ヨーロッパにおける「もう一つの世界主義」運動

イニャシオ(イグナシオ)・ラモネ

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 グローバリゼーションは、我々の世界の支配的な現象となっている。その特徴は、多数の諸国間における貿易の拡大にある。それは本質的に経済面の現象であると同時に、経済以上に金融の側面が支配的であると言える。グローバリゼーションとは結局のところ、新自由主義理論の適用であり、それが過去20年間にわたって強化されてきたといえよう。

 この新自由主義理論は貿易に関連する多くの分野で、貿易の拡大の阻害要因であった障壁を撤廃させることに成功した。商品貿易を困難にしてきた関税などのルールの大半が、大多数の諸国間で撤廃された。いわゆる「規制緩和」である。つまり、国際貿易を阻害するルールはどんどん緩和され、国際貿易が拡大した。そこで掲げられたのは「神の見えざる手」の原理だった。市場に任せておけばよい、規制はなし、安定はなし、国家は貿易に介入しない、「神の見えざる手」がうまく経済を調整するのだから、という考え方である。

 その結果、過去20年間を通じて、大企業がグローバリゼーションの主役に躍り出た。そして伝統的な国家の役割は減退した。かつて国家が一般的に担っていたのは、戦術を立て、計画を立て、国民を保護し、福祉を提供する役割である。国家の占めていた領域が市場によって占められるようになるにつれ、国家の役割は減退した。過去20年間を通じて見られた市場の発達は、国家の後退の上に成り立っているのである。

 グローバリゼーションの拡大にしたがい、言い換えれば国家が後退するにしたがって、ある種の弱肉強食の法則がよみがえった。グローバリゼーションとは一言で言えば、戦争および市場 vs 国家という構図であるという言い方を、私はしばしば使う。民間部門 vs 公的部門、個人 vs 公共体という対立である。グローバリゼーションの中心思想の一つは競争状態である。グローバリゼーションとはいわば相互の絶えざる闘争、個人と個人、企業と企業の闘争であり、そして言うまでもなく、公的部門と民間部門との闘争である。弱肉強食が復活した。それを支配する法則は優勝劣敗なのである。

 グローバリゼーションの特徴は企業の合併・集中である。そこでは従業員に対し、何の容赦も配慮もない。人間的な代償がいかに高くつこうと知ったことではない。最大の目的は純然たる経済目的、すなわち収益性、利益の追求である。このように、グローバリゼーションとは競争状態であり、代償を顧みない利益の追求、収益性の追求である。

 グローバリゼーションが作り出すのは、豊かな者がさらに豊かになり、貧しい者がさらに貧しくなる世界だということが、次第に明らかになってきた。その世界では、諸々の不平等と不公正がひどくなる一方である。グローバリゼーションは、より人間的な世界を作り出すのだと約束していた。しかし実際に出現したのは、以前よりもさらに不平等が拡大した世界だったのである。

「北」と「南」で広がる貧困

 不平等や不公正は、ヨーロッパや日本のような豊かな国でも広がっている。現在、欧州連合(EU)の中に1,500万人以上の失業者、5,000万人近くの貧困者がいる。30年前、EUには貧困をなくすことを目的とした雇用政策があった。それが現在では失業者、容易に仕事を見つけることのできない構造的な失業者が約1,500万人に上り、そして繰り返しになるが、貧困者が5,000万人近くもいる、そういう状況になっているのである。

 グローバリゼーションは、きわめて大きな破壊の上に成立している。豊かな国であっても例外ではない。EUを例に挙げれば、産業がまるごと消えている。EUの中に、もはや繊維産業はない。造船所もない。製鉄業もない。鉱業部門も消えている。大量の労働者が働いていた産業が消えてしまったのである。それは社会的に大きな苦痛を強い、大量の雇用の喪失とともに、生活不安、排除、疎外を生み出している。

 こうした暴力的な競合、競争状態の下で、多くのヨーロッパ企業は生産拠点を国外に移転した。つまり今日、豊かな国は労働コストが非常に安い国に工場を設けることを目指している。北側諸国の工場が進出した国の側では、貧しい人々が搾取されている。男性、とりわけ女性、時には囚人、そして子供たち。北の豊かな国から南の貧しい国に進出した企業の工場では、ご存じのように、子供を働かせているところが多数ある。世界で現在、3億人以上の子供が働いている。今日、目標とされているのは、労働コストが安い国に工場を設け、生活水準が非常に高い国で商品を販売することである。

 北側の国家、本来ならば市民を保護し、社会の結束を守る存在であるはずの国家は、この事態を放置している。グローバリゼーションは、過去2世紀にわたって築き上げられた社会法を破壊しているのである。グローバリゼーションはまた、この地球を破壊し、踏み荒らすことでもある。多くの大企業は、そのおそろしく強大な力をもって、環境を破壊することを躊躇しない。自然は人類の公共財であるはずなのに、これらの企業は自己の利益のためだけに自然を搾取している。このような環境犯罪を前にして、国家は後方に退いているのだ。

 グローバリゼーションは社会法の破壊、不平等の拡大、環境犯罪というだけではない。それは金融犯罪でもある。大銀行の共謀の下に、租税回避地の共謀の下に、大々的に汚職が行われ、巨額の資金が洗浄されている。租税回避地で洗浄される裏金は年間1兆ドル近くに上っている。こうした裏金は、世界の貿易総額の20%に相当する。また別の比較を引用すれば、全人類の3分の1以上によって生み出されている国民総生産の額に相当する。ここでもやはり国家は放任している。国家は租税回避地を禁じるための措置をとることはしていない。

 グローバリゼーションのこうした特徴に対して、抗議の声を上げる人が世界中で増えている。とはいえ、グローバリゼーションのこうした側面を市民が日常的に感じ取っているというわけではない。なぜならば、政治やメディアでは、グローバリゼーションはよいものであるとするムードが日常化しているからである。政治指導者やメディアは、各国の問題の解決法はグローバリゼーションにしかないと、ひっきりなしに説いている。

貧困は個人のせいではない

 民営化の拡大、公共サービスの縮小、生活不安の増大、等々、グローバリゼーションが問題を生み出しているという考えが個人レベルであるとしても、それは別にグローバリゼーションのせいではなくて、一人ひとりの問題だといったふうに言われがちである。よくよく考えてみれば、現在作られつつあるシステムは、過去に存在したシステムに比べてよいとは言えない。にもかかわらず、それが近代的だと言われ、人々はグローバリゼーションを近代化だと考え、受け入れているのである。

 異議申立の声はなかなか上がらない。誰しも近代化を求める気持ちを常にもっているからである。しかし結局のところ、そこで言う近代化とは、実際には進歩ではなく、退歩ではないかと思い始めた人が、労働者、サラリーマン、教員、学生、農民、アーティストなど、世界中で少しずつ増えている。社会形態の観点から見た退歩である。グローバリゼーションによって、市民に対してますます残酷で、無理を強いる未来社会が築かれつつある。

 大規模な国際的抗議運動が最初に起こったのは、1999年12月のシアトルである。世界中から来た人々が皆で一緒に、グローバリゼーションという抽象的な考え方に対して、異議申立の声を発した。シアトルで起きた抗議運動で興味深いのは、グローバリゼーションという考え方が、ひとりでに強力になったわけではなく、それを強力に推進する原動力があることに、人々が気付いたことだった。

 主要な原動力の一つが世界貿易機関(WTO)である。それまでWTOは、経済の専門家にだけ知られた機関であり、普通の人々が知るような組織ではなかった。しかし人々は、グローバリゼーションとは何か、グローバリゼーションはどのように作動しているのかと考えをめぐらせた結果、グローバリゼーションの考え方の流布と推進に当たっている機関があることに気が付いた。WTOである。そこで人々はシアトルで、WTOに対する抗議運動を展開したのである。

民主主義にそぐわないグローバリゼーション

 世界各地の人々は、グローバリゼーションには責任機関があること、それがWTOであることに気付いた。シアトルで抗議運動を行った人々がそこで糾弾したのは、グローバリゼーションの反民主性である。なぜ反民主的なのか。民主的な国で、民主的に選挙が行われ、政府が選出されたとしても、その政府は好きなように政策を進められるわけではない。グローバリゼーションを組織する者たちの掟に従わなければいけないからである。

 グローバリゼーションは民主制の領域を狭めている。例えばグローバリゼーションは経済に関わる議論を消滅させている。もはや経済に関わる議論は存在しない。民主制とはあらゆる議論が可能であること、表現の自由、言論の自由ということだが、グローバリゼーションの枠組みの中では、経済に関わる議論は存在しない。経済に関しては、一つしか解がないというのだ。あらゆる分野について好きなように議論してかまわない、ただし経済は例外だ、ということである。経済に関しては、ただ一つの解、ただ一つの法則しかない、それが新自由主義であり、グローバリゼーションの法則だというわけである。経済に関して、グローバリゼーションの秩序とは別の解があると言い出す政治組織や政党、知識人があれば、頭がおかしい、あるいは時代錯誤だと言われるのがおちである。このように、経済に関しては民主的な議論がなくなっている。経済は、ドグマと化したひとつの法則に収束してしまった。新自由主義の法則はドグマであって、異論の余地を許さない。

 もう一度繰り返すが、なぜ反民主的かというと、私たちが自由に、まったく自由に選んだはずの政府はいずれも、グローバリゼーションを率いる機構の掟に従わざるを得ないからなのである。グローバリゼーションを率いる主要な機構は四つある。国際通貨基金(IMF)、世界銀行、経済協力開発機構(OECD)、WTOである。ブッシュ氏が言う「悪の枢軸」になぞらえて、この四つの機構を「悪のポーカー」と呼ぼう。この四つの機構が各国政府の政策に関して指令を下している。IMFや世界銀行、OECDやWTOの意向に反することを行える政府はない。

 これらの機構は民主的な存在ではない。私たち市民は選挙を通して自分たちの政府を選ぶわけだが、実際に国を統治しているのは、私たちが選んだわけでもない「悪のポーカー」である。したがって、グローバリゼーションには、民主主義に関わる八百長がある。市民の手から自国の経済政策を左右する可能性が、言ってみれば奪わているのだ。大半の民主国では、右派の指導者、中道の指導者、あるいは左派の指導者でさえも、選挙によって選ぶことができるが、ほとんどの場合、政策はまったく同じである。つまり「悪のポーカー」の望む政策なのだ。グローバリゼーションはその結果、社会に非常に大きな苦痛を強いる論理と化している。事態を変える力のある政治指導者は見当たらない。

経済中心のグローバリゼーションに抗する人々

 それが世界中で、グローバリゼーションに対する国際的な抗議運動が起こった背景である。これらの運動は政党を介しているわけではない。多くの国で、グローバリゼーションが生み出したそれぞれの問題に応じて、社会が自ずと変革を求める運動に乗り出したのである。グローバリゼーションの決定中枢に対して、世界各地でデモが頻発するようになった。なぜなら、グローバリゼーションが世界の不安定化を引き起こしているからである。イラク戦争の目的は、端的に石油を奪取することにあった。まさに、経済的な支配を目指したものであり、世界中で抗議運動が沸き起こった。

 そうした運動は、グローバリゼーションに反対する人々が結集し、世界を変革するためのプログラムを作り上げていこうという考えを伴っていた。行動を起こすこと、ただし、もちろん非暴力的な行動である。暴力をしりぞけつつ、グローバリゼーションの方法とは異なる解決策によって、社会を変革しようとしている。

 2000年にはブラジルのポルトアレグレで、第1回目の世界社会フォーラムが開かれた。世界社会フォーラムは、グローバリゼーションに異議を唱える世界中の市民団体、運動体、人々が一堂に会する大規模な年次集会で、これまでに何度も開かれている。今年の会場はカラカス[およびバマコ、カラチ:訳註]だった。2007年1月にはケニアのナイロビでの開催が予定されている。

 IMFに抗議する人々、WTOに抗議する人々、APECに抗議する人々、G8に抗議する人々、グローバリゼーションの犠牲者が、世界社会フォーラムで一堂に会して、今の世界よりも友愛と連帯に満ち、今の世界ほど不公正で残酷ではない世界を築いていくための解決策を提案しようとしている。そこにはまったく新しい考え方がある。旧来の異議申立の形態を踏襲しているわけではなく、新たな方法、現代的な方法を編み出そうしている。異議申立の対象は、グローバリゼーションという同じく極めて現代的な現象だからである。この運動は、当然ながら非常に多様、多彩なものだ。関心はきわめて多岐にわたっており、一枚岩の単一組織を作っているわけではない。非常に自由な運動である。今日この運動は、グローバリゼーションに対峙する社会的な対抗勢力となっている。

 世界社会フォーラムの中核は、その知的な活動にある。世界社会フォーラムには、大学のようなところがある。思想を作り出し、抵抗組織を動かしていくための知的な燃料を作り出している。このフォーラムの目的は、言うまでもなく、世界を変革するための何らかの考えを打ち出していくことにある。そうした考えは現実に存在するのだろうか。ええ、存在しますとも。幾つかの例をお話ししよう。この社会運動は、「もう一つの世界主義〔ルビ:アルテルモンディアリスト〕」運動とも呼ばれている。「もう一つの世界は可能だ」という考えに由来する呼び方である。

もう一つの世界をつくり出すための5つの提案

 この運動の提案の一つが、租税回避地の撤廃である。租税回避地というのは、そこに入ってくるカネの出所は問わない場所のことである。そこの銀行には、どこから出てきたカネでも、たとえ犯罪に由来するものであろうと、入金が可能である。麻薬取引とか武器の密輸、あるいは汚職絡み、脱税絡み、売春組織絡みなど、ありとあらゆる犯罪に由来するカネが、租税回避地に流れ込んでいる。租税回避地が存在する限り、脱税や汚職はなくならず、ありとあらゆる犯罪が事実上の保護を受けることになる。

 グローバリゼーションは、偽善的なシステムである。建前としては道徳的なことを唱え、汚職はいけないとか、脱税対策が必要だとか言いますが、租税回避地は容認されている。租税回避地には世界の大手銀行が集結している。とんでもない矛盾だ。これに終止符を打たなければならない。

 世界社会フォーラムが提案する第二の措置は、貧しい国々の対外債務を帳消しにすることである。貧しい国々が貧困から脱することは、誰にとっても有益である。しかし、これらの国々は対外債務のせい、対外債務を返済しなければならないせいで、貧困からの脱出を妨げられている。これは非常に不公正なことである。実際には、債務の返済は済んでいるからである。にもかかわらず、利子の返済が、永劫に続けられているのだ。多くの貧しい国にとって、こうした債務は罠、不当な罠でしかない。これらの国々は発展することができずにいる。自国の富の大部分が債務返済に投じられているからである。

 豊かな国ではよく、私たちの国は貧しい国々への援助を行っているという言い方がされる。しかし事実を知っておくべきだ。豊かな国々が貧しい国々に毎年カネを送っているわけではない。債務支払を通じて、貧しい国々の方が豊かな国々へとカネを送っているのだ。南側から北側へと流れる資金の総額は、北側から南側へと流れる資金の2倍に上る。豊かな者が貧しい者を助けるどころか、貧しい者が豊かな者を助けているということは、現代の最大のスキャンダルの一つである。

 第三の提案は、飲料水に関するモラトリアムを課すべきだというものである。飲料水の欠如は今日、世界の死因の首位となっている。1日3万人の人々が質の悪い水を飲んだせいで亡くなっている。世界における緊急の課題の一つは、淡水、飲料水に関する国際合意を形成することにより、北側の国々による水の浪費を抑え、南側の国々がより多くの飲料水を手にできるようにすることだ。

 第四の措置として、貧しい南側の国々を助けるための国際的な課税を、ぜひとも創設しなければならない。国際的な付加価値税に相当するものであり、例えば為替市場が課税対象となる。トービン税と呼ばれるものだ。あるいは武器の売却、石油資源の販売などに課税することも考えられる。世界の貧困を減らすために不可欠な財源を得るための解決策は、これ以外にはない。

 ほかにも提案はあるが、五つ目で最後にする。五つ目は、北側の国々が農産物の輸出補助金を撤廃することである。

 「もう一つの世界主義」運動、グローバリゼーションを批判する運動は、世界の性格を変えるために今や不可欠となった変革に向けた提案を生み出すというバランス感覚を示している。新たな集合的主体が生まれつつある。その主体、すなわち「もう一つの世界主義」運動は、集合的な意識を形成し、グローバリゼーションの舞台に割って入ろうとしている。それは今日、グローバリゼーションを是正し、世界最大の悲劇を回避するための力を備えた唯一の主体となっているのである。

[訳・斎藤かぐみ]

2006年9月28日に明治学院大学で行われた講演の全文。同大国際平和研究所の厚意により『PRIME』25号より転載。タイトルは告知時のもの、中見出しは同誌編集部による。

(PRIME No.25)

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