になる必要があろうか?こんなにも多くの若者があっという間に大学から去っていくようなことは、どの国も経験したことがない。これほど積極的に、ローン漬けの生活に国の将来を託す国などどこにもない。

 

  不動産熱が過熱し、それに付随して退廃が進んだ。飛行機が一度も着陸したことがない巨大空港、だれ一人として利用したことがない超高速鉄道、ウサギが戯れているサーキット・コース、鳩小屋にしか使われないような壮大な文化会館の建設にまで及んだ。そうした情況のさ中に、歴史上まれに見るもうけを出した銀行の決算である。猫はねずみを捕まえていたのだ。

 

  魔術師ソルチャガの予言が形を成していた。スペインは、確かに世界で一番すばらしい国であった。一夜のうちに数百万稼げるのだ。価値が増え続け、涸れることのない自然資源、つまり土地のおかげなのだ。一国の企業文化は、その国の生産の多様性で計られるのだと言われる。スペインにおいては、不動産業の跋扈によって、この原則は外れることとなった。中小企業はどこも、コンクリート・ミキサーを回すことに専念するようになった。

 

左派、サパテロ政権崩壊

  スペイン指導者には知的弱点がある。その最良の証拠は、社会的事象が、アリストテレス的劇作のルール、つまり「提示」「展開」「大団円」という三段階の発展に従って起きるのだということを理解できないことにある。ここで私が言いたいのは、未来は現在の繰り返しではないということだ。経済学的にいえば、物事には必ず終焉があるということでもある。スペインはカトリックの国なのだから、国の指導者には、少なくとも聖書を読みヨセフについての一節(注13)を記憶に留めていることが期待されたはずだ。ファラオの太った牛が、飢えた哀れな牛に変身してしまったという夢を見たヨセフは、経済循環の終焉を予感したのだ。経営者団体のトップや組合指導部は、不動産ブームが始まった後、自分たちが火薬庫の上に座っていることはわかっていた。しかし、「統一左翼」(注14)から控えめな警告を受けたにもかかわらず、彼らはひとりとして、改革の第一歩を踏み出そうとしなかった。たとえ、ねずみがまぼろしでしかないにしても、猫はねずみを捕まえ続けようとしていた。

 

  「国民は、指導者が何の役にも立たないと判断した時、指導者を交代さねばならないが、一方、指導者は、国民が自分たちにとってふさわしくなければ、国民を変えたいと思うものだ」。このベルトルト・ブレヒトの指摘は、昨年の激しい選挙戦 [2011年11月20日の総選挙、― 訳注] に敗北し、政権を手放したスペイン社会労働党の心境をよく表している。スペイン社会労働党は、権力の座に着いていた最後の数か月間、経済危機に直面し − 当初は、危機の存在を否定し、スペイン経済は不死身であるという市場の考えに確信を持っていた − 左翼的な統治意志を本気で埋葬してしまった。国民への説明責任を果たさなかったのだ。銀行がなぜ金を貸さなくなったのか、中小企業が次々と倒産し、失業が日増しに増えるのはなぜかという疑問を無視したのだ。サパテロ政権は、救済できるかもしれない企業を救済する努力をほとんど行わなかったが、それでも右派の反撃に直面した。右派は民主主義国家では、かつて一度もみられなかったもっとも無責任な反対派の様相を呈していた。しかし、双方ともある点に関しては意見が一致していた。国民は不安に襲われたが、「市場を安心させる」緊急の必要性に応えることはなにもできなかった。つまり、銀行に対して過剰な公的資金を注入するぐらいのことしかできなかったのである。

 

  社会主義政権の最後の数か月は、まさに「悲喜劇」と要約される。政府が国民の給料を削減し銀行にたっぷり水を飲ませる一方で、野党、たとえばクリストバル・モントロ(現在の財務相であり、人事院総裁)は、ふんぞり返る。「国が破産するにまかせようではないか。われわれが国を立て直すから」。救世主の中には、ルイス・ド・ギンドスがいる。彼は、2006年から08年まで、スペインとポルトガル担当のリーマン・ブラザーズ執行幹部であったとき、保持していた銀行の粉飾会計と銀行破綻の前兆に関する直接情報を、スペイン・ポルトガル政府に隠していた。その三年後のラホイ政権下で、そのご褒美として経済競争力相のポストに抜擢された。

 

  こうして、サパテロ社会主義政権が「必要な調整」や「欧州委員会による強制」とかを口実に、社会福祉の支出を抑制している間に、失業者数が200万から300万、400万人、そして今日では500万人に達している。ひそかに,卑劣なやり方で,憲法を変え予算上の一番大切な規則を変更した。これにより、経済危機が社会危機へと転換してしまうことになった。土地が不動産開発業者から見向きもされなくなり、貧困が更に広がった

 

  選挙では、ことの成行きを解明できるような図面が描けなかったために、ある問題が未解決のままだった。それは、「われわれが望んでいるのは、市民生活重視か、あるいは貪欲な消費者になることなのか?」ということだ。有権者の大部分は後者を選び、右派に圧倒的な支持を表明した。

 

  猫は、引き続きねずみを捕らえることができるようになった。新しいごちそうが貪欲な猫に供されたのだから、なおさらである。国債のたたき売りがそれだ。実際、銀行に注入された資金は、企業を倒産から救い出すために使われたのではなかった。また、抵当貸しを緩和し、借りた金を返せない小経営者の退場を避けるために使われのではなく、3 から 5 %の金利の国債を買うのに使われた。国の援助で投機に走っているようなものだ。要するに,金融危機は、金融界を無病息災にした。金融界は以前よりたらふく食ってはいないが、飢死することはない。むしろ肥え太っている。

 

  欧州連合のルールによれば、国の金融システムの堅実さ、安全性、永続性を確保するのは、国が責任を持つとされる。このような自分で自分の手を縛らなけばならない倒錯したやり方では、投機家はどんな場合にも金を稼げるのだ。たとえば、取引がうまく運べば投機家は利益を独占する。うまくいかない場合も、その責任を取らされるのは納税者なのだ。

 

  税収入は、サパテロ政権崩壊の数か月前には涸渇していた。猫は腹をすかせていたので、欧州中央銀行(BCE)は貸付金利を1%に下げる。この利子が適用される銀行の健全性に注意が払われることはなかった。猫は、前よりいっそう激しく太った。銀行は、欧州中央銀行の安い金を使って、5 %から 7 % という高い金利の国債を買いあさる。ソルチャガは、うそを言わなかった。スペインは、最高の金額を最短で稼ぐことのできる、世界でまれに見るすばらしい場所だったのだ。

 

  婉曲語法を多用する国では、腐敗に対する嫌悪を「政治的無関心」と呼ぶ。スペインが失業の泥沼の中に沈んでいる間、主要な商業銀行と貯蓄銀行の首脳陣は、自分たちの退職金に、まるで夢のようなボーナスを上乗せする。「政治家特権階級」の寛容な眼差しを受けながら。社会階級を見分けるには、だれの利益を守る立場にたっているのかを見ればよい。「政治家特権階級」は、何よりもまず市場の利益に仕えているのだ。保革二つの世界を隔てる境界は、時には水漏れする場合もある。かつての首相ホセ・マリア・アスナールは、大企業のコンサルタントとなり、ニューズ・コーポレーションなどのキース・ルパート・マードック・グループやエンデサ [スペインの電気事業の多国籍企業、― 訳注]などに協力している。アスナールの前任者、フェリペ・ゴンサレスは、ガス・ナチュラル=フェノーサ・グループの相談役に転職した。エレナ・サルガド元社会党の大臣はというと、エンデサのチリ子会社で大手電力会社チレクトラ社の顧問に昇格している。この会社は、パタゴニアの環境を荒らした。猫は、ねずみを捕えることに飽きることがない。

 

  スペインの人たちは皆、日の出をひどく恐れている。というのは、悪いニュースが毎日届くからだ。いつも同じニュースが繰り返される。「政府は、不動産管理会社のように国を管理している」というものだ。黒いビロードの袖口で引き立っている真っ白なワイシャツを着たマリアーノ・ラホイ [現在の国民党政権首相、― 訳注] は、19世紀の公証人の事務所から出てきたかのような様子をしている。しかし、この金融市場のまわし者は現代人であり、失敗した消費者の市民生活を不安定化させることに熱心なのだ。毎朝、われわれは猫の新しい爪で起こされる。猫はどんな時でも、ねずみを捕まえる。ねずみが人間の形をしていてもかまわない。教育費のカット、健康保険支出の削減、「調整」という名の解雇、贈収賄や盗みや詐欺を前にしても死の沈黙を守ること…などとなって、スペイン国民に襲いかかってきている。

 

  バンキア事件(注 15)は、流行の窃盗行為を象徴する事件だ。スペインでもっとも堅実とされるこの銀行が、なぜ今になって金融システム全体を破綻させかねない事態になっているのだろうか。初期の結果は、特に株主にとっては期待を抱かせるものであった。しかし、突然、風船がしぼむ。今日に至っても、破綻の原因が深い霧に囲まれているが、国は穴の開いたバンキアの金庫に235億ユーロ投入する。これは、国のインフラ整備に割り当てられた国家予算以上のものだ。

 

  多くの人々は、1929年恐慌の際、破綻した銀行家が身投げした事件を記憶に留めている。今日のスペインでは、金融危機を引き起こした首謀者たちに、それほどの危機感は無い。バンキア総裁ロドリゴ・ラト(アスナール政権で経済相を勤めた。元国際通貨基金専務理事)は、窓から飛び降りることはなかった。年間200万ユーロ以上の報酬を受け取っているのに、そんなこと出来るかい!

 

世界をさまよう妖怪

 このように、スペイン危機の物語は、堕落の称揚、そして儲けの誘惑に負けた社会主義者の弁解物語に始まり、終わる。最初から最後まで、ねずみを貪り食う黒や白その他いろいろな色をした猫の話なのだ。

 

  カール・マルクスは、資本主義はそれ自身の中に自らを破壊させる萌芽を内包している、と主張した。このあごひげの哲学者は、イギリスのことを考えていた。しかし今日、マルクスが、マルベーリャの海岸でゴンサレスの猫にじゃれつかれ、耳を噛まれてひなたぼっこをしながら考えるとすれば、こんなことかもしれない。「資本主義を、剰余価値を生み出す搾取システムと捉えるとすれば、自滅するどころか、資本の目に見えざる顔、捉えがたき身体、すさまじい貪欲ぶりを金融市場から借りて再生してしまっている」。あるいは、アイフォーンを使ってフリードリッヒ・エンゲルスにこう電話するかもしれない。「世界には妖怪 (注16) がさまよい出ている。その妖怪とは、われわれが生きたいと望む世界、われわれ一人一人がともに生活したいと願うような社会のことなんだ」。

 

  しかし、この妖怪が活動を始めるまでに、呪われた猫は、ねずみを捕らえ続けているのだ。

 

 ([訳注]以外は、すべて、フランス語版編集部による注) 
(1) 民主主義への過渡期。1975年11月20日、フランシスコ・フランコ将軍が死去し、王政復古がなされた。その時、スペイン国王フアン・カルロス1世は民主主義への移行プロセスを約束した。 
(2) フェリペ・ゴンサレス。1982年から1996年まで、スペイン首相を務めた。 
(3) 『ドリアン・グレイの肖像』(The Picture of Dorian Gray、1890年)は、オスカー・ワイルドの小説。主人公ドリアンは、自分の美の衰えを恐れる。彼が年齢や悪徳を重ねると、ドリアンの肖像画がその分だけ醜くなっていく。[訳注] 
(4) 欧州共同体。現在の欧州連合につづく[訳注] 
(5) 共和国の経験。フランコ以前の共和制の経験を言う[訳注] 
(6) ピカレスク。16世紀のスペインでは、ピカレスク(悪漢)小説が流行した。小説の主人公は「ピカロ」とよばれ、一般的には庶民階層出身の大胆なアンチヒーローである。[スペイン人は、一般に、ピカレスクな心を持つという意見もある、― 訳注] 
(7) エウスカディ・タ・アスカタスナ(「バスク祖国と自由」の意味、略称ETA)。1959年結成、スペインからの分離独立を主張する武装組織。 
(8)「新世界秩序」の宣言。1988年ゴルバチョフの国連演説[訳注] 
(9) サルバドール・アジェンデ。チリの大統領。社会主義者。1908年生まれ、1973年死亡。1970年大統領に選出されるが、1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍のクーデターで失脚。 
(10) マーシャル・プラン。正式名は「欧州復興計画」[訳注] 
(11) アスナールは、前国民党(PP,右派)党首。1996年から2004年まで政権担当。サパテロは、前スペイン社会労働党(PSOE,左派)書記長。2004年から2011年まで政権担当。 
(12) セセーニャ地区。SF小説のようにある日突然、街から住民が消え去ってしまったら、こんな風景になるのではないか。そう思わせるのが、スペインのマドリード郊外(中心地区から36kmの距離にある)セセーニャの宅地開発地域。マンション群に人の姿はほとんどない。無人の棟も目立つ。スペインのあちこちに見られる住宅バブルの残骸の一つだ。08年の金融危機で金融機関はその後遺症に苦しんでいる。[訳注] 
(13) ヨセフに関する一節。「創世記」37-47。 ファラオは夢を見た。「ファラオがナイル川の岸に立っていると、ナイル川から、肉づきがよくて、つやのある雌牛が七頭上がってきて葦の中で草を食べていた。すると、そのあとに弱々しく、やせ細って、非常に醜い雌牛が七頭上がってきて、肥えた雌牛七頭を食べてしまった。しかも、醜い牛は肥えた牛を食べたにもかかわらず、何も変わっていなかった」。 ヨセフは、その夢解きをする。「ナイル川より上がってきた肉ずきの良い七頭の牛はエジプト全土に七年の豊作をもたらすもので、後から上がってきた痩せこけた醜い七頭の牛が前の肉ずきの良い牛を食べるのは七年の豊作の後の七年の飢饉を現す夢です」と告げた。[訳注] 
(14) 統一左翼。1986年結成。スペイン共産党(PCE)を中核とする政党連合の名称。 
(15) バンキア事件。08年のリーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに、不動産バブルが崩壊し、スペイン国内3位の金融機関バンキアが経営難になる。実質国有化され、国からの巨額な資本投入で生きのびている。[訳注] 
(16) 妖怪とは、共産主義のこと。マルクス著『共産党宣言』巻頭言の冒頭には、次のように記されている。「ヨーロッパに妖怪が出る ― 共産主義という妖怪である」[訳注] 
(17) スペイン、王政復古以後の歴史 [訳注] 
 1975 : フランコ将軍死去。王政復古がなされる。1978年憲法が成立して民主化がなされ、スペイン王国は制限君主制国家となる。 
 1982 : NATOに加入。同年、ゴンサレス政権誕生。スペイン社会労働党の43年ぶりの左派政権。1996年まで4期政権維持する。 
1986 : ヨーロッパ共同体(現在の欧州連合)に加入。 
 1996〜2004:アスナール政権。国民党(右派)。 
 2004〜2011:サパテロ政権。社会労働党。2008年、リーマン・ショック。 財政危機表面化する。 
 2011〜:ラホイ政権。国民党。 
             

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電 子版2012年8月号)