東ティモールの前途多難な再建

フレデリック・デュラン

(トゥルーズ=ル・ミライユ大学准教授、アジア研究所研究員)

訳:土田修


 さまざまな苦難を乗り越えて 東ティモールは民主国家に向けて前進している。大部分は無駄遣いされてきたとはいえ国連援助の恩恵を受けてきた東ティモールは今後、石油資源という自然の恵みに浴することができる。7月7日の総選挙(注1)の後、東ティモール政府は新しい段階に入ることになるだろう。とはいえ住民の4分の3は厳しい労働条件の元で農村暮らしを続けている。[フランス語版編集部] 

小さな「紙片」のような国(注2)と評されることもある東ティモールだが、その面積はレバノンやジャマイカよりも大きく、120万人というその人口はキプロスやエストニアに匹敵する。先進国が抱いているこの国のイメージはおおむね経済に関するものだ。石油・天然ガス開発で毎年10数億ドルのロイヤリティを得ているのに、いまだにこの国は「アジアの最貧国」と評されているからだ。2011年にはポルトガルのソブリン債の一部を買い戻すと申し出てさえいるのだが。

この4月、共和国第3代大統領が決まった。2002年に独立した後の初代大統領にはシャナナ・グスマンが選ばれた。彼は「東ティモールのネルソン・マンデラ」と称される民族抵抗革命評議会指導者であり、現在の首相でもある。2007年にはジョゼ・ラモス=オルタ(1996年のノーベル平和賞受賞者)が選出され、今回は元ゲリラのホセ・マリア・デ・ヴァスコンセロス、通称タウル・マタン・アルクが61%の得票を獲得し、東ティモール独立革命戦線(フレティリン)の候補者フランシスコ・グテレス(通称ル・ロオ)を破って大統領に選出された。

1975年の内戦とそれに続くインドネシアによる24年間の占領(1975〜1999年)によって疲弊し切ったこの国で、複数政党制が定着した。大統領選挙の第一回投票で4人の候補者が17%以上の票を獲得した。だが、大統領の役割は象徴的なものだ。政策を決定するのは議会だ。それゆえ、7月7日の議会選挙の投票が重要になる。東ティモール再建国民会議(CNRT)のグスマン氏が比較的、支持を伸ばしているが、単独過半数をとる政党はないだろう。

1999年の独立に関する住民投票の後、インドネシア軍と民兵による占領・焦土作戦によって引き起こされた東ティモールの荒廃は依然、消え去ってはいない。2002年5月(の独立)まで国連が暫定統治した移行期間は成功したかのように言われているが、現在では批判の対象になっている(注3)。1999年末から2006年初頭までに、東ティモールは20億ドルの国際援助を受けているが、そのうち80%はこの国以外のために、特に国連軍の資金として使われた。また15%は海外の「専門家」の懐に入った。彼らには時として毎年40万ドルが支払われたが(注4)、言語能力も背景的理解もなかったので、現地幹部の養成さえできなかった(注5)。

さらに、専門家たちの助言に基づいた2002年の最初の発展プランは、ネオリベラリズム的なテーマの繰り返しだった。経済民営化、外貨への門戸開放、金融部門の促進、行政府の規模の制限、「規律ある」労働力の奨励などだ(注6)。国連の一部の幹部たちは、こうした勧告は(この国に)不向きだったし、フラストレーションを増大させただけだったと述べている。民間部門でも公共部門でも雇用の創出は生まれなかったし、約束された年金も経済援助も支払われなかった。

この荒廃した国では、独立に多くの期待がかけられていただけに、経済政策の失敗が政治危機に結び付いた。政治危機は、西部出身の軍人の待遇改善を求めるグループによって起こされた。東部出身の軍人に対して給料や待遇の上で差別されていると思っているのだ。この対立の激化によって政府は2006年5月、国際部隊の派遣を要請せざるを得なくなった。この出来事は軍の不満分子によるラモス=オルタ大統領とグスマン首相を狙った2度の襲撃未遂をへて2008年2月にようやく終結した。

こうした状況から2011年に、米国の「平和基金会」は東ティモールを北朝鮮に次いで23番目の破綻国家にリストアップした(注7)。東ティモールは北朝鮮とは似ても似つかないのだが…。東ティモールは多党制をとっている上、議会の32%は女性議員が占めており、世界の国の大多数よりも優れている。1999年から2010年までに平均寿命は56歳から62.5歳に延び、識字率は40%から58%に向上した。住民1人当たりの国内総生産は330ドルから5300ドルに増えた。国際統計によると、国民の40〜50%が貧困ライン以下で暮らしていることになっているが、この評価は疑わしい。というのも住民の4分の3は非商業的で自給的な農業を広く営んでいるからだ。さらに政府は基本物資に援助を行うばかりでなく、無償教育、無料診療所網の整備によって教育・医療分野に補助金を出そうと努めている。

課題は山積みだ。人口は今から2050年までに2倍以上になる見通しだからだ。グスマン内閣は2030年をめどに諸問題の解決を図るため、2011年に発展計画を立てた。石油収入のお陰で潤沢な基金が創られ、その額は2012年に100億ドルに達している。だが、確認埋蔵量は40年分の生産量しかない。そのため90%以上を石油・天然ガスに頼っている経済を多様化することが求められている。これに成功するには、東ティモールは自国の資源がオーストラリアと中国に狙われていることを承知したうえで、世界の中の自己の位置づけを考えていかなければならないだろう。

インドネシアとの関係は沈静化している。インドネシアは占領時代に犯した暴力行為や虐殺、略奪がいかにひどいものだったかを認めておらず、多くの人権団体がなお国際法廷の開催を求めている(注8)。しかし2008年に「真実と友情」委員会の報告書が出たことで、両国の関係は和解した。インドネシアが東ティモールの東南アジア諸国連合の加盟を支持していること、2012年5月20日にディリで開催された東ティモール独立10周年の記念式典にインドネシアとポルトガルの大統領が出席したこと、これらは前向きな兆しといえる。

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(1)東ティモール総選挙は2012年7月7日に投票があり、グスマン首相が率いるCNRTが31議席を獲得したが単独過半数(33議席)にはいたらなかった。これまでCNRTと連立を組み、8議席を獲得した民主党は連立を維持する方針で、グスマン首相が次期議会で再選され続投する見通し。〔訳註〕
(2)AFP, 16 avril 2012.
(3) Geoffrey Gunn et Reyko Huang, New Nation : United Nations Peace-Building in East Timor, Tipografia, Macao, 2006.
(4)The Australian, 20 mai 2009, in Courrier International, n°968.
(5)Timor-Leste en quete de reperes, perspectives economico-politiques 1999-2050, Irasec- Arkuiris, Bangkok-Toulouse, 2008.
(6) Planning Commission, East Timor National Plan, 2002. (7)www.fundforpeace.org/global/
(8)lire Angela Robson, ≪ Au Timor, des amnisties qui divisent ≫, Le Monde diplomatique, decembre 2008.
          

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電 子版2012年7月号)