ユネスコ松浦改革を問う

ガブリエル・カプラ(Gabrielle Capla)による調査記事

ジャーナリスト

訳:日本語版編集部


 以下は、このほど任期を終える松浦事務局長の時代に進められたユネスコ改革についての論評である。きわめて否定的な評価であり、日本語版への掲載の是非をめぐり編集部内で激論となったが、国際機関の要職にある日本人の業績について、国内メディアで聞かれるのは主に肯定的な評価であり、外国メディアにおける批判が紹介される機会は稀であること、さらにル・モンド・ディプロマティークは多数の言語で発行されていることから、この記事の和訳を提供することは我々の公共的な任務であるとの結論に達した。客観的に見れば、以下の叙述内容には、ユネスコ内部の覇権争いを感じ取れなくもない。それもまた、公に報じられることの少ない国際機関の現実だろう。[日本語版編集部]

 2009年5月31日、立候補の受付が締め切られ、次期ユネスコ事務局長の選挙が公式に始まった。9月7日から開かれる執行委員会で、9人の候補者の中から日本の松浦晃一郎事務局長の後任を選出し、総会を構成する193カ国に推薦することになる(1)

 この名誉ある地位をめぐって各候補者の出身国が争い合うなかで、事務局を拠点とするユネスコの幹部官僚は、自分たちのポストの維持や強化に躍起になっている。利害が絡んでいることを隠すために建前論を用いたところで、彼らの大半が1999〜2009年の松浦時代に、ユネスコの基本的価値を踏みにじったことは隠しようもない。

 ユネスコはそもそも、国連システムの中で知的分野をつかさどる機関として1945年に構想され、極めて崇高な目標を掲げている。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」。この目標の達成を望んだ原加盟国は、各国の文化多様性を尊重しつつ「民主主義の理念」に立脚した平和に到達するために、教育・科学・文化・情報通信の分野における自由な交流の拡大を奨励した。

 危機にある世界の中で、ユネスコ憲章は今なお驚くべき今日性を保っている。

 ユネスコは、1978年から80年にかけ、米国の超保守派シンクタンクであるヘリテージ財団から、知識人やノーベル賞受賞者の代わりに「危険な共産主義者」の巣窟になっていると非難され、1981年から89年のレーガン時代にも激しい批判を浴びせられた。アフリカ人(セネガルのアマドゥ・マハタール・ムボウ、在任1974〜87年)が事務局長に就任したことに激怒し、「過度に政治化している(2)」ことに不満を抱いた米国は、1984年にユネスコを脱退した。その結果、第三世界諸国が自己主張できる国際機関の一つであるユネスコは、通常予算の20%を失った。

 2003年9月に、「友人」たる松浦事務局長に促され、19年間の空白の後に復帰した米国は、「ユネスコが改革に向けて大きく前進した」ことを評価した(3)。ブッシュ大統領のイラクへの野心を国連が是認しなかったという背景の下で、ワシントンは「人間の尊厳に向けた我が国の取り組みの象徴」として(4)、ユネスコへの復帰を急いだ。

 復帰早々、ワシントンは無形文化遺産(5)の宣言および条約の採択に反対し、文化的表現の多様性の保護と促進に関する条約(文化多様性条約)の最終作業を妨害した。同条約は最終的に2005年10月に採択され、2007年3月18日に発効した。アメリカのルイーズ・オリヴァー・ユネスコ代表部大使は、松浦事務局長の「巧みなリーダーシップの資質」を賞賛しつつも、「我が国が国連安保理のような拒否権をもっていないこと」を残念がった(6)

 かつてムボウ時代に、ワシントンは事務局長が「アフリカ式の機関運営を行ったため、不透明な出費とけじめのなさのせいで(・・・)何がどうなっているのか見えなくなった」との非難を浴びせた(7)

 10年間の松浦時代が終わるに当たり、米国が絶賛した「改革」の成果は、実際どういうことになるだろうか。

 エジプトのアブ・シンベル神殿や、カンボジアのアンコール遺跡、エチオピアのアクスムのオベリスクなどの保護をもたらした人類の遺産の保全プログラムや、世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の10年(2001〜10年)が、評価と賞賛の対象になっていることは動かない。とはいえ、ユネスコが国連によって与えられた目標を達成できていると言えるのだろうか。

 日本の駐仏大使だった松浦氏が1999年に事務局長に選出されたのは、少年時代からの友人だった小渕首相が立候補を支援し、ユネスコの事業に予算外の追加資金を出すという(守られなかった)約束をしたおかげだった。国連システムへの民間の大口ドナーであるササカワ・ファウンデーションの支援もあった。その創設者の笹川良一は戦犯容疑者で「ヤクザのパトロン」とも称された(8)。日本文化好みを隠すことのなかったシラク仏大統領も、松浦候補に肩入れした。

 こうしてユネスコは史上初めて、その管轄分野とは無縁の人物に率いられることになった。松浦氏には教育・科学・文化の分野での経験がなかった。その一方で、ユネスコ内部の規範やルールは軽視した。彼は国連機関の長が必ず行うとおり、自国に対して独立性を保つことを誓った後、事務局長としての執務を日本大使館で開始した。献身的な職員たちがそこにユネスコの書類を運んできた。

教育部の「出張費」増大

 松浦事務局長は就任するや、ユネスコの経済「改革」に乗り出した。この政策は、スペイン出身のマヨール前事務局長による運営の痕跡を消し、「平和の文化」といったマヨール時代のプログラムも一掃した。また、「支出を削減するため」として、50ほどの幹部ポストを廃止したが、これはユネスコの人事規則にも国際公務員の規範にも反していた。解雇手続きを推進した新任のディアーヌ・デュフレーヌ=クラウス人事部長は、20年にわたってカナダの刑務行政部門で働いていた人物である。以来、ユネスコは何度となく、国際労働機関(ILO)行政審判所に是正命令を下されている。

 この経済「改革」は、文化に関わる部門にも及んだ。1947年に創刊され、点字を含めた30言語で出されてきたユネスコの象徴たる『ル・クーリエ・ド・リュネスコ』である。資金提供を申し出た国もあったし、事務局にとって一般向け広報誌は必要なはずだ。にもかかわらず停刊となった。また、数千点にのぼる歴史書・報告書・研究成果・刊行物・文書が、アフリカ、ラテンアメリカ、アラブ圏に関わるものを中心に、2004年から2005年にかけて廃棄された。理由は保管スペースと情報媒体容量の不足だという。教育分野の経験のない松浦事務局長は、本をたとえば学校に配ることよりも、廃棄処分にすることに予算を投じた次第である。

 表立っての攻撃も相次いだ。とりわけ標的になったのが、世界ユネスコ協会クラブセンター連盟(WFUCA)である。1981年に(1947年発足のユネスコ・クラブを前身として)創設され、120あまりの国々で、平和の価値を推進するために活動している組織だ。その執行委員会の14人の委員が、地域・文化バランスを加味して正規に選出されていたにもかかわらず、元ユネスコ職員でWFUCA会長を名乗る日本の服部英二氏ら9人のグループからいやがらせを受け、次いで2005年に追放された。150万人以上の会員をもつNGOであるWFUCAが、ユネスコから縁を切ると脅され、「反乱派」の執行委員会の運営予算60万ドルが総会に承認されなかったという展開は、WFUCAの独立性と自立性を打ち壊そうというユネスコ事務局の意向の表れだった(9)。こうした工作は、他のNGOや関連組織にも及んだ。

 松浦事務局長が取り組んだのは、ユネスコを日本に従属させ、ワシントンから評価される「改革」を実施することだった。「有能で専門性をもった」米国出身者が多くの要職に就けられた(10)。新チームのこうした編成の好例がピーター・スミス氏だ。米国のファーストレディだったローラ・ブッシュ(松浦時代に2012年までの任期でユネスコ名誉大使に着任)の圧力によって、2005年に起用された。

 レーガン政権時代にヴァーモント州選出の共和党上院議員となり、その後カリフォルニア州立大学モントレイ・ベイ校に在籍していた時期に、人種差別を非難されたこともある。ユネスコでは教育部で副部長として、組織再編に当たった。有名な「万人のための教育」プログラムの再編は、彼の重点目標の一つだったが、コストも最大級だった。この件でスミス副部長が利用したのは、米国のコンサル会社ナヴィガント・コンサルティングである。この分野の専門性はなかったが、「部の管理を改善する」という趣旨の下、多額の契約が結ばれた。「2005年6月から2006年8月までに2150万ドル。入札はなし。ユネスコの規則に違反」した契約であり(11)、松浦事務局長も了承済みだった。

 世界の非識字者を2015年までに半減させることにも、ユネスコの無駄な出費の増大を抑えることにも不熱心なスミス副部長は、「出張費」を急増させた。シカゴに本社を置き、主に教育の民営化を推奨しているナヴィガント・コンサルティングは、パリに事務所がなかった。そのため副部長とそのチームは、定期的に米国に出張しなければならなかった。こうした出費を問題視されて彼は辞任を余儀なくされたが、「反改革」に事業を邪魔されたという捨て台詞を残していった。

 「ユネスコの解体が暗黙裏に進められているのだ」と職員たちは囁き合っている。松浦事務局長が総会と執行委員会を軽視し続けてきたことへの憤激が、あちこちで感じられる。だが、魔女狩りを恐れていることも見て取れる。ユネスコの腐敗と惨状を非難する者が狙い撃ちにされているため、そんなことを表立って口にする者は少ない。降格や配転、昇格阻止への不安に加えて、失うものがポストだけでは済まないのではないかという不安も現実だ。鬱病になったり、病気で長期休職したりといった職員も多い。謹厳で職業意識が高いと周囲から認められていた人たちが、愛想を尽かして辞めていった。

『世界報告』をめぐる問題

 職員組合のユネスコ・スタッフ・ユニオン(STU)は、まさにユネスコの解体こそが、推進された政策の目的だったと見ている。そうした趣旨の二つの匿名の非難文書が、2008年の終わりに、次いで2009年6月に出回った。幹部層と接触のある職員の一部が、事務局長と「その一味」の腐敗と専横を糾弾するという内容であり、そのためにユネスコは10年間で「非効率的で金遣いの荒い」組織に変わってしまい、「無駄遣い、不正、横領や権限濫用、それにハラスメントが増大の一途をたどっている」と書かれていた(12)

 加盟諸国、総会、執行委員会も、作為または不作為によって、目を覆うようなユネスコの荒廃に荷担したとして批判されている。この警鐘にもかかわらず、そこで非難されていた行為は以後も続いた。

 2002年から、松浦事務局長自身が決めるテーマの下、隔年で『世界報告』を発刊することが勧奨された。最初の(唯一となった)報告書は、ジェローム・バンデ室長の率いる将来展望室が担当し、フランソワーズ・リヴィエール事務局長官房長の率いる委員会がハイレベルで監督した。

 「知の社会を建設する」をテーマとした『世界報告』は、世界的機関であるユネスコに求められる知的アプローチと出身国の地域・文化の多様性を顧慮しなかった。53件の執筆依頼のうち、南半球在住の執筆者は7件しかなかった。

 パリ在住者をはじめとするフランス人に偏りすぎている点については、ユネスコ本部がパリにあるという地理的な事情が根拠だとされた。だが、会計検査レポートの指摘によれば、「そうした主張は、『対話と会談』(国際会議を指す)の場合ならまだしも、発言者の招聘ではなく執筆依頼の場合には妥当とは言えず」、費用は原稿の長さではなく執筆者に応じて変わっていた。この点は会議での発言に関しても同様で、「数百人程度を前にした20分ほどの発言に、最大1万2000ドルが出費されていた(13)

 2002年から2005年にかけての報告書の作成を通じて、「総額52万6937ユーロにのぼる86件の支払契約」が結ばれた(14)。相手先は(フランスの)アドバイザーのチームで、拘束期間は最小3日から最大34カ月、役に立ったかどうかは控えめに言っても議論の余地がある。依頼原稿の校閲はしっかりやったが、その大半に関して「簡潔にまとめるというのが唯一の取り柄で、全体としてかなり凡庸である」と論評した。彼らの仕事の大部分は「室長が頼まれたスピーチや室長名の原稿」の執筆だった。2005年11月に2年遅れで刊行された報告書の「コストは、120万ドルの予定が総額230万ドル」となり、その「インパクトは限定的」だった。

 会計検査の結果、フォントノワにあるユネスコ本部の改修工事にも、乱脈会計があったことが判明している。

 松浦時代の終わりにユネスコが陥っている荒廃状態は、ブッシュ時代の終わりに米国が陥っていた荒廃状態にも匹敵するというのが、多くの代表部と大多数の新旧職員の見解である。

 ユネスコを麻痺させる(民営化する)ために推し進められてきたアウトソーシングと業務委託の論理によって、次期事務局長の裁量の余地は狭められている。誰が選出されるにしても、前任者のチームの有力メンバーであるハンス・ドルヴィル氏が準備した2010〜2011年度のプログラム・予算案は、この2009年9月中に総会で承認されることになる。「新」プログラムは松浦時代の政策を明らかに踏襲しており、現事務局の立場の自己弁護であるという点を別にすると、主要な欠点もまた踏襲している。次期事務局に期待される立て直し事業が、旧事務局によって阻止された形だ。

 厳格な会計監査を求める声が高まっている。松浦氏は正念場を迎えているのだろうか。現在の路線が変われば、オラビイ・ババロラ・ジョゼフ・ヤイ執行委員会委員長が、執行委員会と総会と事務局の間の「不健全な共謀」、「了解事項となっている無理解」と呼んだ事態は解消されることになるだろう。会計検査部による様々なレポートを見れば、もはや言い逃れの余地はない。国連システム中ただ一つの文化と知の機関の解体を、知らぬ存ぜぬで正当化することは誰にもできない。

 確かに、国際機関やそれを支える諸国の責任者がみな、人類の定めた目標の達成を優先課題としてきたとは言えない。この種の官僚組織を変えるには、内側の試みですら、多大な時間と努力が必要とされる。とはいえ、ユネスコは創設以来、多くのことを成し遂げてきたのであり、その点からすれば期待してもよい。だから、ユネスコの「紳士淑女のみなさん、どうぞ果敢に!(15)

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年9月号)

* 後ろから二段落目冒頭の字下げを訂正(2009年10月2日)
* 註(11)の書式を訂正(2009年10月2日)


ユネスコ事務局長官房からの抗議文を別途掲載しました。(2009年10月26日)
松浦晃一郎前ユネスコ事務局長からの抗議文を別途掲載しました。(2010年1月26日)